9月
新潮社看板の落書き
2018/09/25
今年のお彼岸も今日と明日だけですが、さすがに昨日は中日の代休だったせいかお参りが続きました。しかし、中にはお参りのないお墓もあり、お年寄りの体調が心配です。
ところで、今日の新聞にも載っていますが、新潮社の看板に書かれた落書きには思わず目を引かれました。このことについては既に昨日から知っていましたが、さすがに《落書き》とあったので文字もそれなりのものだと思っていました。しかし、今朝の報道写真を見るとちゃんとした字体で書かれているので、最初から看板として書かれたものかと思ったほどです。もともと新潮社の看板には「新潮社 Yonda?」と書かれていますが、その「Yonda?」の上に「あのヘイト本」と書かれており、これはあの『新潮45』に対するものだということはすぐに分かりますが、この《落書き》に対しては「器物損壊だ」という意見とともに「今世紀最高の作品だ」と皮肉った肯定意見もあります。文化財に対する落書きは絶対にダメですが、世間はこの落書きにどんな判定を下すのか、ちょっと知りたい気分です。
(さすがに、その写真をここに載せるのは気がひけます)

また別の場所に根付いていましたよ
2018/09/24
今回の内閣人事で、以前金銭問題で辞任した甘利氏が党4役になるとか。新聞には《論功行賞》とありますが、まるで戦国時代そのものですね。しかし、国の方針を決める内閣の人事に「功のあるなしが重要ポイント」では《独裁政権》なのであり、そんなことで今後の国民の生活が決定されるのはどうもねぇ・・・。
それはそうとして、昨日本堂の裏に白の彼岸花を1株見つけました。ご門徒からいただいた株を植えた場所から少し離れた所であったことと、去年はまったく咲く様子もなかったことから「植え付けに失敗した」と思っていたのですが、今年になって1輪の花が開いていたのです。今朝の新聞には辺り一面真っ赤になるほど咲いている淀江の写真が載っています。さすがにここまでは遠慮しますが、境内の3ケ所に根を下ろした白の彼岸花も来年以降が楽しみになりました。
(今日の写真は、先日実施したサックス演奏です)

境内では秋の花が次々と・・・
2018/09/23
昨日は小雨の後の太陽が熱く感じられ、お墓参りの時は久し振りに「今日は暑いですね」という言葉が・・・。今日はお彼岸の中日ですから、「暑さ寒さも~」のとおりならこれから先は涼しく(寒く)なる一方でしょうが、22号よりも強烈な台風24号が発生したということですので、心配の種は尽きそうもありません。
ところで、昨日と一昨日は紅白の曼珠沙華(彼岸花)の写真を載せましたが、その側に咲いている金木犀の香りがしなくなったと思っていたら既に花が開ききっていました。漫画『美味しんぼ』では美味しいことを《口福》という言葉で表わしていますので、それをまねれば数日間の《香福》ということでしょうか。40年前に若い教員達と過ごした青空の下の金木犀が楽しい思い出として蘇りますが、それもまた来年までおあずけです。金木犀、曼珠沙華と続いて庭の片隅にひっそりと咲く薄紫の花。その側では、ジンジャーが蕾を少しずつ膨らませています。まだまだ楽しみは尽きそうもありませんね。

ゆうちょの《サービス》は《サービス》にあらず
2018/09/22
ゆうメールが今年の4月から値上がりし、それまでは62円だったものが一挙に92円になったので解約しましたが、それでも1通20円の値上げのために寺報の発送も毎回1万円近い出費となっています。しかも寺報は年間5回発行していますのでそれだけでも寺院会計には大打撃ですが、昨日やってきた「ゆうちょ商品・サービスに関するお知らせ」を見ると、送金サービスの料金改定が書かれていて振込みや自動払い戻しの手数料が大幅値上げになっています。中には現行30円のものが97円になる公共料金の自動払込みを含めて3倍に値上げされるものもいくつかあり、その他でもほとんどが50%の値上げです。たとえば0ご門徒から護持会費を納入していただく場合、手数料が130円から200円の値上げに加えて振込みのあったことを知らせる通知が新たに108円(今までは無料)かかるため、1000円でも実質は692円しか寺院会計には入らないことになります。結局、《サービスに関するお知らせ》と謳っていても中身は実は《サービス》ではなく、値上げの一方的な通知なのです。これで更に寺院会計が打撃を被ることになります。

白色の曼珠沙華がここにも!?
2018/09/21
昨日の朝、この欄に使用する境内の花の写真を撮っていたら見つけました!それまで白色の曼珠沙華は株を植え付けた銀杏の下だけと思っていましたが、山門横にも花が!ここに植え付けた記憶はないのですが、そこは《自然の不思議な力》と考えることにしましょう。と言うわけで、今日の写真はその曼珠沙華にしています。
ところで、昨日は自民党総裁選がありました。8割以上を取って「石破派にグウの音も出せないように」と地方議員への恫喝や反対派の国民を演説会場から閉め出したりしたにもかかわらず、予想以上に票を伸ばしたのは石破氏でした。しかし、問題はこれからで、安倍総理はそのような事情だからこそ今まで以上に強硬な態度を取ることになるでしょうね。昨日の法話で「親鸞聖人は外から自分を見つめて自分自身が《煩悩の塊》であることを知り、『そんな私を常に見守り支えてくださる阿弥陀如来』に帰依された」ことを話し、「私たちも一度外から自分を見つめることが大切ではないでしょうか」とまとめましたが、誰かさんにも聞いてほしかったですねぇ。

日本のメディアの質が低下している?
2018/09/20
今日は自民党総裁選の選挙日ですが、渋谷の演説会場では国会議員集団が反安倍派の聴衆の入場を阻止したとか・・・。これでは《傀儡政権》と言われても当然ですが、せめてこのパワーを(唯一の被爆国である日本だからこそ)核拡散禁止条約に堂々と1票を投ずる程の気概に変えてほしいものですね。
ところで、昨日の東レパンパシフィック・オープンを見ていました。今朝の新聞には「大坂選手の圧勝」と載っていましたし、確かに59分という試合時間ではそう言われても仕方がないのでしょうが、個人的には大坂選手の動きに全米の時のようなキレが見られなかったように思います。その理由は突然に《シンデレラ》になって各局のメディアやスポンサー希望者が争奪戦を仕掛けたからでしょうが、オリンピックにしても将棋にしても突然に登場した人物を捕まえることに必死になり、その人の体調や次の試合のことを考慮しないメディア攻勢にはうんざりです。加えてインタビューの下手さ(質問がまったく核心を突いておらず、興味本位)もあって、日本のメディアの質を疑いたくなりました。

彼岸法会は日本独自のものです
2018/09/19
いよいよ明日から秋の彼岸が始まります。「秋分の日」を中日として前後3日間の7日間を指す仏教行事ですが、実は仏典にはお盆(盂蘭盆)のことは説かれていても彼岸のことは説かれていません。つまり、もともとは経典がインドから中国に渡ったときに作られた行事なのです。それが日本に渡ってきて聖徳太子の奈良時代に始まり、平安時代に朝廷で勤められていたものが江戸時代には庶民の間に定着したと言われています。そして、その時に勤められるのが彼岸法会ですが、その理由としては「『暑さ寒さも彼岸まで』と言い習わされるほど季候のよい時こそ悟りの世界(彼岸)に向かう仏道修行の最適な機会」と考えられたからでしょう。これも、ハッキリと《四季》が別れている日本だからこそかもしれませんね。
そして、急激に茎を伸ばして気が付くと辺り一面が真っ赤になる曼珠沙華の花は、彼岸のこの時期だからこそ《彼岸花》とも呼ばれています。昨日の写真ではまだ開花していませんが、これが畑のあぜ道で真っ赤に燃え盛るように咲いている光景は見事でしょうね。土手ではアオサギが悠々と歩いていますが、当寺の境内には白の曼珠沙華が咲いています。たった1本ですが、どこにあるか探してみませんか?

