11月
報恩講会の準備で多忙です
2018/11/18
今週は当寺の報恩講会があります。前住職の時には市内寺院5ヶ寺が連続して同じ講師にお願いしていましたので別のお寺のご門徒が聞きに来られることもありましたし、我々もお互いに《勤め合い》をしていました。しかし、10日間(5ヶ寺×2日間)ということは土日にならないお寺も当然にありましたし、私自身も兼務していたのですべてに出勤することも出来ませんでした。また「平日はご門徒のお参りが難しい」等の意見もあり、結局それぞれが「自分の寺は別の日にする」ということになって、今では各寺院が都合のいいときに勤められています。もっとも、当寺では総代会で「長年続けてきた日のままでいく」と決まりましたので、永代経会(7月7~8日)も報恩講会(11月22~23日)も曜日に関係なく昔通りの日程で勤めていますが・・・。
先日は花瓶の真に使うヒバの枝を注文してきましたが、火曜日に生け込みをし、水曜日には山門等に幕を懸けたり、打敷やお供えをしなければなりません。坊守はお斎(最終日)の準備もありますし、お互いに走り回る3日間になりそうです。

1㎏の定義が変わります
2018/11/17
今まで何の疑問のなく使っていた《㎏》の定義が130年振りに変わるそうです。今まではパリ近郊の国際度量衡局内に保管されていた白金とイリジウムの合金が基でしたが、「形あるものはいつかはなくなる」の言葉通りにわずかではあっても変化するとのことで、「今後は光子エネルギーと振動数の比例関係を表わす比例定数(プランク定数)を基に軽量する」とのこと。しかし、高校時代に物理を習ったとは言え、何のことかサッパリ分かりません。でも、この量子物理学で使われるプランク定数の単位には記憶があります。映画『Back to The Future ①』の中でタイムマシンを作動させるのに必要なエネルギーが「ジュール」で表わされていましたが、このジュールこそがその単位だったのです。映画を観た時に「ジュールって何?」とは思いながら今まですっかり忘れていましたが、今日のニュースでハッと思い出しました。
しかし、今まで当然のように使っていた言葉も、考えて見ればちゃんとした意味があるのですよね。教員時代には年末になるといつも生徒達に「大晦日」の意味から始まって「午前・午後・正午」の意味等を教えていましたが、自分にも当然のように思い込んで疑問にも感じていなかったものがあることに思い知らされたことです。
(昨日は山茶花でしたが、今日の写真は白玉椿です)

身近かだからこそ気づかない
2018/11/16
市内の同派寺院(組長)のHPには「『ふるさと』は鳥取の歌」と載っていましたが、私も県外の方が来られたときなどに「兎を追った山は向こうに見える山ですし、『小鮒釣りしかの川』はこの前の川ですよ」と話します。そうすると、大抵の方は驚かれますが・・・。実際に下流の智頭橋(今は「きなんせ橋」と呼ぶ)には兎を抱いた女の子と釣り竿を持った男の子の像が立っていますが、案外気の付いていない人が多いようです。八千代橋では「どうして橋の欄干に兎の絵が描いてあるの?」と疑問に思う人もあるようですが、もともと大黒様に助けられた兎の話『因幡の白ウサギ』は鳥取の白兎海岸のことですから、すぐに分かるものだと思っていました。私も2年間京都で学生生活を送りましたが、「いつでも行ける」と思って観光地に行くこともなく帰郷しました。京都市内を流れる疎水が《高瀬川》のはずですが、京都の人達は「あぁ、そうですか」という程度の反応でしたし・・・。
案外「身近なことだからこそ、気づかない」のかもしれません。そして、その好例が家族間の触れ合いかもしれませんよ。

弱者を守ってこその法律では?
2018/11/15
ここ1週間の多忙に加えて気温の関係か、治まっていた座骨神経痛がぶり返しました。正座での読経は少しでも正中線がずれると腰に来ますし、何よりも辛いのは運転です。どうも身体と年齢とは関係があるようですね。
ところで、ヒルトン福岡で「経済制裁対象国の政府関係者だという理由で、駐日キューバ大使の宿泊を断った」と新聞に載っていました。ホテル側は「米国企業として米国の法を遵守した」と言っていますがホテル自体は日本国内にあるのであり、しかも彼らはSB球団にいる自国の選手の応援に来ただけで政治活動でも何でもありません。この「米国企業だから米国の法を遵守」という態度こそ《米国至上主義》そのものであり、「どの国においても米国の法が先んずる」とする態度に対して日本政府の取る態度が注目されます。現在国会で取り上げられている《外国人就労》問題の裏に隠されている「日本で働きたいのなら・・・」という事業者の傲慢な意識とも重なっているように感じますから。
寒さが強まると、逆に山茶花が美しく咲いてきます。今日の山茶花はピンクの単衣です。

新人賞、おめでとう
2018/11/14
今日の『独り言』を書き終わって次に移ろうとしたとたん、どこをどう間違えたのか文章がすべて消えました。最近はこんなことが時々起きますので、要注意です。
ところで、大谷選手が大リーグの新人賞に選ばれました。日本人選手としては野茂選手、大魔神・佐々木選手そしてイチロー選手に続いて4人目ですが、同僚によれば「同じシャツを数日着ていることもある」とか・・・。私生活も今は野球一筋のために他に関心が無いのでしょうが、スポーツ界にも醜聞が続いた今年だからこそ大谷選手のこの姿に多くのファンが心を奪われています。今年もドラフトで多くの若者達が選ばれましたが、その感動を忘れてしまうのか、数年後には姿を消す者もいます。彼らだけでなく国会議員も八頭町会議員も結局は同じでしょうが、「自分は選ばれた特別な人間だ」という傲慢な思いが根底にあるからでしょう。しかし、選ばれたのは《特別な人間》だからではなくて《我々の代表》としてであり、《我々の夢を託している》からです。大谷選手も、いつまでも子ども達の夢であり理想であることを忘れないでほしいものです。

単発でなく一括して思い浮かんだら・・・
2018/11/13
教員時代に『とっとりの民話』という本を購入していました。その中は殆どが佐治谷話でしたし、定時制勤務の時には佐治の奥のたんぽり荘に宿泊研修に行って川原で拾った小石を重し代わりにしていたりして佐治にはいろいろな思い出がありますが、今朝の『海潮音』にはその佐治が《5しの里》として載っていました。「(佐治谷)話、(佐治)石、星、梨、和紙」の5つの「し」ですが、筆者から「今度はそれに《漆》を加えて《6しの里》にしてほしい」との希望が書かれていました。しかし、これらがそれぞれ佐治の特産(「話」は特産とは言いませんが・・・)であることは以前から知っていましたが、単に単独で知っているだけでしたから、まとめられることで今更ながら佐治という地を思い直した次第です。
そして、これと同様に、《鳥取》の第一印象として「砂丘」「二十世紀梨」「松葉蟹」の他に今では「コナン」「鬼太郎」等のアニメが加わり、現在はスタバ珈琲から派生した「すなば珈琲」も観光客には知られているようですが、それらが単独で知られているだけでなく、《鳥取》の印象としてこれらがすぐに思い浮かぶようになったら、もう島根と逆になることもないかもしれませんね。

