4月
ひと月早い真夏日に体力も限界です
2018/04/21

昨日はカーディガンを着ているだけで暑かったのに今日は30度(予想最高気温)ということで、《夏日》だけでもまいっているのに、それに《真》がついて《真夏日》!法務の時には(夏冬関係なく)衣が4枚と袈裟を着けた姿の上、心を込めて読経するためにしっかりと腹に力を入れて声を出すので、法務のあとは汗が・・・。しかも土日はご門徒側の希望もあって複数になるので、昨今のように気温の定まらない日はまさに《修行》です。しかし、読経の後でご門徒と一緒にお念仏を称えた時は、何かしら心から重しがなくなったような気がしてきます。これが親鸞聖人の説かれた「報恩報謝のお念仏」なのでしょうか。
ところで、昨日の早朝はまだ蕾だった松の下の牡丹ですが、今朝は既に複数が開いています。きっと牡丹もこの暑さに慌てたのでしょうね。裏のイチハツはすっかり満開状態ですし、なかなか写真が追いつかない昨日今日です。


2ケ月も早い《夏日》にまいっています
2018/04/20
本堂裏では赤の牡丹が咲き誇り、前では白の牡丹(鉢植え)も満開に・・・。しかし、その重さに負けたのか、1輪が折れてしまいました。「支えをしなければ」と思っていた矢先でしたので、ガッカリです。当寺には他にも鉢植えや地植えで紫やピンクの牡丹がありますが、それらはまだ蕾状態ですが、ここ数日の(異常な!)暑さで開花するかもしれません。昨日はカーディガンを着ていると暑いほどでしたし、今週は夏日を通り越してしまいそうな気温になるとか・・・。花は勿論のこと私の体調もついていけません。そのために朝起きても疲れが残っている状態ですが、「それは歳のせいだよ」と言われれば渋々納得するしかないようです。人に言わせれば「70歳なんてまだ《若い》うちだよ」だそうですが、なにしろその歳になったのは初めてですから、何をしても分からないことばかりです。せめて[背中を伸ばして歩く]ことだけは実践していますがねぇ。

キリシマが咲く中を配ってきました
2018/04/19
昨日はご門徒のお陰で寺報と総代会報告の封筒詰めも終わり、郵便局へ。ゆうメールを解約(指定金額が高額)したために「どうしたら少しでも安くなるか」と考え、特定区域郵便を利用しました。ある指定区域の郵便(100通以上)が割引になるものなので、それを抜き出す手数が増えましたが、それでも1500円近い割引には変えられません。なにしろ、ご門徒からお預かりしているお金ですから。そして、今朝は6時前から車で宅配をしてくださるお宅を回ってきましたが、さすがに朝が早いせいか道路も空いていて助かりました。
ところで境内でもそうですが、あちこちでツツジが咲き始めています。しかいし、一口でツツジと言っても、、実は大きくキリシマとブンゴとサツキに別れます。そして咲き始める順番も違っており、今はキリシマが真っ盛りです。写真は咲き始めたブンゴですが、こんなことも昔は知らなかったんですけれどね。

「向こう3軒両隣」は夢ですか
2018/04/18
昨日はご門徒のお宅で月参りを勤めさせていただきましたが、いつも和菓子がお供えしてありましたので、「奥様は和菓子がお好きだったのですか」と尋ねたところ、「お茶とお花を教えていました」とのこと。アマリリスなどの鉢植えが玄関にあったことにも納得しましたが、残されたものの手入れを代わってなさるご主人に頭が下がりました。しかし、「お茶にしよう」と言うと珈琲のことになっている今、珈琲好きの私でも、抹茶や煎茶に和菓子という組み合わせは嬉しいものです。
『喫茶去』という言葉があります。これは「ゆっくりお茶を飲んでからお帰りください」という意味だそうですが、奥底には相手に対するおもてなしの気持ちが見受けられます。縁側にちょっと腰掛けてお茶とお菓子で世間話をするというような風景は、現代社会ではもう見られなくなりました。なにしろ、縁側自体がなくなっていますから・・・。《縁台将棋》という言葉も今では死語です。昨日の新聞には「町内の役員をして初めて隣に新入生がいることを知った」というようなことが書かれていましたが、「向こう3軒両隣」は夢のまた夢なのでしょうね。淋しい限りです。

花を活けることは『一期一会』の気持ち
2018/04/17
昨日は当寺の仏婦研修会で神戸別院(モダン寺とも)にお参りした後で帰途に2ケ所ほど工場見学をしたそうですが、なにしろ女性ばかり10数名の団体ですから、相当に賑やかだったそうです。やはり男とは違った目線があるのでしょうね。
ところで、私はその間お参りに行ったり本堂の花を生け替えたりしましたが、せっかくきれいに咲いている牡丹ですので、裏庭から1輪切って玄関に生けました。来客が花を見られたときにホッとされたら、それだけで満足です。と言っても、花からしてみれば「一生懸命に咲いているのに切られた!」と怒っているかもしませんがねぇ。花を切るということは折角元気に生きていた花の命を奪うことであり、ある意味では《人間の勝手》かもしれません。しかし、花を活けるという行為はそれがたとえ下駄箱の上でも床の間と同様に、来客に対する『一期一会』の気持ちの表れなのです。ですから、花にも心を込めて「ありがとう」と言いながら活けたいものですね。

楽しくも辛く悔やまれる思い出もありました
2018/04/16
昨日まで吹いていた冷たい風も止み、今日は毎月開催している仏教婦人会研修会の日です。ただし、今回は住職の法話を止めて、観光を兼ねて神戸別院のお参りになりました。したがって、私は法務も入っていますのでそちらに専念です。
一昨日、昭和51年からしばらくの間勤めていた青谷高校から同窓会の案内が来ました。この学校は講師から教諭になった思い出深い高校であるとともに、坊守と結婚をした時の学校でもあります。今は新しい校舎が建っていますが、当時はまだ木造の部分も残っていただけでなく教室が校庭よりも低い位置にありました。しかし、何と言っても教室の入り口(引き戸)のレールが下ではなくて上についていたことが驚きでした。この形ではレールのところにチョークを置くと重みでドアが引っかかって開かなくなり、私も1度だけそんな《いたずら》をされた経験があります。もっとも、その時はドアを蹴っ飛ばして開けてそのまま平気な顔をして授業をしたものですから、もうそんな2度といたずらをされませんでしたが・・・。もっとも、今でも私の教員生活の中で一番悔恨として残っている事があったのもこの学校でしたが・・・。「あの時、どうして出来なかったのか・・・」と、自分の未熟さを悔やまれる辛い思い出です。

周りに合わせるのはいいこと?
2018/04/15
桜の花がなくなっても《花冷え》と言うのでしょうか?昨日の挨拶は「今日は寒いですねぇ」でした。とにかく風が冷たく、部屋で暖房機がないと過ごせないほどです。しかし、その中でもご門徒のお宅では君子蘭が見事にオレンジ色の花を咲かせていました。別のお宅では玄関先にふうち草が元気に葉を伸ばしていましたし、それらに比べて当寺のものは遅れているようです。もっとも今年はすべての草花が1週間早いそうですから、これが正しいのかもしれません。しかし、周りと比べてしまって「うちでは・・・」となるのは、人間(日本人?)の持つ弱さかもしれませんね。周りからは「出る杭は打たれる」と言われ、入学したときから「周りに合わせなさい」と言われ続けて育ってきているのですから、個性の意見を尊重せず周りに迎合する今のような人間が出来るのかもしれません。
ところで、今日の写真ですが、この椿の名前は何なのでしょうかねぇ。本では見たことがあるのですが、記憶していなくて・・・。

