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淨宗寺について

淨宗寺のご案内

概略

宗 派
浄土真宗本願寺派
本 山
本願寺(西本願寺)
ご本尊
阿弥陀如来
開 創
寛永9年(1632)6月18日
開 山
親鸞聖人
開 基
正現律師
寺 紋
揚羽蝶(池田候より拝領)
現住職
〔第11代〕片上 義明

寺史

  寛永9年6月18日、岡山藩主であった池田光仲公(当時3歳、1630~1693)が鳥取城主として国替えになられたおり、祐筆・相談役として備前片上(現・和気郡備前町)からお供をして来たり、邑美郡鳥取城下・若桜橋上手の荒尾家下屋敷にて庵を建立して『紫雲庵』と号して居住したのが初代の正現律師である。 

後日(年号不明)火災にて庵が焼失した折、池田光仲公の命によって因幡・伯耆・隠岐の3ケ国に布令を出して浄財を集め、寛永15年(1638)に再建した。その折、池田公のお声がかりにて庵号も山号に改め、『紫雲山 淨宗寺』と号して浄土真宗本願寺派の末寺となった。その後、寛文5年(1665)2月13日、馬場町柿ケ谷通りの学成寺(日蓮宗)末院・林乗坊の土地を購入のうえ、寺院をその場に移して今日に至っている。

その後、第4世・義達法師の時の宝暦3年(1753)3月24日、昼過ぎの火事にて類焼し、現在の栄町郵便局のあたりまであった土地の一部を売却して再度建立した。後、明治初年(1868)より明治15年(1882)まで日新小学校が本堂で開校していたが、明治28年(1895)の冬に再度火事に遭って全焼した。

さらに、第10世・義完法師の時には昭和18年(1943)9月10日の鳥取大震災にて本堂・庫裏ともに全壊。やっと再建したにもかかわらず、昭和27年(1952)4月17日には鳥取大火災にて再度全焼。加えて、境内の墓地を都市計画区画整理事業にて円護寺公園墓地に強制移転させられるなどのことがあって現在に至っている。その中で、現在の本堂は昭和34年(1959)4月6日にご門徒総意の元に再々度建立され、また、総2階の現庫裏は昭和52年(1977)3月27日に完成している。

また、第11世・釋義明の時には、昭和61年11月9日に山門の建立、平成16年8月11日に納骨堂の改築、平成20年9月17日に庫裡(奥)の建築、平成21年10月23日に本堂の荘厳修復と耐震工事に続き、新たに寺院専用駐車場も併設もしている。

なお、寺内には歌集『回水園集』を刊した中島宜門(回水園と号す。1807~1894)及び俳句集『文字扇』を刊した岡田幾外(華峰庵幾外と号す。1873~1949)の墓がある。

寺宝としては、池田光仲公より拝領した鎌倉時代の作と伝えられる開基仏・阿弥陀如来立像、親鸞聖人直筆の和讃、蓮如上人直筆の六字名号[南無阿弥陀仏]の書幅がある。

※境内には六角堂を模した納骨堂『しうんざん廟』があり、地下1階と2階には各家用の納骨箱が安置してあります。また、お参りは雨天でも傘を差す必要がない建物内でのお参りとなっており、線香等も常設してありますので、いつでも気軽にお参り出来ます。

アクセス

〒680-0821 鳥取県鳥取市瓦町110
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