12月
願い通りにはならなかった「平成」でしたが・・・
2018/12/31
とうとう今年も今日で終わりますが、同時に「平成」最後の大晦日でもあります。もともと昭和は太平洋戦争を初めとして朝鮮戦争やベトナム戦争など数多くの戦争とともに台風や火山の噴火等の自然災害も頻発し、そこから『激動の時代』と言われました。その昭和から新しい時代へと移り変わるときに願ったものが「平穏な時代」であり、そこから「内平外成」(史記)や「地平天成」(書経)という言葉から選ばれた元号が『平成』でした。しかし、30年という長い時間も最後を迎えたその今年に選ばれた《今年の漢字》が「災」であったことは、『平成』という名を選んだ願いもむなしく過ぎ去ったということになるのでしょうか。せめて残された4ケ月は「立つ鳥後を濁さず」であってほしいものです。
ところで、「えと」を漢字で書くと「干支」となって十干(甲乙丙・・・)と十二支(子丑・・・)の組み合わせたものを言いますが、これは全部で60通りですから、元に戻る61番目のことを『還暦』と言うのもここから出ています。古文書ではよくこの干支で年号が示されていますが、それで言うと来年は『己亥(つちのとい)』となり、「何事も最後には無事に治まる」との意味を持った言葉になりますから、その期待を込めて、今年最後の写真を南天(難を転ずる意)にしました。
ついでに言うと、「甲子園球場」も『甲子(きのえね)』の年に造られたことから命名されたものです。

《黄泉比良坂》に見られる人々の思い
2018/12/30
今年も残り2日となり、いよいよ明日は平成最後の大晦日を迎えることになります。今日の新聞には今年亡くなられた国内外の著名人が載っていますが、「あぁ、すごい人だったなぁ」と感慨に耽ることです。
ところで、その一方では、亡くなった人に対する悲しみや感謝の思いから大勢の人が訪れる《隠れた名所》の小さな記事がありました。『古事記』の中にイザナギとイザナミの話が載っています。愛しい妻(イザナミ)に会いたくて黄泉の国に行ったイザナギが「絶対に振り返らないで」という妻の言葉に逆らって振り返るとそこには目を背けたくなるほどの妻の姿があり、恐怖のあまり逃げ出して黄泉の国の出入り口を巨岩でふさいでしまった、という内容です。そこから現世と黄泉の国との境と言われている松江市出雲町の《黄泉比良坂》ですが、そこに手作りの小さなポストがあって、「天国(黄泉の国)への手紙」を投函することが出来るようになっています。そして、設置した2017年4月から2018年11月までに2000通を越える手紙が投函された(平均して1日4通の計算)そうです。愛しい人との別れに対する残された人の思いはそれぞれでしょうが、「大切な人に今の思いを届けたい」という感情はいくら科学が発達した現代でも変わらないものなのですね。
なお、それらの手紙は6月にまとめてその場で焼却(おたきあげ)されるとのこことです。

僧侶が着物姿で運転するのはダメ?
2018/12/29

『師走』も今日を含めて3日です。『師走』の意味は「教師や僧侶が走り回るほど忙しい月」とのことですが、どちらも12月だけが特に多忙というわけではありませんので、どうも正しくはないようです。
ところで、僧侶に関して不思議な報道を見つけました。福井の地方紙ですから知らない方も多いでしょうが、「軽自動車でご法事に向かっていた住職が違反切符を切られた」というものです。しかも、その理由が「着物で運転していたから」とのこと。福井県の条例ては「運転に支障のある衣服は違反」とありますが「着物が支障のあるものに当る」とは書いてありませんし、私も含めてどの僧侶でも着物姿で運転することは当り前のことです。確かに同じ着物姿でも振り袖姿にかかとの高い履き物ならば、運転は止めた方がいいと思います。しかし、我々の履き物は普通の草履ですし、袖もハンドルに引っかかることはありません。その住職も「20年も同じ姿で運転しているのに、今回どうしてダメなのか」と言って反則金の支払いを拒否しているそうですし、仏教界も反論しているそうですが、警察の方は「すべての法衣がダメなのではなく、その場での状況による」と言っているとのこと。
今年はあちこちで「場当たり的な説明」や「言い逃れ」が目についた年でしたが、まさか着物姿での運転に対する警察の対応までそうとは思いませんでした。本当に「納得できる説明」がほしいものですね。
(写真は、うっすらと雪をかぶった境内の様子です)


官公庁は今日まで仕事です
2018/12/28
夕べはやっと賀状を投函できました。しかし、官公庁や銀行の仕事が今日までですので、住職は寺院会計の集計と入金・支払いを済ませなければなりませんし、お供え用の餅つきのために坊守は昨日から餅米をといで水につけたりしていますので、2人とも一向に休めません。もっとも、数日前から盛んに報道している大雪予報については、鳥取市内は今朝方からチラホラ雪が舞っている程度ですので、昨年の冬のような豪雪はなさそうです。ただ問題は29~31日ですので、しばらくは気が抜けません。いくら除雪機の方は準備万端とは言ってもやはり元旦会も控えていますのでね。多くの寺院では除夜の鐘の準備もありますが、当寺は戦時中の供出で梵鐘がありません。そのために先代の時には午前0時杉過ぎから本堂に集まって大人はお酒を、子どもはお雑煮(鳥取はぜんざい)を食べていました。しかし、飲酒運転は勿論のこと厳禁ですが、夜中のタクシーも少なくなるし、若い人たちに迎えを頼んでも飲酒か睡眠のどちらかですので、とうとう私たちの時に元旦会の後で抹茶と花びら餅による接待に切り替えました。そのせいかどうかは分かりませんが、お参りが少なくなったことは事実ですが・・・。もうすぐ年も変わります。ホワイトクリスマスならぬホワイト元旦になるのでしょうかねぇ。

年末のバタバタした一日でした
2018/12/27
いよいよ今年も残すところ5日。年賀状は表書きをやっと終えたので次は裏面ですが、2通りの文面のどちらにするか悩んでいます。それでも今日中に印刷にかけて投函しないといけないので、なんとか決めますが・・・。昨日は午前中に正月用の仏花を買いに行って午後から本堂と玄関の生け込みをし、その後は納骨堂の供花の整理をして打敷を掛けました。整理と言ってもまだきれいな花は残して萎れたりしているものを処理するのですが、お参りなさった方の気持ちを考えて出来るだけ花も残したいと思っています。それでも、いつもきれいにしておきたいという気持ちもあって、かわいそうですが萎れた花は取り除くようにしているのです。残す仕事は本堂に打敷をした後で供花と供物をすることですが、最後に山門に幕を掛けることを忘れないようにしないといけませんが、そうなると気になるのが天気予報です。ついでに、昨日は空き時間を使って灯油の買い出しと除雪機のオイル交換(これはプロに依頼しました)もしましたので、結局バタバタした一日になってしまいました。正に《師走》そのものですね。

「当り前」の反対語は何ですか
2018/12/26
新聞を読むことから1日が始まります。その中で真っ先に目に入るものは第一面の見出しですが、次はコラム欄になります。地元の『新日本海新聞』はコラム欄を《海潮音》と銘打っていますが、西部を中心とした『山陰中央新聞』は《明窓》です。《海潮音》には同名の詩集もありますが、ここでは単に日本海に接することから付けた名前でしょう。それに対して《明窓》は、「社会を素直な目で眺めよう」という意図があるのかもしれません。それはそうとして、今日の《明窓》には「当り前の反対は何でしょう」という質問から入っています。「えっ?何だっけ」と思わず考えさせられましたが、「当り前」が「あるのが当然」という意味であるならば、その反対は「あるのが難しい」となるはず。とすればその答えは「有り難し」であり、そこから出てくるのが「ありがとう」となるわけです。
このように、普段私たちが何の気なしに使っている言葉にも考えて見ると実に深い意味を持っているものが多いものですが、「人間」にしても「いただきます」にしても、誰もその意味をいちいち考えたりしません。「人間」が「人の間」と書くように、「多くの人たちに囲まれ支えられて存在する1人の私」という意味になり、1人だけでは人間にはなれないことを表わしています。また「いただきます」も「あなたの命をいただいて生きさせてもらう」という感謝の言葉になっています。たった一言が人を生かすこともあれば、人を傷つける刃にもなる力を持つ言葉。言葉の乱れが多い現在だからこそ、もっと《言葉の意味とその力》を考えたいものですね。

竹久夢二の伝えたいものは・・・
2018/12/25
今日の新聞に竹久夢二の童話のことが載っていました。夢二が画家であることは知っていましたが童話を書いていたことは知らなかったので、早速読んでみました。内容は《みっちゃん》と《二郎》という隣同士の2人の子どもがサンタに贈物の手紙を書くという内容ですが、「そんなにたくさん頼むと、届かなくなる子どもが出来ますよ」と言われて一つにした二郎君にはほしかったラッパが届いたのに対してたくさん頼んだみっちゃんには小品が3つしか届かず、「みっちゃんはたくさんほしがる子どもでしたから」で終わっています。夢二がこの話で書きたかったことは「欲望には限りがないが、すべてが手に入ることはない」ということでしょうが、母親の子どもに対する甘さ(しつけ)も含まれているように思えます。
ところで、仏教国でありながらクリスマスが生活の中に入り込んでいる今の日本ですが、家族が揃ってケーキや贈物で楽しく過ごすこと自体には異論はありません。しかし、何かが流行すると考えもなくすぐに飛びついて馬鹿騒ぎする日本人の態度には異議を称えたいものです。その好例が先だっての《仮装フィーバー》であり、都知事が先頭に立って浮かれている姿と自分が選んだ《メーテル》の意味も考えず、平井知事から「母親の愛情をもって・・・」と言われると逆にくってかかる姿には幻滅したことです。そのような今の日本人に、「もう一度トトロや妖の世界を認めていた頃に戻ってほしい」と願うのは無理なことでしょうか。