花は次々と咲き、人も次々と仕事が・・・
2018/04/14
「3日見ぬ間の桜」と言いますが、牡丹も同じようなものですね。数日前に膨らんできたと思った蕾(写真)が、昨日の朝にはまるではじけたようにピンク色を見せ、午後には咲き誇っていました。そして、今は4輪の蕾が次の出番を待っているかのようにピンク色を風に揺らしています。この牡丹は境内でも一番最初に咲くものですが、次は松の下の深紅か鉢植えの白かもしれません。今年は君子蘭も同じように葉の間から蕾をもたげていますし、今まで一度も咲かなかったシンピジュームも初めて花芽を伸ばしています。今日の写真は蕾の状態ですが、いつの日か境内で咲き誇っている牡丹の写真を載せたいものだと考えています。
昨日は時間の合間を見て、全門徒に寺報と一緒に配る総代会報告を印刷にかけていました。全部の印刷が終わればそれを折って封筒詰めですが、この4月から《ゆうメール》が値上がりしたので解約しました。ですから、「今後はどうしたら送料が安くなるか」と頭を痛めています。局の人に尋ねると《特別郵便》というものがあり、一定地域に配達するもので100通超えると料金が安くなるという方法があるそうです。今回はそれを使ってみようと思っています。

「自分は・・・」でなく、「他の人も・・・」が大切
2018/04/13
昨日は市内の同派の組長寺院で各教化団体の連絡会を持ちました。一番の中心は教化団体に対する組会費の支払いですが、説明文はどちらでも取り得る表現であったり説明不足と思われる部分もあったりしましたので、今後の確認のために質問して要領を得ました。国会答弁ではありませんが、ハッキリさせる部分はハッキリさせておかないと、「自分は分かっているから」では後々困ることが起きますからね。
ところで、今朝起きてすぐに窓のカーテンを開けると、本堂裏の牡丹が赤い色を見せていました。昨日までは「つぼみが膨らんできたから、もう少しだなぁ」という状態でしたが、昨日の暖かさで急激に色を見せ始めたようです。玄関にはイチハツヲ活けておきましたが、あと数日で本堂裏のイチハツも一斉に花を開くことでしょう。これから《色の競演》ガ始ります。今日の写真は、山門横に咲いているたった1輪の赤木蓮にしました。

春から初夏へ移り変わる今です
2018/04/12
昨日は暖かく、本堂にお参りされた方が「寒い」と言っておられたので暖房を点けましたが、内陣で読経する者にとっては(熱は上に上がるので)暑いほどでした。その中にカメラを持って境内の表から裏まで歩きましたが、あちこちで春(初夏?)真っ盛りです。昨日は春の花の代表でもあるタンポポの色について書きましたので今日の写真は黄色の花にしましたが、それ以外にも蕾が大きくなっている牡丹やイチハツ、たわわになっている桜桃の青い実など、被写体に事欠きません。この後にシトシトジメジメの梅雨と酷暑の夏が来ることを考えれば、「こんなに多くの花に囲まれている今は1年の中で一番楽しい頃かもしれない」と思います。「次はあの花を切って玄関に活けようかな」などと考えながら庭を歩き回る楽しさは、今は亡き母の影響かもしれませんね。もっとも、その前に枯葉や雑草を除いてきれいにしないといけませんが・・・。
今日は『鳥取因幡組各教化団体連絡協議会』が持たれます。そこでいろいろと検討してから最後に定例組会で再検討されます。いよいよ組会も本格始動です。

何かと多忙な年度初めの仕事です
2018/04/11
これまでの寒さから今朝は10度近い温度差になり、なぜか息苦しいほどです。極端な温度差に対応がしづらいのは、やはり人間は《定温動物》ということなのでしょうね。しかし、そんな中でも自然は正直なもので、境内では山椒が葉を茂らせていますし、赤木蓮も(1輪ですが)咲いています。松の下では白の山吹が花をいっぱいつけていますし、一冬中会館の中においていた君子蘭も、昨日見たら1鉢が花芽を伸ばしていました。ドウダンツツジもつぼみがふっくらとしていますし、「早く写真を撮らなければ」と気もそぞろです。法務の合間を狙って(今年も多くの書類が綴じられることと思って)書斎の棚の整理をして空間を作りましたが、寺報の発送準備やら定例組会用の資料印刷やらが重なってここ数日は多忙の毎日です。こんなことで髪も疲れてしまうのか、ますます髪の毛が少なくなりそうです。
そういえば、タンポポには白と黄色がありますが、日本列島は南北のある地点から違ってくるそうですね。もっとも鳥取はその境目なのか、両方とも咲いていますよ。

お寺の仕事って、いろいろありますよ
2018/04/10
「散る桜 咲いた桜も 散る桜」とは良寛禅師の有名な言葉ですが、これは「命を得た者はいつか必ず終わりを迎えを迎える定めだ」という意味です。先日から寺報『しうんざん』185号の原稿を作っていますが、今回のテーマは「桜と親鸞聖人」にしました。そう、あの「夜半にや風の吹かぬものかは」という和歌を使って聖人の苦悩と凡夫としての思い、そして阿弥陀如来の本願(必ず救う、という本願)を書きたかったからです。しかし、決まったページ数(B4版1枚分)に簡潔にしかも分かりやすく書くことは至難の業です。「それではページを増やせばいいではないか」と言われそうですが、今まで同じような構成で作ってきていますので、あまり変えたくない気持ちもありますし・・・。とにかく、昨夜やっと原案が完成し、校正の赤ペンも入れました。行事や会計関係の総代会報告も完成していますし、後は現行の印刷と県内外門徒へ送付するための封筒の表書きと発送だけです。もっとも、これが一番大変なのですがね。
毎年5回発行する寺報ですが、お寺の仕事は《法事と葬式》だけでなく、本当はもっと多くの人達に向き合って聖人のみ教えを伝道するということが大切(ご法事の後の《一口法話》もその1つですが)なのです。また、時には《人生相談》的なものにも対応したりしていますし・・・。そう考えると、良寛さんって毎日が多忙だったんですねぇ。

《花冷え》ではすまされない寒さです
2018/04/09
7日の午前中はお宅参りをしてから墓参でしたが、車の中で皆さんが揃うのを待っていると窓に霙が!墓地の周りが葉桜になっていることは分かっていましたが、「まさか霙が降る(予報では聞いていたが)とは」と、驚きの連続でした。そしてそれから今日まで寒いこと寒いこと。土日は『とっとり桜まつり』もあって特に日曜日の昼頃は賑やかでしたが、さすがにイベントが終わると人出もなくなり、例年なら夜まで開店している屋台も早々にテントを畳んでいました。境内ではアメリカミズキの枝先がピンク色に染まりつつあります。もう少しすると牡丹のつぼみも大きくなってくるのでしょうが、余りの寒さにみんな縮こまっている現在です。4月初めに暖かくなったからということで庭に出してやったタマノカンザシもすっかり色をなくしていますし、観葉植物の何鉢かがグッタリしています。人間も暖房機が手放せない昨今ですから、仕方がないのでしょうかねぇ。この寒さの後にやってくる数日後の温度差が怖いことです。

