10月
言葉って、本当にムツカシイ
2018/10/16
昨日の当寺仏婦研修会では直前まで話す内容に迷い、結局「言葉の持つ難しさ」について話しました。最近の日本語の乱れ(意味の変化)から入り、「意思の疎通には言葉が必要だが、言葉は消えるもの。そこで文字が生まれたが、文字も受け取る側によっては意味が変化する」ことから入り、「《仏》という漢字も、元は《スートラ(紐》が語源。それが《仏ー人から脱したもの》になったことから、人の受け取り方も違ってきてしまった」というようなことを話しながら、最後に一言。「しかし、それほどに難しい言葉でも、わずか2語だけあれば世の中は上手く回っていく。それが『ありがとう』と『すみません』ではないか。だからこそ、親鸞聖人も最期まで『お陰さま』という意味の南無阿弥陀仏を唱えておられたのだ」で終わりましたが、いゃ~、今回ほど話す内容に困ったことはなかったですね。
ところで、ここ数日で境内の花が変わりました。秋明菊(貴船)が満開になり、隣ではツワブキが茎の先に黄色の花を咲かせています。それらを切ってきて玄関先に生けていますが、それを見るとつくづく秋を感じます。

"TERA energy"について
2018/10/15
「京都の西本願寺派僧侶が会社を作って電気を売る」というニュースが今朝のテレビで放映されました。少子化や過疎化等による寺院離れで廃寺の危機にある中国5県の寺院を救うため、福岡の業者から電気を買い取って中電よりも2%ほど安く売る、というものでしたが、先日は九州で消費電力よりも作る方が多すぎて発電量の調整が指示されました。過疎化が進んでいる中国地方ですから消費電力もそれに合わせて少なくなる可能性がありますし、「作れば売れる」という考えには無理もあります。それが廃寺を防ぐ端緒になればいいのですが、一概に「諸手を挙げて賛成」とは言えないところもあります。
(何もしない者が批判ばかりするのは失礼ですが・・・)
今日は10月の淨宗寺仏婦研修会がある日ですが、今回は何を話していいのか決まっていません。これもまた頭痛の種ですね。

「時代によって言葉は違う」のは何故?
2018/10/14
何年か前に『桃尻本枕草子』という本が出版されましたが、これは「現代は言葉が乱れている」という批判に対して「平安朝当時でも普段はこんな会話だった」という著者の反論本でした。もっともこれが本当かどうかは別として、確かに現代は言葉の乱れというか、本来の意味と違った使い方をしていることが多いのも事実です。先日も「なし崩し」と「檄を飛ばす」の誤訳例が新聞に載っていましたが、そもそも正しい漢字が使われていたら分かる部分もあります。「なし崩し」の漢字は「済し崩す」であって「済ます」と「崩す」の合成であり、そこから「(借金を)少しずつ済ませてなくすること」ということが思いつくはずです。また、「檄を飛ばす」が「頑張るようにハッパをかける」と使われますが、それならば「激励」の《激》が使われるはずです。しかし、此処で使われている《檄》は昔の中国で使われた説諭の文書のことであって、「相手の罪悪を挙げ、自分の信義を述べて人々に知らせる文書」を示しています。このように現在では漢字の持つ本来の意味やその言葉の成り立ちを考えず、ただ感覚的・直接的に捉えて使っているだけではないでしょうか。そして、その一つの例が「他力本願」~《他力》の表面だけ捉えて「他人任せ」としている~でしょうが、正しくは「阿弥陀如来の誰1人残さず救うと誓われた本願」であって、浄土真宗の3本柱の教えの一つなのですね。

来年は10連休ですよ!?
2018/10/13

昨日から盛んに報道されているのが来年に行われる今上天皇の退位と皇太子の即位・改元における祝日・休日問題です。即位・改元の日を1年限りの祝日とした場合、祝日法(前日または翌日が祝日によって挟まれる日は休日)によって前日の4月30日と翌日の5月2日も休日になるため、4月27日(土)~5月6日(月)の実に10日間が連休状態になります。もともと『成人の日』と『体育の日』を第2月曜日に移行したのも「連休にすれば家族旅行も可能になり、金も動く」という政治家の目算があったためですが、今回の連休も新天皇の即位を祝うだけでなく、一方では「参議院選を目指した現政権(自民党)の国民に対するオモネリ」という裏話も・・・。まぁその点は無視しても、今の『天皇誕生日ー12月23日』が来年からなくなるのは確実でしょうが、皇太子の誕生日がカレンダーに新しく『天皇誕生日』として記載されるのは再来年からになりますよね。即位されるまでは《天皇》ではないのですから・・・。しかし、既に各社から来年用のカレンダーを配布する時期になっていますが、カレンダーを印刷する業界は休日・祝日の変更もあって大変でしょうね。当寺のカレンダー製作も同様に原稿の手直しでバタバタですが・・・。
(庭から切って花瓶に挿していたホトトギスが開花しました)


《思い込み》ってよくあることですが、場合によっては困りものです
2018/10/12
昨日は曼珠沙華の新しい株のことを書きましたが、調べると花が咲いていた3ヶ所とも5㎝ほど若い葉が伸びています。これで株を下さったご門徒にも「根付きましたよ」と言えますが、この曼珠沙華という名前は本当は俗称で、正しくは『彼岸花』だそうですね。ヒガンバナ科ヒガンバナということですが、私は彼岸花の方が彼岸の頃に咲くことからついた俗称だと思っていました。これが《思い込み》ということなのでしょうが、いちど「こうだ」と思ったものが間違いだと分かったとき、今度はどちらが間違いだったかウロウロすることってありませんか?ボクシングで聞くことですが、「一度ダウンされたパンチを脳が覚えていて、同じ場所に衝撃を受けると、例えそれが軽い衝撃でも脳が身体機能を停止させる」そうです。人の《思い込み》も、もしかするとこれと同じなのかもしれませんね。

残された問題は多いですね
2018/10/11
いよいよ豊洲市場がスタートしましたが、問題は山積。おまけに、後に残された方にはネズミ問題が・・・。それらが次にどこに向かうのかが築地に残された宿題とのことはTVでも述べていましたが、今現在でも築地近くの店舗ではネズミ対策が頭痛の種だそうです。
ところで、雨に濡れながら曼珠沙華の茎が揺れていますが、よく見ると、その周りから細長い葉が顔を出しています。最初は気が付かなかったのですが、よく見ると曼珠沙華の葉です。株を植え付けた時から時間が経ってすっかり忘れており、今回の発見でやっと思い出しました。小さな株の状態ですが数も多く、来年はここに複数の白い曼珠沙華が咲くかもしれません。昨日は平成31年用カレンダーの原稿を業者に渡しました。本山の《法語カレンダー》では既に「天皇誕生日12月23日」が祝日から外されていますし当寺のカレンダーも同様にしていますが、新しい祝日については白紙です。政府の方では「新天皇が即位される日は臨時の祝日にする」とも言っていますが、5月からの元号も不明ですし、いろいろと問題のある平成31年カレンダーになりそうですね。