火の元には気を付けましょう
2018/11/12
今朝は生暖かくて「これで霜月か?」と思っていると、西の方から消防車のサイレンが聞えてきました。音はしばらく続いたので数台が走って行ったのでしょうが、他人事とは思えません。確かに最近は殆どのお宅が電気ローソクのお仏壇になっていますし、当寺でも両脇にはLED電球を使っています。しかし、さすがに本尊前では普通のローソクを使用していますが、ご法事が済んだらすぐに消火するようにしています。《火の気》ほど恐い物はありませんからね。これからはどこでもストーブが使われますが、一番恐いのは火が点いているのに灯油をつぎ足すことです。教員時代には防火訓練の中で消火器の使用説明も受けましたが、いきなり「消火してください」と言われると、殆どの生徒が炎の真ん中に消化剤を撒きます。でも、これでは火は消えません。「最初は周りから、それから中に向かって」と注意されますが、その時には消火器の中身がカラになっていたり・・・。
いくら《暖冬の予想》だといってもやはり冬は冬。火の元には充分過ぎる程に気を付けたいものです。(でも、ここ1ケ月は灯油が異常に高く、例年の20~30%増ですよ)

単発でなく一括して思い浮かんだら・・・
2018/11/13
教員時代に『とっとりの民話』という本を購入していました。その中は殆どが佐治谷話でしたし、定時制勤務の時には佐治の奥のたんぽり荘に宿泊研修に行って川原で拾った小石を重し代わりにしていたりして佐治にはいろいろな思い出がありますが、今朝の『海潮音』にはその佐治が《5しの里》として載っていました。「(佐治谷)話、(佐治)石、星、梨、和紙」の5つの「し」ですが、筆者から「今度はそれに《漆》を加えて《6しの里》にしてほしい」との希望が書かれていました。しかし、これらがそれぞれ佐治の特産(「話」は特産とは言いませんが・・・)であることは以前から知っていましたが、単に単独で知っているだけでしたから、まとめられることで今更ながら佐治という地を思い直した次第です。
そして、これと同様に、《鳥取》の第一印象として「砂丘」「二十世紀梨」「松葉蟹」の他に今では「コナン」「鬼太郎」等のアニメが加わり、現在はスタバ珈琲から派生した「すなば珈琲」も観光客には知られているようですが、それらが単独で知られているだけでなく、《鳥取》の印象としてこれらがすぐに思い浮かぶようになったら、もう島根と逆になることもないかもしれませんね。

大切な方の思い出を話しました
2018/11/11
昨日のお通夜で、仏となられた方の思い出を話しました。鳥取三洋創立から最後まで会社一筋であり、同期の人たちには《戦友》そのものであったこと。そして、当寺との関係やその中で総代・責任役員になっていただいたことなども交えながら、短時間ではありましたが仏に対して感謝と「これからも支え続けてください」との言葉を添えて法話とさせていただきました。
昨日の清掃奉仕に多くのご門徒に来ていただき、剪定された枝や掃き集められた落ち葉も焼却場に持って行くことも含めて午前中にはきれいになりましたが、この奉仕作業にも毎年参加していただいて仏具を磨いてくださった姿、いろいろなお寺の行事やさまざまな研修会に参加されるだけでなく本山の中央研修会にも行かれて《門徒推進員》にもなられましたが、決して力で人を引っ張っていくのではなく、ただ静かに一所懸命に励まれる姿。どれもこれも懐かしい姿ですが、これからは仏として私たちを見守り支えていってくださることを願うのみです。

当寺にとっても大切なご門徒のお一人でした
2018/11/10

「この世に100%というものはただ一つ。それは《誰でも死ぬ》ことである」とはよく知られた言葉ですが、今日はあの世界的名優・高倉健氏の命日です。やくざ映画から始まって『幸せの黄色いリボン』『ぽっぽ屋』などどれもこれも記憶に残る名作であり、いつまでも人の心に訴えかけていくことでしょう。
ところで、当寺にとって大切なご門徒の一人であった方が、昨日往生されました。総代としてまた責任役員として長年当寺の護持発展に尽くしてくださり、昨年は本山から褒賞を受けたり念仏奉仕団の10回参加で表彰も受けられましたが、突然の悪化とはいえ、残念なことです。当寺のカレンダーの挿絵(昨年と今年のもの)は、この方の絵手紙を貸していただいたものです。来年の分はご病気であったことから私が描きましたが、もうこの方の絵手紙展示が見られないと思うと寂しいことです。お通夜と葬儀は本人のご希望もあって本堂でさせていただくことになっていますが、今日は午前中に仏具磨きと境内及び庫裡の清掃活動がありますので、ご遺体の安置は夕方になります。ご遺族には心より哀悼の意を表します。
「南無阿弥陀仏」


「包む」とは相手を胸に抱きしめて護る姿
2018/11/09
今日11月9日は「119番の日」ですが、実は「110番の日」というものもあります。1月10日がそうですが、どうして「119番の日」が1月19日ではなくて11月9日なのでしょうね。ところで、平成元年の今日は東西分断したあのベルリンの壁が崩壊した日でもあります。壁の上でハンマーを振り下ろしている場面を今でも覚えていますが、ある日突然に建設された壁のために別れ別れになった家族や愛する人に会うため、その境界線を越えようとして命を落とした人も数多くいました。去年放映されたトム・ハンクス主演の映画でも同じような場面がありましたが、この国境問題は現在でも世界のあちこちで存在しています。近くでは朝鮮半島の南北境界線やメキシコからの移民に対して国境の壁を作っている米国がありますが、周りを海に囲まれて《国境》を持たない日本では、ほんの1m先にいる家族とも抱き合えない人々の悲しみは想像さえ出来ないものです。
本来「抱く」という字は「腕を回して相手を包み込む」意味であり、愛しい我が子を胸に包み込んで護ろうとする親の姿を表わしています。そして、それは煩悩の塊であり自己中心でもある私たち人間をもしっかりと我が胸に包み込んで護ってくださる阿弥陀如来の姿でもあります。妙好人として知られた源左さんの父親は死の床で我が子に向かって「親様に任せよ」と言ったそうですが、その「親様」こそが阿弥陀如来なのです。「119番の日」の今日、自分が何に護られて無事にここにあるのかを考えてみませんか。

年に一度の清掃作業です
2018/11/08
今週の土曜日は、報恩講会を前にしての仏具のお磨きと境内・庫裡の清掃作業があります。前坊守の時には婦人会の方々に無理を言ってお磨きだけ願んでいたようですが、私の代になってからはご門徒にお願いして清掃作業もしていただいています。なにしろ、いくら寺院としては狭い境内だとしても2人(住職と坊守)では手に負えません。ですから、毎年のこととは言え、ありがたいことです。もっとも、仏具と言っても輪燈と仏器(お仏飯の器)だけですからそれほど多い数ではありませんが、真鍮磨きで汚れを落とした後に水洗いして分解したものを元通りに組み立てるのですから、部品が一つでもなくなると大変です。何年もしている作業であっても組み立てにはいつも神経を使いますが、それでもお手伝いしてくださる方々には本当に《感謝感謝》です。
お磨き作業は本堂内ですので、畳を上げてシート(真鍮磨きは水と混ぜるため)を敷く必要がありますし、そのためには事前に参詣者用の椅子や絨毯を取り除いておく作業もあります。また物置に仕舞っている数々の道具類も出して準備しますが、一番心配なのは天候です。雨の中では境内の清掃が出来ませんし、なにしろ「~~心と秋の空」ですから、心配は尽きません。(おっと、暦的には「冬」でしたっけ・・・)