昨夜初めて「寒い」という言葉を使いました
2018/09/18
昨日のこの欄で「金木犀が微かに香ってきた」と書きましたが、夕方には少し離れていても分かるほどになりました。何かに言っても、やはり秋なのですね。そう言えば遊歩道の花壇では彼岸花(赤)の茎がずんずんと伸び、今にも開花しそうになっています。最近まで夜になると涼しいと感じていた空気を昨夜は「寒い」と感じ、思わず半袖のTシャツ姿を反省しましたが、「暑さ寒さも彼岸まで」ですからこれが当然なのかもしれませんね。あまりにも猛暑が続いていたせいですっかり忘れていた感覚です。
開花寸前の彼岸花や空を舞う秋アカネに香り高い金木犀など視覚や嗅覚だけが主になって触覚もあることを忘れていましたが、その点、昔の人達はスゴイですね。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚ろかれぬる」と和歌にもあるように、ほんのわずかな自然の変化にも心を配り、感動していたのですから・・・。「今年は秋がなく、夏から一足飛びに冬に移る」とまで言われている今年ですが、平安朝の人と同じ心で見ていると、やはり《秋》は来ているようです。

最高の最期の迎え方は・・・
2018/09/17
昨日の沖縄では安室奈美恵さんのラストコンサートがあり、イベントでは1万発以上の花火も打ち上げられたそうです。その花火会場には安室さん本人も浴衣姿でいたそうですが、誰も気づかなかったとか・・・。そして、当寺ではサックス4重奏の演奏会。観客は沖縄にはとても及ばない40名ほどでしたが、それでも生の演奏を楽しんでいただきました。しかし、そのような楽しい中で樹木希林さんの死が報じられました。「私は全身がガンですよ」とケロッとして報告されながら『万引き家族』にも出演され、75歳の最後まで飄々とした人生を歩んでこられました。数万人に見送られながらのラストコンサートと家族に見守られながら迎えた最期には、どちらも甲乙つけがたい濃縮された人生が感じられます。
人は誰でもいつか《終わり》が来ます。その時に大切なのは「満足のいく人生だった」と言えることでしょう。「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す」という言葉がありますが、たとえ名を残さなかったとしても「あなたのお陰で素晴らしい人生を送れました」と人に感謝してもらえることほど嬉しくありがたいものはないでしょうね。私もそんな最期を迎えたいものです。
(一昨日の写真に載せた金木犀が、昨日の夕方から微かに香っています)

「足下を見つめ直す」ことの大切さ
2018/09/16
北海道の観光被害が292億円だそうです。宿泊施設や観光施設のキャンセルが原因ですが、観光客から見ればそれも仕方のないことでしょう。しかし、何とかして復旧に努めてきた受け入れ側にしてみれば「仕方ない」の一言で割り切れないものがあることも事実です。このことは北海道だけのことでなく世界各地にある観光を地場産業にしている所は同じ悩みを持っていますが、それでも知恵を出し合って乗り越えた所も数多くあります。極寒の地の《氷のホテル》や「何もない」ことを逆に「きれいな自然がある」とをうたい文句にした田舎生活もそうでしょうが、そう考えると、「呼び込む側でなく、観光客の目で見直せ」と忠告されているのかもしれません。子供の頃にはいろいろな音が聞こえ、いろいろ不思議なものが見えたのも、何者にも汚されていない《素直・純粋》な目と心があったからだと言われますが、私たちもそんな目と心を持ってまわりを見直すと龍神もダイダラボッチも見えることでしょうし、使い古した家財道具にも命が宿っていることが分かってくるはず。そして、本当に求められているものも・・・。
そして、「寺院離れが進んでいる」と言われている現在だからこそ、お寺ももう一度「求められている」ものをしっかりと見つめ直すべき時が来ているということでしょう。
(夏に満開だったフーゲンビリアの最後の花も、今朝は散り落ちてしまいました。本格的な秋の訪れです)

歩くことが体力の維持に最適?
2018/09/15
昨日の当寺仏婦研修会では、法話の後で頭の体操とともに身体の方も体操も。要は、「日頃使っていない筋肉を柔軟にしましょう」ということらしく、そのせいか「歩けるようになった」と言った人もいたとか・・・。若い時には当り前に出来ていたことが歳とともにきつくなり、自然と運動不足になることはよくあります。私も教員当時は授業やクラブ指導等で毎日相当の距離を歩いていたはずですが、退職後の歩行距離はそれほどでもありません。そのために当然のこと《運動不足》ですから、歩くときは「せめて意識して姿勢を正す」ようにしています。たったそれだけのことですが、案外「意識して、背筋を伸ばして歩く」のもキツイものですね。時々足が上がらなくて、靴や草履が地面を擦ることもありますし・・・。
「秋の長雨」がまだ続いていますが、今日は午後から『街かどコンサート』のステージ作りです。コンポートとコンパネ主体の舞台ですが、とても1人では無理ですのでご門徒達の助力がありがたいことです。
彼岸花(昨日の写真)の上には金木犀の木がありますが、小さな蕾がついていました。あの香りが楽しみですね。

努力と意志があれば、何事も乗り切れる・・・はず
2018/09/14
年に2回(8月と11月)だけ除いて後の10ケ月に実施している当寺の仏教婦人会研修会ですが、九月は本来の15日が土曜日のために今日にずらしています。一緒に読経してから仏教讃歌を合唱し、それから住職の10~15分程度の法話。今日は来週から始まるお彼岸にかけて、お浄土までの距離について話すつもりです。(ついでに、写真は白い彼岸花の新芽です)
ところで、彼岸の反対が此岸であるように極楽浄土の反対語は当然に地獄になりますが、では《鬼太郎》の反対って何でしょうかねぇ。《コナン》は同類ですし・・・。全国有数の観光地となっている《鬼太郎ロード》や《コナン通り》の反対と考えると、人が集まってこない《シャッター通り》でしょうか。しかし、もともとこの《鬼太郎》もシャッター通りだったのです。当時の市職員が「境港出身の水木しげる氏の『鬼太郎』が使えないか」と提案したところ、「お化けも出そうなシャッター通りに《お化け》を使うのか!」と猛反対。しかし、その結果は誰でも知っているとおりです。勿論、ここに至るまでには著作権に関係なく快く使用を許可してくださった水木プロダクションの協力もありますが、何よりも市職員や地元の人達の努力が必要不可欠でした。「何事も努力と意志があれば乗り切れる」というのは本当ですね。私も、月一の掲示板とともにこれからも当寺の仏婦研修会を続けていきたいものです。

「左近の桜、右近の橘」
2018/09/13
昨日は裏の玄関口に生えていた木(?)を伐採し、その下にあった君子蘭を陽の当たる場所に出してやりました。
ところで、来週から秋の彼岸が始まりますが、そもそもこの彼岸(悟りの世界=極楽浄土)とはどこにあるのでしょうか。一般的に「西方10万億土の彼方」と言われますが、これは『仏説阿弥陀経』の中にある言葉が出典になっています。「10万億土(!)」とは想像も出来ない遙か彼方を表わしていますが、実はこれと真反対の言葉も仏典には出てきます。私たち浄土真宗が最も大切にしている《浄土3部経》の中の『仏説観無量寿経』には「阿弥陀仏、ここを去ること遠からず」とあるのです。つまり、すぐ近くに阿弥陀仏がおられることを意味しているのですが、この二つは本当に真逆ですよね。でも、経典はもともと釈尊の説かれた言葉を入滅後に弟子達が集まって書き留めていったものですから、この二つも間違いなく釈尊の言葉です。「それなら、どうして真反対になっているの?」という疑問が湧くのも当然ですが、要は「《誰から見て》の距離か」ということです。
数年前に本山では内陣の配置を示す言葉を変えました。それまでは親鸞聖人側を《右》・蓮如上人側を《左》と言っていましたが、現在はそれが反対になっています。浄土への距離や本山での配置表現について「どうして?」と思う人は、雛飾りの「左近の桜、右近の橘」の飾り方を思い出してください。答はそこにありますから・・・。

大坂選手の謙虚さに拍手
2018/09/12
数日降り続いた雨も今朝は止み、青空に虫の声が響いています。日曜日にお墓参りをさせていただきましたが、滝のように流れ落ちてくる水を避けて坂道を登りました。そして、その日の袋川は土手の草がすっかり流れに隠されていましたが翌日には半分見えるようになり、昨日は相変わらずの濁流であっても土手では完全に姿を現わした草が見えました。遊歩道の植樹から吹きちぎられた葉っぱが下水の流れを阻んで水たまりが出来ていた道路も、その葉っぱを取り除いてやると見る見る水が流れ込んでいきました。(写真は、その土手の風景です)
自然の力に対する畏怖は大切ですが、それでもちょっとしたことで改善できることもあります。それが出来ない(させない)のが人間の持つ《傲慢さ》なのかもしれませんが、その中で大坂選手の優勝インタビューでの発言が感動を呼んでいます。勝ったことを自慢するのではなく、またブーイングした観衆に対して非難するのでもなく、まず最初にブーイングした観客に対してのお詫びとセリーナ選手に対して感謝を示した大坂選手の謙虚さとスポーツマン(スポーツウーマン)シップが人々の心を捉えたのですが、私たちも彼女の謙虚さを見習うべき時に来ていると思います。

