5月
バラを愛する人と政治家の愛するものと・・・
2018/05/22

またまた見つかった新文書。「やっぱり」というところですが、どうせ「そんな文書の内容には記憶がない」と言うだけでしょうし、まったく政治家の《毛の生えた心臓》と複数の《舌》には驚くほかありません。いや、もう既に「驚く」ことを通り過ぎてしまっています。かつて「3日やったら◎◎はやめられない」という言葉を古老から聞いたことがありましたが、現在では大多数の人がここに「政治家」という言葉を入れたらピッタリだと思うのではないでしょうかねぇ。《多数決》の原理を持ち出し、国民の意見を無視して何でも強引に決めていくなど、つまらない時代になったものです。
今日の新聞には見事に咲かせたバラ園を解放しておられるご夫婦のことが載っていましたが、美しい花で人を喜ばせるこの夫婦と自らの欲望のために嘘で固めた言葉で国民をだますこの両者のあまりの差が大きく、「人がこの世で望むものって何だろう」という思いに駆られることです。「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す」という言葉もありますが、今の政治家が残すものは何なのでしょうか。


折角の降誕会に会えませんでした
2018/05/21

今日は親鸞聖人の降誕会が本山で勤められますので、坊守と一緒にお参りに行きました。昨日はその準備の最中で、平安中学校の生徒達が献花・香の指導(歩き方等)を受けていました。ただ、今日はお宅参りが入ったために私だけは今朝一番の列車で帰りましたので、降誕会のお勤めには会えませんでした。そのため、この『独り言』も帰寺してから書いていますので、ただ今の時間は10時50分です。京都も雨が上がってさわやかな日中でしたし鳥取も実にさわやかな陽光に照らされていますが、降誕会にお参り出来なかったことは残念で仕方がありません。
途中の車窓から眺めると、水がはってある田圃があちこちで目につきました。もう少ししたら一面に早苗が植えられて薄緑に染まるのでしょうが、その次にやってくる梅雨の湿気と酷暑だけは遠慮したいものです。これを打ち終わったら、お参りに出る準備にかかります。


納骨堂法要を勤めました
2018/05/20
昨日は午後から当寺では「納骨堂法要」を勤めました。当寺の納骨堂は昭和28年の鳥取大火災の後の墓地強制移転によって取り残された無縁の遺骨を納めるために前住職が造ったものでしたが、時と共に使用に耐えられなくなったこともあり、私の代で思い切って作り直したものです。そして、その時の条件は[寄付は頼まないで、寺院の基金でする][どんな天候でもお参りの方がゆっくりとお詣りできるために、建物形式にする]でした。そのために遺骨は地下に各家の安置箱を設置しました。近年は歳とともに墓地へのお詣りが厳しくなっている方もあり、ここに安置される家も多くなっています。昨日の納骨堂法要も多くのお詣りの方々と共に読経し、終了後はお茶とお菓子で雑談の時間を設けました。多くの方々と一緒に阿弥陀如来と御先祖に向き合えることは嬉しいことですね。

懐かしい人達が2人亡くなられました
2018/05/19
昨日の雨にはビックリ!まるで梅雨期のゲリラ豪雨のような降り方で、秋田県では洪水も起きたとのこと。いよいよもって自然が人間に抗議してきたようにも思えます。
ところで、《新御三家》の一画に位置していた歌手の死があちこちの局で大々的に報道され、NHKラジオでは朝の4時頃からその歌手のヒット曲を特集して流していました。しかし、ある化粧品のCMでは昨日亡くなられた星由里子さんが出ていました。何年も前から使われている通販CMですから仕方がないのでしょうが、せめてテロップでお悔やみの言葉を重ねる配慮が出来なかったのかと残念でした。もっとも、「星由里子って誰?」と言うような人達には関係ないことかもしれませんが・・・。
新聞の片隅(お悔やみ欄)には毎日多くの人の名が載っています。この人達も「人生をしっかりと生きてきた」人であり、ある人にとっては大切な方であったはず。上記の2人とは違って世間に名が知られていたことはないでしょうが、関係のあった人にはその人の「生きた証」として、是非とも各自の記憶にとどめてほしいものです。

川面を渡る風の気持ちよさをまた感じたい
2018/05/18
ここ数日の暑さは異常です。ご法事の時には法衣を含めて何枚も着る上にしっかりと腹に力を込めて(単に大きな声を出すのではない)読経しますから、汗びっしょりになります。これは夏になれば当り前のことですが、5月の今からこれでは身体がもちません。特に一昨日と昨日はまるで梅雨に入ったかと思われるほどの湿度でしたし、そのせいか風も生ぬるくて気持ちが悪く、昨日は慌てて参詣者用に扇風機を出したほどです。しかも、先ほどの天気予報で今日も最高気温が31度になると言っていましたが、よく考えるとこの温度は一定の条件を備えた場所で計られるもの。だから、アスファルトの照り返しが厳しい市内の気温は予報よりも3度は高くなります。実際に、一昨日は報道よりも2.5度高かったのですから・・・。人間には厳しいこんな暑さも湿度も植物にとっては必要なことだとは知っていますが、分かっていても文句を言うのが人間の傲慢さなのでしょうね。
寺の前には川がありますが今は水量も少なく、川面の上を渡ってくる風に気持ちよさを感じたのは夢だったのでしょうか???
(2輪咲いたセッコクも、数日前に散り落ちてしまいました)

砂丘の初夏を彩る花たち
2018/05/17
1週間前に白兎GG場に行ったときには、ニセアカシヤの木が藤に似た花でまっ白になっていましたが、昨日の新聞には同じ白兎でピンクの花を開いたハマナスの写真が載っていました。この白兎海岸のハマナスは群生の南限として天然記念物に指定されていますが、実は砂丘にもハマナスの咲いている場所があります。こちらは人の手によって植えられたもののために《天然記念物》ではありませんが、その代わりに近くに寄って見ることが出来ます。ハマナスの茎にはバラのようにびっしりとトゲがありますが、バラのトゲと違うのは見た目にはるで毛のように細く感じられるところです。かと言って、ウッカリと触るとそのトゲが刺さってとても痛いだけでなく、細いために抜くのも大変(経験済み)です。花はとても可憐ですが・・・。このハマナスが咲いている場所は砂丘を過ぎて大谷に行く海岸道路沿いですが、頭上にはニセアカシヤの白い花、目を下にすると可憐なハマナスの花、そしてその先の砂地には紫色のラッキョウの花(以前、美智子妃殿下が賞賛された)と、この初夏を代表する花々が咲いている光景は《一見の価値あり》ですよ。
(写真は境内にある鉢植えの山ウツギですが・・・)

人間の本性は善か悪か?
2018/05/16
昨日の仏婦研修会では、11日のこの欄で書いていた如来の第18願の中の「唯除五逆誹謗正法」と孟子の性善説との関係を言葉を使って説明しました。と言っても、HPを見て下さっている人には説明のし直しですがそうでない人にとっては初めて聞くものになりますので、どちらにも伝わるように、出来るだけ分かりやすく説明したつもりです。
「孟子は『どんな悪人でも、子どもが井戸に落ちようとしたら助けようとする』という比喩を使って『だから、どんな悪人でも心の底には善がある』と述べたが、如来の本願もこれなのだ」との説明です。つまり、「『唯除~』には『そんな人間は救わない』と区別しているのではなく、そんな人間がいることを承知の上で『そんなことをしてくれるなよ』と願っている言葉だ」と解説し、「『お湯にタオルをつけないように』とか『駐車しないで下さい』も同じで、そんな人がいなければ注意することもない。いると分かっている上で『~しないでほしい』と願っているのではないか。つまり、我々も如来と同様に相手の善心に訴えているのであるから、そこには孟子の性善説が関わっている」と説明したのです。もっとも、「昨日の国会における大臣の話を聞いていると、とても『人間の根底には善心がある』とは思えませんがねぇ」とも付け加えましたが・・・。
世界中で起きている残虐な事件で浮かんでくるのは、《性善説》が信じられなくなってくる現在の人間の姿ばかりです。悲しいですね。