映画に見る当時の社会情勢
2018/12/24

今年の邦画の大賞作品は『万引き家族』に決まりました。私はまだ観たことがありませんが、経済的困窮から《万引き》をしながら、その中には「血のつながりよりも心のつながり」を大切にした家族が主人公になっていることは知っています。映画はその当時の社会情勢を反映していますから、この映画は経済的困窮とともに絆が薄くなっている現在の社会が描かれているとも言えるのかもしれません。
オードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』が発表された時の米国ではマッカーシズムという《赤狩り》がはびこり、「共産主義的」と見なされた者はすべて裁判にかけられて投獄されましたが、脚本を書いたダルトン・トランボもその対象になったためにこの作品がボツになりかけたことがあり、そのために友人のイアン・マクレラン・ハンターの名で発表されたほどです。また、シドニー・ポアチエ主演の『夜の大捜査線』は黒人差別の厳しかったミシシッピ州の田舎町を舞台とし、そこに登場した敏腕の黒人刑事と白人の警察署長、そして住人達とのやりとりが描かれていますが、その中で最も象徴的なものは黒人刑事が白人署長を平手打ちにした場面でしょう。この場面が上映された時は国内で激しく非難されたとのこと。アカデミー主演男優賞はS・ポアチェではなくて署長役のロッド・スタイガーでしたが、黒人俳優の主演男優賞は今ではモーガン・フリーマンやデンゼル・ワシントンなどがいますが、実はこのポアチエが1963年に『野のユリ』で受けたのが最初であり、そのポアチエでさえもいろいろな妨害があってミシシッピ州での撮影を拒否したそうですし、逆に署長役はその地のカルト的存在になっているとか・・・。なお、黒人俳優でフカデミー賞を受けた者の数は男女合わせても数lほどであり、今年の主演男優賞に「3名の黒人俳優が同時にノミネートされた」こと自体が話題になっているとのことですよ。


最後の記者会見になるとのことです
2018/12/23
今上天皇は今日85歳の誕生日を迎えられて記者会見に臨まれましたが、今後退位までに記者会見の予定がないとのことで今回が最後となりました。多くの災害による苦しみ・悲しみのただ中にいる国民に寄り添い、「言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます」と述べられてともに苦しみ悲しんでこられた両陛下のお心や、戦争のなかった平成をよしとしながらも今なお戦争やテロによって苦しんでいる世界中の人々の苦悩を我がこととされている姿。また、長年寄り添い続けてこられた障害者や海外に移住して苦労の末に今の生活を得た日系人に対するお気持ちとともに、天皇の《国民の象徴》としての役割を理解し、「そのような私を今まで支え続けてくれた」と、皇后への感謝と深い愛情さえも伝わってくるお言葉でした。残念ながら新聞では要旨だけしか載っていないために全文を読みたくてPCの方を利用しましたが、いつものように言葉を選んでとつとつと話をされながらも時おり言葉を詰まらせておられたとのこと。
退位まで残すところ4ケ月となりながら「退位まで象徴天皇として望ましい在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたい」とも述べられた今回の会見に対して私がその場にいた記者ならば、「どうぞお身体をご自愛下さい」とお伝えしたいことでした。

子ども達の初めての社会生活に重要な役目を担う担任
2018/12/22

昨日は車内が暖かく感じられる1日でしたが、それでも夕方になると空気が冷えてきます。そんな時には温風機を点火しますが、室内が暖かくなるとすぐに切ってしまいます。今年も終りを迎えようとしている時にこんな状態ですから、やはり《暖冬》という予報は正しいのでしょうか?年末は寒波の襲来で大雪との予報が出ていますが、それでも20年ほど前の大晦日のように吹雪になることはないでしょうね。
ところで、昨日は人生の指針になった先生の言葉が載っている本を紹介しましたが、今日の新聞には《不登校》になった子ども達のことが載っていました。中学生の不登校で主な原因は「勉強についていけない」がトップですが、小学生では何と言っても《いじめ》です。そして、子どもが必死の思いで担任に伝えても、「お前が強くなれ」とか「お互いが話し合いなさい」と言って本気で対応してくれないことが主な原因になっているそうです。「自分のクラスに《いじめ》があることを認めたくなかった」という理由で対処しなかったことから遂に悲劇的な結末を迎えた事例が昨日のニュースに載っていましたが、「学校」は子ども達が初めて体験する「社会生活」であり、その中で子ども達は少しずつ成長していくのです。そして、そこでは「先に生まれた=経験者」である《先生》の存在が重要なのであり、その先生のひと言がその子の人生に大きく関わっていく子とも多々あります。《純粋培養》された先生にはそのことを心に留めて、是非とも昨日紹介した本を読んでほしいものです。


短い言葉でも心を豊かにする本もあります
2018/12/21
今年もあと10日。依然として雪が降りません(1日だけありました)が、予報によれば大晦日に降雪だそうです。それが理由ではありませんが、今朝は境内だけでなく植木の中にある公孫樹の落ち葉を掃き集めました。積雪があるとどうにもなりませんからね。
ところで、年末は何かと多忙でゆっくりと本を読む時間が取れず、未だに『日本史のなかの親鸞聖人』も読破できていない状態ですが、昨日は久し振りに以前に購入していた本を手に取ってみました。飯塚書店の『ありがとう、先生』という本です。「誰もが昔は生徒でした。教室で、グラウンドで、先生がくれた言葉に、いま、ありがとう」という純名里沙さんのナレーションで始まるラジオ番組を1冊の本にまとめたものですが、中高時代という思春期まっただ中にいて様々な不安に揺れ動いていた時に与えられた先生からの一言がその後の人生にどう生かされていったのかを、数年(数十年?)後に振り返ってみた人のそれぞれの思い出が描かれています。たとえば「人生は思い出づくり」という言葉では、「いろいろやってみなさい。失敗も成功も、みんな懐かしい思い出になるのだから」という意味に受け取り、「それまでは頭で考えるだけで行動に移せなかった私に、何でもやってみようという気持ちにしてくれました」という感想もあります。その他にも《人生に大きな影響を与えてくれたいろいろな言葉》が載っている本ですが、たまにはこんな本を見るのもいいものですね。

「子どもの貧困」問題にどう向き合うのか
2018/12/20
昨日は鳥取ブロックで「子どもの貧困」に関する研修会が持たれました。その数値に驚くとともに「子どもの貧困は目に見えない」との意見には同意できますが、講師の話に何か実生活から遊離しているものを感じたことも否定しません。子どもの貧困が親の経済的事情から発生していることは事実ですし、子どもの貧困が「昔と違って、目に見えない」ことも否定しません。しかし、だからこそ、誰に対して支援すればいいのかが分からないのも事実です。政府は「低所得者に対して支援する」とは言っていますが、自分が低所得者であることを表明することに抵抗がある人もいるでしょうし、DVなどで自分の所在を明らかに出来ない人たちも多くいます。そして、その人達には支援の手は届かないのですが、そのことについては何も話が出ませんでした。また、政府は片親の子どもに対する支援を表明しましたが、「婚姻関係にあった夫の死でシングルマザーになった者であり、そうでない者に対しては支援をしない」と条件を付けています。講師の話の中に「子どもは未来の宝」というものがありましたが、親が結婚していようがなかろうが子どもには関係ないのであり、どの子どもも支援すべき《未来の宝》であるはずです。それについて本山はどう考えているのかという私の質問に対して「それは行政に関係することだから、分からない」との回答でしたが、そこに「発表内容は間違っていないが、どこか《他人任せ》のよう」に感じた原因があったのかもしれません。(と言っても、自分に何が出来るのかと問われると答えられないことも事実ですが・・・)

高橋卓治師の姿に思う
2018/12/19
やっと完成した寺報189号の県内外発送も終わり、あとは宅配していただくご門徒へ1年のお礼を込めてお歳暮と一緒に寺報を持参するだけです。しかし、言うのは簡単ですが、研修会等の予定も詰まっているので時間がなかなか取れません。そのために数日に分けての配達になりそうです。
ところで、昨日は録画していた番組がやっと見れました。NHK制作の「プロフェッショナル」で、家族の死とその悲しみに向き合う高橋卓治師の思いを取材したものです。私は25歳で父の跡を継ぎましたが、その10年後に両親が相次いで往生したために坊守と2人で必死に当寺を支えてきたこの35年間を振り返った時、「自分が支えてきた」のではなくて「周りの人たちに支えられてきた」ことが知らされます。けれども、そんな私もやはり「弱い人間の1人」なのでしょう。水が低きに流れるように「安易に《世間の流れ》に流されているのではなかろうか」と思う時もあります。高橋師の姿は、そんな私に反省と自戒の機会を与えてくれるものでした。もっとも、「その次の一歩」がどれほど難しいものかも分かっている今の自分ですが・・・。

南青山の事例は人間の傲慢さを明示している
2018/12/18
今月も残すところ2週間。ということは、今年も残すところ2週間ということです。「時間の経つのを早いと感ずる人は、認知症の傾向がある」という記事が昨日の新聞に載っていましたが、何でも「脳の活性化を促すドーパミンが少なくなると、早いと感ずるようになる」とのことで、歳を取ると時の経つのが早く感じられるのもそれに原因があるとのこと。何か納得させられそうに思える意見ですが、今ひとつ頷けないところも・・・。(認めたくない心理が働いているのかもしれませんがね)
「今ひとつ納得できない」と言えば、南青山に計画されている児童相談所の施設建設問題です。「土地価格が下がるから反対」とか「周りが着飾った者の中に入って、子ども達が引け目を感ずるのではないか」「自分は億の金をつぎ込んでここに来た。この土地に住みたければ、同じようにすればいい」等々の意見には掲示板の文句ではありませんが、《人間の傲慢さ》を間近に見た感じがします。彼らは「自分たちはセレブで、ここは金持ちが住むところだ。貧乏人は来るな」「貧乏人は犯罪の温床だ」などと言って金のあることで自分たちが《選ばれた人間》だと見なしていますが、「金持ちは悪事を働かない。貧乏な者が悪事を働く」のではなく、金に執着するからこそ悪人になる可能性が大きいのではありませんか。だからこそ、『水戸黄門』にしても『大草原の小さな家』にしても昔から今に到るまで洋の東西を訪わず「金を持っている家ほど傲慢で自分勝手な人間が多い」として描かれているではありませんか。掲示板の言葉は「愚かなことだ」で締めくくっていますが、南青山は本当に愚かな人たちが住む町ですね。
(今日の写真は、近所のお宅のヒイラギです)

