3月
久し振りの上洛です
2019/03/26
早いもので、3月も残り1週間になりました。お彼岸に本山参りが出来なかったのでバスで上洛し、まず大谷本廟に行って両親とご門徒の分骨にお参りしてから聞法会館へ・・・。去年の念仏奉仕団体旅行も急の法務が入って私だけが行けなかったので、久し振りの京都です。本山にもお参りしますので、帰りは明日になります。したがって、明日のこの欄は《お休み》 になります。でも、京都の桜にはまだ早いでしょうね。いろいろと写真を撮りたいのですが・・・。

釈尊の《芥子の実》の話と『なみや雑貨店の奇跡』
2019/03/25
昨日の上田紀行氏を招いての 記念講演で釈尊の芥子の説話が出ましたが、それを聞いていて『なみや雑貨店の奇跡』を思い出しました。この話は釈尊が「我が子を生き返らせてほしい」と願う母親に「村を回って、死人が一度も出ていない家から芥子の実を貰ってきなさい」と命ずるものですが、上田氏は「この話は『生ある者はすべて滅する』ことを伝えるという表向きのテーマ以外に、同じ経験をした人たちの悲しみとそこから脱して生きる力を得る話を聞かせようとした釈尊の思いがある」と解説されました。この話は私も以前に何かの本で読んだことがありましたが、「直接に答を伝えないで、自らに考えさせようとする意図が含まれている」と言われた上田氏の話がちょうどこの『なみや雑貨店~』の店主が白紙の手紙を出した青年に対して答えた最後の言葉とダブッてきたのです。この店主の最後となる手紙には「今まで大勢の人が質問や悩みを書いてきたが、本当は誰も答を知っている。ただ一歩踏み出すために背中を押してほしいだけだ。ただ、あなたの手紙からは『何を悩んでいるか。何が分からないのか』さえ分かっていない苦しみが感じられます。でも、あなたの未来はこの白紙の手紙のように真っ白であり、あなたが好きなように書けるのではありませんか」と書いてありましたが、釈尊の《芥子の実の説話》にも同じようなものを感じたのは、間違いだったでしょうか?(冷たい風を受けながら桜の蕾が膨らんできました)

第10期連研最後の日です
2019/03/24
 教員を退職して11年になりましたが、覿面に変化してきたのがウエストの幅。なんとかはけるものを見つけるのに苦労しています。
ところで、今日は1年間続けてきた第10期連研の最終日。午前中に各自の反省と総まとめに修了証書の授与があり、午後からは記念講演です。会所は鹿野町の同派寺院ですから片道25分程度ですが、午後の参加者を考えると優に100人は超えるものと思われます。駐車場は小学校跡地(現・鳥の劇場)もありますので安心していますが、今日は青空が出ていますので、放射冷却現象の方が心配です。私の連研事務局としての仕事も残すところ会計報告だけですので、《最後の一踏ん張り》というところです。

新年度の人事異動が新聞に載っていました
2019/03/23
中日を過ぎた昨日は納骨堂と本堂へのお参りが少なくなりました。これは天候が崩れたせいもあるでしょうが、やはり金曜日で仕事に出かけることも原因なのでしょうね。仕事と言えば昨日は公務員の人事異動があり、今朝の新聞にその結果が載っていました。高校教員の中には一緒に勤務したことのある人の名前もあり、「あぁ、この人も退職か」とか「この人はまだ頑張っているなぁ」と懐かしく思ったことです。「読者の投稿欄に載ったことで、久し振りに知人から連絡が来た」という寄稿などを読んでいると新聞の持つ影響力を今更ながらに感じますが、春の人事異動欄には10年以上前の自分を投影して悲喜こもごもの感慨を催すことです。もっとも、相手は私のことを覚えていないでしょうが・・・。

イチロー選手がとうとう引退します
2019/03/22
お彼岸も後半に入りましたが、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を示すかのように今日は10度も一気に下がるとのこと。昨日はカーディガン姿であったのに今日はまたセーター姿です。
ところで、やはり夕べから今朝にかけてのニュースは「イチロ選手の引退」でしょう。日本で9年メジャーで19年という長い時間を野球一筋に過ごしたイチロー選手が子ども達に残した会見の言葉は「何でもいいから、やりたいものを見つけなさい。自分がやりたいものならばどんな壁があっても乗り越えられるし、そうでないなら、壁にぶつかると諦めてしまうから」でした。野球王国のアメリカ、パワー重視のメジャー。その中で日本人選手の実力を見せつけた先駆者が《トルネード投法》の野茂英雄選手とこのイチロー選手でしたが、身体もそれほど大きくないイチロー選手は単打(ヒット)に「しみったれている」と言われながらも「メジャーでは《必要不可欠な選手》」とまで言われるようになりました。「この19年間を後悔などしない」と言い切ったイチロー選手ですが、最後の「僕には絶対に監督は出来ない」には一種の清涼感も感じたことです。 

お彼岸の中日です
2019/03/21
 今日はお彼岸の中日ですが、朝から風が強くてまるで《春の嵐》かと思いました。それでも納骨堂と本堂は開放しなければなりませんので、風向きが気になります。昨日は天気がよかったせいでお参りの方々も多く、納骨堂の壺には供花が一杯になっています。それでも当寺の納骨堂は室内でお参りが出来る構造ですので、花たちも「風に飛ばされる」こともありません。境内の椿は大変でしょうが・・・。(境内には20種類近い椿がありますから)
ところで、本山ではお彼岸法要に入っていますが、この期間は多忙でなかなかお参りも出来ません。しかし、やっと26日に上洛が出来るようになりましたので、お彼岸を過ぎてからですが本山と大谷本廟にお参りに行く予定を立てました。もっとも、今日は全国的に気温が高くて鳥取でも20度ということですが、明日は一気に10度も下がるという予報です。体調管理が要注意です。