観客としてのマナーについて
2018/09/11
大坂なおみ選手の全米テニスにおける優勝は素晴らしいものでした。錦織選手もチャン氏をコーチに招いてから大きく飛躍しましたが、大坂選手の飛躍もコーチによるところが大だと報じられています。しかし、何を置いても残念だったのは、観客のブーイングでした。S、ウィリアムズ選手の審判に対する抗議と暴言による罰則の1ゲームが試合を決したと言っても過言ではないかもしれませんが、それでも世界ランク1位に向かっていった大坂選手の健闘はたたえられるべきはずです。それなのに、試合中だけでなく表彰式に於いても発せられたブーイングには《アメリカン・ドリーム》を認めているはずの米国人の狭量さを感じます。大坂選手は勝敗が決したときに涙を流し、試合後の会見でも「(私が勝って)ごめんなさい」と謝っていますが、観客のブーイングは黄緑のボールを打ち返すことに必死で努力している選手自身に向かってはならないのです。勝った者はその場に残り、負けた者は直ちにコートを去っていかなければならない非情な《戦いの場》において、観客は我がことのようにその試合内容に一喜一憂します。しかし、「必死で戦っている者を決して非難・冒涜してはならない」というのが観客としての最低限のマナーではないのでしょうか。
(盆参りの時にいただいた「7色の花が咲くボケ」が新芽を伸ばしています。来年が楽しみです)

これほどの災害でも《他人事》ですか?
2018/09/10
北海道厚真町の崩落については何度もTVや新聞の写真で見ていますが、昨日の新聞に載っていた上空からの写真には心底驚きました。失礼な言い方とは思いますが、まるで油絵の風景画を見ているように思えたほど全部の山が崩れ、緑と茶色で画面全体が彩られていました。「山全体が」ではなく、「すべての山が」なのです。
この地区は粘土質の土に噴火による火山灰が上に積もり、その上に更に土が堆積した3重構造だそうですが、台風21号(その時は熱低)による雨が粘土質の上を流れることによって地盤が緩み、地震によって一気に上の2層が崩れ落ちたということですから、どちらか一方だけならばこんな大災害にはにらなかったとも言えます。普段ならば多くの山々が緑に重なっている北海道の雄大な景色が眺められたはずですが、今はどこを見ても崩落した土色の斜面ばかりです。一斉停電から数日で電気が通じでススキノではネオンが煌々と輝いているそうですが、飲み客からは「賑やかになっていい」という意見がある一方で「節電が言われている時にネオンが必要か」という意見があります。しかし、今なお多くの場所では水道が復旧していません。これほど大変な災害であるにもかかわらず(政府関係者を含めて)あまりにも《他人事》と捉えている人が多いように思えて、悲しくなります。

停電の時のローソクの使い方
2018/09/09
北海道の大規模停電によって日常生活が奪われました。マンションなどもオール電化が目玉として売られていますが、このような時には手も足も出ません。私の子供の頃には停電も何度かあり、その度に仏壇のローソクを取りに行った記憶があります。一般の家でもローソクはありましたが、昨今は火事の危険もあって電気ローソクが普及していますし、もちろん本堂も電気ローソクを用いている寺院が増えました。しかし、少なくとも如来前では今までも本物のローソクを用いていますので、昔ほど多くはありませんがいざとなればローソクも使えます。しかし、心配なのは経験の有無です。ローソク台もしっかりしたものを使わないと案外倒れやすいものですが、お参りに行くとローソク立てよりも長い(または同じ長さの)ローソクが立てられていたりします。普段ならば読経の後で私がすぐに消しますが、今回のような停電騒動の時には家人が点けっぱなしにする可能性が高くなることでしょうから、言い換えれば「火事になる可能性が高くなる」ということです。活け花では「真になる花は花器の倍の長さにする」ように言われますが、ローソク台の場合は逆にローソクよりも長くしっかりとした重みのあるものがいいのです。本棚等と同様に、上が下よりも重いと倒れやすいですからね。
(物置の建前が終わりましたが、雨続きで困っています)

葬儀は何の為に勤める?
2018/09/08
最近、本堂の葬儀を勧められる寺院が何ケ寺もあります。人間は1人では生きられず、必ず多くの人達のお世話になって「生きさせていただく」ものです。だからこそ、その最期に当って生前お世話になった方達に感謝を伝えることを目的としたものが葬儀なのですから、本来は家で勤めるべきものでした。しかし、随分前から会館での葬儀が増えたのも事実です。その原因としては家の構造や駐車場の確保の他に町(村)内で互いに協力していた作業がいろいろな事情で出来なくなったこと等があります。勿論、様々な手続きを取ることも遺族には時間的に困難であることも理由の一つでしょう。ですから会館を選ばれることを否定はしません。しかし、浄土真宗の寺院はもともと多くの人達が集うことを目的としているため、(書類上の手続き等を除けば)寺院による大小の差はあっても本堂でも可能です。ただし、中には「駐車場がないから無理」と言われる寺院もあるでしょうし、「通夜は寺族が住む庫裡との関係から困難」と言われる寺院あるでしょうから、「どの寺院でも出来る」と断言は出来ませんが・・・。
最近は家族しか集まらない《家族葬》や葬儀もしないで直接火葬場に行く《直葬》が多く見られますし、中には遺骨も受け取らない《ゼロ葬》もあるように聞いていますが、今一度「葬儀は何のためにするものか」を考えることも必要ではないでしょうか?

故郷と家族が飲み込まれた悲しみ
2018/09/07
今回の北海道地震は震度6強と報告されていましたが、最終的には震度7でした。特に厚真町ではあちこちで山崩れが起きていましたが、上空から見た風景には絶句しました。普通は1~2ケ所であるにもかかわらず、そこでは無数の崩落が起きているのです。鳥取には久松山という『ふるさと』でウサギを追った山がありますが、山はどこでも生活の場であるとともに子供の頃に駆け回った思い出の場所でもあります。その山が崩れて家を飲み込み、家人を掠っていったのですから、そこに住む人達が《茫然自失》になるのも当然でしょう。誰でも喜びはある程度共有出来ますが、悲しみの深さはその人それぞれであり、同じような体験をした人にしか分からないこともあります。しかし、それでも分かることがあります。それは「周りに人がいる」という安心感です。以前ボランティアで活躍しておられる尾畠さんは「被災者の悲しみをえぐるようなことは話題にせず、馬鹿馬鹿しくても周りに笑いを生むような話をする」と言っておられましたが、今回の地震でも避難してきた人からは「そばで人の声が聞こえると安心する」という声がありました。確かに「避難所ではプライバシーがない」とも言われていますが、避難直後の今は人の声が聞こえることで「助かった」という気持ちがやっと生まれるのかもしれませんね。
空には秋特有の鰯雲がたなびいています。北海道の人達にも、この空を見上げる日が1日も早く来ることを願います。

日本の土台が揺れ動いているような9月です
2018/09/06
「桐一葉 陽あたりながら 落ちにけり」という俳句は樋口一葉のペンネームの元になったものですが、境内では台風の余波かあちこちで落ち葉がさまよっていました。昨日からあった落ち葉ですが、さすがに昨日は雨でひっついていたために取れず、やっと今朝掃き清めた次第です。もっとも、利休が弟子に「これで自然らしくなった」と言ったとされる程度ですが・・・。
ところで、ここ数日は台風の猛威を「人知が及ばない」ものと書いてきましたが、関空連絡橋の写真を見てもそれがよく分かります。人知を尽くして計算し設計した橋がタンカーの衝突で完全にズレてしまっている姿は、今回の台風の猛威をもろに現わしているものでしょう。その台風も熱低に変わってホッとしたのも束の間、北海道で未明の地震。震度6で倒壊した建物も数棟あり、未明のことですから中に閉じ込められている人もあるそうです。「狭い日本 そんなに急いで どこへ行く」という標語もありましたが、その狭い日本では中央の台風被害に加えて南の噴火から北の地震まで様々なものが発生しており、政界も含めてまるで日本の土台そのものが揺れ動いているような9月のスタートとなりました。一体、《瑞穂の国・日本》はどうなっていくのでしょうか。

台風21号の猛威に絶句です
2018/09/05
天気予報では、「鳥取は11時頃から夕方5時頃まで注意」とありました。昼頃からポツポツと雨が降ってきて夜には大雨となりましたが、朝起きてみると盆後から咲き始めたノウゼンカズラの花は千切れてもなく、ブロックに立てかけていた箒が倒れていただけで何の被害もなし。「台風一過」とは言いますが、今朝は虫の声がかまびすしいほどでした。しかし、それに比して近畿地方は大変でしたね。高潮による関空の浸水もそうですが、渡月橋では100mに渡って欄干が倒れたそうです。前回の台風でもギリギリの水量で乗り越えた渡月橋でしたが、今回の大風には絶えられなかったようです。数百年も自然の猛威に絶え続けた橋も今回は勝てなかったということでしょうが、それだけ今年の台風が異常だったということになります。人知を尽くして建築した京都駅はゴジラでしか壊せられなかった(映画です)ものでしたが、今回の大風で天井設置のガラス窓が数枚割れて落下したとか・・・。幸いにして下にいた人は軽傷で済んだようですが、関空の連絡橋にぶつかったタンカーも風に流されたのが原因のようですし、自然の驚異に対して人知は及ばない現状を本気で再確認すべきでしょう。地球自体が変化しているのか地震や噴火が多発している今、「喉元過ぎれば~」では益々大きな被害を被ることになりますから・・・。