国会議員の言葉の軽いことと言ったら・・・
2018/05/15
昨日の国会答弁は、聞いている方が馬鹿にされている感じでした。特に福田大臣のセクハラに対する《お詫び》などは、「謝りゃいいんでしょ」的な態度でしたから、あんな発言を社会ですれば「ふざけるな!」と一括されます。もしかするとゲンコツが飛んでくるかも・・・。そんな態度がまかり通る国会議員に対し、愛媛県知事の正面に目を向けて発せられた言葉は相手の心を打ちます。もっとも、某テレビ局の番組でコメンティターに選ばれた芸人の発言は国会議員に負けず劣らずあきれるばかりでしたが・・・。
今日は月一の当寺の仏教婦人会研修会があります。特に今回は総会で今年1年の計画等も討議されますが、私にとってはいつもと変わらぬ法話がありますので、「今回は何を話そうか」と悩んでいる現在です。いつも話す内容の焦点は決めていますが、導入からの流れで変わることもしばしばですから、結局今回も「行き当たりばったり」になるのでしょうかねぇ。
去年の秋に地植えしたエビネ蘭が2種類咲きました。明日は黄色の花を載せる予定です。

読書とその魅力
2018/05/14
昨日は久し振りに何もない休日でしたので、一日中読書三昧。と言っても仏典ではなくて小説ですが・・・。本屋大賞に選ばれた辻村深月の『かがみの孤城』で、イジメにあった中学生が体験する鏡の中の世界が描かれています。このことは教員当時の演劇指導と創作脚本のことに絡めて数日前にもこの欄に書ましたが、やはり何と言ってもプロの作家。予想していた筋書きと似ている部分は多々ありながらも私をグイグイと引き込んでいき、結局1日で読破してしまいましたが、これと似た感動が与えられたものに三浦子門の『神去り なあなあ物語』がありました。両方とも堅苦しいテーマではなくてもどこか読む者の心を引きつけて離さない魅力があります。
そして、このような魅力ある本を読むと、自分の法話や過去に行ってきた授業がつくづくと恥ずかしく思われます。「自分の話には人を引きつける魅力があるのだろうか」と・・・。《先生》とは「先に生まれている」からこそ持っている経験と知識を相手に伝えていく者であり、決して《知識の切り売り》をする者でないことは分かっていますが、「今の自分は、はたしてどうだろうか?」と考えてしまいます。本当に、「人は一生涯勉強を続けていくもの」だという言葉が身にしみることです。
(同じ花器と背景でも、花が変わると印象も違うものですね)

自然現象の変化か??
2018/05/13
昨日は以前に剪定をしていた牡丹に《お礼肥(白玉のもの)》をしてから土が乾いていたので水も撒いておきましたが、今朝は雨。今まで「洗車をしたら雨」ということが何度もあったので「またか」と思いましたが、天気予報によれば降雨とは言っていかなったはず。草木にとっては嬉しい雨でしょうが、水まきした本人にとってはガッカリな雨でもあります。
ところで、3日前には枝一面に真っ赤に垂れ下がっていた桜桃でしたが、昨日は一つもありません。手が届かない枝の先までなくなっていたので、誰かが取ったのでもありません。おそらく小鳥が食べたのでしょうが、それにしてもあれほど見事に色づいていた実を一日で食べ尽くすなんて、一体何羽の小鳥がやってきたのでしょうかねぇ。近年は雀の声もなくて聞こえるのはカラスの声ばかりですから、余計に気になります。そう言えば、先日は砂丘に熊の足跡が発見されたとか・・・。幸いにして石碑の立っている所でしたので観光客はあまり行かない場所ですが、それにしても砂丘に熊が出現すること自体、異常です。やはり自然が狂ってきているのでしょうか?
(写真は、松の木の下に咲いている3寸アヤメです)

古稀を迎えて不安なことばかり
2018/05/12
昨日の午後からGG大会優勝者のトロフィー購入で専門店に行きましたが、すぐに出来ると思っていた刻印が「2週間かかる」と言われ、困りました。確かに教員時代にはいろいろな分掌の経験がありましたのでそれなりに知識もありましたが、退職して10年経つうちにすっかり忘れているのです。人間の記憶って、こんな程度なのかもしれませんね。もっとも、《私の記憶》と言うべきかもしれませんが・・・。《早とちり》や《うっかりミス》も笑い話程度で済めばいいのですが、命や生活に係ることになれば大変です。最近はとみにこんなミスが増えている気がして必ずメモを取ることにしていますが、「メモしたつもり」や「肝心なことの書き落とし」には今まで以上の注意が必要ですし、「しっかりと確認・理解することの大切さを、もう一度胸に刻みつける」ことの必要性を再認識しています。「この歳になると、人の名前や物の名前がすぐに出てこなくなった」ということをよく聞きますが、「自分もその《仲間入り》に近づいたのか」と思う古稀を迎えた不安な昨今です。せめて山椒の香りでも嗅いで、頭をスッキリさせたいものですね。

人間にこれほどのことができるのか!?
2018/05/11

新潟の女児殺害事件の非道さは言葉になりません。その昔、孟子は「井戸に落ちそうになった子どもがあれば、どんな悪人でも助けようとする」と性善説を唱えたのに対して荀子は「人間の本質は悪だから、法で押さえつけなければ何をするか分からない」と性悪説を唱えました。確かに人間は善悪のいずれの心も持っていることは否定しません。しかし、阿弥陀如来の第18願には「唯除五逆誹謗正法」と説かれていますが、これは「親を殺したり僧を傷つけたり、仏の教えを誹謗する者は救わない」と区別しているのではありません。むしろ、そんなことから逃れられない人間の弱さを知っているからこそ「そんなことはしてくれるなよ」という仏の願いが述べられているのです。駐車場の前に「駐めないで下さい」という掲示板がありますが、これも同じく駐める人があることからその人の心に訴えているものです。つまり、阿弥陀如来の言葉も駐車しないように願っている人も、どちらも「きっと私の気持ちを分かってくれるはず」と思っての願いであり、言い換えれば孟子の《性善説》にのっとっているようなものではないでしょうか。それに対し、いたいけな女児の命を奪うだけでなく、あまつさえ証拠隠滅を諮って列車事故に見せかけるという行為は非道以外の何者でもなく、自殺志願を持った人を殺して頭部だけ部屋に置いていた犯人と同様に「人間にこれほど残虐なことが出来るのか」という驚きとともに《人間の心》に絶望したくなる事件に悲しくなるばかりです。