4日前の霙は何だったの?
2019/03/20
4日前は霙交じりの冷たい雨が降りましたが、今日は全国的に暖かく、鳥取も20度近くになるとの予報です。「暑さ寒さも~」とは言いますが、ここまで来れば「異常気象の前触れ?」と思いたくなるのも当然でしょう。先日はアマリリスを鉢植えして境内の東側に(陽がよく当たるように)置いてやりましたが、激しい寒暖に驚いているかもしれませんね。葉が随分と伸びて不安定なために朝顔用の枠を立ててやりましたが、「根が落ち着いたら少し短く切ってやる方がいいかもしれない」と考えている昨今です。
ところで、ここ数日は鳥取因幡組の連絡協議会用に連研の会計をまとめているところです。会計のまとめは毎月していますし、その度にちゃんと通帳とピッタリ合っています。これは前の月の残高を基にしてExcelで収支を計算させているからでしょうが、それを項目毎に12ケ月分まとめるのが一仕事です。何かいい方法がないものでしょうかねぇ。
(今日の写真は、3日前の侘び助椿を玄関に飾ったものです) 

彼岸法要と黒椿
2019/03/19
彼岸の期間中は納骨堂と本堂の扉を開放していますが、彼岸法要には(当日がちょうどパッチワークの曜日のため)多数の方にお参りしていただきました。本堂で『正信偈』を読経した後に納骨堂で『重誓偈』を上げましたが、やはり開放していたせいで本堂は「寒い!」。そのために読経の間だけ閉めて暖房を入れましたが、読経後はまた開放状態です。
午後からは『独り言』に使う写真がなくなったので境内と隣の公園を散策し、何枚か撮ってきました。今日載せている写真は亡母から「黒椿」と聞いていた椿ですが、蕾状態のためにどんな花かはまだ分かりません。実は藪椿の赤よりももっと深く濃い赤をした八重椿ですので、《黒椿》と言われるのも納得なのですが・・・。

今日から「春の彼岸」です
2019/03/18
昨日は午前・午後と2度も墓参りをさせていただきましたが、納骨の時には何と霙!さすがに昔の人の言葉は正しかった(「彼岸の小鳥殺し」)と、つくづくと実感した次第です。ご法事の後で彼岸に併せて納骨堂と本堂の供花を活け直しましたが、さすがに霙の中の幕張りだけは出来ず、山門の幕は昨日とは打って変わって好天気の今朝しました。
お盆と違って《彼岸》という行事は仏典にはなく、中国に渡ってから生まれてそれが日本に伝わったものだと言われています。 《彼岸》とは「彼の岸」、つまり現世(此岸)に対する来世(彼岸)のことであり、浄土のことを表わします。そして、それがどうしてこの時期かと言えば、太陽が真東から昇って真西に沈む日だからです。つまり、『仏説阿弥陀経』の中に極楽浄土の位置が「西方十万億土」と説かれていることから「浄土は太陽の沈むところに存在している」と信じられてきたのです。もっとも、西の方にあるこの浄土は阿弥陀如来が創られた『極楽浄土』であり、その他にも東には観音菩薩が創られた『補陀洛浄土』、南には薬師如来が創られた『瑠璃光浄土』があります。そして、その3つの浄土すべてに関わっている場所が熊野三山ということから、昔からそこが修験者の修行場になっていたわけです。歴史って、面白いですよね。
(今日の写真は、紅朴伴椿(別名、日光椿)です)

雨に打たれている蜜柑の実は・・・
2019/03/17
ここ数日は境内に咲いている椿の写真を載せていますが、今朝は3日前に載せた椿が雨に打たれながら何輪も咲いていました。真っ赤な八重が複数咲くと見事なものですね。その上では桃がちらほら・・・。なにしろ金木犀の木の陰になっているので上から押さえられるようになっていて伸びルことが出来ないのですが、それでも頑張って毎年可愛い花を見せてくれます。
金曜日は天気がよかったのと婦人会の方々が数人おられたので、蜜柑の木に登って落とした実を受け取ってもらいました。今年は《成り年》のせいか全部は取り切れずに半分以上も残っています。「このまま《木守り蜜柑》にすればいい」とはならないでしょうが、やはり雨に打たれている蜜柑を見ると悩ましいものですね。
いよいよ今年も明日から春の彼岸です。今朝早く納骨堂の経卓に打敷をかけましたが、本堂は今日のご法事が終わってからにします。 雨ですから山門の幕をいつかけるか悩んでいますが・・・。

雛人形を片付けて寂しくなりました
2019/03/16
昨日の当寺の仏婦研修会では彼岸にかけて《墓の意味》を話しました。「墓は単に先祖供養のために拝むものではなく、自らの《死》を通してその向こうにある如来の慈悲を子孫に伝えるものであり、仏壇や本堂で阿弥陀如来に向かって拝むことと同じく『報恩感謝』にお参りするものだ」と話しましたが、さて、上手く伝わったでしょうか?明後日から春のお彼岸ですが、お墓の棹に掘られている「南無阿弥陀仏」や「倶会一処」の意味をもう一度考えることもいいのではないでしょうか。
ところで、3月も半分が過ぎましたので、昨日は玄関に飾っていた雛人形をしまって代わりにキンセンカを飾りました。花はそれなりにいいものですが、やはり人形の持つ華やかさのせいでしょうか、それがなくなると何か寂しくなった感もありますね。何故か五月人形を飾ることはなくなりましたが・・・。雛人形と五月人形とではやはり《華やかさ》《可愛いらしさ》に差があるのでしょうかねぇ。
(今日の椿は「蝦夷錦」にしました) 