日本初のジェット機が世界の空を飛んでいます
2018/12/17
(苦労して書き上げた今日の『独り言』が関係ないキーに指がひかかって消えてしまったので、また最初からやり直しです)
朝のニュースの中に『今週の主なニュース』というものがありますが、木曜日の欄に「ホンダジェット 引き渡し」というものがありました。既に数多くのホンダ機が引き渡されていますがそれは全部国外のことであり、今回は「日本で初めての引き渡し」ということでニュースになっているのです。何しろ1機数百億ですが、日本人の富豪もそこまでなったということでしょう。もっとも、世界の富豪には足元にも及びませんが・・・。
しかし、私がそのニュースに惹かれたのはそのことではなく、小さな2輪(オートバイ)の会社だったホンダがマン島でのオートバイレースで名を売り、その後も努力と技術開発で『世界のホンダ』になったことです。安価で操作が手軽なバイクであるスーパーカブ(現在でも、世界で通用しているバイク)で世界に知れ渡ったホンダが新たに自動車の世界に飛び込んで作り上げたN360。そして、その後も努力と技術によって次々と名車を開発していき、遂にジェット機までも開発した努力に感銘を受けたからです。なにしろ、戦後しばらくの間は飛行機の開発に関して絶対禁止状態でしたからね。それが許されて初めて世界の空に舞ったのが双発飛行機であり、ジェット機は「夢のまた夢」かと思っていましたから・・・。

今日は連研の日です
2018/12/16
昨日の料理教室《蕎麦打ち》参加者は手伝いの人を含めれば20名超となって大広間一杯になりましたが、打った後の食事会は盛況でした。もっとも、当日は3件のご法事があったため、坊守は参詣者の接待から蕎麦打ち参加者の手伝い等で普段の3倍近い忙しさになりましたが・・・。それでも、皆から「楽しかった」と言われるとやはりうれしいですね。
ところで、今日は鹿野の同派寺院で連続研修があります。今月のテーマは3本柱の2番目で『往生浄土』に関するものです。鎌倉時代は末法思想が流行して誰も《悟り》を求めて厳しい修行に明け暮れていた中、聖人も同様に厳しい修行をしておられましたが、その中で法然上人に出遭われて「念仏一つで往生出来る」という教えを受けられたことは知られていますが、そのあたりのことをもっと詳しく解説される今回の研修。受講者とともに私も受講が楽しみです。
境内のあちこちに咲いている椿ですが、今日は真っ赤な藪椿にしました。

表を無視して裏は存在しないのに・・・
2018/12/15
物事には必ず裏と表があります。これが「表裏一体」であり、一方が他方を否定することは出来ません。薄っぺらな1枚の紙にも必ず表と裏があり、表だけの紙は存在しないのと同じです。このことは《善悪》《男女》《大小》などにも当てはまることであり、片方だけでは何事も存在しえませんし、《自他》も同様でしょう。しかし、よく使われているこの「自他共に~」という言葉はどういう意味を持っているのでしょうか。「自他共に~」とはその言葉の通りに「自分だけでなく、他の誰もが~」という意味を持っていますが、子ども達が何かをねだるときによく使う「皆が~」とはまったく違います。これは「(自分の周りにいる)者が皆」という意味で使っていることが殆どですが、自分の生活範囲がまだ狭い子ども達だからこそ、(大人から見れば「全体の中の一部」であっても)それが「全体」になってしまうのでしょう。ですから、大人からしてみればおかしな理屈であっても子どもにとっては真剣な理由なのですから。したがって、それを子ども達に分からせるように丁寧に説明するのが《人生の先輩》としての大人の役目でもあります。
昨日は毎月実施している当寺の仏婦研修会があり、《師走》を導入にして「人生の先達としてすべきことは」という内容のことを話しました。司馬遷の『史記』にある「桃李不言、下自成蹊」を用いて、「人を力で強引に導くのは間違っている。自分が一生懸命に務めれば、人は自然と慕ってくれるのだ。『弟子1人も持たず』と言われた親鸞聖人をこれほど多くの人たちが慕うのも、自分自身を《煩悩の塊》だとして『ただ本願を信じてお任せしているだけだ』と言われた真摯な姿があるからだ」と説きましたが、昨日は「沖縄県の心に寄り添う」と言いながら埋め立てが強行されました。掲示板の言葉ではありませんが、「人間の傲慢さか 自然の畏怖を忘れさせた 愚かなことだ」!

今日は討ち入りの日です
2018/12/14
「時は元禄15年~」は有名な『仮名手本忠臣蔵』の一節ですが、今日はその討ち入りの日。討ち入りの前に蕎麦を食べたということもあって、ここ数年は12月に行っている当寺の『男の料理教室』のメーンが《蕎麦打ち》になっています。最初に各自で蕎麦を打ち、出来上がったものを茹でて賞味した後は忘年会へ突入・・・という流れですが、15人前後いる参加者の蕎麦はそれこそ(太さが)きしめんだったりうどんだったりですが、それを同じ鍋で湯がくのですから食感は「?」。しかし、《自分の手で打った新そば》を皆でワイワイ言いながら食べるのは楽しいものです。半分は家に持ち帰ることにしているので家庭争議(?)も起こりませんしね。
師走の恒例行事である『忠臣蔵』の放映ですが、「これほど日本人の心に強く訴えるのは《勧善懲悪》が筋になっているからだ」と言われます。「吉良上野介は地元では立派な城主であり、反対に浅野内匠頭は先のことを考えない短慮な人物だ」という説もありますが、その是非はともかく、国民の意思を無視して自分勝手に物事を進めていく現在の政治家達には彼らの爪の垢でも飲ませたいですね。

到道博物館の素敵な対応
2018/12/13
飲酒・ひき逃げ事故や記者質問に対する大臣の無視(4回)等が今月も起きています。今年の世相を現わす漢字は『災』でしたが、自然災害とともに人的災害も加わっていることを考えると、妙に納得させられます。しかも、来年の消費増税に加えて後期高齢者に対する医療補助が打ち切られるとのニュースがありました。国会が紛糾して時間が延長になると残業代として1晩で2000万円近い金が必要になりますが、低所得者の補助を打ち切るよりも国会議員が「先ず隗より始めよ」を実践すべきではないでしょうかねぇ。
ところで、そんな腹の立つニュースの中で心あたたまるものもあります。山形県の到道博物館でのことですが、「30年も前に博物館に来た県外客の忘れ物(ドナルド・ダックのぬいぐるみ)を今も保管している」というものです。しかも、洗ってきれいにしたり手編みのセーターを着せたりしながら・・・。「どうして30年も保管しているのですか」との質問に対する答えがまた最高です。なにしろ、「そりゃあ、ここは博物館ですから」。こんなユーモアのある回答を国会議員に求めたいものですね、ヤジばかりでなく。

1人では《人間》は成り立たない
2018/12/12
昨日の写真に、整備がほぼ95%完了した第二駐車場を載せました。縦列駐車×4列になっているのはそれが一番効率のいい方法だからですが、「奥に入った車は出られない」と言った人がいます。しかし、寺院の駐車場は大体において参拝の方が大多数であり、その場合にはほぼ同時間に入って同時間に出られるので、「出られなくて困る」ということはないはずです。たとえ参詣者でない場合でも誰の車か分かりますので、移動を頼むことも可能ですし・・・。もっとも無関係の人が無断駐車すれば不可能ですが、そのために看板で無断駐車しないようにお願いしているのです。
今月の掲示板に「人間の傲慢が 自然への畏怖を忘れさせた 愚かなことだ」と書きました。親鸞聖人も「人間は煩悩の塊であり、死ぬまでそこから逃れることは出来ない」と言っておられますが、聖人は「だから、しかたがない」とは言っておられません。人間(自分)が煩悩の塊であることを知ることが第一歩であり、そんな自分でもしっかりと抱きかかえてくださる《親》があるということを知って報恩感謝することの大切さを説いておられるのです。自分だけでこの世が成り立っているのではないことを知ることも、また大切なのではありませんか。

「人間は感情の動物」です
2018/12/11
午前3時過ぎに突然の電話。お寺である以上こんなことも時々ありますが、暗闇ですから通話スイッチが見えず、結局ベル音を2度聞いた後でやっと出ましたが、番号違いとのこと。腹立ちよりも、むしろ「こんな真夜中に一体どこにかけるつもりだったのか」と人ごとながら気になりました。40年近く前に母が突然の脳内出血で入院したときは公衆電話が便りでしたが、やはり指が震えて番号を押し間違えそうになった経験があったので、「もしかすると、その人も・・・」と思ったわけです。
どんな人でも(普段は自信があるように振る舞っていても)いざ突発に何かが生ずると、当り前にしていたことが出来なくなります。よく「頭の中がまっ白になってしまった」と言いますが、後から思い返しても本当にそんな状態になってしまっているのです。こんなことは経験の無い人には分からないことだとは思いますが、結局はこれが「人間は感情の動物」だと言われる所以なのでしょう。よく「どんな医者も、自分の肉親にメスはふるえない」と言われるのと同じです。そんな《喜怒哀楽》の感情を持っていることこそが人間のあるべき姿だと思いますが、どうも最近は自分にとって都合のいいことだけに目を向けてそれ以外は忌避する人が増えているように感じますが・・・。
(写真は、工事が終わったばかりの第二駐車場です)