いよいよ秋本番でしょうか
2018/10/10
玄関の一輪挿しに生けたジンジャーですが、開花したものは1~2日でしぼんでしまい、その間のみ微かな香りを漂わせます。来客で玄関に出た時などに一瞬香りに気が付くことがありますが、普段は殆ど気づきません。それほど微かな香りなのです。
今朝は雨になりました。6時頃からポツポツときましたが、1時間経った今は本降りです。境内のフウチソウも葉が茶色になっていましたので昨日すべて切り取りました。また来年の春が楽しみです。長い間ピンク色の花を咲かせていた百日紅も水木も、今は大分紅葉が進んでいます。9月には5㎝くらいだった八朔も、今は10㎝くらいになっています。冬を目指して少しずつ育っていく八朔もあれば、紅葉や黄葉になって散っていくものもあります。10月になっても下がらなかった気温も今日あたりから20度くらいになるとのこと…。いよいよ本格的に「秋冷」の候になるのでしょうが、私には時報の原稿作りや来週に迫った上洛(念仏奉仕団体参詣)等も控えているのでまったくと言っていいほど時間的余裕がありません。《読書の秋》を楽しみたいのですがねぇ。

次の《国民の祝日》の理由って、どうなるのかなぁ
2018/10/09
昨日は『体育の日』でしたが、本当ならば10月10日でした。それが「休日を連休にするため」という訳の分からない理由で第2月曜日になったのですが、『成人の日』と同様に《国民の祝日》の法的理由からそれてしまいました。しかし、それはそれとして、2020年以降はどうするのでしょうかねぇ。『天皇誕生日』も『みどりの日』に改名されたように今上天皇の退位後には何かしら変更があるでしょうが、今後ずっと残っていく《国民の祝日》ですから、『山の日』の時と同じような訳の分からない理由付け(8月13日は航機の墜落した日だから、12日に)で決めてほしくないものです。『体育の日』にも、昭和39年に「戦後復興を世界に知らしめた東京オリンピック」の開会式が行われた大切な日という正当な理由があったはずですが、今の人達にとっては《タダの休日》であって、そんなことを知っていないでしょうね。
10月に入って法衣も《衣替え》しましたが、住居も同様に《衣替え》です。昨日は半日かけて簾を外して障子にしたり籐の敷物を絨毯に取り替えたりと、坊守と2人で奮闘努力!でも、日中の気温はまだまだ高いまま・・・。

ジンジャーが咲きました
2018/10/08

昨日は当寺の念仏奉仕団体参拝の栞を作りました。1部の枚数自体は少ないものですが、参加者が決定しなければ出来ないこともあって延び延びになっていたのです。それでも何とか完成したので、今日は午後から配って回るつもりです。
ところで、境内には夏に咲くはずの宗旦木槿が開き、別の場所では白のジンジャーが1輪咲いていました。ジンジャーの方は写真を撮ってから切って玄関に生けましたが、微かな香りが漂っています。金木犀はわずか数日の間香りを漂わせて散ってしまいましたが、ジンジャーの方はうまく水揚げが出来れば次々と蕾が開いてきます。よく見ると3本ほど蕾を持った茎がありますので、ここしばらくは楽しみが続きそうです。そして、その一方では台風にも頑張って枝にしがみついていた八朔の実がたわわに(?)実っています。これは来年の2月頃にならないと収穫できませんが、残念ながら私は蜜柑系は苦手ですので枝に登って実を取るだけです。


《秋》が恋しいここ数日のフェーン現象でした
2018/10/07
「台風一過」とまではいきませんが、今朝は境内に落ち葉が散り積もっていました。地面はほとんど濡れていなかったので雨は降らなかったのでしょうが、24号に続いての25号でしたから、大慌ての2週間になりました。しかもここ2日間の蒸し暑さ(フェーン現象)は言葉では言い表せないほどで、一度は仕舞うつもりでいた扇風機を慌てて本堂に出したり、エア・コンのブレーカーを入れたりと、バタバタでした。しかも《衣替え》ということで10月から冬物の色衣と五条にしていたこともあって、読経ではまた汗ビッショリ。お参りの方達はエア・コンの効いた本堂でしたから喜ばれましたが、「10月でこれではとても身体がついていかない」という感想も出たこの数日間。台風が過ぎたのでもういい加減に《秋》になってほしいものですが、昨日は風に吹き飛ばされそうになりながら赤とんぼが紫陽花の枝にとまっていましたから、季節はやはり《秋》なのでしょうね。
(秋アカネと違い、この風景は童謡の『赤とんぼ』を連想させます)

日本人の心に宿る思いが今は・・・
2018/10/06
最近はTVで同じアニメが何度も放映されていますが、その中で何度見てもいいと思えるものが『夏目友人帳』でしょうか。テンポも他の作品と違ってゆったりとしていますが、何と言っても猫(ニャンコ先生)が面白い。本来は妖の頭目的な存在でありながら、狸と間違えられるほど丸々とした体系をしており、それが短い足で走る姿を見ていると何ともカワイイ!あら筋は、子どもの頃から妖怪が見える少年が祖母の遺品である妖怪の名前が書かれたノート(友人帳)を受け取ったことから始まる様々な妖怪達との交流が描かれていますが、古来より日本人の心にあった「あらゆる物に魂が宿っている」という教えがすたれつつある今、彼らとのほほえましい交流を描くことによって誰でも子どもの頃に持っていたはずの《怖れ》や《畏れ》の気持ちが呼び起こされてくる気がしてきます。もっとも、作者にそこまでの意図があったかどうかは別ですが・・・。
私の子どもの頃はいろいろな物語を読んで素直に感動したりワクワクしたものでしたが、最近はそんな気持ちになることが少なくなりました。そんな中で、この『夏目~』は何かしらホッとさせてくれることです。

別の25号ならいいのですが・・・
2018/10/05
いよいよ今日の夕方に《ノーペル平和賞》の発表があります。今回は果たして誰(どの団体)になるのか気になりますが、それよりも気になるのが台風25号の進路です。1週間前に24号で大騒ぎしたのに今週末は25号ですから、今や死語になっている《台風銀座》という名前が再登場するかもしれませんね。「災害は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の有名な言葉がありますが、これでは《忘れた頃》ではなく《またもや》に取り替えるべきなのかもしれません。「大谷選手のHRが、このままいけば25号もあり得るかも・・・」ならば楽しい夢ですが、自然災害だけは勘弁してほしいものです。また、インドネシアの津波では大変な被害を受けていますが、東日本大災害で日本に示してくれた厚意に対して日本もお返しする必要があると思います。《論功行賞》で必死になっている政府関係者はどう思っているのでしょうか?
庭ではホトトギスの茎が伸びて通路をふさいでいましたので、ほとんどを切って花瓶に生けました。蕾の先が少し茶色になっています。