またもや心配な台風の襲来です
2018/09/04
昨日はこの欄に載せる写真の題材になるものを探して歩きましたが、なかなか「これ!」というものがありません。夏から秋の草花に移行する空白期間のせいかもしれませんが、仕方ないので新芽が伸びているバラや獲物を必死で狙っている蜘蛛などを撮ってきました。昨日は台風の襲来が予報されているにもかかわらず真っ青な空でしたが、さすがに今朝はどんよりとした空気が漂っています。「昼頃に台風の影響が最大になる」とのことですから境内のバケツは納骨堂内に避難させ、ブーゲンビリアの鉢植えも玄関内に移動させました。また、今日は倉庫建築の建前が予定されていましたが、台風の関係で木曜日に延期です。そして、県内の学校も大多数が休校とのことです。新学期を迎えた子供達にとっては折角の《やる気》がくじかれたことになりますが、中にはホッとした者もいることでしょう。もっとも、休校はあくまでも児童・生徒だけであって、職員は何が起きるか分からないので出校しなければなりません。そのことは保護者も同様で、会社も特別なことがない限り「急遽休み」ということがありませんからね。その中で農業関係の方達には風が心配なことでしょうが、どうかくれぐれも無理をしないでください。

楽しい場所であるはずの学校が何故苦痛に?
2018/09/03
9月に入るとさすがに気温が下がり始め、今朝もさわやかな空気を吸い込んで仕事始めです。そして、メダカに餌をやっている時にふと気が付くと二の腕に丸々としたヤブ蚊が・・・。相手も子孫を残す為に必死なんですねぇ。
ところで、8月最後の日に《魔の新学期》について書きましたが、今朝のラジオでは「『子供達が持つランドセルが重い』との批判を受けて文科省が『家庭での勉強に関係の無いリコーダーや書道道具は、学校の机に入れておいてもよい』との通達を出した」とニュースで述べていました。「こんなことにいちいち通達を出す必要があるのかなぁ」と思いながら聞いていましたが、世の中には「~~と決まっているから」という回答ばかりの指導が蔓延しています。以前には「髪の毛は黒と決まっているから」ということで地髪を黒く染めさせた学校がありましたし、聞くところによると小学校では「ブラの着用は()年以上」というものもあるそうです。でも、子供の発育状況はそれぞれですから、「そう決まっているから」では保護者は納得しないでしょうね。確かに我々の高校時代にもいろいろな校則がありましたし、自由化になった今なお残っているものもあります。しかし、昔も今も大切なことは「決まっているから」と強要することではなく、「何故そうなのか」を相手に納得させる努力ではないでしょうか。それがあれば、子供達も学校に行くことの苦痛が少しは減ってくるはずだと思うのですが・・・。
境内の貴船(秋明菊)が蕾を覗かせています。『独り言』に載せる写真のストックがなくなったので、何か探してきます。

腰の痛みが取れません
2018/09/02

やっと降った雨も午前中には止み、夕方から仏壮と仏婦合同の懇親会を持ちました。総勢26名という大所帯になり、あちこちから聞こえる声のすさまじかったことといったら・・・。午前中に本堂と納骨堂の花の生け替えをしてから境内の除草や盆参りで痛めた腰の治療(座骨神経痛らしく、太ももの裏側がしびれます)で整体へ。「整体で痛みと闘って(?)きました」と書けば笑い話のようですが、実際に読経中は正座ですし、しっかりと声を出すためには姿勢が何よりも大切ですから、何とかして早くこの腰の痛みを取り除かないと困りものです。歳を取るとともに身体のあちこちにガタがくるということは聞いていますが、早めに分かっていたら対処も出来ますが急にやってくる身体の変調には対処できません。そのために《事後対応》ということになりますから、どうしても時間がかかりますよね。それでも頑張って動かなければならないし痛みを人に見せることは出来ませんから、結局は「やせ我慢」ですが、ご門徒からは「《古稀》はまだ若い」と叱られていますので、今日もがんばってお勤めしましょうか。
(猛暑の時に根元から切ったテッセンが、ぐんぐんと新芽を伸ばしています)


体操協会の卑怯さが露呈されたと思いますが・・・
2018/09/01
とうとう今年も2/3が過ぎて9月になりました。9月の旧名は『長月』で、「秋の夜長」という自然現象が語源です。「読書の秋」「勉強の秋」はたまた「スポーツの秋」「食欲の秋」ですが、一番ピンとくるのは何番目でしょうねぇ。台風21号の影響で夕べから雨になりました。それこそ2ケ月振りのまとまった雨ですから、これで枯死寸前のドウダンツツジも息を吹き返してくれるとありがたいことです。
ところで、体操協会の件ですが、塚原夫人が録音を提出しました。「相手が弁護士を立てようとする様子だったから、録音した」ということですが、2対1の場である上に相手に了解を得ていない録音は証拠にならないはずです。しかも、このように違法な手段を取った録音は「大切な部分がカットされて構成されているのでは・・・」という疑問も持たせてしまいます。以前に官僚によるセクハラから身を守るために会話を録音した記者に対して「違法だ。証拠能力はない」と逆ギレした幹事長がいましたが、今回の録音は同じ「身を守るため」という理由でも、まったく別のものであり、完全に《自己保身》を目的としたものです。宮川さんのためにも、そのことを追求する弁護士やメディアがいればいいのですが・・・。
(9月の最初にあたり、写真はやっと咲いた花柘榴にしました)

8月
《魔の新学期》とならないために
2018/08/31
とうとう今日で8月も終わりです。当寺作製のカレンダーにはご門徒の絵手紙がイラストに使ってありますが、8月はもじり草でした。夏の猛暑に耐えて片隅でひっそりと立つもじり草は当寺にも1本だけ生えていましたが、いつの間にか絶えてしまいました。昨日の写真ではありませんが、今年の猛暑に耐えかねて枯れてしまったものも数多くある中でそっと咲くもじり草に気づく人はあまりいないかもしれませんね。
ところで、今まででしたら夏休みも今日まで。明日から始まる新学期の準備(宿題の片付け?)に子供達も大慌てしたが、最近は25日頃から既に始まっています。しかし、そんな中で増えているのが《魔の新学期》という言葉です。1学期は新しい生活への期待で始まりましたが、この数ヶ月で子供には数多くの変化が生まれます。友達が出来て楽しく過ごした者もいれば、ちょっとしたことから学校生活に適応できなくなっていく子供もいますし、絶対にあってはならない《イジメ》や《仲間はずれ》も、もしかするとあったかもしれません。しかし、そんなことを経験した子供達にとっては「1ケ月に及ぶ休みで心のズレや苦しみが解消できないまま新学期を迎える」ということが最大の苦痛となり、「死」という道を選ぶ子もいます。そこから9月1日が《魔の新学期》と呼ばれるのですが、「そんな子供達にとっては、周りがそっと寄り添ってやることが解決の一歩である」ということを知るべきです。《魔の新学期》を迎える直前の今日だからこそ、どうか親も教育者も子供達の今現在の気持ちをしっかりと見つめてやってください。

少しの言葉でどれほどの広がりが作れるか?
2018/08/30
猛暑・酷暑の連続だった8月もいよいよ残り2日ですが、この猛暑はまだまだ続きそうな気配。予報では来週辺りから30度を割るように言っていますが、とても信じられない暑さがまだ続いています。昨日の新聞には「今夏は蚊に刺されなかった」との記事がありましたが、当寺で水撒きをしていると必ずヤブ蚊に刺されます。ヤブ蚊も子孫を残すのに必死なのでしょうが、刺される方にすると嫌なものです。今朝も境内のメダカに餌やりに出たとたんにチクッ。「蚊も命あるもの」なのは分かっていますが、やはり嫌なものですね。遊歩道のツツジも猛暑に負けて、今はすっかり枯れ果てていますし・・・。
ところで、本山が慶讃の短歌を募集しています。今年のテーマは「母」ということでその漢字が入らなければならないのですが、いざ作って見ると案外難しいのです。というのも、一つには仏教の「親」と今回の「母」とが重なってしまって何か中途半端なイメージになってしまいがちであり、それに加えて内容の広がりが出来ません。俳句の夏木先生は「わずか17音しかないのだから、一つの言葉から当然に連想されるものは不要」と言われますが、「母」から当然に連想されるものもあり、それを言わないで自分の思いを広げる難しさに頭を悩ませている昨今です。