鳥取にも素晴らしい紅葉が・・・
2018/11/07

今日は立冬です。土手の桜並木では、数日前から赤褐色を帯びた落ち葉があちこちで歩道を埋めています。当寺の境内でもミズキやニシキギの紅葉が半分ほど散っていますが、不思議なことに本堂前の公孫樹はやっと色づき始めたところです。早速に今朝早く紅葉の桜並木を撮してきましたが、花見橋の朱色と重なって見事に映えています。今日のコラム『海潮音』にも筆者の体験談と感想が述べられていましたが、薄ピンクの桜花から青葉若葉へ、そして赤褐色の紅葉の後には雪をかぶった桜並木の下を散策する姿はさながら銀閣寺まで続く《哲学の道》を歩く学生を彷彿とさせ、つくづくと四季の移り変わりに心奪われるように感じられることです。桜葉の掃除には少なからず疲れますが、境内では今はまだ公孫樹が散らないのが幸いです。「小さき鳥の~」と詠った与謝野晶子には悪いですがね。
今月もいろいろな風景を写真に撮ってこの欄に載せていますが、今日は今朝撮ったばかりの桜並木の紅葉にしました。京都の嵐山や広島の帝釈峡も素晴らしいでしょうが、地元にも素晴らしい風景があるのです。


駐車場の整地にかかります
2018/11/06
昨日はカレンダーの製本作業に7人ほどご門徒が来てくださいました。既に綴じてあるので紐を付けてから製本テープを貼るだけですが、今回は何故か紐の本数が足りなくなって追加注文です。結局不足分だけは後で製本することにしましたが、さすがに人数ですね。1時間足らずで終わりました。この当寺のカレンダーには決定している年間行事予定が印刷してあるので、それを見て動かれる方もあるようです。
ところで、既存の建物の解体・撤去が済んだので、いよいよ第2駐車場の整地に取りかかります。土地のならしやコンクリ敷き等まだまだ仕事も多くて完成までには今しばらく時間がかかりますが、これが終われば第1駐車場と道路を隔てて第2駐車場(合計15台前後の駐車が可能)が使用可能になりますので、当寺においでになったご門徒も便利になることでしょう。「お寺はご門徒があってこそのお寺」という前坊守(坊母)の言葉を形にした二つの駐車場ですので、私としても完成が待ち遠しいことです。

検証・確認を怠るメディア
2018/11/05
朝の仕事の『独り言』を聞く前にいつもニュースを確認していますが、今朝のGoogleニュースの標題で「あれ?」と思うものがありました。スポーツ欄に「最速の契約 板尾」とあり、「板尾って昔いた選手だろう?どうして今頃?」と思って内容を読むと、大阪桐蔭の根尾選手でした。扁は正しくても旁が間違っているので別の人物になってなってしまったわけですが、人名の違いは大きな問題です。まったく別人を指すのですから・・・。そう言えば、農協が出版している『光の家』では鳥取県の紹介記事なのに地図では島根県を指していました。島根と鳥取とはよく間違えられるので鳥取県知事も「まぁ、慣れてますから」と寛大(県知事は「スタバはないが、鳥取には日本一のスナバがある」と自虐的表現でも有名)でしたが、知事の《スナバ》言から逆に《スナバ珈琲》が有名になって観光客の目的地にもなったように、今回の島根・鳥取逆転印刷も地図上の位置に対する関心を呼ぶ材料にはなりました。しかし、人名の間違いはこんな《笑い話》ですむものではありません。最近のメディアはしっかりとした検証と確認をしないまま報道することが多いようですが、時にはその人の人生を左右することもあり得ます。十二分に検証・確認をしてほしいものです。

常に《報恩感謝》を忘れずに・・・
2018/11/04
「門徒はお寺があっての門徒であり、お寺は門徒があってこそお寺である」というのは、今は亡き前坊守が常に口にしていた言葉です。《人間》という言葉自体もともと仏教から生まれたものであって、その字の如く「人の間」つまり「多くの者に護られ支えられて存在する私」という意味を持っていますから、人間もお寺もご門徒も互いに支え支えられあって初めて存在できるのであり、「そのことを忘れず、常に感謝の心を忘れないように」と前坊守は言いたかったのでしょう。特に当寺は(いつも言っていますが)昭和18年の大震災で倒壊し、やっと再建できた直後の昭和27年には大火災で全焼。そして、その時の区画整理で墓地の殆どが強制移転に遇って境内もそれまでの1/10になったという実情の中、それでもお寺を支えてくださったご門徒方があってこそ前住職も前坊守も寺院の再々復興に尽力できたという厳しい経験から出た言葉ですから、当時はまだ子どもであった私の心にも強く刻みつけられました。そして、2人亡き今もその言葉を胸に、常に現坊守と力を合わせて「おかげさま」の言葉とともにご法義の伝道に勤めさせいただいていますが、その思いで勤められることがありがたい、古稀の私です。

聞法会館の予約でいつも苦労します
2018/11/03
来年の念仏奉仕団体参拝の日程が決まりました。当寺では晨朝参拝の関係から聞法会館の宿泊が望ましいので毎回そこに予約するのですが、今回は希望していた10月がすべて満室状態。毎年、受付時間になったとたんに電話を入れるのですがいつもつながらず、それでも諦めないで繰り返しダイヤル(今はプッシュですか)して運良く他の電話が途切れた瞬間につながるのは、どんなに早くても30~40分以上経った後です。しかも、その時は大抵希望の日時が既に満室。なにしろ相手は1本の電話で応対しているのですからそれも仕方のないことでしょうが、「念仏奉仕団体参拝を勧めている以上は、もう少し何かいい方法を考えてほしい」と、毎年のように思う次第です。
ところで、昨日の午後に印刷を頼んでいた来年のカレンダーが届いたので、早速に表紙を含めて13枚を順番にしてホッチキスで綴じる作業に入りました。最後の紐を付けて製本テープを貼る作業は月曜にご門徒の助力を得て進めますので、完成は月曜日の夕方です。既に報恩講会の案内は各ご門徒に出していますので、10日(お磨きと清掃作業)まで少し余裕が持てそうです。

事務室が明るくなりました
2018/11/02
昨日はHPの『独り言』を書き終わってから事務室の配置を換えました。と言っても机上のモニター画面の位置とキーボードの位置を少し左に移動させただけですが、そのためにはPC関係の機械や配線の移動もしなければなりませんし、小物入れの置き場所も変わります。たった15㎝ずらしただけなのに室内は大騒動でした。しかし、小窓に置いていた小引き出しや辞書類を机上に移動させた(隣の建物もなくなった)せいで少し薄暗かった室内も明るくなり、逆に今度は遮光のためのカーテンが必要になったほどです。
配置換えが済んだ後は、午前中かけて寺報第188号と報恩講法座の案内を宅配を依頼しているご門徒宅(午後からは県外門徒の発送で郵便局)に配って回りましたし、今日は当寺が独自に作っている来年用のカレンダーが届くので、午後から表紙と12ケ月分を順にセットしてホッチキス止めをします。時間があればそれに紐懸けまでして、最後の製本作業はご門徒にお手伝いをお願いして5日にすることにしていますし、10日は仏具磨きと清掃作業もあります。私たち浄土真宗にとって最も大切な法座である報恩講会を迎えるために、当分は時間の余裕はなさそうです。