GG大会の結果はさんざんでした
2018/05/10
昨日のGG大会では冷たい風が吹いていましたが、2ホール回る頃には気温も上がってきました。ただし、成績は上がることなく最後まで低迷気味。一度だけ「あわや、HOか?」というものがありましたが、輪っかでストップ。結局私が11位で坊守が14位(16人参加)でしたので、ラッキー賞にもBB賞にもなりませんでした。しかし、昨日は何故か疲れて、風呂で身体を温めたらそれが一気に出てしまいました。まさか前日に400㏄採血をしたせいではないでしょうが・・・。なにしろ、教員時代には毎年のように献血(当時は200㏄)をしていた経験もありますし、今回もせいぜい6~7分程度の採血でしたので身体には一切影響がないと思っていましたが、この疲れにつくづくと体力の減少を実感してガックリした昨日でした。
(この冷たい風にも負けずに、君子蘭は見事に咲いていますがね)

今日はGG大会の日です
2018/05/09
しかし、日本の舵を握る大臣が日本語を知らないのも困りますね。「『セクハラ罪』という罪はない」と言いながら、「セクハラは親告罪だから、訴えられなければ罪にはならない」とのたまう。「一方では罪ではないと言いながら一方では罪だと言っているこの矛盾に気が付いていない」というよりも罪と認めようとしていない強引な態度は、不都合な質問に対しては《自己流》の論理で「問題ない」と断言し、蓋をしようとする日本の閣僚そのものです。こんな子どもでも分かる矛盾を追及しきれない野党やメディアも情けないですが・・・。
ところで、今朝から冷たい風が吹いていますが、今日は当寺のグランドゴルフ大会の日です。毎年5月と10月に実施しているGG大会ですが当寺のルールは特別で、「一度優秀した者は、たとえトップの成績でも次の優勝はない」というものです。これは「出来るだけ多くの人に優勝の感動を与えたい」ということから決めたルールです。そして、1位から3位までの賞品に加えてホールインワン(HO)賞やBB賞もありますので、半分近い人には何らかの賞品が出るわけです。それに参加賞は全員にありますから、絶対に何かが貰える大会です。前回は私もHO賞を貰いましたしね・・・。

草は目を近づけないと見落とします
2018/05/08
昨日は1日中雨模様でしたが、降り始める前の早朝に境内の鉢植えを少し手入れしました。ご門徒から3年程前にいただいていたアンネのバラを大きな鉢に植え替えたり、土が少なくなっているものに土を増やしたり、置き場所を変えたり・・・。しかし、目につくのは、草が随分と伸びていることです。今までも目についたものは時々抜いていましたが、1ケ所を抜き始めると「あぁ、ここにもある」的に止まらなくなるほどです。本山発行の新聞『本願寺新報』にも芝生の手入れについて似たようなことが書いてありましたが、確かに上から見た時と地面にくっつくぐらい顔を近づけて見る時とでは草の生え具合がまったく違います。今回の除草もそれと同じで、今まで見えていなかった短いものまで目につくのです。(もっとも、雨が降り始めたのと腰が痛いのとでいったん止めましたが・・・)実は、このことは我々自身にも当てはまる現象です。よく映画でも使われますが、権力を持った者がその周りにしか目が届かずに下の者の声が届かないことが多いなり、そこに《おもねり》や《追従》する者を重用してしまって雑草がはびこる(会社がつぶれる)ことになるという内容のものがよく見られますよね。「気がついたら一面が草原になっていた」ことにならないように、自戒を込めて草を抜きました。
(今日の写真は、桜桃を使った玄関の活け花にしました)

仕事はどんなときでも「自分の都合」優先ではない
2018/05/07
どこでも行事の準備には気を遣うものです。私も教員時代には授業の合間をねらって準備をしたことが何度もありましたが、時間を考えないとどうしても「作業の途中止め」ということが起きます。そんな時に1時間も2時間も「使用中」と張り紙をすることは別の人に失礼であり、そんな場合には最初からセットし直しということになります。そのために仕事にいつも必要な時間と次の仕事の時間を考えて動いたものでしたが、最近の人達を見ていると、どうもそんなことは考えない(自分に都合のいい時間)で動いているように思われます。教員時代に学校訪問の依頼書をメールで送ってきたところがありましたが、それを受けた教頭が「自分が読んでいなかったらどうするつもりだったのだ?」と驚きあきれていたことが実際にありました。以前は上司が「電話をかける時には『今よろしいでしょうか』と聞いてから話をするものだ」と教えましたが、現在はそんなことを教える上司もいなければ、聞く部下もいません。なにしろメール1本で退職願を送付してくる時代ですから・・・。確かに「『稟議書』を回して印鑑を貰ってから実行する」のは面倒ですが、世の中にはそれが必要な場合(特に公文書)もありますから・・・。
準備一つ考えても決して「自分の都合ですればいい」ものではないことを、メール(ライン)全盛の今こそ考えるべきことかもしれませんね。(写真は、本堂裏の真っ赤に実った桜桃です)

初めて《お古でない》デジカメを持ちました
2018/05/06
今まで15年近く使っていたデジカメは息子からの《おさがり》です。私自身はこのような機械にまったく関心がなく、携帯電話も息子が使っていたモノクロ画面のものを「電話が掛けられればそれでいい」的考えで10年近く使っていたほどです。しかし、現在のようにHPに書いている『独り言』に画像を取り込むようになると、花の接写が出来ないので苦労していました。そこでやっとデジカメの新しい品を購入しました。現在はそんなに高価ではなくても性能が良く、少し思い気がしますが、今朝が使い初めです。そのために今朝の写真は接写した都忘れの花にしましたが、ただ私は「カメラを持ち歩かないと・・・」というほどのマニアではありませんし、カメラは書斎の引き出しに入れていることが多いのでそんなに度々撮ってまわることはないと思いますが、これからは少しは《出来のいい》写真が載せられることと思います。
それにしても、先日のコード着脱以来、PC画面の文字が小さくなっていて困っています。どうしたらいいのでしょうかねぇ。

思春期の子ども達の心理は?
2018/05/05

昨日は法務の後に少し時間の余裕が出来たので、夕方前に書店に行きました。最近はあまり読みたい本がなかったのですが、『かがみの孤城』に惹かれて書店を覗いたのです。これは《本屋大賞》に選ばれた作品で、学校生活になじめない子ども達の心理が描かれていますが、実はこの本の題名に惹かれたのも理由の一つです。
私が岩美高校で演劇部の顧問をしていた時、各校の顧問が集まって「6月の発表会が終われば、県大会に出ない学校は活動の場がなくなる。彼らに目標を持たせるために、新人発表会をやらないか」と話が出て、運動部の新人戦のように1月か2月に発表会を開くことに決まりました。そして「出来れば、生徒自身に脚本を作らせたらどうだろうか」ということになり、そのために《頑張れば誰でも書ける》ことを証明するために先ず私自身が脚本を作ったのですが、その題名がなんと『鏡の中』だったのです。たまたま新刊紹介を読んだときにそのことが思い出されて懐かしくなり、それで購入したわけですが、今は残念ながらゆっくりと読む時間がありません。近いうちに時間を作るつもりですが、私の脚本と作家の視点がどう違うのかを考えながら読み進めるのも、不安とともに楽しみなことです。