素晴らしい笑顔の遺影でした
2018/04/08
大谷選手が3日連続のホームラン。2回表で既に0ー6の状態にカツを入れるかのようなHRで味方も奮起し、逆転勝利の導火線になった逸発でしたが、大谷選手は投手でもあるのですから、アメリカでは「現実か!」「嘘だろう!」等と的も一緒に興奮状態だそうです。その中で昨夜はご門徒のお通夜を勤めましたが、お棺には阪神タイカースの応援服が掛けてあり、遺影は大好きな阪神の試合が行われた甲子園球場での笑顔でした。年を取ってからは足を痛められて球場での野球観戦も出来なかったそうですが、今は先にお浄土に行かれた最愛の奥様と野球談義をしておられることでしょう。昭和48年に継職してから既に50年近く経ち、私も今年で70歳を迎えましたが、つくづくと「あのような笑顔を残したいなぁ」と思ったことです。

高畑氏が逝去されました
2018/04/07
陸自の日報に加えて今度は空自の日報が出てきました。確かにシビリアンコントロールが乱れていたのでしょうが、この奥には元稲田防衛大臣に対する不信感があり、ひいてはその人を任命した防衛最高責任者である総理の《甘やかし》があったせいだと思いますが・・・。
それはそうと、昨日は氷雨に濡れて葉桜が佇んでしました。ほんの3日前までは薄ビンクの雲かと思うばかりでしたが、今はピンクでもなくかといって新緑でもなく、遠目にはなんとなく茶色っぽく映って見えます。新緑に移る前の一時だとは知っていますが、それが氷雨に濡れている姿は何となく悲しいものがあります。宮崎駿氏と一緒にアニメ界を牽引してこられた高畑勲氏が亡くなられました。可愛い女の子が主人公の『アルプスの少女ハイジ』や心が痛くて最後まで見ることが出来ない『火垂るの墓』等を手がけられ、その後の『トトロ』や『天空の城ラピュタ』など宮崎氏と共にアニメブームの立役者の1人でした。「残念です」という言葉と共に「お疲れさまでした」という言葉を届けたいと思います。

「いいものはいい」 が、相撲協会の態度は・・・
2018/04/06
18年前の大阪府知事に続いてまた宝塚市長も土俵上に上がることを相撲協会から断られましたが、今回の舞鶴市の件はもっとひどいものです。人命救助をしたにもかかわらず「降りろ」と言われ、挙げ句の果てには降りてから土俵には大量の塩が撒かれたということですから!相撲協会は何を考えているのでしょうかねえ。
ところで、昭和16年の今日は第四高(現・金沢大学)のボート部員が乗っていた舟が突風に遭ってひっくり返り、11名が亡くなった日でもあります。この悲しい出来事から生まれたのが『琵琶湖哀歌』ですが、これと『琵琶湖周航の歌』とは同じメロディーのためになかなか区別が付きませんでした。『~就航の歌』は大正6年に作られたもので後に第三高(現・京大)の寮歌になったものですが、そのメロディーに部員の死を悲しんで新たに歌詞をつけたものが『~哀歌』です。しかし、歌詞は違っても、どちらも心にしみじみと染みこんできますよね。やはり「いいものはいい」ということなのでしょう。

春の姿も日本人の心も変わりましたね
2018/04/05
「♪春は名のみの風の寒さや」で始る唱歌がありますが、夕べから今朝にかけての風の冷たさにはすっかりまいりました。それまでは20度超えの毎日のために余計なのでしょうが、葉桜の体を見せている今朝は《花冷え》とはまた違った寒さです。
ところで、報道を見ていると、日本人の体質はどこも変わらないものですね。陸自の日報隠ぺいがまたも見つかりましたが、「国会で問題になっているものとは気づかなかった」という言葉にはさすがに「子どもの答弁か」とあきれましたが、舞鶴でも「そんなアホな!」と言いたくなることがありました。大相撲の舞鶴巡業中に市長が土俵上で倒れましたが、その救急介護をするために上がった女性(医療関係?)に対して「女性は土俵から降りるように」という放送を何度もした、というものです。確かに相撲は神に捧げる行為として土俵上は女人禁制ですが、人命とそれとどちらが大切なのかは誰が考えたって分かります。常に上ばかりに目を向けてビクビクしている官僚や、《決まったこと》から一歩も出ようとしない関係者。外国人による日本人のステレオタイプは「眼鏡を掛けてカメラを持ち、愛想笑いしている」というものですが、「言うべき時には言う」として明治維新を成し遂げた若者達が今の日本人を見たら何と言うでしょうかねぇ。

もう桜が散り始めています
2018/04/04
今朝6時頃に近くの公園まで歩きました。西の空にはまだ白々とした月がかかっていましたが、公園ではもう既に散った花びらが敷き詰められていました。この光景を見ると「3日見ぬ間の桜かな」という言葉と同時に「~~桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」という和歌も思い出されます。この調子では、入学式の頃は《花びらの舞う中を登校》することになるのではないでしょうか。まさか《葉桜の中》ではないでしょうがねぇ。カメラを持っていなかったので今回は写真を撮っていませんが、境内の椿もあちこちで散り始めていますので、その美しい姿を写真にとどめておきます。
今週の土曜日は総代会があり、そこで行事や会計等についての議題が出されます。今年の『まち角コンサート』はサックス演奏に決まっていますが、その日程やグランドゴルフ大会(春と秋)の日程についても検討してもらいます。特にGG大会については、以前は「仕事があって土日でないと空かない」と言われていたのに最近は「退職すると逆に土日が忙しい」と言われ、結局ウィークデーに実施する方向で進んでいます。まぁ、生活している限りは「いつも忙しい」ということなのでしょう。

《講話》かそれとも《講義》か
2018/04/03
1日は島根県の同派寺院に報恩講会の講師として招かれました。その寺院は姉の嫁ぎ先でもありましたので、その見舞いも兼ねて坊守も聴聞の席に着きましたが、話す側としてはそれを度外視してもなかなか難しいしものですね。いつものことですが、私の話は《講話》ではなくて《講義》的になります。前半では満開の桜から入って聖人の得度の場面に続き、その後の六角堂参籠へと進めていきました。前半のテーマは《聖人の苦悩と吉水へ》でしたし、後半は「報恩講とは何か」ということで「《恩》とは自分の心がホッとしてくることであり、その教えを伝えてくださった聖人の恩に報いるにはどうすればいいのか」でした。話の中では何度も冗談を言ったりして話の堅さをなくするように気を配ったつもりですが、反省としては「法話にならなかったなぁ」ですね。
わずか前後2席の法座でしたがすっかり疲れた上に聴聞に来られていた人の質問に答えたりしていて時間も遅くなり、結局そのまま宿を取って一泊しましたが、帰寺した晩は疲れに加えてこの時期には珍しく暑く、夜中に汗をかいていました。「何事も勉強」とは言いますが、上手くいかなかった講話に対してまるで石像ににらまれているようでかいた《ひや汗》かも・・・。