11月はどんな月になるのでしょうか
2018/11/01
時間の経つのは早いもので、「今年は入学式に葉桜か」と思っていたらすぐに猛暑の日々が続き、迷走台風の後は22号24号25号と連続して台風の襲来。幸いにして26号は日本上陸をしませんでしたが、猛暑と干ばつと豪雨による洪水・土砂崩れが続いた広島や大地震の起きた北海道など、日本各地で大変な被害が出ました。その中でも「我関せず」という態度で酒盛りをしていた国会議員の姿には腹立たしさを通り越し、ただただ《あきれる》だけでしたが・・・。
今年も余すところ11月と12月だけ。何かとお寺の行事も多い11月ですが、身体的にも注意力にも気を配って乗り越えたいものです。しかし、相変わらず10月も問題山積の月になりましたね。韓国側の最高裁判決やトランプ氏の強硬姿勢もそうですが、一転して足元を見ても八頭町議員のJR座席確保問題もありました。これは日頃から持っている「自分は議員だから」という優越感から生まれたものだと思いますが、国会議員も地方議員も最終的には《公僕》のはずなのですがねぇ。

10月
10月もいよいよ今日が最後です
2018/10/31
昨日はハロウィーンに対する態度について書きましたが、180万円の損害賠償を請求したところもあるとか・・・。まぁあれだけ騒げば当然でしょうが、問題は請求する相手が判明しているかどうかでしょうね。
ところで、10月も今日が最後。例年でしたら既に報恩講会の案内の寺報を配布(発送)していますが、今年は何かと多忙のためにやっと昨日準備が出来た状態です。11月5日にはご門徒の手助けを受けてカレンダーを製本(紐をつけて製本テープで綴じる)しますが、それまで待っていては10日の仏具のお磨きと清操作業の連絡が間に合いません。そこで、昨日は1日かけて印刷から紙折りと封筒詰めまでしました。今日は午後から郵便局に行って発送分を(料金後納で)投函しますし、それぞれの地区に宅配を依頼している方には明日中に持参することにしますが、どうして今年はこんなにバタバタしてしまったのでしょうかねぇ。忙しいといってもそれなりに時間的余裕はあるはずですが・・・。「歳のせい」と責任転嫁してばかりではいけないのでしょうか、それでもやはり言いたい。「歳のせいです」
(境内に置いている火鉢では、ホテイソウの下でメダカがじっとしています。水が冷たくなっているようです)

日本人の馬鹿げた姿にガッカリです
2018/10/30
モハメド・アリと言えば「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と形容されたボクサーですが、ベトナム戦争に反対してチャンピオンの資格を剥奪されました。しかし、7年後に再びカムバックしてチャンピオンベルトを巻いたのが昭和47年の今日です。たとえベルトを失ったとしても自らの意志を貫いたアリの態度に比べ、現在の日本人(説くに若者達)には自らの意志もなく、周りに浮かされて高揚するだけのように思えます。そのために、誰かが「~~がいい」と言えばすぐにそれに飛びつき、「~~を懲らしめよう」とSNSで言えば誰のことかも、ましてその理由さえも考えずに「そうだそうだ」と同調して悪口雑言を並べる。その結果、その人が自殺しても気にしない(と言うよりも、やったことさえも忘れている)多くの人たち。その一つの現象が今回の渋谷で起ったハロウィーンでしょう。ハロウィーンの意味も何も考えずに「面白おかしく仮装する日」だとしかとらえず、あげくにはその興奮した集団心理で他人の軽トラックを横転させて喜んでいる若者たち。そして、それを特番として放送するメディア。東京都の代表である小池都知事も《リボンの騎士》や《メーテル》の仮装をして興奮し、それをまたメディアがはやし立てる・・・。こんな様子をシーボルトが見たら、きっと「これは私が愛した日本人ではない。まるで《世紀末》だ」と嘆いたことでしょうね。

第7回連研の報告として
2018/10/29
昨日の連研は主テーマである『自力と他力』よりも、質問として出されたものの方に関心があったようです。実は「分科会では聞けなかったことを質問できるようにしてほしい」という要望が数年前からあり、そのためにまとめ用紙の他に質問用の紙も付けたのですが、今回は数点の質問が出ました。「自力で悟りを得たのは世自在王と阿弥陀如来だけか」「浄土真宗では墓を不要とするが、墓の管理をする者か減っている現在、墓について知りたい」とか「弔事での言葉について『哀悼を表する』と『冥福を祈る』の使い方は?」等です。仏教に対してある程度の知識を持っている人からの質問もありましたが、中には「葬儀の御布施(額)について知りたい」とか「浄土真宗では仏滅をどう考えているのか」いうように種々雑多な質問もあります。回答・解説については相談役(光輪寺前住職)に解説をお願いしましたが、最初から決められているテーマよりも受講者の関心を引いたようでした。
「『聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥』という言葉もあるように、分からないものや知りたいものがあればどんどんと聞けばいい」という趣旨で作られた質問用紙。とりあえずは役に立っているようで安心しました。

今日は第7回目の連研です
2018/10/28

デスクトップとは違ってノートPCでは画面が小さく、事務仕事には疲れます。おまけに座卓のために目も腰も痛く、2日間でダウンしました。やはり慣れた機械の方が楽ですね。
ところで、今日は今期第7回目の連続研修の日です。場所と講師は若桜町丹比の同派寺院ですが、8月と9月の2ケ月が台風の影響で中止になったり短縮になったりしたので今回の26号も心配しましたが、なんとか無事に実施できそうです。今回のテーマは浄土真宗の3本柱の一つである《自力と他力》についてです。最近では政治家も《他人に一任、他人任せ》という意味で「他力本願」という言葉を使いますが、本来の意味はまったく違います。もともと人間は言葉があってこそ意思の疎通が出来るのですが、その言葉の意味自体を間違えて理解していたりすると、当然に使い方も違って来ます。子どもの頃によくやった《電報ゲーム》がそうですが、一つの言葉でも次々と伝えていくうちに違ってくることはよくあることです。しかもそれが言葉でなく意味となると、その人の理解の仕方によってはまったく別物になることも否定できません。今回のテーマである《自力と他力》もその中の一つですが、説く人の真意が伝わらなければ、まして自分なりの解釈をしてそれを伝えたならば、何が正しいのかも分からなくなります。最近の日本語には使い方の乱れが多々あります(「棹さす」とか「なし崩し」など)が、正しい意味を知ることも大切だからこそ、連研があるのです。


法は何のためにあるのか
2018/10/27
今回の東住吉事件での大阪地裁の判決には失望を禁じ得ません。「保険金目当てで我が子を殺した」と逮捕されて20年も冤罪で投獄されていた母親が、その死の原因であるホンダ車のガソリン漏れに対して損害賠償を訴えたものですが、ホンダ側は「20年を過ぎたら請求権が失効する」という法律を盾に支払いを拒否し、大阪地裁もそれを認めた判決を出しました。しかし、その20年という時間は司法の過ち(冤罪)である以上、「司法が訴える権利を奪った」のではないかとも思えます。それなのに「20年たったから権利はない」という判決は弁護団だけでなく誰が聞いても納得できません。『論語』には「過ちを改むるにはばかることなかれ」という言葉があります。また、「法律は人を守るためにあるのであり、人を縛るためにあるのではない」という有名な言葉もあります。司法も自己の過ちを認めるだけではなく、《人のための法》という気持ちをもって裁いてほしいものです。