悲喜こもごものニュースでした
2018/05/04
今朝のニュースで驚くものが2件ありました。一つは、現在行われている卓球世界選手権で韓国と北朝鮮が戦わず、逆に「《合同チーム》を結成して次の対戦国と戦う」ということです。この「次の対戦国」とは日本なのですが、その理由はあくまでも《世界情勢に関わる政治的配慮》とのこと。東西ドイツを分断した壁の崩壊が世界の平和をもたらしたかのような大きなニュースになったこともあって今回のことも大いに歓迎すべきものですが、スポーツを政治に利用した感もあって何かスッキリしないものもあります。
そして次に驚いたのは、「イチロー選手のマリナーズ特別エージェント就任」です。今季は試合には出場しないということで大谷選手との対決もなくなりましたが、イチロー選手は《生涯契約》という形でマリナーズの試合にはすべて帯同し、チームの勝利のために選手達にアドバイスや指導をしていくのだそうです。ただし、何か突発的なことが起きれば選手として出場する可能性もあるそうですが、もうこれで現役のイチロー選手は見られなくなります。
今朝は悲喜こもごものニュースがありましたが、これに付け加えれば、「北朝鮮に拘束されていたアメリカ人3人の解放」によるトランプ氏の「やったぜ!」的なドヤ顔も映し出されていましたよ。

美智子妃殿下にとって最後の《山つけ》
2018/05/03
昨日は美智子妃殿下が蚕の卵を木につける《山つけ》をされました。この作業は歴代皇后の仕事として昔から続けれているものだそうですので、来年に皇后を退かれる美智子妃殿下にとっては最後の作業になります。そして、この皇后の養蚕にはかつて日本文化も助けられたことがあります。
正倉院の中には1000年以上昔の宝物が納められていることは周知のことですが、その中にある織物の補修に必要な絹糸がなくて修復が不可能になりかけたことがあったそうです。「いくらなんでも絹糸ぐらいあるだろう」と思いますが、現代の絹糸は太くて1000年以上も前の繊細な織物の修復には使えなかったのです。その時皇后から「この糸が使えませんか」と渡されたのが、宮内庁からも「この蚕の養育をやめてはどうか」と言われながらも育て続けた古代種の蚕の繭だったそうです。その繭によってやっと修復が出来たことから周りもその古代種の蚕の価値を認め、今では皇后の愛情と努力を受けて数も増えているそうですが、このことは天皇陛下と一緒に膝を突いて被災者に向かわれる美智子妃殿下、自らの乳房で子どもを育てられた美智子妃殿下の愛情と強い信念に触れることが出来るエピソードの一つですよね。(蛇足ながら、私の亡き母も「美智子」でした)

少子化と寺院の今後との関係
2018/05/02
結局、昨日のPCトラブルは無線式キーボードの不調ではないかという結論に至りました。最初はマウスかと思い、次にキーボードかと思って電池を入れ替えたりしましたが、変化なし。そこで「もしかすると」と思い、しまい込んでいた直結式のキーボードを引っ張り出してつないだところなんとか動き出した、というわけです。
ところで、昨日は組会の議事録のまとめに署名人の押印をもらって組長宅に提出しましたが、そこで『月間住職』の記事のコピーをいただきました。寺院経営の今後が別の立場の視点で述べられている内容ですが、簡単に言えば《少子化と寺院の今後》ということでしょうか。「少子化でしかも彼らが新しい家庭を他の土地に構えている現在、特に地方の寺院の経営はどうなるのか」ということから「経済状態の悪化と葬儀や法要との関係」が述べられていますが、「だから何か新しい収入源を作らなければ、寺院は消滅する」という意見には何か引っかかるものもあります。勿論その意見は尊重されるべきものですし否定もしませんが、《新しい収入源》に直結していることが気になるのです。「その前に何かあるのでは?」ということですが、残念ながらそれが何なのを明言できないことも事実です。
(牡丹がすべて散りましたので、葉を数枚残して剪定しました)

今月は何か起こる予感が・・・
2018/05/01

いよいよ5月、皐月です。「皐月の鯉の吹き流し」だったと思いますが、当寺前の袋川にも数日前から鯉が泳いで(風になびいて)います。もっとも、風がやむと時折しっぽを水面に垂らしていますが・・・。昔の子供たちは「鯉のぼりは空を泳ぐもの」だと思っていましたが、最近はどこも庭先で柱を立てて泳がせるということが不可能ですし、もう少しすれば「鯉のぼりは川の上で風になびくもの」だと思うようになるのかもしれませんね。
ところで、ここ数日は買ったばかりのマウスの調子が悪いし、今朝はデスクトップのPCが仮名入力しなくなり、ほとほと困っています。この『独り言』もしばらくOFF状態にしてやっと動くようになったノートPCで打ち込んでいますが、月初めからこの調子では、今月も何か起こりそうな嫌な予感がします。「初めよければすべてよし」とは言いますが・・・。


4月
とうとう4月も終わります
2018/04/30
いよいよ4月も今日が最後。例年より1週間も早く咲き始めた花々もすっかり散ってしまい、窓を開けると一面が青葉です。高校時代に5時間目のLHRで頂上まで往復(6限目はちゃんと授業を受けました)した久松山ではこの時期はいつも若草の匂いでむせかえるようでしたが、今から思うと《森林浴のはしり》だったのかもしれませんね。
しかし、4月最後ということは「平成」も最後の1年となったわけで、テレビでも朝からそのことを盛んに放送していました。平成に変わったのは1月8日でしたからウロウロしたということはありませんでしたが、今回は絶対に2つの年号での記載や生活が生まれます。免許証の有効期限も「平成32年」となっていますし・・・、。とにかく、最後の1年がその名にふさわしい年であってほしいものです。

今年も川の上で鯉が泳ぎ始めました
2018/04/29

別室からの入力は出来ましたが、やはり写真が出来ませんでした。
昨日の午前中に何やら外がガヤガヤしていると思ったら、袋川に鯉のぼりを設置していました。去年から若桜橋~花見橋間からあふれて当寺の前まで鯉が泳いでいます。昨日は風を吸い込んで泳いでいましたが、今朝はまだ垂れ下がったまま。写真を撮ってきましたのでこの欄に載せますが、数十匹の鯉が泳ぐ姿はなかなか眺めがいいものですね。近年は庭に柱を立てて風に泳がせている鯉のぼりの姿を見なくなりましたが、これも町中での生活の欠点(庭が狭くて、隣から文句が出る)かもしれません。雛飾りにしても7段や8段飾りがなくなり、男雛と女雛だけになっている家庭が生まれているのも部屋の構造からでしょうが、「お仏壇をどこに置いたらいいのでしょうか」という質問が増えてきたのも同じ理由でしょうね。導線を考えた間取りは素晴らしいものですが、少し寂しいところもあります。


新しい実験(?)に挑戦します
2018/04/28

昨日の定例組会では特別な質問もなく終了しましたが、さすがに多人数。時間のかかった机の準備に比べて片付けはあっという間でした。もっともそれ以外はすべて私でしたから、最期まで走り回ってしまいましたが・・・。後は書記として議事録のまとめが残っていますので、しばらくは休む間がなさそうです。外はGWですが、どうも私にはG(ゴールド)ではなくてB(ブラック)な1週間になりそうです。
今まで外出たときには『独り言』を休んでいましたが、何とか外からでも書き込むことができないかと考え、今日は別室でノートPCを使って挑戦しています。これでうまく入力できればいいのですが、ダメならもう一度書斎で書き込むことになりますね。