皇后の歌に見る30年の思い
2019/03/15
30年続いた《平成》の日が1日1日と消えていきますが、それは同時に両陛下の《国民の象徴》としての日が減っていくことを示しています。新聞に載っている『象徴のうた』はその思いを歌人の目を通して述べたもので毎回楽しみにしている記事ですが、その中でも特に今日載っている皇后の歌には心が打たれます。《象徴》として国民に寄り添ってこられたお2人にとって5月からの新しい日々は結婚してから初めて訪れる2人だけの時間でしょうが、「あとどれだけ残っているのか」という気持ちを『寂光』という言葉で表わされながらも、老夫婦ならば誰もが持つことが出来る《静かな時間》の訪れを心待ちにしておられる皇后のお心が読み取れます。先日『在位30年』の思いを天皇が述べられた時、うっかりページを飛ばされた陛下に皇后がそっとその旨を示されましたが、そのミスを笑った国会議員がいたそうです。30年という長きにわたり《自分》を隠して国民に尽くしてこられた陛下が最後の時を迎えられる時の心情はいかばかりであったかと思いますし、その自分を《国民の1人》から《象徴》に大きく変貌された皇后がずっと支えてくれたこと、そして、その皇后に対する感謝の気持ちが嗚咽になって表出された天皇のお気持ちを《笑い》で踏みにじった議員こそ、「《人》として認められない」人間ではないでしょうか。
(椿の名は難しいですが、今日の椿は[秋の山]らしいです)

21世紀になったら、空を飛ぶ車が登場?
2019/03/14
AIだのドローンだの気がついたら「?」というものが日常生活の中にどんどんと入っていますが、昨日の新聞にはトヨタがJAXAと協力して月面探査車を開発するというニュースが載っていました。月面探査車は既に存在していますが、オープンカーのために宇宙服を着ないとのこと。そこで考えているのが、《機密性が高く空気が常に充満》していて、《普通の格好》でも動き回れる 車とのこと。大きさは1Kの部屋くらいで2人乗りにするそうですが、ここまで来るとSF映画や漫画に登場する車を連想します。『ブルー・パスポート』という漫画では、種子島から打ち上げられたHⅡロケットを見た小学生が宇宙飛行士を目指して努力していく姿が描かれています。その中には民間の宇宙飛行機パイロット等も登場していますので正に《空想》の世界ですが、「21世紀になったら、空を飛ぶ車が発明されている」という子どもの頃の夢が夢でなくなる時が近づいたということなのでしょうかねぇ。
(庭には、こんな椿も咲いています)

鉢植えの手入れはどうすれば??
2019/03/13
鉢植えのエビデンドラムが茎の途中から根を出したり枯れそうになっていたりで、とうとう剪定しました。新芽が出ていない何本かは切り捨てて根が出ている何本かを水耕栽にし、後に残った数本には新しい水苔を加えてタップリと水をやりました。これで元気になってくれればいいのですが心配です。心配と言えば、そろそろ花を切り取ったアマリリスを土に植えてやらなければならないのですが、なにしろ昨今は朝と昼の温度差が厳しいので、箱に書いてある[手入れの仕方]を読んでから取りかかろうと思っています。もっとも、箱の閉まった場所を思い出すのが先決ですが・・・。
境内では更に次々と椿の花が姿を現わしていますので、月初めのものに引き続いて今咲いている花を写真に載せます。

花にも《感謝》の気持ちを持ちたいものですます
2019/03/12
仏花を生け替えるためにどのお寺でも通路の一画に水場を作ってそこで生け替えていますが、当寺も同じです。しかし、《生け替える》ことは今まで土とともに生きていた花を根から切り離して使うことであり、言い換えれば、食事と同じく「花の命を奪う」ことでもあります。だからこそ私たちは心を込めて活けるのです。
ところで、鳥取の開花予想は3月24日だそうですが、桜が咲くといつも登場するのが「枝を手折る」人達です。本人は「きれいだから、家に持って帰って飾ろう」という軽い気持ちかもしれませんが、寒い冬を必死で過ごしてやっと咲いた桜はどう思っているのでしょうか。きれいに咲いた君子蘭を皆様に見てもらおうとして毎年のように境内に置きますが、数年前には朝方に見ると茎の下から花が切り取られていました。また、15年程前にはご門徒から戴いた白の万両(鉢植え)が根元から盗られたこともありました。これは幸いにして根が残っていたので地植えにして今でも元気に育っていますが、苦労して育てた人の気持ちもありますし、何より花にも命があります。「花泥棒は罪にはならない」などと気軽に考えず、花にも《感謝》の心をもって向かってほしいものです。