最近「うっかり」が増えた気が・・・
2018/10/26
10月も残り1週間ですが、今になって掲示板を交換していなかったことに気がつきました。毎月何か言葉を考えて掲示し、その言葉もノートとPCに残しています。先日、11月と12月の分をPCの「標語一覧」に書き入れたしかし、時に「あれ?」と・・・。やっとその時になって掲示板を交換していなかったことに気づいたのですが、今からではもう遅いので10月はそのままにすることにしました。しかし、いくら10月前後が多忙だったとはいえ、それに今まで気がつかなかったということの方にショックを受けています。いつも「必ず早めに準備する」ことに気を配るとともに「必ず記録する」ようにしているのでいいのですが、逆に言えば、その記録を後に回すと(記録していると思い込んでいるので)大変です。いつも決まったところに置くものを、何かの拍子でうっかり別の場所に置いてしまうとどこにおいたか分からなくなるというのも、きっとそれと同じ理由ですよね。

GG大会も無事に終わりました
2018/10/25

昨日のグランドゴルフ大会は青空の中に実施され、3コースですっかり疲れてしまいました。体力と同時に何度打っても入らないので「ギブアップ」宣言してからゲーム感覚が狂ってしまったこともありますが、久しぶりの運動はやはりいいものですね。そして、当寺のGG大会には特別規約があって「一度でも優勝した者は、たとえ1位の成績でも優勝カップは次点に回す」ことになっていますので、誰でもカップを手にすることが出来るチャンスがあります。その優勝カップは持ち回りですが、同時に《住職杯》と明記したトロフィーが貰えますので、それを記念に残してもらうことにしています。(カップが私に回ってくる可能性はちょっと少ないようですがね)
帰りに「後で来年の日程を連絡しますから、よろしく」とお願いしましたが、来年の日程は今作っている当寺のカレンダーにも記載しますので、ご門徒の皆様はいつでも確認出来ます。(来年の行事日程については未定のものもありますが、4月から5月は10連休になるのですね)


ツツジの花に驚きました
2018/10/24
念仏奉仕団体参拝における集合写真にはご門主も入られますので、参拝の記念になります。その写真がお寺に届きましたので昨日は申し込まれた方々に届けてきましたが、その中の1軒で庭にツツジが咲いているのを見ました。種類は白色のブンゴツツジですが、この花は大体において初夏に咲くものです。一昨日は当寺の境内に置いているブーゲンビリアの真っ赤な花の写真を載せましたが、さすがにツツジの花には驚きました。写真を撮ればよかったのですが、あいにくカメラがなし。「スマホで撮ったらいいのに」と言われるかもしれませんが、残念ながらスマホからPCに移すやり方が分かりませんので、それもなし。
境内ではアメリカミズキが赤茶色に見えるほど色づいていますし、納骨堂の側では八重の白い山茶花が開いています。そして、山門の隣では貴船(秋明菊)が散り始めています。今朝のラジオでは「今頃になって、庭で蛙の声が聞えました」という聴視者からの報告が放送されていましたが、秋も次第に深まってきている昨今にツツジの花や蛙の声ですから、今更ながら《自然の変調》を感ずることです。

球技の呼称も変わりました
2018/10/23
「卓球の愛ちゃん」こと福原愛(江 愛)さんが卓球界を引退しました。昔はピンポンと言い、「温泉地での娯楽施設の一つ」と考えられていた球技をメジャーなものに引き上げた立役者と言われている《泣き虫愛ちゃん》も、今は女の子の母として頑張っているようですね。
ところで、今や《テニス》と言えば硬式テニスのことですが、我々が中・高校生の頃は軟式テニスのことで「庭球」とも言っていました。部室にも『庭球部』という看板が掛かっていましたが、今やその言葉も《死語》になっています。その他にもバスケットは籠球でバレーは排球、バドミントンは羽球でテーブルテニスが卓球のことですが、他のものが外語であるのに対して《卓球》(ピンポンという言葉は日本しか通用しないようですが・・・)だけが日本語のまま使われています。そんなことを考えると、球技の呼称もなかなか面白いものですね。そう言えば、「バレーボールという発音は間違いで、正しくはボレーボールだ」ということをALT(外国語教師)から聞いたことがありますが、日本人が普段何気なく使っている外語も本当は別の意味になるものが多いそうですから、要注意ですよ。

いよいよ暖房機の登場です
2018/10/22
朝晩の温度差が厳しいのはこの時期の特徴です。「放射冷却現象」で道路が凍りつくのも11月には度々起りますが、ここ数日の寒さも一入です。扇風機を分解し、羽根を拭いてから袋に入れていつでも物置にしまえる状態にしていましたが、昨日やっと全部の扇風機をしまいました。なにしろ本堂だけでも4台あり、それに客間や居間等を合わせると10台を超えますので分解掃除も大変ですが、それをしまうということはストーブを出すということにもつながります。そこで温風機は出して各部屋に置きましたが、本堂と大広間の大型ストーブはまだ物置に入れたまま。これを出してセットするのがまた大変ですからね。しかし、北海道のようにブラックアウト状態になったらこんな温風機も《無用の長物》になりかねません。そのためには、昔ながらのストーブも1台を残しておくことも大切なことです。それに、この形のものはお湯も沸かせますからね。
(玄関前では、時季外れのブーゲンビリアが咲いています。昼間の暖かさにウッカリ間違えたのでしょうが、もう今年は終わったと思っていたのでビックリです)

今日は《学徒出陣》の日です
2018/10/21
私は昭和23年生まれですから鳥取大火災の時は3歳。母に背負われていたのをボンヤリと覚えていますが、昭和18年の鳥取大震災は生まれていないので当然知りません。しかし、その震災のことは国民に知らされませんでした。なぜなら当時は戦況が悪化し、ついに同じ昭和18年に明治神宮外苑競技場で『学徒出陣』が執り行われたほどだったからです。この学徒出陣とは、当時の高等教育機関に在籍している20歳以上の学生に対して学業の途中で徴兵したものでした。現在の感覚では、大学に在籍する者を強制的に戦場に送るということです。当時は東大が《第一高等学校》であって人々からも「学生さん」と呼ばれていました。それは、「自ら見つけた人生の目標を達成するために学ぶ」(しかし、現在の高校生はまだ目標を見つけていないことから「生徒~徒らに生きる者~」と呼ばれる)からですが、そのような彼らが学ぶ権利を取り上げられ、兵士としての訓練もなく強制的に戦場に送られて死んでいったのですから、その悔しさは言葉では言い表せないものでしょう。だからこそ、昭和22年には東大生戦没学生の手記『はるかなる山河』が著され、その翌年にはもっと多くの戦没学生の手紙等を集めた『きけ わだつみのこえ』が出版されて、当時としてはあり得ない200万部が買い求められたのです。
安倍総理は必死で憲法改正をしようとしていますが、そんな安倍総理にこそ、この本を読んでほしいものです。

念仏奉仕団体参拝から無事に戻りました
2018/10/20

今年の念仏奉仕団体参拝はほぼ時間通りに帰鳥しましたが、市内に入ってからは雨模様。出発時も到着時も挨拶に出ましたが、今回は川向こうまで車で行って荷物を乗せることになりました。本当に「~~心と秋の空」ですね。しかし、帰寺後に坊守からいろいろと話を聞き、皆さんに喜んでもらえた様子が感じ取れました。祖壇納骨の方も無事にお勤めに遇うことが出来たようですし、無量寿堂の参拝も門徒推進員のご門徒が代表で読経されたとのこと。また、淨宗寺の参加者であることを示すバラのコサージュ(坊守の手作り)が評判となり、ご門主からも(写真撮影の時に)「きれいですね。男女別に色を分けて作ってあるのですね」と直接に声をかけていただいたとか・・・。直前になってから私が参加できず、そのためにいろいろな役割を坊守やご門徒にしていただいた今回の念仏奉仕団体参拝でしたが、逆にそれが案外《いい思い出》になったのではないかと思う今回の旅行でした。
(ただ、私としてはそれも何か寂しいのですが・・・)