※今までのPCで確認しましたが、挑戦はなんとか成功したようです。しかし、写真だけは無理でした。そのため、今日の写真はデスクトップPCでしています。


忘れる前に動けばいいのだ
2018/04/27
昨日からの雨模様もあって、境内の様子がどことなく変わって見えます。慈雨を得て元気になったものもあれば、その雨によって花びらが重く垂れ下がり、足元に散ってしまった牡丹もあります。しかし、その下を見ると、去年地植えにしてやったエビネランが小さな蕾を伸ばしています。
雨で土も軟らかくなったので草を抜いてやりたいのですが、GW前にいろいろな書類も終わらせてしまいたいという思いもあって、なかなか時間が取れません。先月も書き忘れていた掲示板を慌てて当日の朝に作ったこともあり、余裕を持って動いているつもりでも最近の結果はかくの如し。「頭ではいろいろと考えているのに、次の瞬間には別のことに身体が動いている」というのは、セッカチな性格のせいかそれとも歳のせいか・・・。まぁ、つまらないことは考えないことにして、思いついたことをすぐに実行することにしますか。
4月も残り3日になりました。いよいよ初夏から夏へと動きますので、春蘭という名前の花にもお別れですね。

定例組会の会場作りは終わりました
2018/04/26
歳のせいか最近はとみに眼の覚めるのが早いだけでなく、一度覚めると次に寝付くのに時間がかかります。今朝も真夜中に眼が覚めて寝付けずにいたら、時間設定(5時25分)しているラジオがONになりました。「今日の出来事」の次がニュースですので5分早くセットしているのですが、聞いていると、今日はドイツ軍の侵攻で市民に多数の被害が出たことに怒ったピカソが1日で『ゲルニカ』を描き上げた日だと伝えていましたが、次のニュースでは霧島連山の噴火状況を伝えていました。こう人災や天災が続くと、何かあちこちで不満がたまっている日本の《次の姿》を伝えているのではないかという気がします。TOKIOの山口さんの行為はそれとは関係がないでしょうが・・・。
明日は組の総代会が午後一で当寺を会所にして開かれ、続いて今年度の定例組会が持たれます。会場となる本堂は机・椅子ともにセットし終えましたが、40人を超える(であろう)人数分の配置には気を遣います。会の終了後には直ちに片付けないと明日の法務に差し支えますし、年度初めは何かと忙しいことですね。

【鉄人】衣笠氏に哀悼の意を捧げます
2018/04/25
4月も残すところ1週間を切り、テレビの話題はセクハラとGWのこと。しかし、その前に金曜日は鳥取因幡組の定例組会があります。前年度の見直しと今年度の活動方針が中心ですが、問題はその会場作り。そのために昨日は会議用の椅子を片付けたりストーブの灯油を抜いて物置に仕舞ったりしました。会場が当寺ですので・・。そして、今日は会場となる本堂に机をセットしたり放送器具の確認(花生けは明日の予定)をしますが、次の土日にはご法事もあり、その日に片付けしないといけないので大変です。まぁ、こんなことは今までに何度もしてきているので手順は分かっているし、あまり心配はしていないですがね。
ところで、そんな中で衣笠氏の悲報には驚きました。私と同じ第一期ベビーブームの生まれでもあってその点では《仲間意識》がありますが、何しろ相手は【鉄人】と呼ばれたほどのカープ選手。年齢は同じでも《雲の上の存在》的な人でしたから、衣笠氏の死が今もって信じられません。大腸癌だったということですが、私も同年代としてくれぐれも体調には気をつけたいものです。
(境内のドウダン(満天星)ツツジも花の盛りを終え、この雨があがったら青葉若葉の季節です)

言葉ってコワイものですね
2018/04/24
久し振りに雨が降っています。降り方はシトシトという感じですが、それでも梅雨とは違うホッとしたものを与えてくれます。もっとも、満開になった牡丹は「花弁が散ってしまう」と怒っているかもしれませんがね。白い山吹も大分散りましたし。
ところで、昨日の夜に投稿を読んでくださった方から電話がありました。最初はその意味を問われたと思ったので簡単に説明をしたのですが、どうも伝わってくる雰囲気が違います。おそらく何かを伝えたくてかけてこられたのでしょう。次はゆっくりと話をお聞きしたいと思っています。しかし、言葉というものは怖いものですね。「一度口から出たものは形で残っていないから、後で訂正すればすむ」というのが一般的な考えだと思いますが、相手の心にはいつまでも残ります。また、文字で書かれたものは何度でも読み直しが出来ますが、読んだ人には別の意図に違って受け取られることもあります。私自身、「目で見た」だけなのに「読んだ」と思い込み、勘違いをしていたことが何度もありましたから・・・。言葉を使って意志を伝えるのは人間が動物と違うものの一つだそうですが、やはり「言葉は意識して使うべき」ものだということを、1人1人が心に刻んでおく必要があるようです。《自戒の念》も込めて・・・

オモチャの船が大西洋を横断
2018/04/23
今回のセクハラ問題に対する対応やスーダンでの戦闘状態という陸自日誌の内容等々について、「国民をなめている。私が仕えた総理からは『権力は自分の都合で使うな』と教えられたが、今はどうだ」という発言内容が中谷議員からあったと、新聞にもネットにも大々的に書かれています。しかし、そんな声が届かないのか聞こうとしないのか、現在の官僚(閣僚は当然)達は一度耳鼻科にかかった方がいいかもしれませんね。
ところで、そんな新聞の片隅にホッとできるニュースがありました。スコットランドに住む8歳と6歳の子どもが、「瓶に手紙を入れる代わりに船をつくって流そう」と考え、プラスティックのオモチャの船を改造して海に流したそうです。その船はノールウェーにたどり着き、そのことを知った貨物船の船員の手で今度はモーリタニアに運ばれてそこから太西洋を横断し、ついに南米に到着したということです。今度は日本を目指して《航行中》だそうですが、GPSの電池が切れそうになっているとのことで、100隻を超える船が充電のために探し回っているとか・・・。こんなニュースがどんどんと増えたら楽しいですよね。
(今日は黄色の牡丹の写真にしました)

最近は小さなミスが続いています
2018/04/22

昨日のご法事の最後に納骨堂で読経をしましたが、ご門徒から「お疲れのようですね」と声を掛けられました。急の暑さに加えて年齢が関係しているのでしょうね、今日の投書欄にも年齢を間違えて投稿していました。今年は古稀なのに、PCにセットしている原稿用紙は68歳のまま。まったく恥ずかしい失敗ですが、最近はこんな《ちょっとしたミス》が続きます。やはり注意力が散漫になっているのでしょうが、もしかすると他にも原因があるのかもしれません。読経の時も時折声が出にくくなることがありますし・・・。つくづくと《歳》を実感することです。
ところで、久し振りに錦織選手の決勝進出の記事を見ました。手首の故障からここまでやってきた努力と闘志には頭が下がります。「努力は結果を裏切らない」という言葉を証明した今回の試合結果ですので、あとはこのままVまで行ってほしいものですね。
(3日連続の牡丹の写真にしました。もう一カ所もそろそろ開くと思います)


ひと月早い真夏日に体力も限界です
2018/04/21

昨日はカーディガンを着ているだけで暑かったのに今日は30度(予想最高気温)ということで、《夏日》だけでもまいっているのに、それに《真》がついて《真夏日》!法務の時には(夏冬関係なく)衣が4枚と袈裟を着けた姿の上、心を込めて読経するためにしっかりと腹に力を入れて声を出すので、法務のあとは汗が・・・。しかも土日はご門徒側の希望もあって複数になるので、昨今のように気温の定まらない日はまさに《修行》です。しかし、読経の後でご門徒と一緒にお念仏を称えた時は、何かしら心から重しがなくなったような気がしてきます。これが親鸞聖人の説かれた「報恩報謝のお念仏」なのでしょうか。
ところで、昨日の早朝はまだ蕾だった松の下の牡丹ですが、今朝は既に複数が開いています。きっと牡丹もこの暑さに慌てたのでしょうね。裏のイチハツはすっかり満開状態ですし、なかなか写真が追いつかない昨日今日です。