東日本大震災から8年です
2019/03/11
8年前の今日は東日本大震災の発生した日でした。阪神大震災の時には鳥取も激しく揺れたので飛び起きましたが、東日本~の時は揺れに気づかず、何の気なしにつけたPCに地震発生とのテロップが出たので、慌ててTVを点けたことを覚えています。そして、その最初の画面には畑や道路を上ってくる水が映し出されていましたが、その後に港湾を飛び越えて家や船を飲み込んでいく波が映し出されました。冷たい雪が舞う高台からその様子をじっと見つめる人たちの後ろ姿は、今でも忘れられない光景です。8年経った今でも避難生活をしている5万人超の人たちがいる現在に《復興五輪》と銘打って国民を鼓舞している日本政府ですが、その実態は・・・?震災当時に世界中を駆け巡ったニュースに水の入ったペットボトルを持った長靴姿の子どもや特派員から貰った1本のバナナを自分で食べないで供出した少年達が写っていたことをすっかり忘れ、口先だけ『被災者に寄り添って』と言うだけに思えてしまうのは、何故でしょうか。
ボタンの新芽が伸びてきましたが、東北にも新しい生活が芽吹くことを心から期待します。

いよいよ春の花の出番です
2019/03/10
金土と暖かい日が続き、昨日は18度もあったので運転中は窓を開けました。しかし、今朝は曇り空。「~心と秋の空」とは言いますが、今年は春の天候も「~心」かもしれませんね。鳥取の開花予想は3月24日ですが、当寺の桜桃は既に薄ピンクの花を開いています。去年の秋に枝を剪定したので、手が届かなかった上の枝はなくなりました。これでなんとか実を取ることが出来ますが、去年が《成り年》でしたので、果たして今年はどうでしょうか。
境内の隅ではチューリップが芽を出しています。エビネランはまだその気配がありませんが、昨日訪れたお寺では白の沈丁花が小さな花瓶に活けてありました。最初は気づかなかったのですが微かな香りで初めて花の存在に気がついてのです。《香り》と言えば何と言っても秋の金木犀でしょうが、沈丁花の甘い微かな香りもいいものですね。さぁ、いよいよ春の花達の出番です。 

啓蟄も過ぎたのに・・・
2019/03/09
啓蟄も過ぎて「春もそこまで」と思っていましたが、一昨日の夜は雷の音がドーン!一瞬何が起きたのかとさえ思ったほどでしたが、第一声が「何?今頃になって雪起こし?」でした。本当に今冬は降雪もないばかりか《雪起こし》と呼んでいる雷もまったくありませんでしたので、余計に驚いた次第です。
昨日は1週間前に撮した桜桃の蕾を載せましたが今はチラホラと開いていますので、その写真は後日にします。でも、春は次々と新芽が出てくるので、楽しみが多いですね。ただ、盛んに咲いていた椿はクビのところから木の下にポトリと落ちていますので武士が嫌った気持ちも何となく分かりますが、真っ赤な藪椿もピンクのウラクツバキも白の白玉椿も落ちた花弁が先端から少しずつ茶色になって枯れていきますので、その姿にはツライものがあります。本当は落ちたものをすぐに拾ってやればいいのでしょうが、そこは寒さと多忙にかこつけてそのままに・・・。「反省!」です。

上手く咲かせられない自分がツライ
2019/03/08
昨日と打って変わって今朝は晴れ。その中に裏庭に行くと、桜桃の花がチラホラ咲いていました。1週間前は蕾だったものが開いている姿は、「春間近か」を感じさせます。その近くではボタンが赤い新芽をふいており、2週間後が楽しみです。しかし、2月末に開花したアマリリスは花の盛りを終えたので、今朝茎を切って葉だけにしました。チューリップも同様ですが、「花が終わった球根は葉だけにしてやることで養分をため、また来年に花を咲かせる」ということを楽しみにしているからです。もっとも、シクラメンにしてもシンピジュウムにしても、過去に一度も成功したことがないのですが・・・。こちらの都合どうりにいかないのは別に花に限ったことではないのでしようが、逆に言えば、花を上手に扱えない自分にガッカリすることです。まぁ、もう少し暖かくなったら土を入れた鉢植えにしてやりますがね。
(写真は、蕾だった1週間前の桜桃です)

体調管理がうまくいかないですね
2019/03/07
今日は朝から雨続き。境内の草木にはいいのでしょうが、まったく積雪がなかったことから今年の夏が心配です。しかも、もう既に《猛暑》の兆候が海面温度で確認されているとか・・・。「このままいけば40度も・・・」と考えるだけで、ゾッとします。今朝の気温は雨のせいか生暖かく、セーターを着ているだけで暑く感じるほどです。この気温で、玄関先に置いている水槽の温度装置を切りました。去年は余りにも寒くて水温が下がったために発熱装置をセットしたのですが、今年は逆にそれが災いしたのか、金魚が1匹ダウン。金魚も人間も、なかなか体調管理がついていかない昨今です。

《勤めあい》寺院の前坊守が逝去されました
2019/03/06
藤井7段と師匠の杉本氏はともに勝って師匠は昇級が決定しましたが、藤井7段は残念ながらルールの関係で昇級が見送りになりました。でも、とんとん拍子に上ってきた 者の《壁》だったと考えるのも大切でしょう。
ところで、寺院には《勤めあい》というものがあり、お互いの寺院の法要にはそこの住職に代わって導師を勤めます。その当寺の《勤めあい》である同派寺院の前坊守様が昨日往生の素懐を遂げられました。満96歳ということですので、大正末期に生を受けられた(私の母も同じ大正元年の10月生れでしたから、存命なら106歳)ことになります。3週間後には新元号が発布されますが、「頭文字が[M《明》・T《大》・S《昭》・H《平》]にならないことが条件」だと言われています。いくら「明治生まれの人は108歳以上の年齢になる」とは言っても、100歳を超える人が120名以上もおられる現在ですから、やはりM《明》という頭文字を残す必要があるのでしょうね。
さぁて、どんな元号になるか楽しみです。