知らないものの解説ほど難しいものはない
2018/10/04

以前使っていた無線キーボードが不調になり、昨日まで古いキーボードを使っていました。しかし、机上のスペースは限られているために何か作業をする時には狭く、また新しく無線式を購入しました。邪魔になればいつでも机の下にでも置けるので、机が広く使えます。そこで早速取りかかったのが、この『独り言』の記入です。もっとも、自他共に認める《PCオンチ》ですからデバイスの入力に一苦労でしたが・・・。
ところで、町内の婦人会が小学校の文化祭に出す作品として何人かが小物入れを作ることになったそうです。「その指導に『作り方の解説』があったほうがいい」ということで結局私がその解説書を作ることになりましたが、なにしろ私自身が「?」。そこで作品が出来るまでの過程を写真に撮って纏めることになったのですが、知らないものを人にわかりやすく解説することほど困難なことはありません。最終的には、何とか出来たものをもとにして説明を加えてもらうことになりましたが・・・。よほど授業の方が楽に思えたほどです。


多忙な10月に体力・気力が追いつくか?
2018/10/03
昔から「~の秋」と言われますが、10月は当寺もいつも以上に多忙です。法務は当然のことながら教区のビハーラ研修会(浜田市)には坊守とご門徒が参加しますし、次の週は念仏奉仕団としての上洛もあります。その次には秋のグランドゴルフ大会もありますし、毎月実施している仏婦研修会の他にも当寺が作っている来年用のカレンダーの打ち合わせと製作が計画されています。また、過日は納骨堂の献花の処理をしましたが、本堂とともにいつも生花を絶やさないようにするのも住職の仕事です。しかし、いろいろと目について気になり、それを何とかしたいと思いながらも一歩踏み出せないでいるのも事実です。その原因を《歳のせいだ》とは思いたくないのですが、少し動くと足腰が痛むし、疲れが残るようになりました。もっとも、こんなことを言うとご門徒から「私よりも若いくせに」と叱られること請け合いですからなかなか口には出せませんが、71歳を目前にしていることを考えたとたんにガクッとしてきます。自分が60歳になるなんて考えられなかったのに、今は70歳。そして、3ケ月後には誕生日を1ケ月後にしながら71歳で往生した亡母と同じ歳になると思うと、何か感慨深いものがあります。

いつから人は疑問を持たなくなった?
2018/10/02
『打ち上げ花火~』という映画があります。見方によって物の姿が変わることはよくありますが、人は大抵一つの形しか見ていません。しかもそれに何の疑問も持たず、それを当然と考えています。SNSに投稿している者は顔も名前も分からないのに何故か書かれていることを信ずる、というのもその一つでしょう。確かに我々は経験も知識も少なく、それほど多くのことを知りません。だからこそ、他人の言葉を素直に信じてしまうことも多々あります。しかし、「なぜ?」という疑問をちょっと持てば、多くの真実が見えてくるはずです。現在あちこちで被害者が出ている詐欺事件にしても、第三者から見れば「おかしい」と思われるものばかりです。そのために「窓口で引き留められた」ということもありますが、それでも被害者がなくならないのは(相手が切羽詰まった気持ちになる時間)や(第三者の意見を聞かないようにさせる)手口だけでなく、何よりも当事者が疑問を持たないことにあるのではないでしょうか。
幼い子どもはいつも大人に「なぜ?」「どうして?」と疑問をぶつけてきます。大人はそれをわずらわしいと思いますが、子どもの成長にとっては大切なものなのです。それなのに、一体いつから人は疑問を持たなくなったのでしょうね。

《台風一過》の朝になりました
2018/10/01
昨日の連研は台風のことを考慮して時短にしましたが、開始直前に講義を午前中に纏めてしてもらいました。45分×2回が急に60分×1回になったのですから、講義される住職も困られたことと思います。そのために割愛された内容となり、講義された側も聞く側も幾分か消化不良かもしれません。しかし、ここ数年は夏の猛暑・酷暑に続いて集中豪雨も多発していますので、研修会の会場や時期を考慮する必要があると思われます。しかし、今回の研修は雨で各地の行事がなくなったこともあって出席率が高かったことは皮肉でした。
今朝は《台風一過》そのもので、境内や山門下には吹き積もった落ち葉で一杯です。取り合えず掃き集めておきましたが、これに公孫樹が加わると悲惨そのものです。
今日から『神無月』に入ります。全国の神々が出雲大社に一同に会すると言われるために出雲では『神有月』ですが、その神々の力で自然災害が何とかなりませんかねぇ。

9月
名以外ともに《大型台風》に見舞われた9月でした
2018/09/30
9月も今日で終わりますが、《有終の美》どころか大型台風24号の襲来でバタついています。今朝も早くから「連研はどうなりますか」という電話があり、「時短にし、早めに終わる方向で実施」との組長連絡が来ていますので、その旨伝えましたが、とにかく何かと慌ただしい9月でした。
ところで、当寺では一昨年から独自のカレンダーを作って配布しています。そこに載せる言葉は掲示板の言葉(数年分が記録してある)を使うのでいいのですが、問題はイラストです。2年間はご門徒の絵手紙を借りましたが、今は体調を崩しておられるので頼みにくく、遂に一大決心(?)で自分が描くことにしました。しかし、頭で考えている絵と実際に紙に描いたものとの差が激しくてガックリしているのが現実ですが・・・。とにかく12ケ月分の枚数が必要ですので、法務は当然として年間行事の検討や来年度の念仏奉仕団体旅行の宿泊予約(宿は、受付当日には埋まってしまう)等で多忙ではありますが、寸暇を見つけて頑張って描くだけですかねぇ。

「台風24号が襲来」と言われています
2018/09/29
夏になると朝からあちこちの窓は開けっ放しですが、玄関だけは簾にして蚊遣りを焚いていました。でも今月も残すところ2日間になったので、今朝早く簾を外しました。後は室内で乾かしてから物置に仕舞います。しかし、平安時代はガラスは勿論のこと障子も襖もなく、あるのは板戸と簾だけでした。そのために『源氏物語』にも出てきますが、「風が吹くと簾が巻き上がって中が丸見え」ということもしばしばでした。貴族の屋敷では室内の仕切りは絹折りの簾と几帳と呼ばれる衝立くらいでしたから、庶民の家は言うに及ばずです。そのような時代だからこそ、台風や冬などは大変だったでしょうねぇ。しかも、気温は現在より数度も低い(現在が高すぎる?)のですから、生活が大変だったことは想像に難くありません。
今日から明日にかけて台風24号が西日本に襲来するとの予報が出ています。前回の22号では本山でも木が倒れて庭園内にある建物の屋根を壊したり、北の能舞台では廊下の欄干が吹き飛ばされたりしてあちこちで被害が出ましたが、それよりも激しい風が吹くと言われています。平安時代ではとても暮らしていけない自然災害が多々発生する現在ですが、これも人間の傲慢さに対する地球の抵抗なのでしょうか??
(今日はきれいに咲いているバラにしました)