2ケ月も早い《夏日》にまいっています
2018/04/20
本堂裏では赤の牡丹が咲き誇り、前では白の牡丹(鉢植え)も満開に・・・。しかし、その重さに負けたのか、1輪が折れてしまいました。「支えをしなければ」と思っていた矢先でしたので、ガッカリです。当寺には他にも鉢植えや地植えで紫やピンクの牡丹がありますが、それらはまだ蕾状態ですが、ここ数日の(異常な!)暑さで開花するかもしれません。昨日はカーディガンを着ていると暑いほどでしたし、今週は夏日を通り越してしまいそうな気温になるとか・・・。花は勿論のこと私の体調もついていけません。そのために朝起きても疲れが残っている状態ですが、「それは歳のせいだよ」と言われれば渋々納得するしかないようです。人に言わせれば「70歳なんてまだ《若い》うちだよ」だそうですが、なにしろその歳になったのは初めてですから、何をしても分からないことばかりです。せめて[背中を伸ばして歩く]ことだけは実践していますがねぇ。

キリシマが咲く中を配ってきました
2018/04/19
昨日はご門徒のお陰で寺報と総代会報告の封筒詰めも終わり、郵便局へ。ゆうメールを解約(指定金額が高額)したために「どうしたら少しでも安くなるか」と考え、特定区域郵便を利用しました。ある指定区域の郵便(100通以上)が割引になるものなので、それを抜き出す手数が増えましたが、それでも1500円近い割引には変えられません。なにしろ、ご門徒からお預かりしているお金ですから。そして、今朝は6時前から車で宅配をしてくださるお宅を回ってきましたが、さすがに朝が早いせいか道路も空いていて助かりました。
ところで境内でもそうですが、あちこちでツツジが咲き始めています。しかいし、一口でツツジと言っても、、実は大きくキリシマとブンゴとサツキに別れます。そして咲き始める順番も違っており、今はキリシマが真っ盛りです。写真は咲き始めたブンゴですが、こんなことも昔は知らなかったんですけれどね。

「向こう3軒両隣」は夢ですか
2018/04/18
昨日はご門徒のお宅で月参りを勤めさせていただきましたが、いつも和菓子がお供えしてありましたので、「奥様は和菓子がお好きだったのですか」と尋ねたところ、「お茶とお花を教えていました」とのこと。アマリリスなどの鉢植えが玄関にあったことにも納得しましたが、残されたものの手入れを代わってなさるご主人に頭が下がりました。しかし、「お茶にしよう」と言うと珈琲のことになっている今、珈琲好きの私でも、抹茶や煎茶に和菓子という組み合わせは嬉しいものです。
『喫茶去』という言葉があります。これは「ゆっくりお茶を飲んでからお帰りください」という意味だそうですが、奥底には相手に対するおもてなしの気持ちが見受けられます。縁側にちょっと腰掛けてお茶とお菓子で世間話をするというような風景は、現代社会ではもう見られなくなりました。なにしろ、縁側自体がなくなっていますから・・・。《縁台将棋》という言葉も今では死語です。昨日の新聞には「町内の役員をして初めて隣に新入生がいることを知った」というようなことが書かれていましたが、「向こう3軒両隣」は夢のまた夢なのでしょうね。淋しい限りです。

花を活けることは『一期一会』の気持ち
2018/04/17
昨日は当寺の仏婦研修会で神戸別院(モダン寺とも)にお参りした後で帰途に2ケ所ほど工場見学をしたそうですが、なにしろ女性ばかり10数名の団体ですから、相当に賑やかだったそうです。やはり男とは違った目線があるのでしょうね。
ところで、私はその間お参りに行ったり本堂の花を生け替えたりしましたが、せっかくきれいに咲いている牡丹ですので、裏庭から1輪切って玄関に生けました。来客が花を見られたときにホッとされたら、それだけで満足です。と言っても、花からしてみれば「一生懸命に咲いているのに切られた!」と怒っているかもしませんがねぇ。花を切るということは折角元気に生きていた花の命を奪うことであり、ある意味では《人間の勝手》かもしれません。しかし、花を活けるという行為はそれがたとえ下駄箱の上でも床の間と同様に、来客に対する『一期一会』の気持ちの表れなのです。ですから、花にも心を込めて「ありがとう」と言いながら活けたいものですね。

楽しくも辛く悔やまれる思い出もありました
2018/04/16
昨日まで吹いていた冷たい風も止み、今日は毎月開催している仏教婦人会研修会の日です。ただし、今回は住職の法話を止めて、観光を兼ねて神戸別院のお参りになりました。したがって、私は法務も入っていますのでそちらに専念です。
一昨日、昭和51年からしばらくの間勤めていた青谷高校から同窓会の案内が来ました。この学校は講師から教諭になった思い出深い高校であるとともに、坊守と結婚をした時の学校でもあります。今は新しい校舎が建っていますが、当時はまだ木造の部分も残っていただけでなく教室が校庭よりも低い位置にありました。しかし、何と言っても教室の入り口(引き戸)のレールが下ではなくて上についていたことが驚きでした。この形ではレールのところにチョークを置くと重みでドアが引っかかって開かなくなり、私も1度だけそんな《いたずら》をされた経験があります。もっとも、その時はドアを蹴っ飛ばして開けてそのまま平気な顔をして授業をしたものですから、もうそんな2度といたずらをされませんでしたが・・・。もっとも、今でも私の教員生活の中で一番悔恨として残っている事があったのもこの学校でしたが・・・。「あの時、どうして出来なかったのか・・・」と、自分の未熟さを悔やまれる辛い思い出です。

周りに合わせるのはいいこと?
2018/04/15
桜の花がなくなっても《花冷え》と言うのでしょうか?昨日の挨拶は「今日は寒いですねぇ」でした。とにかく風が冷たく、部屋で暖房機がないと過ごせないほどです。しかし、その中でもご門徒のお宅では君子蘭が見事にオレンジ色の花を咲かせていました。別のお宅では玄関先にふうち草が元気に葉を伸ばしていましたし、それらに比べて当寺のものは遅れているようです。もっとも今年はすべての草花が1週間早いそうですから、これが正しいのかもしれません。しかし、周りと比べてしまって「うちでは・・・」となるのは、人間(日本人?)の持つ弱さかもしれませんね。周りからは「出る杭は打たれる」と言われ、入学したときから「周りに合わせなさい」と言われ続けて育ってきているのですから、個性の意見を尊重せず周りに迎合する今のような人間が出来るのかもしれません。
ところで、今日の写真ですが、この椿の名前は何なのでしょうかねぇ。本では見たことがあるのですが、記憶していなくて・・・。