言葉の本当の意味を伝えるのは誰?
2019/03/05
ロシアに拿捕されたカニかご漁船が無事に帰港し、ひとまずボッとしました。ご法事の後の一口法話でよく「いただきます」の意味を話しますが、私たちが喜んで食べるカニにしても、カニの命と共にこのような人たちがいてこそ食卓に上がることを考えると本当にありがたいことであり、今更ながら《いただきます》という言葉を大切にしたい思いです。
最近は《怒る》と《叱る》の区別がつかない人や《しつけ》と《虐待》の区別がつかない人が増えている気がしますが、行為だけでなく言葉自体についてもその本来の意味を知っていない人が増えているように思えます。しかし、その理由がどこにあるのかを考えたとき、真っ先に考えられるのは「親や祖父母が伝えていない」ではないかということです。かつて保護者から「いただきますを強要するな」と言われた小学校では言葉の代わりに《音》で食事の開始をするようになったそうですが、これではまるで陸上競技です。そんなことをしないで、どうして「いただきますとはこういう意味ですから、続けます」と言えなかったのでしょうか。それを教えるのも《学校》の仕事だと思いますがねぇ、



本当の《個性》って?
2019/03/04
昨年は銀座にある小学校が《個性化》を目指してアルマーニデザインの制服(選択は自由)を指定しましたが、鳥取の高校で《個性化》を目指して最初に制服を変えたのは私立女子校で、その後は他校もほとんどがブレザーになり、今では詰め襟学生服は3校だけです。ところで、まだ詰め襟だった頃は私立高校と実業高校は3月1日が卒業式で普通高校は5日(現在は全校が1日)でしたが、当時は卒業証書の入った筒を持ったまま堂々と(?)パチンコ屋に入って行く詰め襟姿のモサがいたりしました。まるで漫才のネタになるような話ですが・・・。しかし、《個性化》を狙った制服の変更も多くの学校が似たような制服を採用していますので、今ではほとんど区別が付きません。今日の朝ドラではありませんが、本当の意味での《個性》を作らなければ残っていかなくなるのが現在です。昨日のTV番組で離島の学校を存続させるためにわざわざ本当から生徒を通学させるということをしている内容が放映されていましたが、生徒達は「本校よりも楽しい」と言っていました。離島独特の《生活に密着した》ものを体験しているからでしょうが、本当の意味での《個性》がそこにあるように感じられたことです。

白酒は酒税法上《酒》ですからね
2019/03/03
ひな祭りに出てくるのは白酒ですが、実はこの白酒は酒税法上ではちゃんとした《酒》なのです。蒸した餅米にみりん等を加えてから数週間後に臼でひいて作るもので、アルコール度数は10%を超えます。それに対して甘酒は柔らかく炊いたご飯に米麹を混ぜて一晩かけて発酵させるもので、アルコール度数は1%程度です。はるか昔から人は発酵した果物からアルコールが発生する原理を使って酒を造っていましたが、もともとは酔っ払っている猿を見つけた人がその原因を調べたところ、集めて隠していた果物が発酵し、それを猿が飲んでいたせいだと分かって《酒》を作り始めたと言われています。もっともこれが本当かどうかは不明ですが、とにかく白酒は《酒》ですので、いくら「ひな祭りには白酒を飾るもの」とはいっても年端もいかない子どもに飲ませてはダメですよ。

童謡『うれしいひなまつり』って、間違いだらけですよね
2019/03/02
風が冷たい中で迎えた3月ですが、明日は《ひな祭り》の日です。当寺も玄関先に飾った内裏雛が訪れた方を迎えていますが、先日左右を置き換えました。最初は向かって左に男雛を置きましたが、これは西洋の風習に則った明治以降の置き方ですので、昔ながらの向かって右に男雛、左に女雛としたわけです。(現在よく見かける向かって左側に男雛を配するのは関東風で、向かって右側に男雛を配するのは京風ということです)道具の配置も《こちら側から見て》ではなく《雛側から見ての左右》ですから、桜や橘も一見したところ左右が逆に見えますが、「左近の桜、右近の橘」は雛側から見ての左右だということが分かっていれば納得できます。その考えでいけば、当然に右大臣も左大臣も《雛から見ての左右》ですから、向かって右が左大臣になるわけです。したがって、サトウハチロー作詞の『うれしいひなまつり』には「赤いお顔の右大臣」とありますが、赤い顔をしているのは左大臣なのです。ついでに言うと、「お内裏様とおひな様」という詞にしてもどちらも《雛人形》そのものを指している言葉であって、男雛・女雛のことではありませんからね。

今年も弥生に入りました
2019/03/01
 早くも3月。旧暦では弥生で「いや、生い」から生まれた言葉ですが、これは「さあ、植物の芽が出てくるぞ」という意味です。土の下で眠っていたものが一斉に芽吹く姿を言い表したものですが、今月の掲示板はその感動を言葉にしたものにしました。まだ朝の風は冷たいのでいつ除雪機を倉庫にしまうか悩んでいますが、これは3月になってから雪が降ったこともあったからです。でも、今年はもう降らないでしょうが・・・。公孫樹の下に生えている椿は濃いピンクに白がまだらに入っている花を咲かせていますし、裏庭では(山門横は満開ですが)チラホラと白梅が開花しています。東側では桜桃が蕾を膨らませ、中頃には可愛い花を咲かせるでしょう。境内を見回すと、本当に《春間近か》なのですね。
さぁ、今月も頑張って『独り言』を書き進めましょうか。