御布施は「お預かりする」ものであって、個人のものではありません
2018/12/10
第一駐車場の前に第二駐車場を整備する工事も最終段階を迎え、水道局が水道栓にカバーを設置することの他に残った仕事はカーブミラーの設置と《第二駐車場》と書いた看板の設置だけです。ラインも引いてあって今でも使用は可能ですので、昨日のご法事でお参りになられた方が「駐車場使用トップ」ということになるのでしょうか。これで14台分の駐車場が出来たのでご門徒の方々に安心してお参りしていただけますし、当寺としても嬉しい限りです。
よく「坊主丸儲け」と言われますが、それは間違っています。私たちがご門徒から御布施を受け取る時は「戴きます」ではなく、必ず「お預かりします」と言います。これは「個人が受け取るのではなくて、み仏に代わって受け取るもの」だということを意味しています。したがって、寺院活動の維持に必要な費用(荘厳費や建物の修理等)以外は、たとえわずかずつでも法人のものとして残ることになります。そして、今回の整備に関する費用はすべてそこから支払うことも既に総代会で承認されています。前述で「当寺としても嬉しい」と書きましたが、そこには「皆様からお預かりしているものを皆様のためにお返しできた」という気持ちも含まれているからです。蛇足ですが、どこの住職も「お寺から戴いた給料で生活している」のであって、私もちゃんと税務関係の処理はしていますよ。
(今日の写真は椿ではなく、真っ赤な山茶花にしました)

12月は研修会も重なります
2018/12/09
「土・日は雪」との予報でしたが土曜日には雪もなし。ホッとしたようなガッカリのような1日でしたが、冷たい風が予報通りに雪を運んできました。と言っても《うっすら》という状態ですが、本堂裏のお墓は綿帽子をかぶっています。この程度ではすぐに溶けるでしょうが、《大雪》も過ぎた頃の降雪は「やはり暖冬か」と思わせるものです。しかし、そのうっすらと積もった雪を見て思い出しました。「しまった!スコップを出し忘れている!」と・・・。一番必要な物を忘れていたのですから、「除雪機ばかり気にしていた」と言うのはただの《言い訳》にしかなりませんよね。
ところで、今年の日程表を見ると、今週も来週もいくつかの研修会とお寺の行事が入っています。14日は毎月実施している当寺の仏教婦人会研修会があり、翌日の15日は仏壮主催による「蕎麦打ち」、16日は因幡組の連続研修と続き、19日は「鳥取ブロック実践運動推進協議会研修会」も鹿野の同派寺院を会場にして持たれます。昔から12月には各種の研修会が計画されることが多かったのですが、これで去年のように大雪にでもなれば悲惨ですよね。(写真は同じピンクに見えますが、別の椿ですよ)

便利は不便の始まりです
2018/12/08
昨日は午後から宛名シールを買いに出かけました。今まで県外のこ門徒などに寺報を発送する時には封筒にそのまま住所を印刷していたのですが、シール印刷にしてみようと・・・。これは1枚ずつ斜めにならないように注意しながら貼っていくので直接印刷をしていたわけですが、こちらもプリンターにセットできる枚数は限られるためにずっと側にいなければならず、結局は《一長一短》です。とは言っても、1枚ずつ手書きにしていた頃に比べれば確かに楽になったことも事実です。
ところで、楽になったと言えば、外出するときに電話を切り替えれば携帯に届くようになりました。これも携帯の発明と普及のお蔭でしょうが、その普及が災いしたのが先日のSB回線の不通でしょう。いままでは市街地に出れば当然のようにあった公衆電話がどこにもありません。このことはポケベルが普及した時から気づいていましたが、最近はまったくと言っていいほど見かけなくなりました。数年前から多発している自然災害の折には「携帯よりも通じやすい」と言われているにもかかわらず、です。もっとも、昔あった黒電話(ダイヤルを回す)にしても緑やピンクの公衆電話(ボタンを押す)にしても、そのやり方を知らない若者が大勢いるのだそうです。(そう言えば、映画の『バック トゥー ザ フューチャー①』の中で、主人公がコーラの栓の開け方を知らなかったという場面もあったなぁ)世の中が便利になったのはいいのですが、その陰で「忘れ去られていることが必要になる事態」の発生を考えると不安になります。

寒波を前にして多忙の1日でした
2018/12/07
今年も残すところ3週間ですが、昨日は一気に気温が下がって土日の降雪待つばかりとなりました。もっとも、その前にしなければならないこともあって昨日は一日中バタバタしてしまいましたが・・・。あれほど「今年は黄葉が遅い」と思っていた公孫樹もわずか4~5日程度で裸になったので境内に残った落ち葉を掃き集めて袋に入れ、その後は君子蘭等の鉢物を室内に入れて供花の購入へ。帰寺の後は除雪機にバッテリーをセットして向拝の屋根下に移動をし、一息ついてから本堂の花の生け込み等々です。そのためには《行き当たりばったり》では時間の無駄になるのでちゃんと流れを考えて動くようにしていますが、仕事が終わったとたんにグッタリ!本当に歳は取りたくないものですね。
そんな疲れた心を癒やしてくれるのが可愛いらしい花ですが、夏頃に咲いていたデンドロビウムやついこの前まで花をつけていた胡蝶蘭がまた新しい蕾を持っているのに気づきました。楽しみにしていたシンピジュームの花芽をウッカリして折ってしまってガッカリしたところでしたから、余計に1日ずつふくらんでいくこれらの蕾が楽しみになっている昨今です。

落ち葉と枯れたツツジが見苦しいと思いますが・・・
2018/12/06
昨日のお昼時に納骨堂へお参りされた方は雨模様でもあったので車で来られましたが、「車を駐めるのが大変」とのこと。そのため、前にある第二駐車場の完成を楽しみにしておられるようでした。この駐車場は既にアスファルトを敷いていますが雨のためにラインがまだ引いてありませんし、カーブミラーがまだ設置してありません。しかし、完成予定は《今月中頃》となっていますので、もう少しお待ちくださいね。
今朝も早くから境内の落ち葉を掃き集めて袋に入れました(まだ残っていますが・・・)が、塀の外には遊歩道からの落ち葉も吹き
積もっています。この欄を書き終わったらもう一度外に出て掃き集めるつもりですが、せめて冬が来る前に街路樹の剪定してもらえないものでしょうかねぇ。下枝は顔に当るし落ち葉は車道に散乱するしで困っていますが、立木の所有者は市になっていますので、勝手には出来ません。しかも、遊歩道と車道との間にあるコンクリートケースの中では夏の猛暑で枯れたツツジが何本もそのままに・・・。せめて目の保養になるように、今日からしばらくの間は当寺に咲いている椿の写真を載せることにします。

本当に全国的に納得されているの?
2018/12/05
今年の「流行語大賞」が発表されていますが、NHKの番組を見たことのない者にはどうしてそれが《流行語》なのかまったくわからないものもあります。『紅白歌合戦』では毎年のように「今年最も支持された歌手」と発表されますが、(新しい歌には関心を持っていないせいかもしれませんが)初めて名前を聞く人たちがいたり、過去に支持されていても最近はまったく耳にしない歌手もいます。また、番組の幹になるべき司会者も下手ですから、ここ数年の『紅白~』は面白くなくて見ていません。よく子ども達が親に「皆持っているから・・・」と言ってものをねだります。その時の《皆》とはあくまでも「自分の周りの者」だけを指しているのですが、今回の「流行語~」にしても「紅白~」にしても、一部の人たちの感覚で捉えている気がします。もっとも、国民の生活を左右する重要な案件でさえも一部の人たちのゴリ押しで決まってしまうようですから、それも仕方ないのかもしれませんがね。
昨日やっと掃き清めた境内の公孫樹も、今朝はまた一面の絨毯状態です。おまけに雨で敷石にひっついて取れないので、掃除は明日以降ですね。

12月らしからぬ気温の朝を迎えました
2018/12/04
昨日の朝に続いて今朝も公孫樹の落ち葉が山になっています。さすがに昨日掃き集めていましたので絨毯のようにはなっていませんが、これを集めて袋に入れるのが大変です。しかも公孫樹の落ち葉は腐葉土にならないので、植木の中に散っているものも雪が降るまでに取らなければなりません。今朝は12月とは言えムワッとするほど気温が高くて気持ちの悪い夜明けになっていますが、今週末は気温が10度も下がって《冬》に突入するとのこと。タイヤの交換は昨日のうちに済ませたので、残っているのは除雪機の点検後に境内へ動かし、更にブーゲンビリアや君子蘭を初めとした観葉植物を室内へ入れるだけです。もっとも、口で言うのは簡単でも置く場所の事前準備が大変ですが・・・
そのような中で、昨日は半日かけて寺報(年末号)の原稿を作りました。今回の法話は「元の体は同じでも、条件によって異なったものになる」ということで《水》と《氷》を用いた内容にしていますが、推敲しないで一気に書き上げたものですから、読み直したときに添削が必要になるのではないかと思っています。ページ数が決まった中での原稿作成は難しいものですが、いつも以上に何かと忙しい12月は正に《師走》そのものですね。
(今日の写真は、暗やみに浮かぶ落ち葉の絨毯にしました)

同級生にバッタリと会いました
2018/12/03

朝からの雨で、境内の公孫樹も《濡れ落ち葉》になって掃き取れません。仕方がないので、しばらくこのままにしておきます。早朝の天気予報(ラジオ)では、今週末は冷え込むとのこと。時間があれば今日のうちに除雪機の準備とタイヤ交換をしておこうと思っていますが、その時間が取れるかどうかが問題です。
ところで、昨日は久し振りに吉岡の温泉に行きましたが、そこでバッタリと同級生に会いました。彼は高3年の時の同級生で今でも賀状のやりとりはしていますが、顔を合わせたのは1年ぶりです。浴室内で「今日はいやに年配の人が多いなぁ」と思っていましたが、彼の言では「町内の寄り合いがあって、その後で皆で温泉(地元のため)に来た」のだそうです。しかし、彼と同級ということは、私も周りの人から見れば《年配》の1人ということなのですよね。改めてそう考えてみると、3年ほど前に京都の市バス内で席を譲られた時のショックが悪夢のように蘇ることです。鏡を見なければ「まだ若い」と思っている自分ですが、結局「知らぬは吾が身なりけり」だったのかも・・・。