花は次々と咲き、人も次々と仕事が・・・
2018/04/14
「3日見ぬ間の桜」と言いますが、牡丹も同じようなものですね。数日前に膨らんできたと思った蕾(写真)が、昨日の朝にはまるではじけたようにピンク色を見せ、午後には咲き誇っていました。そして、今は4輪の蕾が次の出番を待っているかのようにピンク色を風に揺らしています。この牡丹は境内でも一番最初に咲くものですが、次は松の下の深紅か鉢植えの白かもしれません。今年は君子蘭も同じように葉の間から蕾をもたげていますし、今まで一度も咲かなかったシンピジュームも初めて花芽を伸ばしています。今日の写真は蕾の状態ですが、いつの日か境内で咲き誇っている牡丹の写真を載せたいものだと考えています。
昨日は時間の合間を見て、全門徒に寺報と一緒に配る総代会報告を印刷にかけていました。全部の印刷が終わればそれを折って封筒詰めですが、この4月から《ゆうメール》が値上がりしたので解約しました。ですから、「今後はどうしたら送料が安くなるか」と頭を痛めています。局の人に尋ねると《特別郵便》というものがあり、一定地域に配達するもので100通超えると料金が安くなるという方法があるそうです。今回はそれを使ってみようと思っています。

「自分は・・・」でなく、「他の人も・・・」が大切
2018/04/13
昨日は市内の同派の組長寺院で各教化団体の連絡会を持ちました。一番の中心は教化団体に対する組会費の支払いですが、説明文はどちらでも取り得る表現であったり説明不足と思われる部分もあったりしましたので、今後の確認のために質問して要領を得ました。国会答弁ではありませんが、ハッキリさせる部分はハッキリさせておかないと、「自分は分かっているから」では後々困ることが起きますからね。
ところで、今朝起きてすぐに窓のカーテンを開けると、本堂裏の牡丹が赤い色を見せていました。昨日までは「つぼみが膨らんできたから、もう少しだなぁ」という状態でしたが、昨日の暖かさで急激に色を見せ始めたようです。玄関にはイチハツヲ活けておきましたが、あと数日で本堂裏のイチハツも一斉に花を開くことでしょう。これから《色の競演》ガ始ります。今日の写真は、山門横に咲いているたった1輪の赤木蓮にしました。

春から初夏へ移り変わる今です
2018/04/12
昨日は暖かく、本堂にお参りされた方が「寒い」と言っておられたので暖房を点けましたが、内陣で読経する者にとっては(熱は上に上がるので)暑いほどでした。その中にカメラを持って境内の表から裏まで歩きましたが、あちこちで春(初夏?)真っ盛りです。昨日は春の花の代表でもあるタンポポの色について書きましたので今日の写真は黄色の花にしましたが、それ以外にも蕾が大きくなっている牡丹やイチハツ、たわわになっている桜桃の青い実など、被写体に事欠きません。この後にシトシトジメジメの梅雨と酷暑の夏が来ることを考えれば、「こんなに多くの花に囲まれている今は1年の中で一番楽しい頃かもしれない」と思います。「次はあの花を切って玄関に活けようかな」などと考えながら庭を歩き回る楽しさは、今は亡き母の影響かもしれませんね。もっとも、その前に枯葉や雑草を除いてきれいにしないといけませんが・・・。
今日は『鳥取因幡組各教化団体連絡協議会』が持たれます。そこでいろいろと検討してから最後に定例組会で再検討されます。いよいよ組会も本格始動です。

何かと多忙な年度初めの仕事です
2018/04/11
これまでの寒さから今朝は10度近い温度差になり、なぜか息苦しいほどです。極端な温度差に対応がしづらいのは、やはり人間は《定温動物》ということなのでしょうね。しかし、そんな中でも自然は正直なもので、境内では山椒が葉を茂らせていますし、赤木蓮も(1輪ですが)咲いています。松の下では白の山吹が花をいっぱいつけていますし、一冬中会館の中においていた君子蘭も、昨日見たら1鉢が花芽を伸ばしていました。ドウダンツツジもつぼみがふっくらとしていますし、「早く写真を撮らなければ」と気もそぞろです。法務の合間を狙って(今年も多くの書類が綴じられることと思って)書斎の棚の整理をして空間を作りましたが、寺報の発送準備やら定例組会用の資料印刷やらが重なってここ数日は多忙の毎日です。こんなことで髪も疲れてしまうのか、ますます髪の毛が少なくなりそうです。
そういえば、タンポポには白と黄色がありますが、日本列島は南北のある地点から違ってくるそうですね。もっとも鳥取はその境目なのか、両方とも咲いていますよ。

お寺の仕事って、いろいろありますよ
2018/04/10
「散る桜 咲いた桜も 散る桜」とは良寛禅師の有名な言葉ですが、これは「命を得た者はいつか必ず終わりを迎えを迎える定めだ」という意味です。先日から寺報『しうんざん』185号の原稿を作っていますが、今回のテーマは「桜と親鸞聖人」にしました。そう、あの「夜半にや風の吹かぬものかは」という和歌を使って聖人の苦悩と凡夫としての思い、そして阿弥陀如来の本願(必ず救う、という本願)を書きたかったからです。しかし、決まったページ数(B4版1枚分)に簡潔にしかも分かりやすく書くことは至難の業です。「それではページを増やせばいいではないか」と言われそうですが、今まで同じような構成で作ってきていますので、あまり変えたくない気持ちもありますし・・・。とにかく、昨夜やっと原案が完成し、校正の赤ペンも入れました。行事や会計関係の総代会報告も完成していますし、後は現行の印刷と県内外門徒へ送付するための封筒の表書きと発送だけです。もっとも、これが一番大変なのですがね。
毎年5回発行する寺報ですが、お寺の仕事は《法事と葬式》だけでなく、本当はもっと多くの人達に向き合って聖人のみ教えを伝道するということが大切(ご法事の後の《一口法話》もその1つですが)なのです。また、時には《人生相談》的なものにも対応したりしていますし・・・。そう考えると、良寛さんって毎日が多忙だったんですねぇ。

《花冷え》ではすまされない寒さです
2018/04/09
7日の午前中はお宅参りをしてから墓参でしたが、車の中で皆さんが揃うのを待っていると窓に霙が!墓地の周りが葉桜になっていることは分かっていましたが、「まさか霙が降る(予報では聞いていたが)とは」と、驚きの連続でした。そしてそれから今日まで寒いこと寒いこと。土日は『とっとり桜まつり』もあって特に日曜日の昼頃は賑やかでしたが、さすがにイベントが終わると人出もなくなり、例年なら夜まで開店している屋台も早々にテントを畳んでいました。境内ではアメリカミズキの枝先がピンク色に染まりつつあります。もう少しすると牡丹のつぼみも大きくなってくるのでしょうが、余りの寒さにみんな縮こまっている現在です。4月初めに暖かくなったからということで庭に出してやったタマノカンザシもすっかり色をなくしていますし、観葉植物の何鉢かがグッタリしています。人間も暖房機が手放せない昨今ですから、仕方がないのでしょうかねぇ。この寒さの後にやってくる数日後の温度差が怖いことです。

素晴らしい笑顔の遺影でした
2018/04/08
大谷選手が3日連続のホームラン。2回表で既に0ー6の状態にカツを入れるかのようなHRで味方も奮起し、逆転勝利の導火線になった逸発でしたが、大谷選手は投手でもあるのですから、アメリカでは「現実か!」「嘘だろう!」等と的も一緒に興奮状態だそうです。その中で昨夜はご門徒のお通夜を勤めましたが、お棺には阪神タイカースの応援服が掛けてあり、遺影は大好きな阪神の試合が行われた甲子園球場での笑顔でした。年を取ってからは足を痛められて球場での野球観戦も出来なかったそうですが、今は先にお浄土に行かれた最愛の奥様と野球談義をしておられることでしょう。昭和48年に継職してから既に50年近く経ち、私も今年で70歳を迎えましたが、つくづくと「あのような笑顔を残したいなぁ」と思ったことです。