子ども時代の自分を懐かしむ
2018/08/29
昨夜は雨が降ったらしく、葉が水滴を持っていました。久しぶりの雨ですから《慈雨》とでも言っていいのでしょうが、問題は雨量が十分かということです。そうでないとまた「蒸し暑い!」となることでしょうから・・・。しかし、つくづく人間という生き物は自分勝手なのですね。雨がほしいと言いながら、蒸し暑くなったと言って文句をつける。そのくせ、大雨になるとまた文句をつける。そう考えると、本当に《子ども》です。しかし、その《子ども》の代表であった「ちびまる子ちゃん」の世界は今から60年近く前の私たちでもあります。夏になるとランニングシャツ姿で虫取り網を持って山を駆け回り、のどが渇けば小川とも言えないような小さな水の流れに口をつけたり、海に行くと瓜やトマトを入れたネットを海中に放り込んでおき、それを砂浜に座って食べたりしていました。自由研究などはなく、男の子は昆虫採集や工作、女の子は植物(海藻も含む)標本を持って真っ黒に日焼けをした顔で登校したものです。宿題も終わり近くになって慌ててしたり・・・。たとえ国は違っても、良くも悪くもちびまる子ちゃんは自分自身の姿だったからこそ、そこに引きつけられたのでしょうね。

さくらももこさん、ありがとうございました
2018/08/28

『ちびまるこ』の作家。さくらももこさんが乳がんで亡くなられました。主人公の《まるこ》は小学生という設定ですが、「魔の2歳」という言葉があるのと同様に小学生(低~中学年)はまだ思春期に達していないのに妙に大人びた感覚もある「魔の学年」でもあります。そんな年齢の女の子を中心に巻き起こる学校や家庭生活を描いたこの作品は、時にはニヤッとしたり、時にはハラハラしたりの連続でした。
以前、私は人権問題の授業で『ちびくろサンボ』が閲覧禁止になったとき、「それなら、どうして『ちびまるこ』が問題にならないのか」と話したことがありました。この本が閲覧禁止になったのはある批判があったためですが、その理由は(ホットケーキを何10枚も食べる場面は、黒人が大食いだという差別)(「ちび」「くろ」「サンボ」は差別語)というものでした。そのために当時流行していた《ダッコちゃん》人形も「なぜ黒人の子供なのか」とのクレームが出て販売禁止になった経緯がありましたが、そもそも「ちび」がダメならば『ちびまるこ』もダメであり、「くろ」がダメならば日焼けをした子供達を対象にした《くろんぼ大会》もアウトのはず。そんなことを話したことを思い出します。その後も「日本兵の行動が残酷すぎる」等のクレームが出て『はだしのゲン』を閲覧禁止にした馬鹿な図書館もありましたが、漫画には漫画の持つすばらしさがあるのであり、それゆえに日本の漫画が世界中で愛されているのですよ。


連研で熱中症!?
2018/08/27
昨日は青谷町の寺院で行った連研第5回目でしたが、受講途中で体調を崩された方が出ました。幸いにして看護師の方が同席しておられて涼しい部屋で休むように指示されたのですが、余りにも血圧が高く、看護師の方と一緒に若院の運転で鹿野の病院に連れて行ってもらいました。結局は《熱中症》ということで点滴2本受け、体調もほぼ回復しましたので私の車で家までお連れしましたが、暑さに加えて朝から少し体調も悪かったとのこと。大事にならなくて幸いでしたが、執行部としても「冬は雪の関係から市内寺院で」という考えを「夏はエアコンを設置している市内寺院で」に考え直す必要があるようです。もっとも、実はこの案については数年前にも出ていたのですが、何故か立ち消えに・・・。今年の猛暑は確かに異常ですが、今後の連研のあり方を考えた場合には[講師である住職の年齢と体調]とともに[暑さ対策]も重要な検討課題だと思います。実際に我々顧問が中心となって運営していた高校演劇発表会でさえも、必ず看護師の配置と緊急の場合の病院の手はずを整えていたくらいです。まして、年齢的にも若いとは言えない人達が集まっての真夏の研修会ですから、しっかりと検討すべきでしょう。
(涼しそうに泳いでいるメダカも、実は猛暑で《温水プール》状態ですしね)

感性の鋭さは日本人の特性?
2018/08/26
今日は鳥取因幡組主催の連続研修(略して「連研」)第5回目です。毎月テーマを変えて実施するものですが、先月は台風で急遽中止。そのために釈尊についての解説が抜けてしまいましたが、今回は何とか無事に勤められそうです。今回は青谷町河原の同派寺院が会所ですが、青谷は和紙の製造でも知られたところ。ですから、途中に和紙記念館等もあります。
ところで、昨日の蒸し暑さも午後にはなくなって空気と風が違って感じられました。それまではネットリという感じでしたが、午後の風にはそのネットリ感が少なくなっていました。「空気の微妙な変化を感ずるのは日本人独特の感性」だと聞いたことがありますが、確かに昔から自然の変化を表わす言葉が多くあります。夜明けを表わすものでも《曙》や《暁》等がありますし、雨でも《小雨》《霧雨》《こぬか雨》等があります。それらの使い分けは実に微妙でなかなか分かりづらいのですが、昔の人達には当然の知識だったのでしょうね。なにしろ、発音一つでも《ka》と《kwa》や《ha》と《fa》を使い分けていたほどの鋭い感性を持っており、自然とともに暮らし、そのすべてに《神》がいると信じていた人達ですから。それに比して、現代人(特に政治家)の感性は実にニブくなりましたよねぇ。

蒸し暑さ、半端ないって!
2018/08/25
大迫選手の言葉を借りれば「この蒸し暑さ、半端ないって」となるのでしょうね。台風の余波とは言いながら、ここ数日の蒸し暑さはとにかく異常です。当寺では食事時とか来客がある時以外はあまりエアコンをつけませんでしたが、さすがにここ数日はエアコンなしでは過ごせません。しかし湿度にはあまり効果がないのか、室内に入ったときに「ホッ」とする程にはなりません。そして、一番困ることは、この猛暑と湿度のせいで本堂も含めて生花がもたないことです。猛暑だけならば水を毎日取り替えるとか霧吹きをして葉からの蒸発を防ぐことでいくらかは効果がありますが、湿度が高いことには効果的方法もありません。こうなれば1日も早く秋風が吹いてくれることを祈るだけですが、虫の声は最近とみに大きくなっているのに連日この猛暑と湿度ですから、ますます大声で言いたくなります。「この蒸し暑さ、半端ないって!」
横通りで大きく葉を広げている(名前が分からない)草だけが異常に元気ですが・・・。

台風の余波はいりません
2018/08/24
今年も処暑となって「いよいよ秋に突入か」と思いましたが、今朝は台風の余波で生暖かい風。大風は遠慮しますが、せめて雨がほしかったですね。境内の植木に代わって今回の20号には夜中に降る雨音を期待したのですが、TVに「湯梨浜に警報」とのテロップが出ても市内にはまったく降った形跡なし。これでまた水まきが必要になりそうで、ガッカリです。
ところで、やっと今年の念仏奉仕団体参拝の日程と観光地が決まりましたので、ご門徒の皆様に募集がかけられます。今まで親鸞聖人の誕生院や蓮如上人が荼毘に付された場所や角坊別院、そして源氏物語ミュージアム等いろいろと回りましたが、今年は平成最後の参拝になりますので、親鸞聖人が得度をされた青蓮院を訪れることにしました。幸いにして近くまで小型バスも入れるので歩く距離も少ないだけでなく、昼食に選んだ平安神宮そばの京料理店からも近いので、時間的にも帰途が楽になりそうです。後は参加者の確保ですが、聞法会館も募集当日に必死で部屋を押さえたことですし、何とか15名ほどあってほしいものですね。
(今日の写真は、何年かぶりに咲いた宗旦ムクゲです)

昭和天皇の悔恨と和歌の心
2018/08/23
昨日は昼頃からムッとする暑さ。誰と話をしても「涼しかった日があったので、体がきつい」とあり、感じていることは皆同じだなぁと思いました。フェーン現象もここまで来ると、釈尊が説かれた《盂蘭-うら》そのものですね。
ところで、今日の新聞には昭和天皇の心情を書き記した小林侍従長の日記が一面に載っています。その中に戦争の当事者である天皇としての苦しみ・悲しみが述べられていますが、最後まで気に掛かっていた沖縄には行けなかった昭和天皇。自分の名代として当時の皇太子が訪問されましたが、そのときの悔しさが『思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを』の歌に込められています。憲法改正(改悪では?)の思いを強くしている安倍総理は、この歌をどう感ずるのでしょうか?