今日から新しい人生が始ります
2018/04/01
今日から4月。年度替わりですので、すべてが始まりになります。子どもが小学校の門を初めてくぐるときに「まるでランドセルが歩いているようだ」と言われるのもこの4月ですし、背広姿がまだ板についていない社会人を見るのもこの4月です。以前「世界の大学に合わせて、9月の入学にしよう」と東大が言ったことがありましたが、やはり日本は4月がスタートの季節です。ただ、この「希望に胸をふくらませて」スタートする4月ですが、1ケ月後には社会人に《5月病》が流行し、9月は小中学生にとって《魔の9月》と呼ばれます。「希望に胸をふくらませて」スタートしてもそこは《新しい社会》なのであり、今までと同じ気持ちでは乗り越えられないものもあります。
今月の掲示板には『今こそ 人生の旅立ち 道連れは 少しの勇気と 忠告を聞く 素直な心』と書きましたが、『少しの勇気』とともに、人生の先輩である人の経験に裏打ちされた忠告に耳を傾けることも忘れないでいてほしいものです。
本当なら今日は桜の写真を使う予定でしたが、昨日の欄に載せてしまいました。そのため、今日は春らしくチューリップです。
(島根県のお寺に法話を依頼されていますので、明日の『独り言』はお休みです)

3月
さらば、弥生の空よ!
2018/03/31
3月も今日で終わりますので、1週間後には会計や行事等の報告のために総代会を持ちます。事前に臨時総代役員会で資料を確認してもらっていますので、直さなければならないところなどには手を入れました。勿論、総代の代表には訂正した資料の確認もしてもらっています。あとは人数分の印刷だけですのでその点は安心ですが、なにしろ4月も何かと多忙の日々。明日は親戚寺院から法座の講師を依頼されていますので、姉の見舞いも兼ねて島根まで行ってきます。1泊のために4月に入って早々にこの『独り言』を休むことになりますが・・・。
今月末は桜のことを続けて題材にしましたが、肝心の桜の写真を撮っていませんでした。そのため昨日の午後から桜やタンポポなどを写真に納めてきましたので、3月の最後を飾って今日の写真は《桜土手の風景》にします。
なお、「トップページ」にも書きましたが、1月の『独り言』は非表示にします。

「3日見ぬ間の桜」は散る姿なのに・・・
2018/03/30
「3日見ぬ間の桜かな」という言葉はサッと咲いてサッと散る桜の姿を表わしたものですが、今年の桜は《散る》のではなくて《開く》姿を表わしています。「昨日は蕾の先が桃色になっていたのに、今日は一面咲いている」とは昨日鹿野から来られた人が言われましたが、その言葉で思い出されるのが松若丸と呼ばれていた時の親鸞聖人が慈円僧正に対して言った和歌です。9歳の松和若丸が出家を望んだときに慈円が「まだ幼いから、もう少ししてから」と言ったのに対して応えたものですが、『明日ありと 思ふ心の あだ桜 夜半にや風の 吹かぬものかは』も《散る》方を詠ったものですし、この「パッと咲いてパッと散る」姿を愛でた者が武士と戦地へおもむく若い兵士達でした。
安倍総理は何とかして憲法9条を改憲して《軍隊》としての自衛隊にしようとしていますが、また若者達に「桜のように潔く(さっさと)死ね」と言うのでしょうか。今回の国会でも部下に自腹を切らせて上でのうのうとしている総理や財務大臣がいましたが、まさに戦争の時の幹部のその姿が彷彿としてくる思いです。

「桜」と「櫻」の違いと漢字の示す意味
2018/03/29

昨日のご法事は宅参りから始って納骨と続き、最後が本堂での読経となりました。そして、読経の後はいつもの通りに一口法話ですが、昨日は何処に行っても桜が咲き誇っていましたので、桜を導入にして「『私が今ここにある』という至極当然なことに対し、多くのものに支えられているからということを胸に刻みつけて感謝の心を持つことが大切」ということでまとめました。
ところで、その導入とは柴又の寅さんの言っていた「2階の女が気にかかる」ですが、これは旧漢字の「櫻」でなければ分からないものです。「貝」が2つで《2貝》となり、それが「女」の上にあることから《2階》。それが木扁になっていることからこの寅さんの「気(木)にかかる」という言葉になったことが分かると思わずニャッとなるのですが、この「櫻」が今私たちが普通に見ている桜ではなくて「桜桃」だということを知っている人は少ないでしょうね。花が咲いた後に赤い実をつける桜桃ですが、この赤い実が「貝」で表わされ、それが「女」の上にあることから、この漢字の語源は「耳飾りをつけている女の姿に似せた木」ということなのですよ。このように漢字というものにはちゃんとした意味があるのですが、それでも分からないのは政治家を「先生」と呼ぶことです。「先に生まれて多くの知識や経験を持ち、後から来る者を教え導く者」というものが今では「『先ず生きる』ことを専らにする者」になっていますからねぇ。


3月も残り少なくなりました
2018/03/28
昨日の国会における佐川氏の答弁、閣僚に関するものは完全否定で自分に関するものは発言拒否。まったく《下手な漫才》をダレラダラと聞いているようで、途中でスイッチを切りました。そんな人間たちの姿を笑うかのように、桜は一生懸命に花を開いています。夕方にはもう5分咲きを過ぎて、暗やみの中に桜の木があるところだけがボーッと白く浮かんでいるかのようでした。
3月ももう残り3日。新年度が始まると同時に新しい学校や社会生活に向かって一歩踏み出すことになりますが、《希望に満ちた4月》がそのままいつまでも続いてほしいと思っています。この先には《5月病》や《魔の9月》が身を潜めていますから・・・。

懐かしい父の姿に会えました
2018/03/27
昨日は臨時組会が持たれて組会費の変更についての説明と質疑応答がありましたが、書記を任命されたので議事録のまとめで夜遅くまでかかり、今朝は疲れています。一応はまとめが出来ていますが、文面を確認をした後で署名人の押印ももらわねばなりませんから、まだまだかかります。
ところで、昨日そこの住職(組長)から1枚の写真をいただきました。なんでも、この度ご葬儀を勤めたご門徒から1枚の写真をいただいたとのことですが、それは昭和35年当時の葬儀の様子が写っており、そこに今は懐かしい人達の顔も見えました。導師は組長の父親でしたが、脇僧として正面に写っていたのはなんと私の父でした。昭和35年4月ということは私が中学1年になった年ですから、父は55歳前後だと思いますが、鳥取大震災後にやっと復興した寺院も10年経たないうちにまた鳥取大火で全焼し、その後の墓地の強制移転等も加わって、心身ともに疲弊していることがその顔に表われています。父の顔を見て懐かしく思うと同時に、同じ父親になった今だからこそ分かる父の苦労がひしひしと伝わってくることです。

大人になりきれない、自分勝手な大人達
2018/03/26
スキージャンプの高梨選手がドイツの大会で55勝目を上げました。大会最多勝利の54勝の時には何度も成し遂げることが出来ず、周囲の期待とプレッシャーに押しつぶされたように思えたほどですが、1勝してから続いての勝利ですから、これが本当の「産みの苦しみ」なのでしょう。
しかし、この高梨選手が苦しんでいる時に「化粧ばかりに気を配っているからだ」という中傷もあったと聞いていますが、高梨選手も1人の女性(しかも、20歳になったばかり)ですから、身だしなみに気を配るのは当然のことです。それを、いくら高梨選手がなかなか勝てないからと言って、こんな非難・中傷するとは、ファンとしても人間としても絶対に認めることが出来ません。先日は「ツィッターの視聴者数を上げたい(数値が高いほど儲かる仕組み)」と言って時速239㎞でバイクを走らせてそれをビデオに取り、ツィッターで流した30代の男性がいましたが、この男性にしても自分勝手な《感想》を堂々と述べた国会議員やアニメのキャッチコピーに馬鹿げた抗議をした国会議員にしても、「どうしてこんなに《大人になりきれない》《自己中心》の大人達が大勢いるのか」と情けない思いです。