「落ち葉」は何のイメージですか
2018/12/02
昨日は坊守と2人で境内の落ち葉を掃き取りましたが、今朝はまた銀杏の落ち葉が山になっています。樹が裸になるまでこの繰り返しでしょうし、おまけに街路樹からも降り注いでいますので、これではゴミ袋がいくらあっても足りません。しかし、「厳しい夏が終わって冬が近づけば、大自然の生命も次のものに受け継がれる」という行為は樹木にも当てはまるのであり、落ち葉という姿は自然の摂理そのものです。
けれども世界にはいろいろの考え方があり、たとえば、《秋》に対する考え方もアメリカとイギリスとでは違います。学校で学ぶ「秋」の英語表記は一般的に”autumn”ですが、実は”fall”とも言います。この”fall”という言い方については学校で教えないし、たとえ教えても「秋は"fall"とも言います」程度でしょう。けれども、この2つには決定的な違いがあるのであり、”autumn”が「収穫期」を示すのに対して”fall”は「落ち葉」そのものなのです。つまり、イギリスでは秋は《命の恵み》につながる収穫の時期であり、アメリカでは《死》のイメージそのものだと言っても過言ではないでしょう。では、現代の日本人にとって落ち葉のイメージは・・・?(それが《濡れ落ち葉》では悲しいので、今日の写真はあでやかな菊の花にしました)

鯨の大量死は不安な未来の暗示?
2018/12/01
ニュージーランドで鯨が大量に死んだというニュースがありました。100頭以上のザトウクジラで、浜に打ち上げられたのが原因だそうですが、その根底には海水温の上昇があるそうです。トランプ氏は「地球温暖化はフェイクだ」と主張しましたが、現に今夏の群馬では気温が41度を記録しましたし、鳥取でも40度近くになった日もありました。それほど遠くない未来には北極の永久凍土もなくなるだろうと言われている危機的状況を示す鯨の大量死ですが、このことからある映画が思い出されます。それは『スタートレックⅣ~故郷への長い道~』ですが、21世紀に絶滅したザトウクジラを20世紀にタイムトラップして救いだそうとするものです。勿論それまでの作品と同様にエンタープライズ号とグリゴン号との戦いも描かれていますが、この中でのポイントは「21世紀には鯨が絶滅している」ということです。21世紀のまっただ中の今、この映画が何か地球の暗い未来を暗示しているように思われます。ただ、それが「暗い将来」にならなければいいのですが・・・。
平成最後の《師走》です。向拝では猫がのんびりしていますが、はたして今年は雪が積もるのでしょうかねぇ。

11月
秋篠宮様の私見を読んで
2018/11/30
男鹿のナマハゲや甑島のトシドンなど、8県10件の行事で構成する《来訪神 仮面・仮装の神々》がユネスコによって無形文化遺産に登録されることが決まりました。ユネスコの政府間委員会は「家族の絆を強め、子どもが地域の伝統に敬意を深める役割を果たしている」と説いていますが、今後の問題は若者の減少による《継承者》の存在でしょう。
ところで、このよう伝統行事が世界的に認められることは素晴らしいことですが、一方では政府が頑なに守っている大嘗祭(旧・新嘗祭)の立ち位置。次期には皇位継承順1位になられる秋篠宮様による「『大嘗祭は皇室行事であり、国費ではなく内廷費で賄うべき』との意見を、宮内庁は話を聞く耳を持たなかった」との報道がトップになっています。秋篠宮様は《私論》として述べておられますが、「出来る範囲で身の丈にあった儀式が本来の姿にすべき」という考えは前回から持っておられたということです。その是非は別としても、今上天皇も生涯を掛けて愛し続ける人として民間から美智子様を迎えられ、「子どもの養育は母としての役目」との言葉なども尊重されてともに歩んでこられお2人だからこそ「我々の葬儀は質素に。そして、荼毘に付して2人を同じ場所に埋葬を」と述べられたのでしょう。確かに「皇室関係者は国事行為に対して発言できない」となっているし宮内庁内でも議論噴出しているようですが、誰にでも私見を述べる権利はあるし、天皇も皇太子も継承行事の費用に対して「質素に」と述べておられる以上、その意見に対して頭からはねつけるのではなくて耳を傾ける柔軟性が求められるのではないでしょうか。

掲示板も寺報も少しずつ進んでいます
2018/11/29
11月も残り2日。昨日やっと掲示板の言葉を書き終え、後は貼り付けるだけにしました。そして、次は寺報189号(年末号)の準備です。書きたいことは頭の中に何となくあるのですが、書き出してみると導入が長くなってなかなか本論に入りません。ページ数が決まっているので何度も文面を推敲しなければならないから大変ですが、それもまた楽しい(?)作業です。我が子が誕生した年に始めた寺報も、年間5回(父の看護で発行が少なかった年もあった)の発行で、今回が189号。来年5月には元号も変わりますが、次は4月に発行予定ですので、新元号に変わる時に191号になります。途中からとはいえ、寺報が「1」から始るのもいいものですね。
ところで、目の前の窓辺には蔓ものの鉢植えがぶら下がっています。今まで建物の陰になっていて暗かった室内も解体後は太陽光が入って明るくなっていますので、鉢植えもホッとしているようです。逆光でまともに写りませんが・・・。そう言えば、別の場所に置いているシンピジュウムも根元から花芽らしきものをが顔を出しています。暖冬の影響かそれとも陽光のせいか分かりませんが、どちらにしても数日後が楽しみです。

掲示板の言葉に悩んでいます
2018/11/28
《西向く侍》ですから、今月は30日まで。つまり、11月も残り3日というわけです。そろそろ12月の掲示板標語を書かなければならないのですが、なかなかいい言葉が思いつきません。案はあるのですが「今ひとつ・・・」というところです。当寺の前は車の通行もそこそこあるため、「パッと見ただけで大体読み取れる程度」との考えから、せいぜい5~7行でしかも字数もそんなに多くないようにしています。親鸞聖人は「経典の内容が誰にでも分かるように」との思いから、今様のように節を付けて口ずさめるように和讃を作られましたが、当寺の掲示板も(そこまではないにしても)同じような思いをもって書くようにしています。もっとも、口で言うのは簡単でもいざ書くとなると難しいのですが・・・。いつもフッと思いついた言葉をノートに書き残しておくようにしていますが、次々と思い浮かぶ時もあればなかなか浮かばない時もあったりですし、後から見直してもなかなか得心のいかないものが多い掲示板の言葉。今日1日も次の掲示板の言葉に悩みそうです。
本堂の前では、君子蘭と《金のなる木》の鉢が一時の暖かさにのんびりとしています。そろそろ室内に引っ越しする時期ですね。

20年前のドラマに泣かせられました
2018/11/27
最近の報道には凄惨なものが多く、中でもそれが子どもならば一層辛く悲しい気持ちになります。しかし、自分の親の遺体を鋸で切り刻んで捨てたという過日の事件に続いて今回は認知症の父親を高速SAに置いてきぼりにしたというものには、「親子の愛情もここまで来たか」という、暗澹たる気分にさせされます。
その中で、昨日は偶然に某テレビ局の番組で、癌に罹って死を迎えた妻と残される3人の子どもを持つ医者と、《告知》の是非を巡る家族及びその周りにいる者達の心情を描いたドラマを見ました。20年程前の作品でしたが、最後に出たテロップでは「事実に基づいたドラマ」だとありました。20年前はまだ「癌は死の病」であり、「告知をすると生きる意欲を失うから、絶対にすべきではない」という時代に、「死を迎えたときに『何もしてやれなかった』という後悔だけは持たせたくない」という気持ちで妻や子に告げた夫(父)としての姿と「妻を死なせた癌の正体を暴いてやりたい」という医者としての姿、そして、「僕は医者になる。そして、僕もそれを受け継いでいく」と言った小学生の長男の言葉等を聞いたときには、思わず涙が出ました。夫婦、親子、兄弟、家族・・・。それぞれに形は違っても、人と人とのつながりで成り立っていることに変わりはありません。しかし、それが稀薄になりつつある現在の社会に対して《本当に見てほしいドラマ》と言える番組でした。

貴景勝の優勝の蔭にあるもの
2018/11/26
昨日は青谷の同派寺院で連研がありましたが、午後からのご法事に間に合うように途中から帰寺しました。テーマが「悪人正機」という3本柱の一つでしたので最後まで聞きたかったのですが、ご法事もみ仏とご先祖に遇わせていただく大切なご縁ですので仕方がありません。しかし、片道40分ですから、早く鳥取道が完成してほしいものです。
ところで、元貴乃花部屋の貴景勝が優勝しました。部屋が変わって1ケ月ですからさぞかし心身ともに大変だったとは思いますが、「練習がすべて」との教えもあって頑張った結果です。しかも「勝って奢らず」との教え通りに「次こそが大切です」と言い切っているのですから、そのしこ名にもなっている上杉景勝も喜んでいることでしょう。ただ問題は、活躍した選手をメディアが追いかけ回して練習の機会を奪うために次の試合で実力が発揮できないことです。貴景勝も同様のことが起きるでしょうが、これには部屋の親方がしっかりと管理すべきことです。どこかの国会議員のように「自分が《勝たせてやった》」というような態度だけはくれぐれもしないてほしいものですね。
なお、このような人物に対して『千両役者』という言葉もありますので、今日の写真は《千両》の植木にしました。

車社会と雪との戦いが始まります
2018/11/25
10年近く前に購入していた土地に残っていた建物をついに撤去し、いよいよ整地に入ります。これで向かい合わせに2つの駐車場が出来ることになり、ご門徒には安心してお参りしていただけることになります。
今は車社会ですから、何処に行くにも何かをするにも車が必要になります。もっとも、車社会の鳥取にも一つ欠点があります。それは、雪が積もったときに歩道の除雪がされないので、人が車道にはみ出てしまうことです。以前にも市に遊歩道の除雪を依頼したことがありましたが、「人出も予算もない」と断られたことがありました。当寺の前には広い遊歩道がありますが、着工前に町内会に説明があった時「そんなに広いスペースは必要ない」との意見が出ていたのに、市側は「決まったことだから」と無視したことがありました。今でも除雪はされないし、結果として歩行者は狭い車道を歩かざるをえません。昨年の大雪の時には歩行者が雪の山を踏み越えて横断歩道まで出たこともありましたし、ここまで来ると、もう「雪との戦い」です。確かに予算も大切でしょうが、「先を見た計画」の重要性を考えほしかったと、今でも残念に思っていることです。