またまた台風の襲来です
2018/08/22
今朝は生暖かい風が吹き付け、早朝から何とも言えない状態になっています。これが台風の影響だということは明らかですが、以前の迷走台風とはまったく違って気持ちの悪い風です。そのため、毎朝開けていた納骨堂は鍵は掛けないで戸を閉めた状態にし、玄関も(いつもは簾ですが)ガラス戸を閉めた状態にしています。雨が降ってくれればこの風も止むのでしょうが、しばらくはこの状態が続くのでしょうから、体力も限界状態です。加えて今日の午後からは組の総代役員会が当寺でありますので、それも心配のタネですが・・・。心配と言えば、今回の19号の後ろに20号が控えていることです。7月も台風で連研が中止になりましたが、8月も20号と遭遇しそうな様子。前回は若桜で今回は青谷という真反対の場所ですが、同じく月末にやってきそうな台風に折角の勉強しようという意欲が損なわれなければいいのですが。(今日の写真は、葉が枯れかけているドウダンツツジです)
最後に一言。「金足農高、よくやった!」

高御座の分解が始まりました
2018/08/21
猛暑と台風の塊のような8月ですが、それも残すところ10日となりました。しかし、今まで続いた猛暑と水不足で遂に鉢植えのチンシバイが枯れましたし、公孫樹の下で地植えしているドウダンツツジも青息吐息の体です。いい加減に一雨ほしいところですが、次の台風は《兄弟》かと思うほどに後ろに控えていてやってくるようです。もっとも、ハリケーンは女性名詞ですから台風も《兄弟》ではなくて《姉妹》かも・・・。
ところで、今日の新聞には新天皇が即位される「高御座」が分解される写真が載っていました。去年の念仏奉仕団体旅行は観光地として御所を選びましたが、その時に案内人から紫宸殿の中にあった高御座のことが説明されました。何でも、昭和天皇の即位は京都御所だったのが今上天皇の時には皇居でされたそうですが、この高御座と新皇后用の御帳台は過激派によるゲリラ活動を警戒して陸上自衛隊のヘリで運んだのだそうです。そして、この高御座と御帳台が使われるのは国内外に即位を示す来年10月22日の『即位礼正殿の儀』ですので、1年かけて[分解→搬送・修理→組み立て]をするそうです。(その費用は5億円とか・・・)

献花と供物の後始末は・・・
2018/08/20
昨日の夕方に2度目の整体へ。「4日前と比べて、指が入るようになりました」と言われましたが、確かに押さえられると痛みが出てきました。この前はその「痛い」という感覚もなかったのですから、よほど凝り固まっていたのでしょうね。
今朝は残っていた納骨堂の献花をすべて取り去り、花立ての水もきれいに入れ替えました。16日にも萎れた花を抜き取ったのですが、今回は残していた花を取り除いたことになります。根を土中に下ろして生きていた花たちがその残された命で私たちの心を慈しんでくれたのですから、枯れたままいつまでも放っておくことは失礼になります。ですから、命終えた時には感謝の心をもって抜き取るべきでしょうが、昨今は墓苑が遠くにあるとかお参りする者がいないなどと、様々な事情が生まれています。聞くところによると、鹿児島のある墓苑では花の絶えることがないそうです。毎日、中には朝晩にお参りされる人がおられるからだそうですが、そこまででなくても、せめて自分が献花したものは自分が責任を持ってきれいにしてほしいものですね。それから供物は墓に置きっ放しにしないで、持ち帰ってありがたくいただいてほしいことです。
(やっと目につく所に開花したノウゼンカズラです)

知らない間に稚魚が孵化していました
2018/08/19
ここ数日はエアコンなしの生活で、実に気持ちがいいですね。扇風機の風も涼しいどころか時には冷たく感ずるくらいですが、今日の予想最高気温は34度とか。これでは身体がつかず、元気なのは境内のメダカだけです。しかし、この火鉢の中にはメダカと一緒に和金も数匹いますので、これが稚魚の生まれない原因かもしれないですね。稚魚と言えば、室内の水槽にホテイ草を1~2日ほど入れていたことがありましたが、昨日その中で泳ぐ3㎜ほどの稚魚を2匹見つけました。多分ホテイ草に着いていた卵が孵化したのだと思いますが、元に戻した水槽では稚魚をまったく見かけません。孵化するにも何か条件があるのでしょうが、ご門徒にはメダカを飼っておられるお宅も多くて「うちも孫が飼っていますよ」と言われました。勿論、世話をしているのが誰かは別としてですが・・・。
稚魚の写真は余りに小さくて無理ですが、大小合わせて合計6匹が水槽で泳いでいることだけはお知らせします。

「昔懐かしい《珠玉の時》」は夢ですか
2018/08/18
昨日は涼しい風が北(川側)から吹いてきましたので、本堂のエアコンはつけないで自然の風を受けながら法要を勤めました。「対角線の窓を開けるのが一番」と聞いていましたので南側も開けましたが、南側は民家が建っていてエアコンの暖気が入ってくるために普段は開けません。しかし、両方を開けていた昨日は、ゆっくりと流れていく空気の動きが線香の煙で分かりました。この空気の動きを見ていると、20年ほど前にお参りしたお宅を思い出します。そのお宅の周囲は既に民家で埋め尽くされていますが当時は東側にまだ水田が残っており、お盆参りの時には水がはっている稲の上を吹いてきた涼しい風にホッとしたものでした。春には厳しい寒さを過ごした土や草の香りがし、夏になればムッとするほどの木々の香りもしました。そして、その中に届けられる心地よい風がどれほど嬉しかったか・・・。そんな風に吹かれながら畳の上で昼寝をした子供時代にはもう2度と戻れないでしょうが、そんな経験が無い今の子供達が果たして幸せと言えるのでしょうか?老人のノスタルジアだと言われればそれまでですが、アメンボを追いかけたり蛙の声で目を覚ましたりした時間は、それこそ「昔懐かしい《珠玉の時》」なのでしょうね。
そう言えば、長野などでは30年も前に流行った『ダンシング・ヒーロー』が盆踊りの定番曲になっているそうですよ。

太ももの痛みは腰が原因ですか?
2018/08/17
本来ならばお盆が過ぎてホッとする時間ですが、休みは昨日の1日のみで今日からまた法務が始ります。その大切な昨日は右太ももの裏がピリピリするので整体に行ってきましたが、一言「腰が痛んでいます」。普段から気を付けていたのですが、やはり境内の除草や盆会の準備等で腰を痛めていたのでしょうね。よく「高校生の頃は30度が『暑い』でしたよね」と何の気なしに話しますが、よく考えるとそれも50年以上(実に半世紀)も前です。結局のところ、心の中では「自分はまだまだ若い」という意識が残っているのでしょうが、今回の痛みでつくづく「身体は正直だ」と思った次第です。
『秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる』という和歌がありますが、今朝は涼しいと感じられる風が吹き、それに乗って遠くから虫の音が聞こえてきました。昨日までは窓を開けると入ってくるのは蝉の声でしたから、やはり秋が近づいているのでしょうね。このまま秋に突入してほしいものですが、また猛暑がぶり返したら、それこそ身体がついていけない気がすることです。
玄関先では蚊遣りを連日焚いていますが、下駄箱の上にはアロマの蚊遣りがあります。切り抜いた部分が《蚊》でしょう?

お盆も無事(?)に終わりました
2018/08/16
行方不明になった翌日が2歳の誕生日だった子が無事に山中で発見されました。「ボランティアとしての長年の経験と直感が発見につながった」とのことですが、それにしても何も無い山の中で3日間も頑張った子供の生命力には脱帽です。『魔の2歳児』と言われ次に何をするか予想もつかない年齢ですが、無事に母親の胸に抱かれた後の甘えは仕方ないでしょうね。
ところで、今年も無事に盆会が終わりました。明日からはいつものように法務が予定されていますので、本堂の打敷や幕を外すなどの片付けをしましたが、今朝は納骨堂の清掃をしました。机を片付けたり、萎れた献花を取り除いたり水をきれいなものにしたりと、朝早くからバタバタしましたので、今もって疲れが取れません。そのため、今日は整体に行って今までの疲れを取り除いたり今後の体調管理をしようと思っています。なにしろ古稀を迎えていますので、自分自身で常に体調の管理しないと何があるか分かりませんからね。そう言えば、数日前に降圧剤がなくなったので、また病院に行って貰わないと・・・。
(蝉の抜け殻も、必死でしがみついています)

今年のお盆も今日が最後です
2018/08/15
今年のお盆も今日が最後。千代川土手では夕方から精霊送りが勤められますが、どちらかと言えば花火の方がメーンかもしれませんね。もっとも、この精霊送りでの読経の場には浄土真宗の僧侶はおりません。それは、親鸞聖人が最も素晴らしいとされた釈尊の教え『浄土3部経』の中には、「人はその命を終えた瞬間に仏として新しい命を得て往生浄土するのであり、地獄に戻ることはない。また、この仏は浄土から戻ってきて常に私たちの側にいて(還相)守り支えてくれる」とあり、そのために《精霊を送り返す》ということがないために《精霊送り》をしないのです。
ところで、夕べはしゃんしゃん傘踊りの一斉踊りでした。この傘踊りは本来《雨乞い》のためのものですが、その効果も今年はどうも期待できないようです。せめて庭木が元気になる程度は降ってほしいものですが・・・。もっとも、午前中はまだお参りがありますので、せめて夕方からに・・・。(でも、そうなると花火が困りますよね)