毎年ある連絡がないと不安です
2018/09/28
今年も本山の念仏奉仕団としてご門徒とバスを仕立てて上洛しますが、宿は本山の聞法会館を予約しています。しかし、いつも会館側から宿泊の確認と部屋番号の連絡が来ますが、今年はまだ来ていません。そのために昨夜電話してその連絡を依頼しましたが、「ホテルなどでは、指定された日までに宿泊側から連絡がない場合にはキャンセルとみなされる」こともあると聞いていましたし、例年あったものがないのはやはり心配です。
心配と言えば、今月の連続研修がまた台風で中止になりそうです。6月の時も台風の襲来が予想されたために急遽中止(結局台風は来なかった)となりましたが、また今月も直撃との予報が出ています。「どうも今回の連研は台風にたたられているのではないか」と思える程です。是非については明日の午前中(弁当の関係から)に執行部によって決定されるそうですが、今の状態では7:3ぐらいの可能性でしょうか・・・。
(境内の片隅に置いていたピンクのバラがやっと蕾をつけましたが、すっかり虫に葉が食べられていました。黄色のバラは大丈夫だったのですが)

門信徒研修会がありました
2018/09/27
昨日は鹿野町の同派寺院を会場にし、総代会主催による門信徒研修会が持たれました。近隣の浄土宗寺院のご住職による「他宗から見た浄土真宗」というテーマでしたが、最終的にはテーマに沿った内容にはならず、受刑者に対する自らの思いを中心に話されました。確かに仏教には数多くの宗派があってそれぞれがそれぞれの信念を持って人々に接しておられるわけですから、換言すれば「自分の信ずるものだけでいい」ことになります。そのことは親鸞聖人も「他宗を誹謗せず、阿弥陀仏の本願を信ずるだけでいい」と説いておられますので、今回のテーマも実際はそれぞれの僧侶の伝道に対する姿勢に触れさせてもらったということでしょう。
なお、今回の講師寺院は鹿野町内にあって「我に7難8苦を与えたまえ」と言ったとされる山中鹿之介が祀られているところですが、ここの地名も元は別の名前であったものをこの地の城主が釈尊が教えを説いたとされる《鹿野苑ーろくやおん》から改名したもので、昔から非常に篤信家の多い町でもあります。

機械は使いこなしてこそ
2018/09/26
当寺では毎年5回の寺報発行以外にも何度かご門徒に対して連絡文を送付する事があり、紙折機が必需品です。しかし、15年近く経ってローラーが紙を吸い込まなくなったので、春先に新しい機械を購入しました。古いものはB4版を半分には出来たのですが更にそれを三つ折りにすることが出来ず、いつも手で折っていました。そのため、それが出来るものであることとミシン目がつけられるものという2点を満たす機能を有するものを探してもらいました。もっとも、用紙にミシン目をつけることはそれほど多くはないので、そのたびにウロウロします。一昨日も連続研修で使う配布物にミシン目をつけようとしたのに作動せず、慌てて業者に連絡を取って昨日はなんとかなりましたが、月曜日が代休であることをうっかり忘れて連絡を取ったので、業者には迷惑を掛けてしまいました。
しかし、世の中にはいろいろな機械があり、使い方によっては便利で助かります。教員時代にはいろいろな行事の度に栞を作ることも何度かありましたが、10枚以上ある資料を人数分綴じるときにはページセッターを使ってページを整えてから紙折機で折ってしまえば、後は綴じるだけ。さすがにこれだけは手作業ですが、本当に楽をしたものです。もっとも、機械は使いこなしてこそ役に立つものですが、新しい機械の登場には「??」の連続ですが・・・。

新潮社看板の落書き
2018/09/25
今年のお彼岸も今日と明日だけですが、さすがに昨日は中日の代休だったせいかお参りが続きました。しかし、中にはお参りのないお墓もあり、お年寄りの体調が心配です。
ところで、今日の新聞にも載っていますが、新潮社の看板に書かれた落書きには思わず目を引かれました。このことについては既に昨日から知っていましたが、さすがに《落書き》とあったので文字もそれなりのものだと思っていました。しかし、今朝の報道写真を見るとちゃんとした字体で書かれているので、最初から看板として書かれたものかと思ったほどです。もともと新潮社の看板には「新潮社 Yonda?」と書かれていますが、その「Yonda?」の上に「あのヘイト本」と書かれており、これはあの『新潮45』に対するものだということはすぐに分かりますが、この《落書き》に対しては「器物損壊だ」という意見とともに「今世紀最高の作品だ」と皮肉った肯定意見もあります。文化財に対する落書きは絶対にダメですが、世間はこの落書きにどんな判定を下すのか、ちょっと知りたい気分です。
(さすがに、その写真をここに載せるのは気がひけます)

また別の場所に根付いていましたよ
2018/09/24
今回の内閣人事で、以前金銭問題で辞任した甘利氏が党4役になるとか。新聞には《論功行賞》とありますが、まるで戦国時代そのものですね。しかし、国の方針を決める内閣の人事に「功のあるなしが重要ポイント」では《独裁政権》なのであり、そんなことで今後の国民の生活が決定されるのはどうもねぇ・・・。
それはそうとして、昨日本堂の裏に白の彼岸花を1株見つけました。ご門徒からいただいた株を植えた場所から少し離れた所であったことと、去年はまったく咲く様子もなかったことから「植え付けに失敗した」と思っていたのですが、今年になって1輪の花が開いていたのです。今朝の新聞には辺り一面真っ赤になるほど咲いている淀江の写真が載っています。さすがにここまでは遠慮しますが、境内の3ケ所に根を下ろした白の彼岸花も来年以降が楽しみになりました。
(今日の写真は、先日実施したサックス演奏です)

境内では秋の花が次々と・・・
2018/09/23
昨日は小雨の後の太陽が熱く感じられ、お墓参りの時は久し振りに「今日は暑いですね」という言葉が・・・。今日はお彼岸の中日ですから、「暑さ寒さも~」のとおりならこれから先は涼しく(寒く)なる一方でしょうが、22号よりも強烈な台風24号が発生したということですので、心配の種は尽きそうもありません。
ところで、昨日と一昨日は紅白の曼珠沙華(彼岸花)の写真を載せましたが、その側に咲いている金木犀の香りがしなくなったと思っていたら既に花が開ききっていました。漫画『美味しんぼ』では美味しいことを《口福》という言葉で表わしていますので、それをまねれば数日間の《香福》ということでしょうか。40年前に若い教員達と過ごした青空の下の金木犀が楽しい思い出として蘇りますが、それもまた来年までおあずけです。金木犀、曼珠沙華と続いて庭の片隅にひっそりと咲く薄紫の花。その側では、ジンジャーが蕾を少しずつ膨らませています。まだまだ楽しみは尽きそうもありませんね。

ゆうちょの《サービス》は《サービス》にあらず
2018/09/22
ゆうメールが今年の4月から値上がりし、それまでは62円だったものが一挙に92円になったので解約しましたが、それでも1通20円の値上げのために寺報の発送も毎回1万円近い出費となっています。しかも寺報は年間5回発行していますのでそれだけでも寺院会計には大打撃ですが、昨日やってきた「ゆうちょ商品・サービスに関するお知らせ」を見ると、送金サービスの料金改定が書かれていて振込みや自動払い戻しの手数料が大幅値上げになっています。中には現行30円のものが97円になる公共料金の自動払込みを含めて3倍に値上げされるものもいくつかあり、その他でもほとんどが50%の値上げです。たとえば0ご門徒から護持会費を納入していただく場合、手数料が130円から200円の値上げに加えて振込みのあったことを知らせる通知が新たに108円(今までは無料)かかるため、1000円でも実質は692円しか寺院会計には入らないことになります。結局、《サービスに関するお知らせ》と謳っていても中身は実は《サービス》ではなく、値上げの一方的な通知なのです。これで更に寺院会計が打撃を被ることになります。