2月
ちょっとのことで左肘の筋を痛めました
2019/02/28
2月の掲示板を書きましたが、文言がもう少しピンとこないので書き直しです。
ところで、日曜日の風呂上がりにタオルを絞ったところ左肘でピシッという音がし、痛みで腕をねじることが出来なくなりました。その晩はシップの上からサポーターをして寐ましたが、腕の曲げ方によっては痛みが治まらず、翌日に整形医院に・・・。診断の結果はやはり左肘の筋を痛めているとのことで《温湿布》を指示されましたが、「物を持ち上げる時は肘を曲げて抱えるように。引き上げる形はダメ」とも言われました。また、「急激なハンドル操作(右への急ハンドル)も要注意」と言われましたが、これは安全運転をしていれば大丈夫です。問題は、法衣を入れた鞄を持つ時です。左で持つ癖が付いているために昨日の法務でもうっかり左で持ってしまい、一瞬「痛い!」。何かに言っても身体は正直なもので、あちこちにガタが来ているのですねぇ。 

リヤカーを引いて歩く尾畠さんの憂い
2019/02/27
去年はリヤカーを引いて世界一周の旅に出た人のことが 話題になりましたが、《スーパーボランティア》として有名な尾畠春夫さんもリヤカーを引いて国内を歩いています。ただ、あまりにも尾畠さんに会おうとして集まってくる人が多くて事故の心配も出来たために途中で中止されましたが・・・。尾畠さんが歩く目的は「子どもの虐待」が増えていることを憂えてのことでしたが、途中で出会う人たちもやはり子どもへの虐待を悲しみ、「昔のような純粋な日本人に戻ってほしい」と訴えた人もいます。尾畠さんは「たとえ何かが100回あっても99回は誉め、叱るのは1回でいい。ただし、叱るときには正座させて思いっきり叱りなさい。そして、その後はしっかりと抱きしめなさい」と言います。けれども今の世の中は《怒る》と《叱る》の区別や《遊び》と《いじめ》の区別がつかない人が余りにも多すぎます。政府は家庭でも子どもに対する体罰を禁止する法案を出そうとしていますが、その前にすべきことがあるのではないでしょうか。

他人の反応は《成長の糧》とした女優の存在
2019/02/26
アカデミー賞には《最低作品賞》というものがありますが、今回は『華氏119』でした。これはトランプ氏が大統領になるまでを記録したドキュメンタリー映画ですが、作品の優劣ではなくてテーマが問題なのであり、当然に主役(?)のトランプ氏が《優秀主演男優賞》です。この賞の存在はアメリカ的ユーモアの現れであってそれによって「傷つけられた」と怒る監督や俳優はいませんが、誰も受賞を受け取りに舞台に上がりません。もっとも、過去に1人だけ舞台に上がった女優がいましたが、彼女は「これも俳優として成長するための経験の一つ」だと言ったそうです。彼女は他人の反応や意見を《自分を育てる糧》と考えて努力し、今では世界的な大女優になっています。それに比べ、口では「民意に寄り添う」と言いながらも笑いながら沖縄の人たちの訴えを無視する総理は、この女優のことをどのように捉えるのでしょうかねぇ。

今期最後の連研研修会で話したことは
2019/02/25
今期最後となった昨日の連研は、初めてのワークショップ形式による「寺院の現状把握」でした。架空の寺院の現状を挙げ、その利点と問題点を2色のシールに記載して各視点(経済・環境等の4点)に貼り付けていく方法です。そうすれば一目で各視点の利点と問題点が分かりますし、「今回の体験によって各自が所属する各寺院の問題点等を考えてみませんか」という今回の研修でした。もっとも、私は午前中に法務があったために途中退席しましたが・・・。
また、最後の「お寺で出来ること」というテーマの講演については、「『出来る』ためには、それぞれの条件が満たされないと無理である」という前提から入り、亡母の言っていた「お寺は門徒があってお寺であり、門徒はお寺があって門徒である」という言葉を使って「門徒とお寺だけでなく寺院や門徒が垣根を越えて手を繋がなければ、いくら1人が頑張っても出来る範囲はしれている」と言い、《お寺に集まり、そこで遊び、語り、楽しむ》ためにいろいろなこと(コンサートや飲み会等)をしている具体例を挙げて話を締めましたが、さて、上手く伝わったでしょうか???
(2月も残り少ないので、境内の椿を出来るだけ多く写真に載せます)

連研で何を話せばいいのでしょうか
2019/02/24
前日まで使えていたHPが突然に操作不能になったりメールが送受信できなくなったりと、ここ数日はパニック状態でした。専門家に診てもらっても一言「やはりダメですねぇ」ですから、仕方なく別の方法で使えるようにしてもらいましたが、今まではすぐにたどり着けた操作も二重三重の手間がかかってウロウロしています。
ところで、来月は修了式と記念講演が予定されていますので、今日が第10期連研の最後の研修日です。講義を主に担当している人は「新しい寺のシミュレーション」的なことを検討してもらうように言っておられますが、私は「お寺で出来ること」というテーマで話をすることになっています。しかし、「出来る」ためにはいろいろな条件があってすべての寺院が可能ではないと考えていますので、まずそこから話す必要があると思っています。でも進め方や話の内容によっては《独断》に陥る可能性もありますので、それをどう解決するか、今もって答が出ていません。困ったなぁ~!?