今年の奉仕団体参拝も最後の日です
2018/10/19
今は8時40分。朝食を終えてバスに各自の荷物を載せている頃でしょう。午前中も奉仕作業がありますが、その後は鴻の間(秀吉が大名を集めた大広間で国宝になっている)での抹茶の接待と最後の表彰式があります。そして、その後は解散になりますので、当寺は平安神宮近くの京料理店・六盛で昼食を取り、親鸞聖人が慈円和尚の元で得度を受けられた青蓮院に参拝します。昨日は上洛早々に大谷本廟にお参りしましたので、聖人の僧侶としてのスタートの地と荼毘に付されて祀られている最期の地を訪れたことになります。以前の参拝でも日野にある誕生院や観音の夢告を受けられた六角堂に行ったことがありましたし、その他にも観光地としての金閣寺や高台寺・御所・平安神宮、また桜で有名な醍醐寺や吉野の里にも行きました。いつも一杯のお土産を持ち帰ったのと同様に、今回の奉仕団体参拝でも手にも心にも持ちきれないほどの《お土産》を持って帰きてほしいものですね。
(下駄箱の上には、貴船とホトトギスを飾りました)

お寺は《サービス業》だそうです
2018/10/18
予定通りならば今頃は智頭を過ぎて佐用に向かっているはずですが、ご葬儀のために念仏奉仕団体参拝として上洛出来ませんでした。そのお陰(?)でこの欄が書けます。
知らなかったのですが、お寺は職業分類上は《サービス業》だそうですね。したがって「他の人が休みの時ほど忙しくなる」ものであり、24時間いついかなる時にでも連絡が入ってきます。ですから、外出するときには必ず連絡が取れるようにしていますが、現在のように携帯やスマートホンがない時代の連絡は困りました。もっとも、一番困ったのはポケベルの時でしょうか。誰かから連絡が入ったことは知らせてくれますが、公衆電話がそんなときほど見つからないのですから・・・。それに比べて現在は便利になったのですが、どこにいても何をしていても係ってきますから、本当に「猫の首にかけた鈴」のように思われることもしばしばです。これを《便利》だと喜べばいいのか《自由がなくなった》と嘆くべきなのかは、やはりその時の状況でしょうね。

人は人とつながってこそ安心できる
2018/10/17
昨日、と言っても時間的にはもう《今日》ですが、午前0時30分頃に突然の電話。こんな時刻の電話は普通ご門徒から還浄の連絡なのですが、今回はそうではなく、面識のない方からのものでした。内容は悩み相談と言うよりも、どちらかと言えば悩みのはけ口を求めてでした。このような場合、時々「はい」とかの返事をしながら相手の言葉に耳を傾けます。もっとも、相手から質問的なことを言われた場合には差し障りのない程度に答えますが、出来る限りこちらから言葉を挟まないで《聞く》ことに集中します。そして、昨夜もそうしました。30分近い話の中で相手の声から「聞いていてくれるのだろうか」というような雰囲気を感じた時にはこちらから「聞いていますよ」と声を掛けましたが、それで相手もホッとされたようで、またそれからしばらく話が続きました。
「人は1人では人間になれない」という言葉があります。「我々がいくら人間の姿を持って生まれても、人々の中で暮らしていなければ《人間》にはなれない」という意味の言葉ですが、それを証明するものが「動物に育てられた少女」でしょう。発見されたときには4本脚で歩き、生肉を食べ、人間を見てうなり声を上げた少女。いくら《人間》の姿を持っていても環境が《人間》を作るのであり、多くの人々と触れ合ってこそ初めて《人間》になれる。その《触れ合い》とは、言い換えれば《つながり》なのです。昨夜の人もその《つながり》を求めて見ず知らずの当寺に電話をされたのだと思いますが、30分程度のつながりで心が満たされれば嬉しいことです。
(補)明朝から、1泊2日でご門徒と一緒に上洛します。『独り言』が書けないときもあることをお伝えします。

言葉って、本当にムツカシイ
2018/10/16
昨日の当寺仏婦研修会では直前まで話す内容に迷い、結局「言葉の持つ難しさ」について話しました。最近の日本語の乱れ(意味の変化)から入り、「意思の疎通には言葉が必要だが、言葉は消えるもの。そこで文字が生まれたが、文字も受け取る側によっては意味が変化する」ことから入り、「《仏》という漢字も、元は《スートラ(紐》が語源。それが《仏ー人から脱したもの》になったことから、人の受け取り方も違ってきてしまった」というようなことを話しながら、最後に一言。「しかし、それほどに難しい言葉でも、わずか2語だけあれば世の中は上手く回っていく。それが『ありがとう』と『すみません』ではないか。だからこそ、親鸞聖人も最期まで『お陰さま』という意味の南無阿弥陀仏を唱えておられたのだ」で終わりましたが、いゃ~、今回ほど話す内容に困ったことはなかったですね。
ところで、ここ数日で境内の花が変わりました。秋明菊(貴船)が満開になり、隣ではツワブキが茎の先に黄色の花を咲かせています。それらを切ってきて玄関先に生けていますが、それを見るとつくづく秋を感じます。

"TERA energy"について
2018/10/15
「京都の西本願寺派僧侶が会社を作って電気を売る」というニュースが今朝のテレビで放映されました。少子化や過疎化等による寺院離れで廃寺の危機にある中国5県の寺院を救うため、福岡の業者から電気を買い取って中電よりも2%ほど安く売る、というものでしたが、先日は九州で消費電力よりも作る方が多すぎて発電量の調整が指示されました。過疎化が進んでいる中国地方ですから消費電力もそれに合わせて少なくなる可能性がありますし、「作れば売れる」という考えには無理もあります。それが廃寺を防ぐ端緒になればいいのですが、一概に「諸手を挙げて賛成」とは言えないところもあります。
(何もしない者が批判ばかりするのは失礼ですが・・・)
今日は10月の淨宗寺仏婦研修会がある日ですが、今回は何を話していいのか決まっていません。これもまた頭痛の種ですね。

「時代によって言葉は違う」のは何故?
2018/10/14
何年か前に『桃尻本枕草子』という本が出版されましたが、これは「現代は言葉が乱れている」という批判に対して「平安朝当時でも普段はこんな会話だった」という著者の反論本でした。もっともこれが本当かどうかは別として、確かに現代は言葉の乱れというか、本来の意味と違った使い方をしていることが多いのも事実です。先日も「なし崩し」と「檄を飛ばす」の誤訳例が新聞に載っていましたが、そもそも正しい漢字が使われていたら分かる部分もあります。「なし崩し」の漢字は「済し崩す」であって「済ます」と「崩す」の合成であり、そこから「(借金を)少しずつ済ませてなくすること」ということが思いつくはずです。また、「檄を飛ばす」が「頑張るようにハッパをかける」と使われますが、それならば「激励」の《激》が使われるはずです。しかし、此処で使われている《檄》は昔の中国で使われた説諭の文書のことであって、「相手の罪悪を挙げ、自分の信義を述べて人々に知らせる文書」を示しています。このように現在では漢字の持つ本来の意味やその言葉の成り立ちを考えず、ただ感覚的・直接的に捉えて使っているだけではないでしょうか。そして、その一つの例が「他力本願」~《他力》の表面だけ捉えて「他人任せ」としている~でしょうが、正しくは「阿弥陀如来の誰1人残さず救うと誓われた本願」であって、浄土真宗の3本柱の教えの一つなのですね。