白色の曼珠沙華がここにも!?
2018/09/21
昨日の朝、この欄に使用する境内の花の写真を撮っていたら見つけました!それまで白色の曼珠沙華は株を植え付けた銀杏の下だけと思っていましたが、山門横にも花が!ここに植え付けた記憶はないのですが、そこは《自然の不思議な力》と考えることにしましょう。と言うわけで、今日の写真はその曼珠沙華にしています。
ところで、昨日は自民党総裁選がありました。8割以上を取って「石破派にグウの音も出せないように」と地方議員への恫喝や反対派の国民を演説会場から閉め出したりしたにもかかわらず、予想以上に票を伸ばしたのは石破氏でした。しかし、問題はこれからで、安倍総理はそのような事情だからこそ今まで以上に強硬な態度を取ることになるでしょうね。昨日の法話で「親鸞聖人は外から自分を見つめて自分自身が《煩悩の塊》であることを知り、『そんな私を常に見守り支えてくださる阿弥陀如来』に帰依された」ことを話し、「私たちも一度外から自分を見つめることが大切ではないでしょうか」とまとめましたが、誰かさんにも聞いてほしかったですねぇ。

日本のメディアの質が低下している?
2018/09/20
今日は自民党総裁選の選挙日ですが、渋谷の演説会場では国会議員集団が反安倍派の聴衆の入場を阻止したとか・・・。これでは《傀儡政権》と言われても当然ですが、せめてこのパワーを(唯一の被爆国である日本だからこそ)核拡散禁止条約に堂々と1票を投ずる程の気概に変えてほしいものですね。
ところで、昨日の東レパンパシフィック・オープンを見ていました。今朝の新聞には「大坂選手の圧勝」と載っていましたし、確かに59分という試合時間ではそう言われても仕方がないのでしょうが、個人的には大坂選手の動きに全米の時のようなキレが見られなかったように思います。その理由は突然に《シンデレラ》になって各局のメディアやスポンサー希望者が争奪戦を仕掛けたからでしょうが、オリンピックにしても将棋にしても突然に登場した人物を捕まえることに必死になり、その人の体調や次の試合のことを考慮しないメディア攻勢にはうんざりです。加えてインタビューの下手さ(質問がまったく核心を突いておらず、興味本位)もあって、日本のメディアの質を疑いたくなりました。

彼岸法会は日本独自のものです
2018/09/19
いよいよ明日から秋の彼岸が始まります。「秋分の日」を中日として前後3日間の7日間を指す仏教行事ですが、実は仏典にはお盆(盂蘭盆)のことは説かれていても彼岸のことは説かれていません。つまり、もともとは経典がインドから中国に渡ったときに作られた行事なのです。それが日本に渡ってきて聖徳太子の奈良時代に始まり、平安時代に朝廷で勤められていたものが江戸時代には庶民の間に定着したと言われています。そして、その時に勤められるのが彼岸法会ですが、その理由としては「『暑さ寒さも彼岸まで』と言い習わされるほど季候のよい時こそ悟りの世界(彼岸)に向かう仏道修行の最適な機会」と考えられたからでしょう。これも、ハッキリと《四季》が別れている日本だからこそかもしれませんね。
そして、急激に茎を伸ばして気が付くと辺り一面が真っ赤になる曼珠沙華の花は、彼岸のこの時期だからこそ《彼岸花》とも呼ばれています。昨日の写真ではまだ開花していませんが、これが畑のあぜ道で真っ赤に燃え盛るように咲いている光景は見事でしょうね。土手ではアオサギが悠々と歩いていますが、当寺の境内には白の曼珠沙華が咲いています。たった1本ですが、どこにあるか探してみませんか?

昨夜初めて「寒い」という言葉を使いました
2018/09/18
昨日のこの欄で「金木犀が微かに香ってきた」と書きましたが、夕方には少し離れていても分かるほどになりました。何かに言っても、やはり秋なのですね。そう言えば遊歩道の花壇では彼岸花(赤)の茎がずんずんと伸び、今にも開花しそうになっています。最近まで夜になると涼しいと感じていた空気を昨夜は「寒い」と感じ、思わず半袖のTシャツ姿を反省しましたが、「暑さ寒さも彼岸まで」ですからこれが当然なのかもしれませんね。あまりにも猛暑が続いていたせいですっかり忘れていた感覚です。
開花寸前の彼岸花や空を舞う秋アカネに香り高い金木犀など視覚や嗅覚だけが主になって触覚もあることを忘れていましたが、その点、昔の人達はスゴイですね。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚ろかれぬる」と和歌にもあるように、ほんのわずかな自然の変化にも心を配り、感動していたのですから・・・。「今年は秋がなく、夏から一足飛びに冬に移る」とまで言われている今年ですが、平安朝の人と同じ心で見ていると、やはり《秋》は来ているようです。

最高の最期の迎え方は・・・
2018/09/17
昨日の沖縄では安室奈美恵さんのラストコンサートがあり、イベントでは1万発以上の花火も打ち上げられたそうです。その花火会場には安室さん本人も浴衣姿でいたそうですが、誰も気づかなかったとか・・・。そして、当寺ではサックス4重奏の演奏会。観客は沖縄にはとても及ばない40名ほどでしたが、それでも生の演奏を楽しんでいただきました。しかし、そのような楽しい中で樹木希林さんの死が報じられました。「私は全身がガンですよ」とケロッとして報告されながら『万引き家族』にも出演され、75歳の最後まで飄々とした人生を歩んでこられました。数万人に見送られながらのラストコンサートと家族に見守られながら迎えた最期には、どちらも甲乙つけがたい濃縮された人生が感じられます。
人は誰でもいつか《終わり》が来ます。その時に大切なのは「満足のいく人生だった」と言えることでしょう。「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す」という言葉がありますが、たとえ名を残さなかったとしても「あなたのお陰で素晴らしい人生を送れました」と人に感謝してもらえることほど嬉しくありがたいものはないでしょうね。私もそんな最期を迎えたいものです。
(一昨日の写真に載せた金木犀が、昨日の夕方から微かに香っています)