《言葉》よりも《意思疎通》が大切
2019/02/23
人間と他の動物との違いは「二足歩行、道具を使う、言葉で意思疎通をする」ことだそうですが、その中の《言葉》については、国によって違っていたり口から出たとたんに消えてしまうため、後々問題になることがよくあります。そのために記録を残すことが大切なのですが、記録内容もそれを記した者の受け取り方で別の意味になってしまうことがあります。よく言われるものに「おしょくじけん」がありますが、これが《汚職事件》なのか《お食事券》なのかは文の前後で判断できても、言葉を聞くだけでは判別不能です。またこれが文章でも同様のことが起きます。たとえば『貧者の贈り物』という物語は愛情がお金よりも尊いものとして描かれていますが、別の視点で眺めれば「夫婦間の意思疎通(コミュニケーション)不足がもたらした悲劇」とも受け取れます。結局、大切なことは「言葉だけに頼らず、日頃から意思疎通を図ること」なのでしょう。「スマホで通じるから、大丈夫」はでなく、相手と直接向き合うことで初めて《心模様》も分かるのですから。

言葉は【芸術】を生み出すはずなのに・・・
2019/02/22
今日は2月22日。「ニャンニャンニャン」と読んで《猫の日》とか。《耳の日》にしても《救急の日》にしても、どうも数字や漢字の読み方をいろいろと当てはめて意味を持たせるのは日本人の得意技のようですね。そういえば、江戸時代に「どんな漢字でも読める」と豪語した者に対して「ではこれを読め」と言った城主がいたとか・・・。その「子子子子子子 子子子子子子」を見事に読んだことから役職に取り立てられたという話がありますが、これは「子」の読み方が3通りあることを知って初めて読めるものです。同じ江戸時代、谷地坊主が客から与えられたものに対してすぐに「~とかけて~と解く。そのこころは~」と答えた芸が現在でも生き続けていますが、落語のオチにしても漫才のボケとシッコミの絶妙なやりとりにしても、そこには話し手の言葉の持つイメージや意図を瞬間的に連想できる聞く側の幅広い知識と、それを《笑い》にまで昇華できる「心の豊かさ」があるから可能になるのです。これらは日本が世界に誇るべき【言葉による芸術】と言えるとも思いますが、虐待を《しつけ》と言い換えたり白を黒と言い換える《忖度》的言葉がまかり通る現在に谷地坊主が生きていたら、一体何と言うでしょうかねぇ。

仏教讃歌もいいものですよ
2019/02/21
アマリリスが開花しましたが、朝方に見ると3本あった蕾の中で1本がポキッ!どうもカーテンを下ろしたときに触れたのではないかと思いますが、折角の蕾を捨てるのももったいないので小さな花瓶に入れてやったところ、今朝はきれいに開いていました。今日の写真は鉢植えのものですが・・・。
ところで、昨日は鳥取鳥取因幡組の坊守方が当寺に集まって研修会が持たれました。仏教讃歌の練習ということで、コーラス隊が出来るのではないかと思えるほどの熱心さでした。もっとも、私は留守番を兼ねて居間で聞いていただけですが・・・。親鸞聖人は「市井の人たちにとって経典は難しい。より分かりやすくするにはどうすれば」との思いから経典の意図を『和讃』という形にして伝えられましたが、インドでも中国でも、そして日本でも、人々の喜怒哀楽の感情を表わすのには昔から歌が使われていました。労働の苦しみ・辛さが込められたものや恋心を伝えたもの等が後の短歌・和歌へ、そして今の歌謡曲へと変わっていくのですが、仏教讃歌も同様にみ仏の教えに対する喜びや感謝の心を《歌》として表わしたものです。じっくり聞くとなかなかいいものですよ。

《しつけ》と《体罰》の線引きを明らかに
2019/02/20
親から子どもへの体罰を禁止する法案が急遽提案されるようです。これは《しつけ》と称した虐待によって命を奪われる子ども達をなくしたいという思いが根底にありますが、「自治体の6割が自衛隊募集への協力を拒否している」などと嘘まで言って改憲しようとしていた総理が今まで重要法案にも上がっていなかったものをここで提案したのは、世論に慌てて(?)動いただけのように思えないこともありません。もちろんその法案によって子どもに対する虐待がなくなれば最高ですが、ただ単に「子どもの品格を傷つける行為は認められない」という条文ではどこまでがしつけでどこからが暴力なのかという線引きさえ明らかでなく、「悪いことをした子どものおしりを叩くことも体罰なのか」という意見も議員の中にはあるそうです。外国人労働者の受け入れにしても「重要な部分は後で決めます」と言って早急に通した国会ですから、親の子どもに対する今回の体罰禁止法案も《明確な線引きは自治体任せ》で通してしまう可能性もあります。せっかくの法案が有名無実になってしまわないように、国会議員は本気で議論してほしいものですね。