来年は10連休ですよ!?
2018/10/13

昨日から盛んに報道されているのが来年に行われる今上天皇の退位と皇太子の即位・改元における祝日・休日問題です。即位・改元の日を1年限りの祝日とした場合、祝日法(前日または翌日が祝日によって挟まれる日は休日)によって前日の4月30日と翌日の5月2日も休日になるため、4月27日(土)~5月6日(月)の実に10日間が連休状態になります。もともと『成人の日』と『体育の日』を第2月曜日に移行したのも「連休にすれば家族旅行も可能になり、金も動く」という政治家の目算があったためですが、今回の連休も新天皇の即位を祝うだけでなく、一方では「参議院選を目指した現政権(自民党)の国民に対するオモネリ」という裏話も・・・。まぁその点は無視しても、今の『天皇誕生日ー12月23日』が来年からなくなるのは確実でしょうが、皇太子の誕生日がカレンダーに新しく『天皇誕生日』として記載されるのは再来年からになりますよね。即位されるまでは《天皇》ではないのですから・・・。しかし、既に各社から来年用のカレンダーを配布する時期になっていますが、カレンダーを印刷する業界は休日・祝日の変更もあって大変でしょうね。当寺のカレンダー製作も同様に原稿の手直しでバタバタですが・・・。
(庭から切って花瓶に挿していたホトトギスが開花しました)


《思い込み》ってよくあることですが、場合によっては困りものです
2018/10/12
昨日は曼珠沙華の新しい株のことを書きましたが、調べると花が咲いていた3ヶ所とも5㎝ほど若い葉が伸びています。これで株を下さったご門徒にも「根付きましたよ」と言えますが、この曼珠沙華という名前は本当は俗称で、正しくは『彼岸花』だそうですね。ヒガンバナ科ヒガンバナということですが、私は彼岸花の方が彼岸の頃に咲くことからついた俗称だと思っていました。これが《思い込み》ということなのでしょうが、いちど「こうだ」と思ったものが間違いだと分かったとき、今度はどちらが間違いだったかウロウロすることってありませんか?ボクシングで聞くことですが、「一度ダウンされたパンチを脳が覚えていて、同じ場所に衝撃を受けると、例えそれが軽い衝撃でも脳が身体機能を停止させる」そうです。人の《思い込み》も、もしかするとこれと同じなのかもしれませんね。

残された問題は多いですね
2018/10/11
いよいよ豊洲市場がスタートしましたが、問題は山積。おまけに、後に残された方にはネズミ問題が・・・。それらが次にどこに向かうのかが築地に残された宿題とのことはTVでも述べていましたが、今現在でも築地近くの店舗ではネズミ対策が頭痛の種だそうです。
ところで、雨に濡れながら曼珠沙華の茎が揺れていますが、よく見ると、その周りから細長い葉が顔を出しています。最初は気が付かなかったのですが、よく見ると曼珠沙華の葉です。株を植え付けた時から時間が経ってすっかり忘れており、今回の発見でやっと思い出しました。小さな株の状態ですが数も多く、来年はここに複数の白い曼珠沙華が咲くかもしれません。昨日は平成31年用カレンダーの原稿を業者に渡しました。本山の《法語カレンダー》では既に「天皇誕生日12月23日」が祝日から外されていますし当寺のカレンダーも同様にしていますが、新しい祝日については白紙です。政府の方では「新天皇が即位される日は臨時の祝日にする」とも言っていますが、5月からの元号も不明ですし、いろいろと問題のある平成31年カレンダーになりそうですね。

いよいよ秋本番でしょうか
2018/10/10
玄関の一輪挿しに生けたジンジャーですが、開花したものは1~2日でしぼんでしまい、その間のみ微かな香りを漂わせます。来客で玄関に出た時などに一瞬香りに気が付くことがありますが、普段は殆ど気づきません。それほど微かな香りなのです。
今朝は雨になりました。6時頃からポツポツときましたが、1時間経った今は本降りです。境内のフウチソウも葉が茶色になっていましたので昨日すべて切り取りました。また来年の春が楽しみです。長い間ピンク色の花を咲かせていた百日紅も水木も、今は大分紅葉が進んでいます。9月には5㎝くらいだった八朔も、今は10㎝くらいになっています。冬を目指して少しずつ育っていく八朔もあれば、紅葉や黄葉になって散っていくものもあります。10月になっても下がらなかった気温も今日あたりから20度くらいになるとのこと…。いよいよ本格的に「秋冷」の候になるのでしょうが、私には時報の原稿作りや来週に迫った上洛(念仏奉仕団体参詣)等も控えているのでまったくと言っていいほど時間的余裕がありません。《読書の秋》を楽しみたいのですがねぇ。

次の《国民の祝日》の理由って、どうなるのかなぁ
2018/10/09
昨日は『体育の日』でしたが、本当ならば10月10日でした。それが「休日を連休にするため」という訳の分からない理由で第2月曜日になったのですが、『成人の日』と同様に《国民の祝日》の法的理由からそれてしまいました。しかし、それはそれとして、2020年以降はどうするのでしょうかねぇ。『天皇誕生日』も『みどりの日』に改名されたように今上天皇の退位後には何かしら変更があるでしょうが、今後ずっと残っていく《国民の祝日》ですから、『山の日』の時と同じような訳の分からない理由付け(8月13日は航機の墜落した日だから、12日に)で決めてほしくないものです。『体育の日』にも、昭和39年に「戦後復興を世界に知らしめた東京オリンピック」の開会式が行われた大切な日という正当な理由があったはずですが、今の人達にとっては《タダの休日》であって、そんなことを知っていないでしょうね。
10月に入って法衣も《衣替え》しましたが、住居も同様に《衣替え》です。昨日は半日かけて簾を外して障子にしたり籐の敷物を絨毯に取り替えたりと、坊守と2人で奮闘努力!でも、日中の気温はまだまだ高いまま・・・。

ジンジャーが咲きました
2018/10/08

昨日は当寺の念仏奉仕団体参拝の栞を作りました。1部の枚数自体は少ないものですが、参加者が決定しなければ出来ないこともあって延び延びになっていたのです。それでも何とか完成したので、今日は午後から配って回るつもりです。
ところで、境内には夏に咲くはずの宗旦木槿が開き、別の場所では白のジンジャーが1輪咲いていました。ジンジャーの方は写真を撮ってから切って玄関に生けましたが、微かな香りが漂っています。金木犀はわずか数日の間香りを漂わせて散ってしまいましたが、ジンジャーの方はうまく水揚げが出来れば次々と蕾が開いてきます。よく見ると3本ほど蕾を持った茎がありますので、ここしばらくは楽しみが続きそうです。そして、その一方では台風にも頑張って枝にしがみついていた八朔の実がたわわに(?)実っています。これは来年の2月頃にならないと収穫できませんが、残念ながら私は蜜柑系は苦手ですので枝に登って実を取るだけです。