報恩講会も無事にお勤め出来ました
2018/11/24
2日間の報恩講会も無事にお勤めし、いよいよ年末まで残り1ケ月となります。今回のご講師では「報恩講」をお勤めする意味とともに、「『正信偈』の中に何回《唯》という字が出てくるか」ということから聖人のお心を偲ばせていただいたり、今は亡き母上様の思い出から《親心》というものの深さを語っていただくなど、雨天の中にご聴聞においでいただいた方々にとっても意義ある2日間となりました。ご講師には4年後の永代経会にも快諾いただいております。7月の永代経会と11月の報恩講会ともに2日間、しかもそれぞれ昼1席のみというお話ですが、そのような機会に遇わせていただけることをありがたく思いおります。本当でしたら本山の御正忌にもお参りして《通夜法話》を聞きたいのですが、なかなか日程が取れないのが残念です。
1日毎に寒さも深まっていますが、それとともに夏みかんも色づいていきます。あと3ケ月ほどしたら収穫できると思っています。(もっとも、私は酸味がダメなので食べたことがありません)

報恩講の最後には「いとこ煮」が出ます
2018/11/23
昨日はお斎に使う材料の購入に行く坊守と出かけました。いくら店が近いからと言ってもそれなりの重さですので車が必要なのですが、これで免許を返納したらどうなるのか不安です。午後からの報恩講会では(今までストーブ1台の暖房でよかった)さすがに冷えが厳しくて2台にしました。おそらく昨日の雨が原因だとは思いますが、今日は昨日以上に気温が低く感じられます。しかし、その寒さの中でもお参りしてご聴聞してくださったのですから、本当に有り難いことです。今回のご講師は呉市の方ですが、車でおいでになられました。やはり《若い》ということでしょうが、法話は年齢には関係なく聴聞しておられる方々の心に響くものでした。ご講師には4年後にもまたご聴聞の機会をいただけることを快諾していただきましたので、4年後が楽しみです。
今日は最後に婦人会手作りのお斎をいただきます。報恩講ですから《お精進》ですが、今は亡き母が実家から持って来た「いとこ煮」がメーンになります。小豆が甘く、私の大好物の一品です。
(裏庭の白玉椿が満開になっています)

表だけを取り上げて本質に迫らない社会?
2018/11/22

世間ではセクハラとかパワハラという言葉が出回っていて、ちょっとしたことでも「セクハラだ」と騒動になります。たとえば男が女性に「きれいだね」と言えばセクハラですが、女性が男に向かって「イケメンですね」と言ってもセクハラにならないどころか、メディアでも盛んに使われています。学校では《父兄》という言葉は差別に当るとして《保護者》になっていますし、病院でも《看護婦》が同様に《看護師》になっていますし、保育園でも《保母》と《保父》を併せて《保育士》となっています。これらは「性による区別をしない」ことが根底にありますが、よく考えると矛盾だらけです。確かに《師》は「特別な知識や技術を有して指導する者」ですから《看護師》は正しい使い方でしょうが、《士》は《武士》であって男を表わしていますので、《保育士》は以前の《保父》と同じことになります。管轄が厚労省と文科省の違いはあっても、《師》と《士》との違いについては何の関係もありません。このような厳然とした矛盾にまったく疑問を持たない中央官省の姿は、《イケメン》をセクハラと考えないで使い放題にしているメディアと同じではないでしょうか。昨日も「小池知事にメーテル仮装をした意図を聞きたい」と書きましたが、人を指導する立場の者はトマトの皮のような薄っぺらな部分だけを取り上げるのではなく、物事の本質を追究する意識を持ってほしいものです。


《想像》力が新しい世界を《創造》する
2018/11/21
ご門徒から頼まれている『門信徒手帳』を今年も注文しましたが、一緒に頼んでいた本(『日本史のなかの親鸞聖人』)も来ましたので、報恩講会の後でゆっくりと読むつもりです。
ところで、昨日の写真は当寺前の遊歩道に植えられているイタヤモミジ(?)です。薄緑の中に真っ赤になった枝が1本垂れ下がっていましたのですぐに写真に撮ったものですが、たった1枝でも目を引くのですから、この赤が山全体に広がって燃えるような情景はさぞかし素晴らしいことでしょう。「千利休の庭の朝顔が素晴らしい」と聞いた秀吉が「是非見たいものだ」と言って訪れたとき、利休は花をすべて切り取りました。当然に激高した秀吉ですが、茶室に活けてあった1輪の朝顔に唸ったという話があります。これも今の紅葉と同じで、1枝の美しさから燃え上がるように真っ赤になった山全体の見事さを《想像》できるのも人間だけが持つ能力でしょう。「《想像》力が新しい世界を《創造》する」とは本当に素晴らしいことですが、残念ながら、嘘か本当か分からないSNSの内容を盲信する人が増えているのも事実です。平井知事の言に対して小池知事が非難し、それに対してまたツィッター等で周りがあれこれ言っていますが、まず《メーテル》を選んだ理由を小池知事に聞いてからにしてはどうでしょうかねぇ。

人間の欲には限りがない
2018/11/20
昨夜の8時半頃に入ってきたテロップ以来、メディアの矛先はカルロス・ゴーン氏のことばかり。日産自動車はかつてはニッサンと標記し、ラリー車ではトップクラスのスカイラインを開発したプリンスを合併していすずやトヨタに続く巨大企業になりながら、時流に乗れないで一時は凋落の一途をたどりました。ゴーン氏はそれを見事に立て直しただけでなくルノーや三菱も傘下に収めた《カリスマ》の起業家であり、役員報酬も10億円を超えることでも話題になった人物です。しかし、釈尊や孔子が「人間の欲には限りがない」と述べていたように、彼も欲望の虜になったのでしょうか。50億を超える役員報酬の過少申告のみならず、東京を初めとして世界4ヶ国に家を持ち、しかもそれに会社の資本を流用しているというのですから、「何をか言わんや」です。
函館の降雪は昨年より20日以上も遅く昨日だったそうですが、これは明治時代にあった128年前の記録と同じとか・・・。今年は気象も異常続きでしたし、8%か10%かの線引きもハッキリしないまま始まる消費増税も控えている今、残り1ケ月が無事に過ごせるか心中は不安ばかりです。

裏方の存在が大きい世の中です
2018/11/19
今朝は朝からどんよりとした空模様になっています。鳥取の気温は「例年並み」だそうですが、積雪のない北海道は128年振りだそうです。暖冬予報が出ている今冬ですが、新聞の『手鏡』ではカメムシが大量に発生している所もあるようです。「カメムシが多い年は豪雪」との言い伝えもあり、科学に頼ってばかりの現代人にとって気象だけは昔の人には手も足も出ません。
ところで、昨日のこの欄に今週は多忙だと書きましたが、もう一つ大切な仕事を忘れていました。今週末は連続研修がありますので、会所に参加者数の連絡(弁当の注文数に関係)したり、必要経費を銀行から引き出す必要があります。なにしろ木・金は報恩講会で動けませんし、水曜日は前日のためにバタバタしていますから、今日明日中に下ろさないと事務局としても動きが取れなくなります。もっとも、こんなことは事務局として当然のことかもしれませんが、講義担当の住職や会所になっている寺院の坊守やご門徒も何かと仕事がありますし、やはり「この世は《裏方》によって成り立っている」ことを実感することです。
(街中では既に公孫樹が散り積もっていますよ)

報恩講会の準備で多忙です
2018/11/18
今週は当寺の報恩講会があります。前住職の時には市内寺院5ヶ寺が連続して同じ講師にお願いしていましたので別のお寺のご門徒が聞きに来られることもありましたし、我々もお互いに《勤め合い》をしていました。しかし、10日間(5ヶ寺×2日間)ということは土日にならないお寺も当然にありましたし、私自身も兼務していたのですべてに出勤することも出来ませんでした。また「平日はご門徒のお参りが難しい」等の意見もあり、結局それぞれが「自分の寺は別の日にする」ということになって、今では各寺院が都合のいいときに勤められています。もっとも、当寺では総代会で「長年続けてきた日のままでいく」と決まりましたので、永代経会(7月7~8日)も報恩講会(11月22~23日)も曜日に関係なく昔通りの日程で勤めていますが・・・。
先日は花瓶の真に使うヒバの枝を注文してきましたが、火曜日に生け込みをし、水曜日には山門等に幕を懸けたり、打敷やお供えをしなければなりません。坊守はお斎(最終日)の準備もありますし、お互いに走り回る3日間になりそうです。

1㎏の定義が変わります
2018/11/17
今まで何の疑問のなく使っていた《㎏》の定義が130年振りに変わるそうです。今まではパリ近郊の国際度量衡局内に保管されていた白金とイリジウムの合金が基でしたが、「形あるものはいつかはなくなる」の言葉通りにわずかではあっても変化するとのことで、「今後は光子エネルギーと振動数の比例関係を表わす比例定数(プランク定数)を基に軽量する」とのこと。しかし、高校時代に物理を習ったとは言え、何のことかサッパリ分かりません。でも、この量子物理学で使われるプランク定数の単位には記憶があります。映画『Back to The Future ①』の中でタイムマシンを作動させるのに必要なエネルギーが「ジュール」で表わされていましたが、このジュールこそがその単位だったのです。映画を観た時に「ジュールって何?」とは思いながら今まですっかり忘れていましたが、今日のニュースでハッと思い出しました。
しかし、今まで当然のように使っていた言葉も、考えて見ればちゃんとした意味があるのですよね。教員時代には年末になるといつも生徒達に「大晦日」の意味から始まって「午前・午後・正午」の意味等を教えていましたが、自分にも当然のように思い込んで疑問にも感じていなかったものがあることに思い知らされたことです。
(昨日は山茶花でしたが、今日の写真は白玉椿です)