花の命も大切にしてあげてくださいね
2018/08/14
盆中のお参りは7時頃から出かけることもありますが、いつも通りに早起き。今朝も5時に起き出して納骨堂の解錠や境内の水まき等をしました。しかし、いつも思うことですが、お花を供えられる時にゴムバンドをしたままがほとんどです。特にお盆などでは入れ物が満杯になりますが、「バンドできつく縛られたままでは花も水を吸い上げにくいだろうなぁ」と気の毒になります。今朝も何杯かはバンドを外してから水につかる部分の葉を取り除いてやりましたが、特に暑いときは葉がつかったままだとすぐに水が腐ります。このことは家で飾る花瓶でも同様ですが、「出来たら花のために少しだけ手間を掛けてやってほしいなぁ」と思います。花も寸前まで生きていたのであり、私たちの目と心を癒やすためにその大切な命を捧げてくれているのですから・・・。
私たちがいつも口にしている「いただきます」とは何も食べ物のことだけでなく、花も水も、その命も私たちに捧げてくれるからこそ生きていけるのではないでしょうか?「水一滴を無駄にする者は、命を無駄にするのと同じ」という言葉もあるくらいですからね。

「私」は守られている存在ですよ
2018/08/13
昨日はお参りの途中でパラパラと降ったせいか、挨拶は「今日は蒸し暑いですね」でした。また、畑を持っておられる家では「稲はいいのですが、畑に水がなくて全滅状態です」という声も盛んに聞こえてきました。お寺は「生きさせていただいている」という本来の姿ですので、その心配もよく分かります。私たちが御布施をいただくときには必ず「お預かりします」と言いますが、これは仏に代わって「預かる」ものであり、決して自分のものではありません。「坊主、丸儲け」ということ言葉がありますがそんなことは絶対にありませんし、そのように御布施をすべて懐に入れている寺院があれば、それは法義的にも税務的にも間違っています。法義に《他力》という言葉がありますが、これは「相手任せ」ではなくて「大いなるものに支えられ守られている私たちの姿」を表わす言葉です。私たちはなにひとつ自分で作り出すことが出来ない存在であり、自分1人では《人間》でさえありません。釈尊は、「この世にあるすべてによって作り出されたものが大樹という姿になっており、私もその中の一つである。そして、その大樹も元は小さな種であり、それが大地や水や太陽やあらゆるものによって支えられ、守られてこのようになったのだ」と説かれましたが、その「守られ、支えられている」ことを忘れず、常に感謝の心を持ち続けることが大切であることをお盆に当って、再度胸に刻みつけてほしいものです。

お盆参りと挨拶
2018/08/12
大学時代はホンダ・スーパーカブ(中古)で盆参りをしていましたが、エンジンオイルの交換を忘れてあえなく廃車にするはめに・・・。数日前にご門徒のお宅参りをしたとき、倉庫にカブがあるのを見つけて懐かしくなりました。現在は軽自動車を借りて回っていますが、昨日もラジオを聞きながら運転していると、高校野球を流していました。0-2で負けていた城北高が同点に追いついたまでは聞いていましたが、読経が終わって車に戻ると別の高校名になっていました。最後に寄ったガソリンスタンドで結果を知りましたが、城北高対平安高は言い換えると《地元対本山系列校》ですので、どちらも応援したい気分です。もっとも、お盆参りが中心ですから、途切れ途切れの経過報告を聞くだけになっていますがね。
今日は御巣鷹山の日航機が墜落した日です。このニュースを聞いた時はさすがに驚き、行く先々でそのニュースばかりでしたが、昨日の挨拶は「気温が下がっても蒸し暑いですね」でした。果たして今日はどんな挨拶で始るのでしょうか?

浄土真宗のお盆に対する考えは・・・
2018/08/11
2日前から気温が下がって多少過ごしやすくはなりましたが、それでもやはり午前中だけで汗びっしょりになります。しかし、一昨日の夜から虫の声が聞こえるようになりました。いつもは盆過ぎから聞こえてくるコオロギの声ですが、全体的に自然の様子が1週間以上も早かったためでしょうか、今年は虫の声も早いように思います。このまま秋になってくれれば《御の字》ですが、そうはいかないのが世の常。予報によるとまた猛暑がぶり返すとか・・・。
7月末から8月にかけてのご法事後の法話では浄土真宗のお盆に対する考え方を話していますが、やはり、お盆といえば一般的に《オガラによる迎え火と送り火》《胡瓜と茄子で作る馬と牛》《精霊送り》が連想されるようです。浄土真宗ではそれをしないからこそ話すのですが、ただその時に注意しなければならないことは、「親鸞聖人は他宗の考えを絶対に否定していない」ということであり、「ただ阿弥陀如来の本願を信ずれば良い」と説いておられることです。それを落としてしまうとただの《他宗に対する非難》になってしまいますからね。

盆参りの2日間です
2018/08/10
昨日から始ったお盆参りですが、最初は9号線で気高に行ってから米子のご門徒宅まで。山陰道はどういうわけか少し込んでいて、着いたのが10時45分でした。それからお仏壇前で読経させていただいてからお昼を御馳走になって帰りましたが、途中で注文していた県外門徒のお墓の献花を受け取り、4時過ぎから円護寺墓地へ。さすがに夕べはお参りされる方もなく、車も無事に駐車場に置けましたが、土日はきっと大勢のお参りで車も置けないかもしれませんね。そして、昨日は気温も低く、それほど汗をかくことがありませんでした。しかし、また今日から恐怖の猛暑になるとのこと。熱中症に要注意です。
今日は郊外から始めて若葉台から八頭町を通って美萩野方面のご門徒宅をお参りすることになっています。1人でお参りしていた頃は最後の家が夕方になり、白兎海岸が渋滞して戻るのも大変でした。なにしろ、海岸には《海の家》がずらっと並んでいましたからね。しかし、今は《道の駅》やコンビニも出来て《海の家》も少なくなり、駐車場もちゃんと出来ているので、それほどひどい渋滞はありません。これも《時の流れ》なのでしょうかねぇ。さぁ、今日も頑張ってお参りさせていただきますか。

「本人の証明」に手こずりました
2018/08/09
今週の月曜日、県庁まで書類の申請に行ってきました。必要書類を揃えるときに見落としていた部分があったために結局3度も行くことになりましたが、ポイントは「本人であることの証明」。私の場合は免許証があるのでいいのですが、坊守は車を運転しないので持っていません。そのため、坊守の証明には住民登録番号でいいと思っていたら「カードが必要」とのこと。カードは作っていませんし、保険証では別の書類と併せて2種類が必要とのこと。個人の証明書を作りに行ったのに逆に「証明するものが必要」と言われ、しかも、ものによっては複数の書類がいるシステムにはまいりました。
現在は携帯電話(スマホ)を持っているのが当り前のように「携帯番号は何番ですか」と聞かれたり、免許証を初めとして「個人を証明するものを持ち歩いているのが当然」のような言い方をされますが、保険証や住民基本カード等は普通持ち歩くものではないので、免許証を持っていない人は当然に困りものです。アメリカや韓国では本人を証するカードを常に持ち歩いているようですが、《以心伝心》や「向こう3軒両隣」の生活を送ってきた我々日本人に「個人を証明するものを持ち歩け」というのは、慣れていない分だけ難しいように思いますがねぇ。
(写真の植物は《鳴子百合》だと思っていましたが、たまたま本を見ていて《宝鐸草・ほうちゃくそう》だと知りました)

盆参りは、一緒にみ仏に向かいませんか
2018/08/08

ここ数日は猛暑と台風のことしか書いていない気がしますが、それだけ強烈な日々なのでしょう。しかも、お盆に入ってからも35度前後の日が続くとの予報ですから、それを聞くだけで既にグッタリです。TVではしきりに「命に関わる気温ですから、無理をしないでエアコンを使ってください」と言っていますが、お参りの最中にエアコンで涼む時間はなく、扇風機でさえ「ローソクが消えるから」と切られてしまいます。それでもしっかりと読経をさせていただきますが、案外困るのがあちこちで冷たいお茶を出されることです。確かに熱中症の予防には水分も必要ですが、水分の取り過ぎは逆に汗になって身体の塩分が減ることになる(数年前に私が熱中症になったのもそれが原因)ので、最近は出来るだけ断って自前のスポーツドリンクを車内で飲む程度にしています。本当は、お茶の準備で読経中に立たれるよりも一緒にみ仏に向かってほしいのですがねぇ。お盆もお彼岸も勿論ご法事も、み仏とご先祖に対して報恩感謝の気持ちを表わす大切な時なのですから・・・。
(今日の写真は、清掃後の納骨堂横です)