《秋》が恋しいここ数日のフェーン現象でした
2018/10/07
「台風一過」とまではいきませんが、今朝は境内に落ち葉が散り積もっていました。地面はほとんど濡れていなかったので雨は降らなかったのでしょうが、24号に続いての25号でしたから、大慌ての2週間になりました。しかもここ2日間の蒸し暑さ(フェーン現象)は言葉では言い表せないほどで、一度は仕舞うつもりでいた扇風機を慌てて本堂に出したり、エア・コンのブレーカーを入れたりと、バタバタでした。しかも《衣替え》ということで10月から冬物の色衣と五条にしていたこともあって、読経ではまた汗ビッショリ。お参りの方達はエア・コンの効いた本堂でしたから喜ばれましたが、「10月でこれではとても身体がついていかない」という感想も出たこの数日間。台風が過ぎたのでもういい加減に《秋》になってほしいものですが、昨日は風に吹き飛ばされそうになりながら赤とんぼが紫陽花の枝にとまっていましたから、季節はやはり《秋》なのでしょうね。
(秋アカネと違い、この風景は童謡の『赤とんぼ』を連想させます)

日本人の心に宿る思いが今は・・・
2018/10/06
最近はTVで同じアニメが何度も放映されていますが、その中で何度見てもいいと思えるものが『夏目友人帳』でしょうか。テンポも他の作品と違ってゆったりとしていますが、何と言っても猫(ニャンコ先生)が面白い。本来は妖の頭目的な存在でありながら、狸と間違えられるほど丸々とした体系をしており、それが短い足で走る姿を見ていると何ともカワイイ!あら筋は、子どもの頃から妖怪が見える少年が祖母の遺品である妖怪の名前が書かれたノート(友人帳)を受け取ったことから始まる様々な妖怪達との交流が描かれていますが、古来より日本人の心にあった「あらゆる物に魂が宿っている」という教えがすたれつつある今、彼らとのほほえましい交流を描くことによって誰でも子どもの頃に持っていたはずの《怖れ》や《畏れ》の気持ちが呼び起こされてくる気がしてきます。もっとも、作者にそこまでの意図があったかどうかは別ですが・・・。
私の子どもの頃はいろいろな物語を読んで素直に感動したりワクワクしたものでしたが、最近はそんな気持ちになることが少なくなりました。そんな中で、この『夏目~』は何かしらホッとさせてくれることです。

別の25号ならいいのですが・・・
2018/10/05
いよいよ今日の夕方に《ノーペル平和賞》の発表があります。今回は果たして誰(どの団体)になるのか気になりますが、それよりも気になるのが台風25号の進路です。1週間前に24号で大騒ぎしたのに今週末は25号ですから、今や死語になっている《台風銀座》という名前が再登場するかもしれませんね。「災害は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の有名な言葉がありますが、これでは《忘れた頃》ではなく《またもや》に取り替えるべきなのかもしれません。「大谷選手のHRが、このままいけば25号もあり得るかも・・・」ならば楽しい夢ですが、自然災害だけは勘弁してほしいものです。また、インドネシアの津波では大変な被害を受けていますが、東日本大災害で日本に示してくれた厚意に対して日本もお返しする必要があると思います。《論功行賞》で必死になっている政府関係者はどう思っているのでしょうか?
庭ではホトトギスの茎が伸びて通路をふさいでいましたので、ほとんどを切って花瓶に生けました。蕾の先が少し茶色になっています。

知らないものの解説ほど難しいものはない
2018/10/04

以前使っていた無線キーボードが不調になり、昨日まで古いキーボードを使っていました。しかし、机上のスペースは限られているために何か作業をする時には狭く、また新しく無線式を購入しました。邪魔になればいつでも机の下にでも置けるので、机が広く使えます。そこで早速取りかかったのが、この『独り言』の記入です。もっとも、自他共に認める《PCオンチ》ですからデバイスの入力に一苦労でしたが・・・。
ところで、町内の婦人会が小学校の文化祭に出す作品として何人かが小物入れを作ることになったそうです。「その指導に『作り方の解説』があったほうがいい」ということで結局私がその解説書を作ることになりましたが、なにしろ私自身が「?」。そこで作品が出来るまでの過程を写真に撮って纏めることになったのですが、知らないものを人にわかりやすく解説することほど困難なことはありません。最終的には、何とか出来たものをもとにして説明を加えてもらうことになりましたが・・・。よほど授業の方が楽に思えたほどです。


多忙な10月に体力・気力が追いつくか?
2018/10/03
昔から「~の秋」と言われますが、10月は当寺もいつも以上に多忙です。法務は当然のことながら教区のビハーラ研修会(浜田市)には坊守とご門徒が参加しますし、次の週は念仏奉仕団としての上洛もあります。その次には秋のグランドゴルフ大会もありますし、毎月実施している仏婦研修会の他にも当寺が作っている来年用のカレンダーの打ち合わせと製作が計画されています。また、過日は納骨堂の献花の処理をしましたが、本堂とともにいつも生花を絶やさないようにするのも住職の仕事です。しかし、いろいろと目について気になり、それを何とかしたいと思いながらも一歩踏み出せないでいるのも事実です。その原因を《歳のせいだ》とは思いたくないのですが、少し動くと足腰が痛むし、疲れが残るようになりました。もっとも、こんなことを言うとご門徒から「私よりも若いくせに」と叱られること請け合いですからなかなか口には出せませんが、71歳を目前にしていることを考えたとたんにガクッとしてきます。自分が60歳になるなんて考えられなかったのに、今は70歳。そして、3ケ月後には誕生日を1ケ月後にしながら71歳で往生した亡母と同じ歳になると思うと、何か感慨深いものがあります。

いつから人は疑問を持たなくなった?
2018/10/02
『打ち上げ花火~』という映画があります。見方によって物の姿が変わることはよくありますが、人は大抵一つの形しか見ていません。しかもそれに何の疑問も持たず、それを当然と考えています。SNSに投稿している者は顔も名前も分からないのに何故か書かれていることを信ずる、というのもその一つでしょう。確かに我々は経験も知識も少なく、それほど多くのことを知りません。だからこそ、他人の言葉を素直に信じてしまうことも多々あります。しかし、「なぜ?」という疑問をちょっと持てば、多くの真実が見えてくるはずです。現在あちこちで被害者が出ている詐欺事件にしても、第三者から見れば「おかしい」と思われるものばかりです。そのために「窓口で引き留められた」ということもありますが、それでも被害者がなくならないのは(相手が切羽詰まった気持ちになる時間)や(第三者の意見を聞かないようにさせる)手口だけでなく、何よりも当事者が疑問を持たないことにあるのではないでしょうか。
幼い子どもはいつも大人に「なぜ?」「どうして?」と疑問をぶつけてきます。大人はそれをわずらわしいと思いますが、子どもの成長にとっては大切なものなのです。それなのに、一体いつから人は疑問を持たなくなったのでしょうね。

《台風一過》の朝になりました
2018/10/01
昨日の連研は台風のことを考慮して時短にしましたが、開始直前に講義を午前中に纏めてしてもらいました。45分×2回が急に60分×1回になったのですから、講義される住職も困られたことと思います。そのために割愛された内容となり、講義された側も聞く側も幾分か消化不良かもしれません。しかし、ここ数年は夏の猛暑・酷暑に続いて集中豪雨も多発していますので、研修会の会場や時期を考慮する必要があると思われます。しかし、今回の研修は雨で各地の行事がなくなったこともあって出席率が高かったことは皮肉でした。
今朝は《台風一過》そのもので、境内や山門下には吹き積もった落ち葉で一杯です。取り合えず掃き集めておきましたが、これに公孫樹が加わると悲惨そのものです。
今日から『神無月』に入ります。全国の神々が出雲大社に一同に会すると言われるために出雲では『神有月』ですが、その神々の力で自然災害が何とかなりませんかねぇ。

淨宗寺(浄宗寺) 〒680-0821 鳥取県鳥取市瓦町110 TEL:0857-22-5744 FAX:0857-22-5745