議員の質の低下が激しすぎるのでは・・・?
2018/03/25
自民党の赤池議員がまたまた馬鹿なゴリ押しです。前川元事務次官の講演に対する弾圧(?)もそうですが、今度はこともあろうにアニメの製作会社に抗議です。アニメ『チビまるこちゃん』の映画のキャッチコピーには「友達に国境はな~い」とありますが、赤池議員は「国境があってこそ国家がある。ここは『国境があっても友達だよね』とすべきだ」という抗議です。しかし、純粋な子どもの目には「世界にはいろいろな国があって、それぞれが国境という《大人が勝手に作った境界線》で分けられている」と写っているのでしょう。この「友達には国境はな~い」という言葉は国境の存在を認識していないのではなく、「本当の友情ならば国境や人種などは関係ないし、そんなものによって成立しない友情は本当の友情ではない」と言っているのです。それを、「国境があってこそ国家がある。そのことを子ども達に教えなければならない」と強く抗議している赤池議員こそ、「《本当の友情》も《人と人との絆》も理解できず、《人としての心》を持ち合わせていない者」と言われても仕方がないのではないでしょうか。
しかし、こんな馬鹿な感想を書かねばならないということは、それほど今の国会議員の質が落ちているということなのでしょうね。選挙権を持つ私たちも気をつけたいものです。

ふぬけた官僚達に将来を託せるのか
2018/03/24
「暑さ寒さも・・・」と言いますが、今日で彼岸が終わります。中日には全国で大雪でしたが、昨日からあちこちで咲き始めた桜のニュースであふれています。「日本には四季がある」と言われますが、どうもその辺があやふやになってきました。このままでは一足飛びに初夏になってしまいそうな気温が予報されています。
ところで、昨日の池田議員による《感想》にはあきれました。「地元の皆様の嫌疑に答えるのが仕事」だということですが、地元では誰もそんな疑問を持っていない。しかも、記者から出たのは《質問》であって、「感想を聞かれたから、感想を述べた」では何も答えていないのと同様です。「国会議員だから、言うことを聞け」と言うこんな議員にもあきれますが、それに対してヘコヘコしている文科省の官僚にも失望です。こんな人達が将来を背負っている若者達の教育を握っていると思うと、いまさらながらゾッとします。しかも、財務省だけでなく年金機構の不正を知りながら黙認していた厚労省等もいるのですからね。せめて、椿のかわいらしさに心を癒やしすだけです。

新しいプリンターに悪戦苦闘です
2018/03/23
何度かやってみましたが事務室のプリンターが動かず、予備のインクが残っているにもかかわらず交換となりました。すぐに店に言って何点か見ましたが、一番気になるのはインク消費量の多さです。なにしろ研修会の文書作成から通信文書等々も下書きから清書まで何度も書き直しますし、その度に用紙もインクも・・・。用紙については、下書きには反古紙を使いますからいいのですが、インクはそうはいきません。印刷の途中で1色(4色使用)でもなくなれば動かなくなりますので必ず予備が必要です。そのため、今回は少し高価ですが、タンク式インクの機種にしました。しかし、なにぶん「新しい」というものは慣れるまでが「??」の連続で、ガイドブックとにらめっこです。その上、古いプリンターでは可能だった名刺印刷が今度の機械では紙を巻き込み、どうしても出来ません。購入先に連絡していますが、「製造元に聞いてみます」との回答。しばらくは資料印刷だけにしておきます。
今朝のメールによると連研の受講者が1名増え、32名(他に聴講が1名)の33名になったそうです。いよいよ4月から第10期が始まります。

3月は《鬼門》のようです
2018/03/22
大坂なおみ選手が前回のパリバオープン優勝に続き、今回のマイアミオープン第1回戦で元世界女王のSウィリアムス選手を撃破(2ー0)しました。スケート界は勿論のことテニス界でも10代の台頭が激しい昨今ですが、《若さ》と《勢い》の二つが重なった若者の力はスゴイものですね。それに比べて私の方は昨日からプリンターの調子が悪いなど、さんざんです。
必要なカラー印刷が出来ないので残りが微量になっているインクを取り替えようとしたのですが、電源・インク・用紙ともにスイッチ部分が点滅状態になり、まったく作動せず。ガイドブックによるとどうもプリンターにエラーが発生しているようですが、早急に印刷したいものもあるので困っています。古い機械と交換しても一時しのぎにしかなりませんし、本当に1年前の正月早々に起った携帯電話の故障を彷彿させる事態ですので、どうも今月は私にとって《鬼門》のようです。まぁ、せめて椿の花でも眺めて気分を落ち着けましょうか。
(今回は、本堂裏に咲いている藪椿にしました)

言葉って難しいものですね
2018/03/21
レスリングの伊調選手問題で、鹿児島の志學館大学が非難の電話やメールで困っているとのこと。問題になっているのは愛知の至学館大学なのですが、読み方は「しがくかん」と「しがっかん」ですが、発音は意識していないと両方とも「しがっかん」になってしまいます。しかも、漢字でも「志」と「至」という違いがあるのですが、ちょっと見ただけでは同じ漢字に見えてしまいます。私も一瞬「あれっ?どこが違うの?」と思ったほどですから、意識していない人は勘違いしますよね。高校時代に英語の授業で「ライト」の発音の違いについて説明を受けたことがありましたが、日本人にとってはは”L”と”R”の発音を区別することが苦手なのだそうです。「Lは舌をはじいて発音し、Rは舌を巻いて発音する」と言われてもすぐに対応できません。なにしろ、日本人にとってはアクセントの方が重要ですからね。「海苔」と「糊」や「柿・垣」と「花器・牡蠣」などのアクセントも、NHK発行の『アクセント辞典』によると違っていることが多いのが現実です。「父」や「母」にしても子どもの頃は並列の発音をしていたのに、2語目が下向きになるのが正しいと知ってからは法話の時でも意識していますが、言葉を使うことは本当に難しいものです。もっとも、意図や意味をねじ曲げたり相手に覚られないように発言することに関しては天才的な国会議員もいますけれどね・・・。

雨中のお参りは少し辛かったです
2018/03/20
昨日は小雨の中に県外の方のお墓参りをしてきましたが、さすがにお参りをしておられた人はチラホラでした。。途中で花を買って現地で古いものと取り替え、少しでしたが墓地内の枯れ草も切り取ったりしました。もっとも、傘を差しながらでの作業はむりでしたので、その間は雨に打たれたまま。いくら小雨とは言っても、済んだときには着ていたカーデガンもぐっしょりでした。納骨堂の方もお参りは少なかったようですが、明日は《中日》ですので多いかもしれません。結果は天気模様が決めるかもしれませんが、袋川沿いの柳は既に薄緑の芽が出ています。「春近し」ですね。
しかし、昨日の国会討論における議員と財務省とのやりとりや総理の答弁は、下手な漫才を聞いているようなものでした。オチもなく、笑いもまったく起きない。そして、視聴者には消化不良によるイライラ感と政治家に対する不信感だけが残るだけ・・・。これで「若者に政治への興味と関心を」と言えるのでしょうかねぇ。