身近かだからこそ気づかない
2018/11/16
市内の同派寺院(組長)のHPには「『ふるさと』は鳥取の歌」と載っていましたが、私も県外の方が来られたときなどに「兎を追った山は向こうに見える山ですし、『小鮒釣りしかの川』はこの前の川ですよ」と話します。そうすると、大抵の方は驚かれますが・・・。実際に下流の智頭橋(今は「きなんせ橋」と呼ぶ)には兎を抱いた女の子と釣り竿を持った男の子の像が立っていますが、案外気の付いていない人が多いようです。八千代橋では「どうして橋の欄干に兎の絵が描いてあるの?」と疑問に思う人もあるようですが、もともと大黒様に助けられた兎の話『因幡の白ウサギ』は鳥取の白兎海岸のことですから、すぐに分かるものだと思っていました。私も2年間京都で学生生活を送りましたが、「いつでも行ける」と思って観光地に行くこともなく帰郷しました。京都市内を流れる疎水が《高瀬川》のはずですが、京都の人達は「あぁ、そうですか」という程度の反応でしたし・・・。
案外「身近なことだからこそ、気づかない」のかもしれません。そして、その好例が家族間の触れ合いかもしれませんよ。

弱者を守ってこその法律では?
2018/11/15
ここ1週間の多忙に加えて気温の関係か、治まっていた座骨神経痛がぶり返しました。正座での読経は少しでも正中線がずれると腰に来ますし、何よりも辛いのは運転です。どうも身体と年齢とは関係があるようですね。
ところで、ヒルトン福岡で「経済制裁対象国の政府関係者だという理由で、駐日キューバ大使の宿泊を断った」と新聞に載っていました。ホテル側は「米国企業として米国の法を遵守した」と言っていますがホテル自体は日本国内にあるのであり、しかも彼らはSB球団にいる自国の選手の応援に来ただけで政治活動でも何でもありません。この「米国企業だから米国の法を遵守」という態度こそ《米国至上主義》そのものであり、「どの国においても米国の法が先んずる」とする態度に対して日本政府の取る態度が注目されます。現在国会で取り上げられている《外国人就労》問題の裏に隠されている「日本で働きたいのなら・・・」という事業者の傲慢な意識とも重なっているように感じますから。
寒さが強まると、逆に山茶花が美しく咲いてきます。今日の山茶花はピンクの単衣です。

新人賞、おめでとう
2018/11/14
今日の『独り言』を書き終わって次に移ろうとしたとたん、どこをどう間違えたのか文章がすべて消えました。最近はこんなことが時々起きますので、要注意です。
ところで、大谷選手が大リーグの新人賞に選ばれました。日本人選手としては野茂選手、大魔神・佐々木選手そしてイチロー選手に続いて4人目ですが、同僚によれば「同じシャツを数日着ていることもある」とか・・・。私生活も今は野球一筋のために他に関心が無いのでしょうが、スポーツ界にも醜聞が続いた今年だからこそ大谷選手のこの姿に多くのファンが心を奪われています。今年もドラフトで多くの若者達が選ばれましたが、その感動を忘れてしまうのか、数年後には姿を消す者もいます。彼らだけでなく国会議員も八頭町会議員も結局は同じでしょうが、「自分は選ばれた特別な人間だ」という傲慢な思いが根底にあるからでしょう。しかし、選ばれたのは《特別な人間》だからではなくて《我々の代表》としてであり、《我々の夢を託している》からです。大谷選手も、いつまでも子ども達の夢であり理想であることを忘れないでほしいものです。

単発でなく一括して思い浮かんだら・・・
2018/11/13
教員時代に『とっとりの民話』という本を購入していました。その中は殆どが佐治谷話でしたし、定時制勤務の時には佐治の奥のたんぽり荘に宿泊研修に行って川原で拾った小石を重し代わりにしていたりして佐治にはいろいろな思い出がありますが、今朝の『海潮音』にはその佐治が《5しの里》として載っていました。「(佐治谷)話、(佐治)石、星、梨、和紙」の5つの「し」ですが、筆者から「今度はそれに《漆》を加えて《6しの里》にしてほしい」との希望が書かれていました。しかし、これらがそれぞれ佐治の特産(「話」は特産とは言いませんが・・・)であることは以前から知っていましたが、単に単独で知っているだけでしたから、まとめられることで今更ながら佐治という地を思い直した次第です。
そして、これと同様に、《鳥取》の第一印象として「砂丘」「二十世紀梨」「松葉蟹」の他に今では「コナン」「鬼太郎」等のアニメが加わり、現在はスタバ珈琲から派生した「すなば珈琲」も観光客には知られているようですが、それらが単独で知られているだけでなく、《鳥取》の印象としてこれらがすぐに思い浮かぶようになったら、もう島根と逆になることもないかもしれませんね。

火の元には気を付けましょう
2018/11/12
今朝は生暖かくて「これで霜月か?」と思っていると、西の方から消防車のサイレンが聞えてきました。音はしばらく続いたので数台が走って行ったのでしょうが、他人事とは思えません。確かに最近は殆どのお宅が電気ローソクのお仏壇になっていますし、当寺でも両脇にはLED電球を使っています。しかし、さすがに本尊前では普通のローソクを使用していますが、ご法事が済んだらすぐに消火するようにしています。《火の気》ほど恐い物はありませんからね。これからはどこでもストーブが使われますが、一番恐いのは火が点いているのに灯油をつぎ足すことです。教員時代には防火訓練の中で消火器の使用説明も受けましたが、いきなり「消火してください」と言われると、殆どの生徒が炎の真ん中に消化剤を撒きます。でも、これでは火は消えません。「最初は周りから、それから中に向かって」と注意されますが、その時には消火器の中身がカラになっていたり・・・。
いくら《暖冬の予想》だといってもやはり冬は冬。火の元には充分過ぎる程に気を付けたいものです。(でも、ここ1ケ月は灯油が異常に高く、例年の20~30%増ですよ)

単発でなく一括して思い浮かんだら・・・
2018/11/13
教員時代に『とっとりの民話』という本を購入していました。その中は殆どが佐治谷話でしたし、定時制勤務の時には佐治の奥のたんぽり荘に宿泊研修に行って川原で拾った小石を重し代わりにしていたりして佐治にはいろいろな思い出がありますが、今朝の『海潮音』にはその佐治が《5しの里》として載っていました。「(佐治谷)話、(佐治)石、星、梨、和紙」の5つの「し」ですが、筆者から「今度はそれに《漆》を加えて《6しの里》にしてほしい」との希望が書かれていました。しかし、これらがそれぞれ佐治の特産(「話」は特産とは言いませんが・・・)であることは以前から知っていましたが、単に単独で知っているだけでしたから、まとめられることで今更ながら佐治という地を思い直した次第です。
そして、これと同様に、《鳥取》の第一印象として「砂丘」「二十世紀梨」「松葉蟹」の他に今では「コナン」「鬼太郎」等のアニメが加わり、現在はスタバ珈琲から派生した「すなば珈琲」も観光客には知られているようですが、それらが単独で知られているだけでなく、《鳥取》の印象としてこれらがすぐに思い浮かぶようになったら、もう島根と逆になることもないかもしれませんね。

大切な方の思い出を話しました
2018/11/11
昨日のお通夜で、仏となられた方の思い出を話しました。鳥取三洋創立から最後まで会社一筋であり、同期の人たちには《戦友》そのものであったこと。そして、当寺との関係やその中で総代・責任役員になっていただいたことなども交えながら、短時間ではありましたが仏に対して感謝と「これからも支え続けてください」との言葉を添えて法話とさせていただきました。
昨日の清掃奉仕に多くのご門徒に来ていただき、剪定された枝や掃き集められた落ち葉も焼却場に持って行くことも含めて午前中にはきれいになりましたが、この奉仕作業にも毎年参加していただいて仏具を磨いてくださった姿、いろいろなお寺の行事やさまざまな研修会に参加されるだけでなく本山の中央研修会にも行かれて《門徒推進員》にもなられましたが、決して力で人を引っ張っていくのではなく、ただ静かに一所懸命に励まれる姿。どれもこれも懐かしい姿ですが、これからは仏として私たちを見守り支えていってくださることを願うのみです。

当寺にとっても大切なご門徒のお一人でした
2018/11/10

「この世に100%というものはただ一つ。それは《誰でも死ぬ》ことである」とはよく知られた言葉ですが、今日はあの世界的名優・高倉健氏の命日です。やくざ映画から始まって『幸せの黄色いリボン』『ぽっぽ屋』などどれもこれも記憶に残る名作であり、いつまでも人の心に訴えかけていくことでしょう。
ところで、当寺にとって大切なご門徒の一人であった方が、昨日往生されました。総代としてまた責任役員として長年当寺の護持発展に尽くしてくださり、昨年は本山から褒賞を受けたり念仏奉仕団の10回参加で表彰も受けられましたが、突然の悪化とはいえ、残念なことです。当寺のカレンダーの挿絵(昨年と今年のもの)は、この方の絵手紙を貸していただいたものです。来年の分はご病気であったことから私が描きましたが、もうこの方の絵手紙展示が見られないと思うと寂しいことです。お通夜と葬儀は本人のご希望もあって本堂でさせていただくことになっていますが、今日は午前中に仏具磨きと境内及び庫裡の清掃活動がありますので、ご遺体の安置は夕方になります。ご遺族には心より哀悼の意を表します。
「南無阿弥陀仏」


「包む」とは相手を胸に抱きしめて護る姿
2018/11/09
今日11月9日は「119番の日」ですが、実は「110番の日」というものもあります。1月10日がそうですが、どうして「119番の日」が1月19日ではなくて11月9日なのでしょうね。ところで、平成元年の今日は東西分断したあのベルリンの壁が崩壊した日でもあります。壁の上でハンマーを振り下ろしている場面を今でも覚えていますが、ある日突然に建設された壁のために別れ別れになった家族や愛する人に会うため、その境界線を越えようとして命を落とした人も数多くいました。去年放映されたトム・ハンクス主演の映画でも同じような場面がありましたが、この国境問題は現在でも世界のあちこちで存在しています。近くでは朝鮮半島の南北境界線やメキシコからの移民に対して国境の壁を作っている米国がありますが、周りを海に囲まれて《国境》を持たない日本では、ほんの1m先にいる家族とも抱き合えない人々の悲しみは想像さえ出来ないものです。
本来「抱く」という字は「腕を回して相手を包み込む」意味であり、愛しい我が子を胸に包み込んで護ろうとする親の姿を表わしています。そして、それは煩悩の塊であり自己中心でもある私たち人間をもしっかりと我が胸に包み込んで護ってくださる阿弥陀如来の姿でもあります。妙好人として知られた源左さんの父親は死の床で我が子に向かって「親様に任せよ」と言ったそうですが、その「親様」こそが阿弥陀如来なのです。「119番の日」の今日、自分が何に護られて無事にここにあるのかを考えてみませんか。