高畑氏が逝去されました
2018/04/07
陸自の日報に加えて今度は空自の日報が出てきました。確かにシビリアンコントロールが乱れていたのでしょうが、この奥には元稲田防衛大臣に対する不信感があり、ひいてはその人を任命した防衛最高責任者である総理の《甘やかし》があったせいだと思いますが・・・。
それはそうと、昨日は氷雨に濡れて葉桜が佇んでしました。ほんの3日前までは薄ビンクの雲かと思うばかりでしたが、今はピンクでもなくかといって新緑でもなく、遠目にはなんとなく茶色っぽく映って見えます。新緑に移る前の一時だとは知っていますが、それが氷雨に濡れている姿は何となく悲しいものがあります。宮崎駿氏と一緒にアニメ界を牽引してこられた高畑勲氏が亡くなられました。可愛い女の子が主人公の『アルプスの少女ハイジ』や心が痛くて最後まで見ることが出来ない『火垂るの墓』等を手がけられ、その後の『トトロ』や『天空の城ラピュタ』など宮崎氏と共にアニメブームの立役者の1人でした。「残念です」という言葉と共に「お疲れさまでした」という言葉を届けたいと思います。

「いいものはいい」 が、相撲協会の態度は・・・
2018/04/06
18年前の大阪府知事に続いてまた宝塚市長も土俵上に上がることを相撲協会から断られましたが、今回の舞鶴市の件はもっとひどいものです。人命救助をしたにもかかわらず「降りろ」と言われ、挙げ句の果てには降りてから土俵には大量の塩が撒かれたということですから!相撲協会は何を考えているのでしょうかねえ。
ところで、昭和16年の今日は第四高(現・金沢大学)のボート部員が乗っていた舟が突風に遭ってひっくり返り、11名が亡くなった日でもあります。この悲しい出来事から生まれたのが『琵琶湖哀歌』ですが、これと『琵琶湖周航の歌』とは同じメロディーのためになかなか区別が付きませんでした。『~就航の歌』は大正6年に作られたもので後に第三高(現・京大)の寮歌になったものですが、そのメロディーに部員の死を悲しんで新たに歌詞をつけたものが『~哀歌』です。しかし、歌詞は違っても、どちらも心にしみじみと染みこんできますよね。やはり「いいものはいい」ということなのでしょう。

春の姿も日本人の心も変わりましたね
2018/04/05
「♪春は名のみの風の寒さや」で始る唱歌がありますが、夕べから今朝にかけての風の冷たさにはすっかりまいりました。それまでは20度超えの毎日のために余計なのでしょうが、葉桜の体を見せている今朝は《花冷え》とはまた違った寒さです。
ところで、報道を見ていると、日本人の体質はどこも変わらないものですね。陸自の日報隠ぺいがまたも見つかりましたが、「国会で問題になっているものとは気づかなかった」という言葉にはさすがに「子どもの答弁か」とあきれましたが、舞鶴でも「そんなアホな!」と言いたくなることがありました。大相撲の舞鶴巡業中に市長が土俵上で倒れましたが、その救急介護をするために上がった女性(医療関係?)に対して「女性は土俵から降りるように」という放送を何度もした、というものです。確かに相撲は神に捧げる行為として土俵上は女人禁制ですが、人命とそれとどちらが大切なのかは誰が考えたって分かります。常に上ばかりに目を向けてビクビクしている官僚や、《決まったこと》から一歩も出ようとしない関係者。外国人による日本人のステレオタイプは「眼鏡を掛けてカメラを持ち、愛想笑いしている」というものですが、「言うべき時には言う」として明治維新を成し遂げた若者達が今の日本人を見たら何と言うでしょうかねぇ。

もう桜が散り始めています
2018/04/04
今朝6時頃に近くの公園まで歩きました。西の空にはまだ白々とした月がかかっていましたが、公園ではもう既に散った花びらが敷き詰められていました。この光景を見ると「3日見ぬ間の桜かな」という言葉と同時に「~~桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」という和歌も思い出されます。この調子では、入学式の頃は《花びらの舞う中を登校》することになるのではないでしょうか。まさか《葉桜の中》ではないでしょうがねぇ。カメラを持っていなかったので今回は写真を撮っていませんが、境内の椿もあちこちで散り始めていますので、その美しい姿を写真にとどめておきます。
今週の土曜日は総代会があり、そこで行事や会計等についての議題が出されます。今年の『まち角コンサート』はサックス演奏に決まっていますが、その日程やグランドゴルフ大会(春と秋)の日程についても検討してもらいます。特にGG大会については、以前は「仕事があって土日でないと空かない」と言われていたのに最近は「退職すると逆に土日が忙しい」と言われ、結局ウィークデーに実施する方向で進んでいます。まぁ、生活している限りは「いつも忙しい」ということなのでしょう。

《講話》かそれとも《講義》か
2018/04/03
1日は島根県の同派寺院に報恩講会の講師として招かれました。その寺院は姉の嫁ぎ先でもありましたので、その見舞いも兼ねて坊守も聴聞の席に着きましたが、話す側としてはそれを度外視してもなかなか難しいしものですね。いつものことですが、私の話は《講話》ではなくて《講義》的になります。前半では満開の桜から入って聖人の得度の場面に続き、その後の六角堂参籠へと進めていきました。前半のテーマは《聖人の苦悩と吉水へ》でしたし、後半は「報恩講とは何か」ということで「《恩》とは自分の心がホッとしてくることであり、その教えを伝えてくださった聖人の恩に報いるにはどうすればいいのか」でした。話の中では何度も冗談を言ったりして話の堅さをなくするように気を配ったつもりですが、反省としては「法話にならなかったなぁ」ですね。
わずか前後2席の法座でしたがすっかり疲れた上に聴聞に来られていた人の質問に答えたりしていて時間も遅くなり、結局そのまま宿を取って一泊しましたが、帰寺した晩は疲れに加えてこの時期には珍しく暑く、夜中に汗をかいていました。「何事も勉強」とは言いますが、上手くいかなかった講話に対してまるで石像ににらまれているようでかいた《ひや汗》かも・・・。

今日から新しい人生が始ります
2018/04/01
今日から4月。年度替わりですので、すべてが始まりになります。子どもが小学校の門を初めてくぐるときに「まるでランドセルが歩いているようだ」と言われるのもこの4月ですし、背広姿がまだ板についていない社会人を見るのもこの4月です。以前「世界の大学に合わせて、9月の入学にしよう」と東大が言ったことがありましたが、やはり日本は4月がスタートの季節です。ただ、この「希望に胸をふくらませて」スタートする4月ですが、1ケ月後には社会人に《5月病》が流行し、9月は小中学生にとって《魔の9月》と呼ばれます。「希望に胸をふくらませて」スタートしてもそこは《新しい社会》なのであり、今までと同じ気持ちでは乗り越えられないものもあります。
今月の掲示板には『今こそ 人生の旅立ち 道連れは 少しの勇気と 忠告を聞く 素直な心』と書きましたが、『少しの勇気』とともに、人生の先輩である人の経験に裏打ちされた忠告に耳を傾けることも忘れないでいてほしいものです。
本当なら今日は桜の写真を使う予定でしたが、昨日の欄に載せてしまいました。そのため、今日は春らしくチューリップです。
(島根県のお寺に法話を依頼されていますので、明日の『独り言』はお休みです)

淨宗寺(浄宗寺) 〒680-0821 鳥取県鳥取市瓦町110 TEL:0857-22-5744 FAX:0857-22-5745