女子選手による快挙とその喜びをダメにする国会議員
2018/03/19
朝のニュースで大坂なおみの快挙が報じられました。パリバオープンでのシングルス優勝です。今回の大会は4大大会(米・豪・仏・英)に次ぐ位置にあるものであり、しかも今回の優勝には元世界一のシャラポア選手や現世界一の選手を破っての堂々たる成績ですから、これで大坂選手の世界ランクも44位から大幅に上がることでしょう。今回のパリバオープンで日本人(女子)では準優勝が最高であった記録に新たなものが記されたことになります。そして、大坂選手の優勝に加えてスピードスケートの高木選手が世界大会で総合優勝という報告もありましたし、今朝は気持ちのいい中での目覚めでした。もっとも、次の「前川元事務次官の講演に対する文科省の質問・調査には現国会議員が関係していた」というニュースで一変しましたが・・・。(本山の天邪鬼もしかめっ面になっていますよ)
昨日の彼岸の入りは円護寺墓地でも駐車場が満杯でしたが、当寺の納骨堂にお参りされた方も多くおられました。今朝は小雨交じりの天候に加えて月曜ですから昨日ほど多くはないでしょうが、お参りの方はくれぐれも風邪をひかれませんように。

成功の陰には必ず支えてくれた人達がいるのに・・・
2018/03/18
今回のパラオリンピックで金メダルだったのはお隣の岡山県西粟倉郡在住のパラ選手ですが、「子どもの時にコンバインに巻き込まれた左腕を村の人達が稲穂の中から探し出してくれた」ということを父親から聞き、「これで古里の人達に恩返しが出来た」と答えました。カー娘達も「この町には何もない。でも、何もないからこそ、オリンピックに出られた」と言いましたが、何かを成し遂げようとするには実力と努力以外にも必ず何かが必要になります。そして、今回の平昌オリンピックでメダルを獲得した人達の言葉にそれが垣間見えます。そう、それは陰になり日向になって支えてくれる多くの人達の支えです。私たちは《人間》と呼ばれる動物ですが、そもそもこの《人間》という言葉は仏教語であり、「多くのものに支えられて存在する、1人の私」という意味なのです。しかし、そのことを考えないで「自分がすべて」「自分が中心」と思い込んでいる人達(特に《政治屋ー政治家ではないです》に)が何と多いことか・・・。そのことは80年も前に中学生のコペル君が言っているのですがねぇ。「コペル君って誰?」と思った人は、小説『君たちはどう生きるか』を読んでくださいね。
(今日の写真は、本堂裏の桜桃の花です)

おはぎとぼた餅、どちらが正しい?
2018/03/17
明日から春のお彼岸ですが、これは「春分の日」と「秋分の日」を中日にしてその前後3日の1週間です。しかし、お盆は正しくは《盂蘭盆》と言って『仏説盂蘭盆経』というものの中に出てきますが、お彼岸の話は経典にはありません。これは『仏説阿弥陀経』の中に「極楽浄土は西方10万億土にある」と釈尊が説いてあることから、この真東から昇って真西にしずむ太陽の方角に極楽浄土があることになるわけです。そして『仏説観無量寿経』の中で釈尊が説く極楽浄土へ行く方法の1つに「太陽の沈む方角を見つめ、心を静めて極楽浄土を想い描け」というものもありますから、お盆が故人を懐かしむのと違ってお彼岸は極楽往生を願う自分自身の修行ということになるのです。
というようなことを当寺の仏婦研修会で話したのですが、そのついでに「お彼岸やお盆にはおはぎやぼた餅が見られますが、もともとおはぎは萩の花が咲く時期から付いた名前で、ぼた餅はボタンが咲く時期から付いた名前ですよ」と話しました。しかし、先日に行ったマーケットでは《おはぎ》と書いてあるし、昨日の新聞(広告欄)には《ぼた餅》と書いてありました。よく似た食べ物ですが、正しい表現をしてほしいものですね。

文科省の堕落と、ベストセラーになっている本の理由
2018/03/16
逃げ口上で苦しむ財務省に加えて今度は文科省で実に馬鹿げた行動が生まれました。元官僚の前川氏を招いた講演会をした中学校に対し、天下り問題や出会い系の店への出入り等を挙げて「講師とした経緯と講演の内容を報告せよ」と指導。大体において個人の講演に対して国家(文科省)が介入することは法律にも禁止されていますが、それを今指導したということは、森友問題に対して「文書はあるはず」等の発言をした前川氏に対する《国家権力の検閲》以外の何者でもありません。これは将来の日本を支える子ども達に対して《正義》と《真実の追究》を指導しなければならないはずの文科省の堕落であり、「安倍総理に対する忖度」がここまでかと情けなくなる思いです。
ところで、昨日は当寺の仏婦研修会があって「彼岸とは何か」ということを中心に話しましたが、導入で『君たちはどう生きるか』という本について話しました。この本はもともと山本有三の手になるものでしたが、彼の病気によって吉野源三郎氏が最終的に書き直して1937年に完成したものです。満州事変や盧溝橋事件の後に世界大戦へと突入していく軍国主義の日本にあって、将来の日本を支える子ども達に「周りが正しいと言ってもそれが本当に正しいかどうかは分からない。だからこそ、一番大切なことは《自分の頭で考えること》なのだ」と訴えている作品ですが、それが何故今になって90万部にも及ぶベストセラーになったのでしょうか。「今の日本は軍国主義に突入しようとしているあの時と同じだ」ということなのでしょうか?
(今日の写真は、当寺のウラク椿です)

春風の中、ホーキンス博士が亡くなられました
2018/03/15
昨日の新聞には智頭町にある寺院のウラク椿が写真に載っていました。この椿の写真は毎年載りますが、当寺にもこのウラク椿が満開に咲います。納骨堂の裏にあって外からでも見えますが、残念ながら智頭の寺院ほど大きくはありません。そして、裏庭のサザンカの下では赤い花弁の中に黄色のおしべを持った椿が2輪咲いていますし、本堂裏では桜桃が満開に咲いています。ここ数日の暖かさで一斉に花も開き、川辺の柳も新芽を吹いています。残念ながら本山の公孫樹はまだ硬かったのですが、竜虎殿の東側ではピンクのしだれ梅が満開になっていましたよ。洛中を散策すると家の前にあるチューリップが咲いていたり、本当に《春真っ盛り》ですね。
しかし、その春真っ盛りの中に悲しいニュースが入ってきました。ALSのために歩くことは勿論話すことさえ出来ない「車いすの天才科学者」ホーキング博士の訃報です。ホーキング博士は《ブラックホール消滅論》等でアインシュタインの再来とさえ言われている天才科学者ですが、子どもの頃に「4年しか生きられない」と言われながらも今日まで頑張り、大学での講演や前述の学説等で訪日されたこともありました。暖かい春の風の中、心より哀悼の意を表します。

今回の上洛で気づいたことは・・・
2018/03/14
夕べ京都から帰ってきました。お彼岸までにご門徒の分骨を大谷本廟に安置するのが主たる目的でしたが、折角何もない日を利用して上洛したのですから、本山にお参りするだけでなく法衣店等にも行ってきました。もっとも、駅から本廟までは市バスでしたが、そこから本山等に行ったり駅に戻ったりするのはすべて徒歩でしたので、足がパンパンになりました。しかし、去年の上洛の時には気づかなかったのに今回は目立ったものが2つあります。1つは街を歩いている着物姿の若い女性と《レンタル着物店》の数。そしてもう1つが横道に入ると目立つ《Guest House》の看板です。つくづく(銀座のアルマーニとは違って)「やはり京都は着物姿が似合うなぁ」と感じた次第です。
また、本山の大門から東に行った所にある赤煉瓦の建物はいつも目にしていますが、その横に立っている石柱の上にデンと居座っている石の彫刻には初めて気づきました。今までも見ていたはずですが、今回じっと眺めてみると、《重要文化財》と書いてありました。ちょっとした脇道にも重要文化財があるなんて、やはり平安の昔から1500年近くも続いている《古都》なのですねぇ。
これからしばらくは、京都で見つけた風物を貼付していきますが、今日は童謡にも歌われている五条の大橋です。