「足下を見つめ直す」ことの大切さ
2018/09/16
北海道の観光被害が292億円だそうです。宿泊施設や観光施設のキャンセルが原因ですが、観光客から見ればそれも仕方のないことでしょう。しかし、何とかして復旧に努めてきた受け入れ側にしてみれば「仕方ない」の一言で割り切れないものがあることも事実です。このことは北海道だけのことでなく世界各地にある観光を地場産業にしている所は同じ悩みを持っていますが、それでも知恵を出し合って乗り越えた所も数多くあります。極寒の地の《氷のホテル》や「何もない」ことを逆に「きれいな自然がある」とをうたい文句にした田舎生活もそうでしょうが、そう考えると、「呼び込む側でなく、観光客の目で見直せ」と忠告されているのかもしれません。子供の頃にはいろいろな音が聞こえ、いろいろ不思議なものが見えたのも、何者にも汚されていない《素直・純粋》な目と心があったからだと言われますが、私たちもそんな目と心を持ってまわりを見直すと龍神もダイダラボッチも見えることでしょうし、使い古した家財道具にも命が宿っていることが分かってくるはず。そして、本当に求められているものも・・・。
そして、「寺院離れが進んでいる」と言われている現在だからこそ、お寺ももう一度「求められている」ものをしっかりと見つめ直すべき時が来ているということでしょう。
(夏に満開だったフーゲンビリアの最後の花も、今朝は散り落ちてしまいました。本格的な秋の訪れです)

歩くことが体力の維持に最適?
2018/09/15
昨日の当寺仏婦研修会では、法話の後で頭の体操とともに身体の方も体操も。要は、「日頃使っていない筋肉を柔軟にしましょう」ということらしく、そのせいか「歩けるようになった」と言った人もいたとか・・・。若い時には当り前に出来ていたことが歳とともにきつくなり、自然と運動不足になることはよくあります。私も教員当時は授業やクラブ指導等で毎日相当の距離を歩いていたはずですが、退職後の歩行距離はそれほどでもありません。そのために当然のこと《運動不足》ですから、歩くときは「せめて意識して姿勢を正す」ようにしています。たったそれだけのことですが、案外「意識して、背筋を伸ばして歩く」のもキツイものですね。時々足が上がらなくて、靴や草履が地面を擦ることもありますし・・・。
「秋の長雨」がまだ続いていますが、今日は午後から『街かどコンサート』のステージ作りです。コンポートとコンパネ主体の舞台ですが、とても1人では無理ですのでご門徒達の助力がありがたいことです。
彼岸花(昨日の写真)の上には金木犀の木がありますが、小さな蕾がついていました。あの香りが楽しみですね。

努力と意志があれば、何事も乗り切れる・・・はず
2018/09/14
年に2回(8月と11月)だけ除いて後の10ケ月に実施している当寺の仏教婦人会研修会ですが、九月は本来の15日が土曜日のために今日にずらしています。一緒に読経してから仏教讃歌を合唱し、それから住職の10~15分程度の法話。今日は来週から始まるお彼岸にかけて、お浄土までの距離について話すつもりです。(ついでに、写真は白い彼岸花の新芽です)
ところで、彼岸の反対が此岸であるように極楽浄土の反対語は当然に地獄になりますが、では《鬼太郎》の反対って何でしょうかねぇ。《コナン》は同類ですし・・・。全国有数の観光地となっている《鬼太郎ロード》や《コナン通り》の反対と考えると、人が集まってこない《シャッター通り》でしょうか。しかし、もともとこの《鬼太郎》もシャッター通りだったのです。当時の市職員が「境港出身の水木しげる氏の『鬼太郎』が使えないか」と提案したところ、「お化けも出そうなシャッター通りに《お化け》を使うのか!」と猛反対。しかし、その結果は誰でも知っているとおりです。勿論、ここに至るまでには著作権に関係なく快く使用を許可してくださった水木プロダクションの協力もありますが、何よりも市職員や地元の人達の努力が必要不可欠でした。「何事も努力と意志があれば乗り切れる」というのは本当ですね。私も、月一の掲示板とともにこれからも当寺の仏婦研修会を続けていきたいものです。

「左近の桜、右近の橘」
2018/09/13
昨日は裏の玄関口に生えていた木(?)を伐採し、その下にあった君子蘭を陽の当たる場所に出してやりました。
ところで、来週から秋の彼岸が始まりますが、そもそもこの彼岸(悟りの世界=極楽浄土)とはどこにあるのでしょうか。一般的に「西方10万億土の彼方」と言われますが、これは『仏説阿弥陀経』の中にある言葉が出典になっています。「10万億土(!)」とは想像も出来ない遙か彼方を表わしていますが、実はこれと真反対の言葉も仏典には出てきます。私たち浄土真宗が最も大切にしている《浄土3部経》の中の『仏説観無量寿経』には「阿弥陀仏、ここを去ること遠からず」とあるのです。つまり、すぐ近くに阿弥陀仏がおられることを意味しているのですが、この二つは本当に真逆ですよね。でも、経典はもともと釈尊の説かれた言葉を入滅後に弟子達が集まって書き留めていったものですから、この二つも間違いなく釈尊の言葉です。「それなら、どうして真反対になっているの?」という疑問が湧くのも当然ですが、要は「《誰から見て》の距離か」ということです。
数年前に本山では内陣の配置を示す言葉を変えました。それまでは親鸞聖人側を《右》・蓮如上人側を《左》と言っていましたが、現在はそれが反対になっています。浄土への距離や本山での配置表現について「どうして?」と思う人は、雛飾りの「左近の桜、右近の橘」の飾り方を思い出してください。答はそこにありますから・・・。

大坂選手の謙虚さに拍手
2018/09/12
数日降り続いた雨も今朝は止み、青空に虫の声が響いています。日曜日にお墓参りをさせていただきましたが、滝のように流れ落ちてくる水を避けて坂道を登りました。そして、その日の袋川は土手の草がすっかり流れに隠されていましたが翌日には半分見えるようになり、昨日は相変わらずの濁流であっても土手では完全に姿を現わした草が見えました。遊歩道の植樹から吹きちぎられた葉っぱが下水の流れを阻んで水たまりが出来ていた道路も、その葉っぱを取り除いてやると見る見る水が流れ込んでいきました。(写真は、その土手の風景です)
自然の力に対する畏怖は大切ですが、それでもちょっとしたことで改善できることもあります。それが出来ない(させない)のが人間の持つ《傲慢さ》なのかもしれませんが、その中で大坂選手の優勝インタビューでの発言が感動を呼んでいます。勝ったことを自慢するのではなく、またブーイングした観衆に対して非難するのでもなく、まず最初にブーイングした観客に対してのお詫びとセリーナ選手に対して感謝を示した大坂選手の謙虚さとスポーツマン(スポーツウーマン)シップが人々の心を捉えたのですが、私たちも彼女の謙虚さを見習うべき時に来ていると思います。

観客としてのマナーについて
2018/09/11
大坂なおみ選手の全米テニスにおける優勝は素晴らしいものでした。錦織選手もチャン氏をコーチに招いてから大きく飛躍しましたが、大坂選手の飛躍もコーチによるところが大だと報じられています。しかし、何を置いても残念だったのは、観客のブーイングでした。S、ウィリアムズ選手の審判に対する抗議と暴言による罰則の1ゲームが試合を決したと言っても過言ではないかもしれませんが、それでも世界ランク1位に向かっていった大坂選手の健闘はたたえられるべきはずです。それなのに、試合中だけでなく表彰式に於いても発せられたブーイングには《アメリカン・ドリーム》を認めているはずの米国人の狭量さを感じます。大坂選手は勝敗が決したときに涙を流し、試合後の会見でも「(私が勝って)ごめんなさい」と謝っていますが、観客のブーイングは黄緑のボールを打ち返すことに必死で努力している選手自身に向かってはならないのです。勝った者はその場に残り、負けた者は直ちにコートを去っていかなければならない非情な《戦いの場》において、観客は我がことのようにその試合内容に一喜一憂します。しかし、「必死で戦っている者を決して非難・冒涜してはならない」というのが観客としての最低限のマナーではないのでしょうか。
(盆参りの時にいただいた「7色の花が咲くボケ」が新芽を伸ばしています。来年が楽しみです)