お盆の準備を今日も一つずつ・・・
2018/08/07
明後日から盆参りに出ますので今朝は早く納骨堂の整備をし、お参り用の机を広げたり打敷を掛けたり花を活ける壺を出したりと、一汗かきました。先週も境内周囲の除草と清掃をしましたが、とにかく一つずつ片付けていたないと間に合いません。お盆参りの日程と順番については既に各ご門徒には寺報で連絡してありますし、我々が持つ日程表も完成していますが、まだ幕の設置と本堂のお飾りが残っています。今日も初盆法要の依頼がありますのでこれについてはその後になりますが、その他にも県外のご門徒に依頼された円護寺墓地のお墓にも献花香をしなければなりません。これは9日の夕方に行く予定にしていますが、盆参りは9日から15日まで1週間連続ですので、この時しか時間的に無理なのです。最近はこんな状態の連続ですから、高校当時に父(前住職)と手分けしてお参りすると「助かるなぁ」としみじみと言った父の気持ちがよく分かります。もっとも、その父の死後に教職に従事しながらも40年近くやってこれたのは私自身が若かったことと、何と言っても坊守の存在があったからでしょうね。今でこそ古稀を迎えてゼーゼー言いながらですが・・・。さぁ、今日も一つずつ準備を進めていきますか。

鳥取も《熱帯》に突入です
2018/08/06
いよいよ今週の木曜日から1週間かけてご門徒宅を盆参りします。しかし、問題はこの猛暑とともに台風13号の動きです。今朝はその影響ではないのでしょうがとても蒸し暑く、少し動くだけで汗が吹き出ます。昨日は早朝に1時間かけて本堂裏の墓地の除草をし、その後月参りを含めて3件(宅・墓参りを含めると4件)のご法事を勤めてから夕方には坊守と一緒に納骨堂横の朽ち葉や除草の清掃でまたまた汗だく。最後は汗でずぶ濡れのまま坊守と温泉に行って汗を流しましたが、足を伸ばして湯船につかったので疲れも少し癒やされました。
しかし、今年の除草作業で気がついたことは、いつもは元気に葉を伸ばしているキンギョソウやシダが枯れていることです。本堂裏のイチハツも枯れて株が急激に減ってきていますし、ちょっと目を離すと千両や山椒も枯死寸前になっています。ノウゼンカズラも昨日やっと陽の当たる枝に一輪だけ咲きましたが、それに反して玄関前のブーゲンビリアは今までにないほどに満開状態になっています。8月に入った時に載せた写真にも増して花をつけていますが、この花の状態だけを見ても、鳥取も今年は完全に《熱帯》状態なのが分かります。(その中で、蝉の抜け殻が必死で枝にしがみついていました)

「お寺の掲示板大賞」があるのですね
2018/08/05
世の中にはいろいろな「~~大賞」がありますが、「お寺の掲示板大賞」というものがあるとは知りませんでした。掲示板にはそれぞれの思いが短い言葉で簡潔に綴られており、私も退職してからは毎月新しい言葉を掲示していますが、その言葉を考えるのに頭をひねります。季節や時期に添ったものでなければならない上に以前に書いた言葉と似ているものは避けなければなりませんからね。そして、今回の掲示板で一番強烈(?)だった言葉が、岐阜市にあるお寺のものだそうです。そこにはただ一言【お前も 死ぬぞ】と書かれていますが、これは釈尊が「たとえ王で金持ちでも、人は皆いつか死ぬのだ」ということをきっぱりと言い切った言葉です。そして、その言葉を選んだ住職の真意は、「ここ数年の間にあちこちで発生している災害で多くの人達が命を失っているが、それは決して《他人事》ではなく、いつかは自分の身にも襲いかかってくることでもあるぞ」という意図であり、「だからこそ、日々の生活を悔いのないものにしなければならない」という警告でもあるのでしょう。築地本願寺には【他人と過去は 変えられないが 自分と未来は 変えられる】と書かれていますが、それぞれの真意は結局のところ同じものであり、「自分自身を見つめ直しなさい」ということになるのでしょうね。
連日の猛暑で大玄関も簾にしました。これで少しでも風が入ってくれればいいのですが・・・。

同窓会にはなかなか出席出来ません
2018/08/04
8月になると毎年のように高校の同窓会がありましたが、勿論、盆中のためにいつも欠席。しかし、今年の冬には同級生が褒賞を受けたということでクラスの同窓会があり、急のことでしたがそれでも10名近くが集合。皆が古稀を迎えているのに、その時だけは高校生に戻ったようでした。そして、7月には講師から教諭になり、結婚もした青谷高校時代の同窓会。しかし、この日はちょうど法務が複数予定されていたためにやむなく欠席。代わりに缶ビールを1箱配達してもらいましたが、それは喜んでもらいました。後で40名近い生徒と2人の同輩が写っている写真をいただきましたが、特に男子生徒は《オジサン》化しています。それはそうですよね、全員があと3年で還暦を迎える歳になっているのですから。教え子も歳をとり自分も歳をとるのが現実でありながら、自分はいつまでも「昔のまま」であり、高校時代も「ちょっと前」のことのように思っている私です。
一昨年にいただいたタマカンザシがあまりの暑さに弱ってきましたので、時期は良くないと分かっていますが植え替えて木陰に置きました。なんとか元気になってほしいものです。

『矛盾』がまかり通る日本って・・・
2018/08/03
男女の進学率が逆転したのは平成元年の今日だそうです。《男女平等参画》と言われて久しい昨今ですが、相変わらず男女差別があります。その典型が相撲界でしょうが、現在は政治家でも「女は子供を産む機械」だとか「子供を3人以上産まないと、他人の税金で暮らす老後が待っている」等々馬鹿げた発言をする者が多々います。そして、今度は人の命を預かる者を育てる医大で「女子の点数を一律に下げる」という行為が報道されました。この医大は、息子を裏口入学させるために文科省役員の立場を利用した人物と関係のある大学ですが、その理由が「女性は出産などで休むことが多く、仕事に支障が出るから」というものです。片方では「出生率を上げろ」と言い、片方では「出産等で休むから、女は困る」と言う。こんな矛盾したことを平気で言う《教育の最高機関》があり、それを平然と指示する政治家もいる。『矛盾』という言葉は中国の楯と矛を売る者の話から生まれたものですが、2000年近くも昔に《馬鹿げた話》の一つとして生まれた『矛盾』が現在でも堂々とまかり通っている日本って、一体どんな国なのでしょうねぇ。

より過激に移る心理とそれを求める大衆に問題が・・・
2018/08/02
ある図書館で、40本以上ものホッチキスの針が挿されている本が見つかりました。誰でも一度くらいはホッチキスの針を外した経験があるでしょうが、外すときに気を付けなければ紙が破れてしまいます。しかも、針の穴は二度と埋まりません。自分の本でもラインを引いたり端を折ったりしないようにするものですが、ましてそれが公共のものであるならば当然です。しかし、最近では必要なページを破って持ち帰ったり、汚したりする人が後を絶たないそうです。今回の行為も《イヤガラセ》というよりも《愉快犯》の仕業でしょうが、最近は暴行の現場を撮ってSNSに載せたり線路に降りてふざけている姿を載せたりと、益々度が過ぎています。「より過激な方が見る者も増えるから」ということでしょうが、この考えは大昔の公開処刑を彷彿させます。残虐な公開処刑を人々に見せることによって政府(権力者)に対する恐怖心を起こし、それによって人心を掌握する《恐怖政治》が世界中で生まれましたが、「同じ内容では見ている者にあきられるので、《より過激なもの》にしないと」と考えて過激化していくSNSの投稿者の心理も同じものです。もっとも、それを望み面白がる大衆の存在も問題ですが・・・。
(鹿野では蓮の花が見頃になっているそうですが、当寺では残念ながら葉が伸びているだけです)

猛暑の8月。体力が心配です
2018/08/01
7月の最終日も猛暑で、鳥取は全国一(38、5度)でした。確かに徒歩2分の郵便局まで行くのに太陽はジリジリと焼けくようで、川で泳いでいる鯉が羨ましいことでした。今朝も早くから境内に水まきをしましたが、終わって家に入る時には一瞬貧血気味になり、クラクラッとしました。この暑さも当分続くとの予報ですが、来週からは盆参りも始ります。古稀を迎えているとともに6月から2ケ月間(土日を外して)毎朝病院に通っていたこともあり、なおのこと体力が持つかどうか心配です。盆参りの最終日に熱中症で倒れた数年前の記憶がよみがえってきて・・・。
しかし、本当に高温の毎日ですから、いくら鉢植えに水をやっても翌日にはク゜ッタリとなっています。その様子がハッキリと目立つのは紫陽花とふうち草ですが、特にふうち草は葉が丸まってまるで針のようになってしまいます。水分の蒸発を防ぐために葉の面積を少なくする本能(?)とでも言うべきものでしょうが、メダカが泳いでいる火鉢の水も目に見えて減っています。本当にこんな年は初めてですが、逆に玄関先のブーゲンビリアは満開ですよ。さすがに《南国の花》ですね。

淨宗寺(浄宗寺) 〒680-0821 鳥取県鳥取市瓦町110 TEL:0857-22-5744 FAX:0857-22-5745