最近のインタビューには技術が見られません
2018/03/12
昨日は一日中2つのニュースが中心になっていました。1つは当然に森友問題ですが、もう1つは東日本大震災です。その中で《トモダチ作戦》を指揮した米軍将校が某番組に出演していましたが、「到着した米兵達がすぐに海岸に行き、そこで黙祷した」ということを初めて聞きました。日本人ジャーナリストが現地に行ってすることは被災者に向かって「怖かったですか」とか「大丈夫ですか」とインタビューすることであり、そこには被災者に対する思いもなければ死者に対する畏敬の念もありません。いろいろな事件等で質問するテレビ局の局員には《技術》もなければ《知識》もなく、視聴している者も「この局員は何が聞きたいのだ」「そんな質問はおかしいだろう」とイライラすることが多いのに対し、昔のインタビューには聞き出したいことを相手からうまく引き出す技術や話術があったように思います。私は小学校の5年と6年の2年間NHK第二放送でやっていた学校放送番組に出ていて将来はアナウンサー(ラジオです)になる夢を持っていましたが、その小学生に対して話し方や受け答えの基本をしっかり教えてくれたプロのアナウンサーを思い出すと、「現在の若手インタビューアーには誰がどんな指導をしているのだろうか」と疑問に感ずることです。

今日は東日本大震災が起った日です
2018/03/11
森友問題では財務省が原本書き換えを発表するそうですが、安倍総理は最初に報道した朝日新聞を非難攻撃したはずですよね。自殺者も出ている森友問題の責任はどうするの?
ところで、天気予報によると午後からは14度くらいになるそうですが、7年前の今日は東北で雪が舞っていました。そして、その中に濁流に呑み込まれた家や車が流れていました。数万人もの人が亡くなり、今だに見つかっていない人達もあります。そして、東電の原発事故では放射能による被害もすぐには報道されず、あげくには30㎞圏内は強制退去(アメリカは80㎞圏内移動を進言したそうですが・・・)。強制退去で故郷を追われた酪農業者の恨みを残しての自殺もありましたし、なによりも「裏山に避難しよう」と言う子ども達を反対側に避難させて大多数の生徒と職員を死なせた小学校もありました。しかし、今考えなければならないのは、「原発の避難補償を受けたのだろう」という周りの嫉妬・陰口に苦しんでいる人達や故郷に帰れないままに死んでいくお年寄り達、そして《復興支援》に引っかけた支援金の流用等の存在であり、今なお《復興》の「ふ」の字さえも見られない行政です。山門横の梅は咲きましたが、彼らの悲しみはいつになったら癒やされるのでしょうか。

今朝の空気も冷たかったことです
2018/03/10
森友問題の渦中にある2人の自殺と解任。あまりいい言葉ではありませんが、これで「死人に口なし」的に幕引きにしたいのでしょう。解明を国民は切実に望んでいるのですがねぇ。国民に総理に対する罷免権があればいいのですが・・・。
ところで、毎朝の仕事に「納骨堂の解錠」があります。夏場でしたら6時過ぎですが、冬場は7時前に開けるようにしています。そして今朝も6時30分に鍵を開けましたが、今朝は特に空気が冷たくて一瞬身体が縮みました。数日前の最高気温18度から一気に10度近く下がっているせいでしょうが、ここ数日の空気の冷たさにはダレた身体がついていけません。子どもの頃はどんなに寒い中でも平気で(時には裸足に下駄履きという格好で)走り回っていましたが、今はとてもそんな元気はありません。それでも境内の植木の手入れや除雪作業などは必要に応じてなんとかしていますが、すぐに腰が痛くなったりします。本当に「子どもは風の子」とはよく言ったものですね。少しずつ膨らんでいる桜のつぼみがこの寒さで「しまった!早すぎた」と言っているようですが、弥生も既に1/3が過ぎました。15年近く前のように《花冷え》の厳しい4月にはならないでしょうが、こんな寒い時には暖かい春の空気が恋しいことです。

《恩返し》と《父親の愛情》
2018/03/09
時々地元の新聞に投稿していますが、いつも批判めいた内容であることを反省しています。しかし、そのような出来事が多いのでどうしても批判めいてきます。外はまさに[三寒四温]そのままの天候で体調管理もままならない日々が続いていますが、世事も[三寒四温]のように嬉しい出来事の方が多くなってくれないでしょうかねぇ。でも、その中で藤井6段と杉本7段の《師弟対決》には温かさを感じます。結果は弟子の勝ちとなりましたが、師匠である杉本氏は「自分は早くに師匠を亡くしたので師弟対決が出来なかったが、今回は別の形でそれが出来た。結果は悔しいが、師弟対決が出来たということについては藤井6段にお礼を言いたい」と感想を言われました。弟子が師匠に勝ことを《恩返し》と言いますが、藤井6段のことを聞かれた杉本氏は「今日は言い換えれば映画の予告編です。藤井君はまだ若く、これからが本編の始まりです」と答えましたが、負けて悔しい中にも愛弟子の成長を目を細めて眺める《父親の愛情》を杉本氏に見た思いでした。

死亡事故の原因と部活動の存在
2018/03/08
昨日の車両窃盗と死亡事故で中学生は逮捕という結果になったようです。死亡した生徒はもともと野球部員でしたが、腰を痛めて退部してから交流する仲間が変わってきたとのことです。現在問題になっているものの一つが部活動ですが、確かに教師側からすれば転勤する度に空いた部に顧問を当てはめられることも多く、時には自分自身が(技術的に)何も指導できないこともあります。しかもそれが運動関係ならば尚更危険も伴いますから、誰でも顧問を受けることに二の足を踏むことがあります。私も教員として初めて着任したときバドミントン部をまかされたが、若かったこともあって市民体育館に打ちに行ったり本を買ってルールの勉強をしたことから、結局退職まで演劇部とバドミントン部とを6:4の割合で指導しましたが、現実の問題として教員側からも指導する立場として多くの悩み・問題があります。まして今回はまだ身体的にも精神的にも未完成である中学生ですから、野球部を辞めたことがどれほど彼の生活に影響を与えていたのかも考えなければなりません。確かにいきすぎた厳しい指導の問題や《時間外労働》という問題も部活動にはありますが、「部活動に青春を燃やしている子ども達がいる」ということにも目を向ける必要がある、今回の事件です。