これほどの災害でも《他人事》ですか?
2018/09/10
北海道厚真町の崩落については何度もTVや新聞の写真で見ていますが、昨日の新聞に載っていた上空からの写真には心底驚きました。失礼な言い方とは思いますが、まるで油絵の風景画を見ているように思えたほど全部の山が崩れ、緑と茶色で画面全体が彩られていました。「山全体が」ではなく、「すべての山が」なのです。
この地区は粘土質の土に噴火による火山灰が上に積もり、その上に更に土が堆積した3重構造だそうですが、台風21号(その時は熱低)による雨が粘土質の上を流れることによって地盤が緩み、地震によって一気に上の2層が崩れ落ちたということですから、どちらか一方だけならばこんな大災害にはにらなかったとも言えます。普段ならば多くの山々が緑に重なっている北海道の雄大な景色が眺められたはずですが、今はどこを見ても崩落した土色の斜面ばかりです。一斉停電から数日で電気が通じでススキノではネオンが煌々と輝いているそうですが、飲み客からは「賑やかになっていい」という意見がある一方で「節電が言われている時にネオンが必要か」という意見があります。しかし、今なお多くの場所では水道が復旧していません。これほど大変な災害であるにもかかわらず(政府関係者を含めて)あまりにも《他人事》と捉えている人が多いように思えて、悲しくなります。

停電の時のローソクの使い方
2018/09/09
北海道の大規模停電によって日常生活が奪われました。マンションなどもオール電化が目玉として売られていますが、このような時には手も足も出ません。私の子供の頃には停電も何度かあり、その度に仏壇のローソクを取りに行った記憶があります。一般の家でもローソクはありましたが、昨今は火事の危険もあって電気ローソクが普及していますし、もちろん本堂も電気ローソクを用いている寺院が増えました。しかし、少なくとも如来前では今までも本物のローソクを用いていますので、昔ほど多くはありませんがいざとなればローソクも使えます。しかし、心配なのは経験の有無です。ローソク台もしっかりしたものを使わないと案外倒れやすいものですが、お参りに行くとローソク立てよりも長い(または同じ長さの)ローソクが立てられていたりします。普段ならば読経の後で私がすぐに消しますが、今回のような停電騒動の時には家人が点けっぱなしにする可能性が高くなることでしょうから、言い換えれば「火事になる可能性が高くなる」ということです。活け花では「真になる花は花器の倍の長さにする」ように言われますが、ローソク台の場合は逆にローソクよりも長くしっかりとした重みのあるものがいいのです。本棚等と同様に、上が下よりも重いと倒れやすいですからね。
(物置の建前が終わりましたが、雨続きで困っています)

葬儀は何の為に勤める?
2018/09/08
最近、本堂の葬儀を勧められる寺院が何ケ寺もあります。人間は1人では生きられず、必ず多くの人達のお世話になって「生きさせていただく」ものです。だからこそ、その最期に当って生前お世話になった方達に感謝を伝えることを目的としたものが葬儀なのですから、本来は家で勤めるべきものでした。しかし、随分前から会館での葬儀が増えたのも事実です。その原因としては家の構造や駐車場の確保の他に町(村)内で互いに協力していた作業がいろいろな事情で出来なくなったこと等があります。勿論、様々な手続きを取ることも遺族には時間的に困難であることも理由の一つでしょう。ですから会館を選ばれることを否定はしません。しかし、浄土真宗の寺院はもともと多くの人達が集うことを目的としているため、(書類上の手続き等を除けば)寺院による大小の差はあっても本堂でも可能です。ただし、中には「駐車場がないから無理」と言われる寺院もあるでしょうし、「通夜は寺族が住む庫裡との関係から困難」と言われる寺院あるでしょうから、「どの寺院でも出来る」と断言は出来ませんが・・・。
最近は家族しか集まらない《家族葬》や葬儀もしないで直接火葬場に行く《直葬》が多く見られますし、中には遺骨も受け取らない《ゼロ葬》もあるように聞いていますが、今一度「葬儀は何のためにするものか」を考えることも必要ではないでしょうか?

故郷と家族が飲み込まれた悲しみ
2018/09/07
今回の北海道地震は震度6強と報告されていましたが、最終的には震度7でした。特に厚真町ではあちこちで山崩れが起きていましたが、上空から見た風景には絶句しました。普通は1~2ケ所であるにもかかわらず、そこでは無数の崩落が起きているのです。鳥取には久松山という『ふるさと』でウサギを追った山がありますが、山はどこでも生活の場であるとともに子供の頃に駆け回った思い出の場所でもあります。その山が崩れて家を飲み込み、家人を掠っていったのですから、そこに住む人達が《茫然自失》になるのも当然でしょう。誰でも喜びはある程度共有出来ますが、悲しみの深さはその人それぞれであり、同じような体験をした人にしか分からないこともあります。しかし、それでも分かることがあります。それは「周りに人がいる」という安心感です。以前ボランティアで活躍しておられる尾畠さんは「被災者の悲しみをえぐるようなことは話題にせず、馬鹿馬鹿しくても周りに笑いを生むような話をする」と言っておられましたが、今回の地震でも避難してきた人からは「そばで人の声が聞こえると安心する」という声がありました。確かに「避難所ではプライバシーがない」とも言われていますが、避難直後の今は人の声が聞こえることで「助かった」という気持ちがやっと生まれるのかもしれませんね。
空には秋特有の鰯雲がたなびいています。北海道の人達にも、この空を見上げる日が1日も早く来ることを願います。

日本の土台が揺れ動いているような9月です
2018/09/06
「桐一葉 陽あたりながら 落ちにけり」という俳句は樋口一葉のペンネームの元になったものですが、境内では台風の余波かあちこちで落ち葉がさまよっていました。昨日からあった落ち葉ですが、さすがに昨日は雨でひっついていたために取れず、やっと今朝掃き清めた次第です。もっとも、利休が弟子に「これで自然らしくなった」と言ったとされる程度ですが・・・。
ところで、ここ数日は台風の猛威を「人知が及ばない」ものと書いてきましたが、関空連絡橋の写真を見てもそれがよく分かります。人知を尽くして計算し設計した橋がタンカーの衝突で完全にズレてしまっている姿は、今回の台風の猛威をもろに現わしているものでしょう。その台風も熱低に変わってホッとしたのも束の間、北海道で未明の地震。震度6で倒壊した建物も数棟あり、未明のことですから中に閉じ込められている人もあるそうです。「狭い日本 そんなに急いで どこへ行く」という標語もありましたが、その狭い日本では中央の台風被害に加えて南の噴火から北の地震まで様々なものが発生しており、政界も含めてまるで日本の土台そのものが揺れ動いているような9月のスタートとなりました。一体、《瑞穂の国・日本》はどうなっていくのでしょうか。