年に一度の清掃作業です
2018/11/08
今週の土曜日は、報恩講会を前にしての仏具のお磨きと境内・庫裡の清掃作業があります。前坊守の時には婦人会の方々に無理を言ってお磨きだけ願んでいたようですが、私の代になってからはご門徒にお願いして清掃作業もしていただいています。なにしろ、いくら寺院としては狭い境内だとしても2人(住職と坊守)では手に負えません。ですから、毎年のこととは言え、ありがたいことです。もっとも、仏具と言っても輪燈と仏器(お仏飯の器)だけですからそれほど多い数ではありませんが、真鍮磨きで汚れを落とした後に水洗いして分解したものを元通りに組み立てるのですから、部品が一つでもなくなると大変です。何年もしている作業であっても組み立てにはいつも神経を使いますが、それでもお手伝いしてくださる方々には本当に《感謝感謝》です。
お磨き作業は本堂内ですので、畳を上げてシート(真鍮磨きは水と混ぜるため)を敷く必要がありますし、そのためには事前に参詣者用の椅子や絨毯を取り除いておく作業もあります。また物置に仕舞っている数々の道具類も出して準備しますが、一番心配なのは天候です。雨の中では境内の清掃が出来ませんし、なにしろ「~~心と秋の空」ですから、心配は尽きません。(おっと、暦的には「冬」でしたっけ・・・)

鳥取にも素晴らしい紅葉が・・・
2018/11/07

今日は立冬です。土手の桜並木では、数日前から赤褐色を帯びた落ち葉があちこちで歩道を埋めています。当寺の境内でもミズキやニシキギの紅葉が半分ほど散っていますが、不思議なことに本堂前の公孫樹はやっと色づき始めたところです。早速に今朝早く紅葉の桜並木を撮してきましたが、花見橋の朱色と重なって見事に映えています。今日のコラム『海潮音』にも筆者の体験談と感想が述べられていましたが、薄ピンクの桜花から青葉若葉へ、そして赤褐色の紅葉の後には雪をかぶった桜並木の下を散策する姿はさながら銀閣寺まで続く《哲学の道》を歩く学生を彷彿とさせ、つくづくと四季の移り変わりに心奪われるように感じられることです。桜葉の掃除には少なからず疲れますが、境内では今はまだ公孫樹が散らないのが幸いです。「小さき鳥の~」と詠った与謝野晶子には悪いですがね。
今月もいろいろな風景を写真に撮ってこの欄に載せていますが、今日は今朝撮ったばかりの桜並木の紅葉にしました。京都の嵐山や広島の帝釈峡も素晴らしいでしょうが、地元にも素晴らしい風景があるのです。


駐車場の整地にかかります
2018/11/06
昨日はカレンダーの製本作業に7人ほどご門徒が来てくださいました。既に綴じてあるので紐を付けてから製本テープを貼るだけですが、今回は何故か紐の本数が足りなくなって追加注文です。結局不足分だけは後で製本することにしましたが、さすがに人数ですね。1時間足らずで終わりました。この当寺のカレンダーには決定している年間行事予定が印刷してあるので、それを見て動かれる方もあるようです。
ところで、既存の建物の解体・撤去が済んだので、いよいよ第2駐車場の整地に取りかかります。土地のならしやコンクリ敷き等まだまだ仕事も多くて完成までには今しばらく時間がかかりますが、これが終われば第1駐車場と道路を隔てて第2駐車場(合計15台前後の駐車が可能)が使用可能になりますので、当寺においでになったご門徒も便利になることでしょう。「お寺はご門徒があってこそのお寺」という前坊守(坊母)の言葉を形にした二つの駐車場ですので、私としても完成が待ち遠しいことです。

検証・確認を怠るメディア
2018/11/05
朝の仕事の『独り言』を聞く前にいつもニュースを確認していますが、今朝のGoogleニュースの標題で「あれ?」と思うものがありました。スポーツ欄に「最速の契約 板尾」とあり、「板尾って昔いた選手だろう?どうして今頃?」と思って内容を読むと、大阪桐蔭の根尾選手でした。扁は正しくても旁が間違っているので別の人物になってなってしまったわけですが、人名の違いは大きな問題です。まったく別人を指すのですから・・・。そう言えば、農協が出版している『光の家』では鳥取県の紹介記事なのに地図では島根県を指していました。島根と鳥取とはよく間違えられるので鳥取県知事も「まぁ、慣れてますから」と寛大(県知事は「スタバはないが、鳥取には日本一のスナバがある」と自虐的表現でも有名)でしたが、知事の《スナバ》言から逆に《スナバ珈琲》が有名になって観光客の目的地にもなったように、今回の島根・鳥取逆転印刷も地図上の位置に対する関心を呼ぶ材料にはなりました。しかし、人名の間違いはこんな《笑い話》ですむものではありません。最近のメディアはしっかりとした検証と確認をしないまま報道することが多いようですが、時にはその人の人生を左右することもあり得ます。十二分に検証・確認をしてほしいものです。

常に《報恩感謝》を忘れずに・・・
2018/11/04
「門徒はお寺があっての門徒であり、お寺は門徒があってこそお寺である」というのは、今は亡き前坊守が常に口にしていた言葉です。《人間》という言葉自体もともと仏教から生まれたものであって、その字の如く「人の間」つまり「多くの者に護られ支えられて存在する私」という意味を持っていますから、人間もお寺もご門徒も互いに支え支えられあって初めて存在できるのであり、「そのことを忘れず、常に感謝の心を忘れないように」と前坊守は言いたかったのでしょう。特に当寺は(いつも言っていますが)昭和18年の大震災で倒壊し、やっと再建できた直後の昭和27年には大火災で全焼。そして、その時の区画整理で墓地の殆どが強制移転に遇って境内もそれまでの1/10になったという実情の中、それでもお寺を支えてくださったご門徒方があってこそ前住職も前坊守も寺院の再々復興に尽力できたという厳しい経験から出た言葉ですから、当時はまだ子どもであった私の心にも強く刻みつけられました。そして、2人亡き今もその言葉を胸に、常に現坊守と力を合わせて「おかげさま」の言葉とともにご法義の伝道に勤めさせいただいていますが、その思いで勤められることがありがたい、古稀の私です。

聞法会館の予約でいつも苦労します
2018/11/03
来年の念仏奉仕団体参拝の日程が決まりました。当寺では晨朝参拝の関係から聞法会館の宿泊が望ましいので毎回そこに予約するのですが、今回は希望していた10月がすべて満室状態。毎年、受付時間になったとたんに電話を入れるのですがいつもつながらず、それでも諦めないで繰り返しダイヤル(今はプッシュですか)して運良く他の電話が途切れた瞬間につながるのは、どんなに早くても30~40分以上経った後です。しかも、その時は大抵希望の日時が既に満室。なにしろ相手は1本の電話で応対しているのですからそれも仕方のないことでしょうが、「念仏奉仕団体参拝を勧めている以上は、もう少し何かいい方法を考えてほしい」と、毎年のように思う次第です。
ところで、昨日の午後に印刷を頼んでいた来年のカレンダーが届いたので、早速に表紙を含めて13枚を順番にしてホッチキスで綴じる作業に入りました。最後の紐を付けて製本テープを貼る作業は月曜にご門徒の助力を得て進めますので、完成は月曜日の夕方です。既に報恩講会の案内は各ご門徒に出していますので、10日(お磨きと清掃作業)まで少し余裕が持てそうです。

事務室が明るくなりました
2018/11/02
昨日はHPの『独り言』を書き終わってから事務室の配置を換えました。と言っても机上のモニター画面の位置とキーボードの位置を少し左に移動させただけですが、そのためにはPC関係の機械や配線の移動もしなければなりませんし、小物入れの置き場所も変わります。たった15㎝ずらしただけなのに室内は大騒動でした。しかし、小窓に置いていた小引き出しや辞書類を机上に移動させた(隣の建物もなくなった)せいで少し薄暗かった室内も明るくなり、逆に今度は遮光のためのカーテンが必要になったほどです。
配置換えが済んだ後は、午前中かけて寺報第188号と報恩講法座の案内を宅配を依頼しているご門徒宅(午後からは県外門徒の発送で郵便局)に配って回りましたし、今日は当寺が独自に作っている来年用のカレンダーが届くので、午後から表紙と12ケ月分を順にセットしてホッチキス止めをします。時間があればそれに紐懸けまでして、最後の製本作業はご門徒にお手伝いをお願いして5日にすることにしていますし、10日は仏具磨きと清掃作業もあります。私たち浄土真宗にとって最も大切な法座である報恩講会を迎えるために、当分は時間の余裕はなさそうです。

11月はどんな月になるのでしょうか
2018/11/01
時間の経つのは早いもので、「今年は入学式に葉桜か」と思っていたらすぐに猛暑の日々が続き、迷走台風の後は22号24号25号と連続して台風の襲来。幸いにして26号は日本上陸をしませんでしたが、猛暑と干ばつと豪雨による洪水・土砂崩れが続いた広島や大地震の起きた北海道など、日本各地で大変な被害が出ました。その中でも「我関せず」という態度で酒盛りをしていた国会議員の姿には腹立たしさを通り越し、ただただ《あきれる》だけでしたが・・・。
今年も余すところ11月と12月だけ。何かとお寺の行事も多い11月ですが、身体的にも注意力にも気を配って乗り越えたいものです。しかし、相変わらず10月も問題山積の月になりましたね。韓国側の最高裁判決やトランプ氏の強硬姿勢もそうですが、一転して足元を見ても八頭町議員のJR座席確保問題もありました。これは日頃から持っている「自分は議員だから」という優越感から生まれたものだと思いますが、国会議員も地方議員も最終的には《公僕》のはずなのですがねぇ。

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