中学生による車両窃盗と死亡事故
2018/03/07
昨日は高校入試の第1日目がありましたが、同じ日に盗んだ軽トラを運転していた中学生3名の中の1人が死亡するという事故が鳥取市で起きました。3名とも年齢的には同じ高校入試を受ける歳ですが、一体彼らはどのような心理でこのような車両窃盗と死亡事故を起こしたのでしょうか。そして、その事故を聞いた親たちの気持ちは・・・。教員資格取得の一つに『青年心理学』の理解がありますが、その中で「青春とは、荒れた海で大波に翻弄されるようなものである」という一文がありました。もう50年近く昔に読んだ本に書いてあったものですが今でも強烈に記憶している言葉であり、正にこの少年達の心境を表わすものではないかと思います。肉体は大人へと向かっているのに心がそれに追いつかない。それでも、単純であった少年期から少しずつ複雑なものに変化していく心の動きと、それを理解してくれない周りの大人達。このような気持ちは大人になれば「誰でもが経験しているもの」として薄らいでしまって子ども達への理解にはつながっていかないという現実の中で、一体誰がこの少年達の心の叫びを聞いてやれるのでしょうか?悲しいことです。

今朝はまた寒さがぶり返しました
2018/03/06
昨日の月参りの時には気温は17度でしたが、今朝の風は何か冷たさを感じさせます。窓を開けると裏庭には赤と白の万両が1mほどに伸びていますが、支えをつけていませんので、先日の雪で倒れ気味です。その万両が風で揺れている姿を見ると、(目に見えるわけではありませんが)どことなく寒さが伝わってくるのです。この感覚はどこの国の人にもあるのかそれとも日本人独特のものなのかは分かりませんが、この万両の揺れる姿を見ていると「目にはさやかに 見えねども・・・」という和歌が思い出されることです。
今日は平成29年度第2回目の「鳥取因幡組門信徒研修会」が市内の同派寺院を会場にして持たれます。テーマは最近僧侶資格を取られた人に対して「なぜ僧侶になったのか」と聞くことから、「浄土真宗の寺院そして僧侶に求められるもの」を考えてみようというものです。ここ数年の葬儀に対する周囲の考え方の変化やアマゾンやイオンを中心とした《契約僧侶》等の問題もあり、皆で一緒に考えてみるのも大切ではなかろうかというところから出来た研修会ですよ。

春の息吹と椿の花々
2018/03/05
昨日は一日中体調不良でした。まさか兵庫県への往復運転がこたえたとは思っていませんが、今更ながら《歳》を実感することです。
ところで、この時季になると一斉に花開くのが椿ですが、当寺でも亡母があちこちに植えていた数種類の椿が開花します。ピンク・赤・白に加えて一重と八重がありますが、侘び助の開花はまだまだですね。そして、同じ色でもよく見ると中のめしべが違っていたり、白にピンクが混じったりしていますので、一体何種類あるのか分かりません。しかも、退職後に裏の家を建てたときに山茶花の大木や何種類かの椿も切り倒しましたので、それらを加えるともっと多くなるはずでした。それでも、今でも庭を歩けば山椿や白玉等が目に飛び込んできます。今週はまた《寒の戻り》らしいのでこの暖かさも一段落ですが、今のうちに春の息吹を胸に吸い込んでおきたいものです。

本堂裏の梅が開きました
2018/03/04
江戸端唄に『梅は咲いたか』というものがあります。「梅は咲いたか 桜はまだかいな」で始まるものですが、多少色恋的な内容も含まれているところは、江戸期のあっけらかんとした風潮が特徴かもしれません。その梅と桜ですが、本堂の裏ではここ数日の暖かさで正に端唄の通りの光景が見られるようになりました。桜桃はまだ少しつぼみが堅いのですが、白梅はきれいに開いています。今日は予想最高気温が20度近くになるとのことで、気温的にはもう5月です。もっとも、火曜日頃からまた10度を切るとの予報ですので、相変わらず体長の管理が困難ですけれどね・・・。
昨日は長姉の満中陰と納骨法要があって出石まで行きましたが、途中の佐津辺りではまだ畑や山ののり面に雪が残っていて、「今年は山よりも海岸方面が雪が多かった」と言われたことに納得したことです。しかし、春は一足飛びにやってきています。土手の桜並木も遠目にハッキリとつぼみが膨らんできているのが分かります。「桜土手」の別名ももうすぐでしょう。

玄関に雛人形を飾りました
2018/03/03
今日は『桃の節句』で、五節句では『七草』に続いて2番目です。そのために昨日は雛人形を出して玄関に飾りました。いつもそこには花を飾っているのですが、夫婦雛だけとはいってももさすがに来られた人は驚きと共に優しい目になります。雛人形には小さな子どもに出会ったときのような優しさを呼び起こす魅力があるのでしょうか。「大体において雛人形を飾り付けるのは母親ではないか」と思っている人も多いでしょうが、当寺では物置から出して飾り付け、そして最後にまたしまい込むのも私がしています。別に作業を分担しているわけではないのですが、段飾りをしつらえていた時はそれを組み立てるもの力仕事でしたし、もともと4人の姉に鍛えられて(?)育ったために細かな作業も嫌いではなかった性格から、そのまま今でも私の仕事になっています。花を活けるのもお寺においでになる方に対する『一期一会』の気持ちであり、人形を飾るのもそれの延長と捉えていることから、私も気にならないのでしょうね。

結局、人間は「生かされている」存在なのですよね
2018/03/02
5年前の今日、北海道湧別町で悲しい事故が起りました。吹雪で動けなくなった車から建物に移ろうとして道に迷った父親が、娘を身を楯にして守って凍死した、というものです。あれからもう既に5年経ったわけですが、今冬もまた同じような事故が続いて起りました。2月には雪に埋まって動けなくなった車から救助を依頼したのに誰も来てくれず、一酸化炭素中毒で亡くなった東北地方の若者。これは、連絡を受けたところが次にちゃんと伝えていなかったことが原因でしたが、昨日も猛吹雪の北海道で若者が命を落としました。雪で動けなくなって救助を求めたNHK職員の所に向かったJAF職員でしたが、肝心なレッカー車がいくら待っても来ないので、迎えに出たその中の1人の若者が吹雪に巻き込まれて凍死した、というものです。「吹雪の怖さを十二分に知っている人が何故外に出たの?」と思いますが、人間の持つ浅はかな知識などは笑い飛ばしてしまう吹雪だからこそ、《白い悪魔》とも言われている所以なのでしょう。人間はいくら《万物の霊長》などと威張っていても、結局は「生かされている存在でしかない」ということを改めて思い知らされることです。

《春の嵐》が運んできたもの
2018/03/01
いよいよ弥生3月。植物も一斉に芽吹こうと動き始める「いや生い」の月ですが、それに合わせてか、今日は《春の嵐》。庭一面に八朔の枝から吹き落とされた葉が待っています。昨日「『彼岸の小鳥殺し』と言うから、気を抜かないように」と書いたのに、まるでそれをあざ笑うかのような激しい風です。今の時期ならば、たとえ葉が吹き飛ばされても「折角咲いた花が舞い散ってしまった」ということはないでしょうが、芽を出そうと張り切って頭をもたげてきた若芽もビックリでしょうね。
ところで、オリンピック金メダルの高木選手は勤務先の会長の一声もあって褒賞金が4000万円(しかも2階級特進)となり、協会の分を合わせると6000万円になったそうです(ついでに、東京マラソンの設楽選手は1億円)が、庶民が気になるのは「税金はどうなるの?」とか「にわか親類が出てくるじゃないの?」ということですが、褒賞金には税金はかからないはずですし、この金はすべて次の大会に向けての大切な資金になるでしょうから、我々一般庶民は次の結果に期待を持つことだけにしたいものですね。

淨宗寺(浄宗寺) 〒680-0821 鳥取県鳥取市瓦町110 TEL:0857-22-5744 FAX:0857-22-5745