台風21号の猛威に絶句です
2018/09/05
天気予報では、「鳥取は11時頃から夕方5時頃まで注意」とありました。昼頃からポツポツと雨が降ってきて夜には大雨となりましたが、朝起きてみると盆後から咲き始めたノウゼンカズラの花は千切れてもなく、ブロックに立てかけていた箒が倒れていただけで何の被害もなし。「台風一過」とは言いますが、今朝は虫の声がかまびすしいほどでした。しかし、それに比して近畿地方は大変でしたね。高潮による関空の浸水もそうですが、渡月橋では100mに渡って欄干が倒れたそうです。前回の台風でもギリギリの水量で乗り越えた渡月橋でしたが、今回の大風には絶えられなかったようです。数百年も自然の猛威に絶え続けた橋も今回は勝てなかったということでしょうが、それだけ今年の台風が異常だったということになります。人知を尽くして建築した京都駅はゴジラでしか壊せられなかった(映画です)ものでしたが、今回の大風で天井設置のガラス窓が数枚割れて落下したとか・・・。幸いにして下にいた人は軽傷で済んだようですが、関空の連絡橋にぶつかったタンカーも風に流されたのが原因のようですし、自然の驚異に対して人知は及ばない現状を本気で再確認すべきでしょう。地球自体が変化しているのか地震や噴火が多発している今、「喉元過ぎれば~」では益々大きな被害を被ることになりますから・・・。

またもや心配な台風の襲来です
2018/09/04
昨日はこの欄に載せる写真の題材になるものを探して歩きましたが、なかなか「これ!」というものがありません。夏から秋の草花に移行する空白期間のせいかもしれませんが、仕方ないので新芽が伸びているバラや獲物を必死で狙っている蜘蛛などを撮ってきました。昨日は台風の襲来が予報されているにもかかわらず真っ青な空でしたが、さすがに今朝はどんよりとした空気が漂っています。「昼頃に台風の影響が最大になる」とのことですから境内のバケツは納骨堂内に避難させ、ブーゲンビリアの鉢植えも玄関内に移動させました。また、今日は倉庫建築の建前が予定されていましたが、台風の関係で木曜日に延期です。そして、県内の学校も大多数が休校とのことです。新学期を迎えた子供達にとっては折角の《やる気》がくじかれたことになりますが、中にはホッとした者もいることでしょう。もっとも、休校はあくまでも児童・生徒だけであって、職員は何が起きるか分からないので出校しなければなりません。そのことは保護者も同様で、会社も特別なことがない限り「急遽休み」ということがありませんからね。その中で農業関係の方達には風が心配なことでしょうが、どうかくれぐれも無理をしないでください。

楽しい場所であるはずの学校が何故苦痛に?
2018/09/03
9月に入るとさすがに気温が下がり始め、今朝もさわやかな空気を吸い込んで仕事始めです。そして、メダカに餌をやっている時にふと気が付くと二の腕に丸々としたヤブ蚊が・・・。相手も子孫を残す為に必死なんですねぇ。
ところで、8月最後の日に《魔の新学期》について書きましたが、今朝のラジオでは「『子供達が持つランドセルが重い』との批判を受けて文科省が『家庭での勉強に関係の無いリコーダーや書道道具は、学校の机に入れておいてもよい』との通達を出した」とニュースで述べていました。「こんなことにいちいち通達を出す必要があるのかなぁ」と思いながら聞いていましたが、世の中には「~~と決まっているから」という回答ばかりの指導が蔓延しています。以前には「髪の毛は黒と決まっているから」ということで地髪を黒く染めさせた学校がありましたし、聞くところによると小学校では「ブラの着用は()年以上」というものもあるそうです。でも、子供の発育状況はそれぞれですから、「そう決まっているから」では保護者は納得しないでしょうね。確かに我々の高校時代にもいろいろな校則がありましたし、自由化になった今なお残っているものもあります。しかし、昔も今も大切なことは「決まっているから」と強要することではなく、「何故そうなのか」を相手に納得させる努力ではないでしょうか。それがあれば、子供達も学校に行くことの苦痛が少しは減ってくるはずだと思うのですが・・・。
境内の貴船(秋明菊)が蕾を覗かせています。『独り言』に載せる写真のストックがなくなったので、何か探してきます。

腰の痛みが取れません
2018/09/02

やっと降った雨も午前中には止み、夕方から仏壮と仏婦合同の懇親会を持ちました。総勢26名という大所帯になり、あちこちから聞こえる声のすさまじかったことといったら・・・。午前中に本堂と納骨堂の花の生け替えをしてから境内の除草や盆参りで痛めた腰の治療(座骨神経痛らしく、太ももの裏側がしびれます)で整体へ。「整体で痛みと闘って(?)きました」と書けば笑い話のようですが、実際に読経中は正座ですし、しっかりと声を出すためには姿勢が何よりも大切ですから、何とかして早くこの腰の痛みを取り除かないと困りものです。歳を取るとともに身体のあちこちにガタがくるということは聞いていますが、早めに分かっていたら対処も出来ますが急にやってくる身体の変調には対処できません。そのために《事後対応》ということになりますから、どうしても時間がかかりますよね。それでも頑張って動かなければならないし痛みを人に見せることは出来ませんから、結局は「やせ我慢」ですが、ご門徒からは「《古稀》はまだ若い」と叱られていますので、今日もがんばってお勤めしましょうか。
(猛暑の時に根元から切ったテッセンが、ぐんぐんと新芽を伸ばしています)


体操協会の卑怯さが露呈されたと思いますが・・・
2018/09/01
とうとう今年も2/3が過ぎて9月になりました。9月の旧名は『長月』で、「秋の夜長」という自然現象が語源です。「読書の秋」「勉強の秋」はたまた「スポーツの秋」「食欲の秋」ですが、一番ピンとくるのは何番目でしょうねぇ。台風21号の影響で夕べから雨になりました。それこそ2ケ月振りのまとまった雨ですから、これで枯死寸前のドウダンツツジも息を吹き返してくれるとありがたいことです。
ところで、体操協会の件ですが、塚原夫人が録音を提出しました。「相手が弁護士を立てようとする様子だったから、録音した」ということですが、2対1の場である上に相手に了解を得ていない録音は証拠にならないはずです。しかも、このように違法な手段を取った録音は「大切な部分がカットされて構成されているのでは・・・」という疑問も持たせてしまいます。以前に官僚によるセクハラから身を守るために会話を録音した記者に対して「違法だ。証拠能力はない」と逆ギレした幹事長がいましたが、今回の録音は同じ「身を守るため」という理由でも、まったく別のものであり、完全に《自己保身》を目的としたものです。宮川さんのためにも、そのことを追求する弁護士やメディアがいればいいのですが・・・。
(9月の最初にあたり、写真はやっと咲いた花柘榴にしました)

淨宗寺(浄宗寺) 〒680-0821 鳥取県鳥取市瓦町110 TEL:0857-22-5744 FAX:0857-22-5745