「子ども以下」になっている大人達
2019/02/19
いよいよアマリリスが開花しそうですので、数日後にはラッパ状に開いた花の写真が載せられそうです。
ところで、また大戸屋で撮られた不適切動画がSNSに載りました。本人はマスクをしているので「名前を知られないだろう」と思っていたのでしょうが、名札からバレてしまったようです。今までもコンビニ等でフザケた動画を撮ってそれをSNSに載せたものが何人もいましたが、中には損害賠償を訴えられる事例も報道されています。被害もその店だけで収まらず、チェーン店では同系列全体にまで及びます。そうなると金額は膨大なものになり、とても個人ではらえる額ではなくなります。話題作りで注目を集めようという《本人曰く「ちょっとした」》願望がその人だけでなく周りの人生まで巻き込んでしまうということにまで考えが及ばないのは、もはや「子ども以下」と言われても仕方がないでしょう。今上天皇が被災地へ行かれた時などに膝をつき、相手と目線を合わせて語られる姿を特別なこととして語られますが、実はその姿は本来我々誰もがすべき姿のです。「メールなどではなく、直接相手と会って」とか「話す時には必ず相手の顔を見て」などは社会人としての常識ですし、《ホウレンソウ》も新しく社会人になる者には必ず言われる(私も卒業していく生徒にはいつも伝えていました)ことです。それなのに、「不適切なことをしないように」などといちいち指導しなければならないようになった原因は、一体どこにあるのでしょうか??

人間の生命力と健康は・・・?
2019/02/18
外国版トピックスによると、タイで行方不明になっていた56歳の女性が7ケ月後に中国の昆明で発見されたということです。ただ、この女性が中国までどのようにしてたどり着いたのかは分かっていません。なぜなら、途中には国境があるだけでなく距離的にも700㎞も離れた土地である上にもともと認知症に罹っていたことから、話の要点が得られないのです。しかし、20㎏痩せていただけで元気だったそうで、人間の持っている潜在能力というか生命力というか、とにかく「~だから」と一概に決められないものがありますよね。また、これと同じトピックスにハワイ州における議会の提案も載っていましたが、これは「タバコの購入許可年齢を引き上げよう」という内容で、こちらは笑いました。というのも、その許可年齢が100歳だったからです。現在ハワイ州では21歳からタバコが購入できるそうですが、それを段階的に引き上げて、「数年後には100歳にしよう」というのです。その理由(「我々は人間の健康に対して気を配らなければならないから」)については納得しますが、それが100歳ということは結局《タバコの購入を禁止》することですよね。まぁ、《嫌煙》の私ですからそれもいいですが・・・。

花の成長を楽しむ=情操教育?
2019/02/17
「安倍総理がトランプ氏をノーベル平和賞に推薦」ということに対して「トランプ氏の方から推薦依頼があった」とか「韓国の文大統領のことを言い間違えた」とかいろいろと記事が出ていますが、日本側からの説明がまったくないために、国民にとってはそれこそ《籔の中》的状態です。本当に《国民の知る権利》はどこにいったのでしょうかねぇ。
まぁ「ごまめの歯ぎしり」はその程度にしておいて、窓辺に置いているアマリリスの成長を見るのが毎朝の日課になっていますが、今日の新聞にはひな祭りにかけてアマリリスの水耕栽培が載っていました。水耕栽培は球根を専用のガラス容器に入れておくだけでいいため、子どもでも出来る簡単な方法です。私も以前にアマリリスの球根を容器に入れて育てた(?)ことがありましたが、硬い球根から少しずつ薄緑の葉が出てくる様子や花芽が顔を覗かせてくるのを見た時には、本当に《感動》ものです。そして今、窓辺で伸ばしている2本のアマリリスの花芽が同じような高さにまで育っているのを見ると、「どんな花が開くのだろう」とワクワクです。これも亡母が言っていた《情操教育》の成果かもしれませんね。今朝は、この倍近いところまで伸びていますよ。

玄関に花を飾るわけ
2019/02/16
昨日の仏婦研修会では、ご門徒の逝去から始まって弔辞に使う表現(「ご冥福をお祈り~」)の間違い について説明し、最終的には「一息ついてから叱る」「自分で考えてから話す」ことの大切さを話して終わりにしました。
ところで、当寺では玄関にいつも花を切らさないようにしていますが、これは「来客が入られた時に、ホッとした気持ちになってほしい」という思いからです。慣れている人でしたら緊張はしないでしょうが、やはり「お寺の敷居は高い」と思う人もおられます。それを解消するためにいろいろな行事をしているお寺と同様に当寺もいろいろなことをしていますが、やはり一番は、玄関を入った時にホッとする空間を作ることだと思っています。花を飾るのもそのためですが、時期によっては適当な花がないこともあります。そんな時には鉢植えを飾ったりしますが、今回は生花にしていた桜に百合やキンセンカを使って盛り花にしました。それこそ《適当》に活けたものですが、ホッとしてくれますかねぇ。

婦人会の仲間が急逝されました
2019/02/15
八頭町の大樹寺には樹齢450年の有楽椿があってこの時期になるといつも新聞に載りますが、当寺にもおなじウラク椿が咲いています。ただ昭和27年の鳥取大火後に亡母が植えたものですから、樹齢60年くらいですかねぇ。もっとも、側のサルスベリの方が大きくなったために、その横で小さくなっていますが・・・。
今日は今年になって2回目の当寺の仏教婦人会研修会があります。内容はいつもと同じですが、今回は熱心に参加しておられた会員の方が急逝されたこともあり、哀悼の意を込めて読経中に皆様に焼香をしてもらうことになっています。その方が当寺と関係を持たれてからわずか3年半でしたが、仏婦研修会を初めとしてお盆やお彼岸の法要、年2回催される法座等には時間の許す限り参加され、仏婦研修会などには手作りのおはぎなどを持参されて皆に振る舞っておられました。また、山草の会の一員として展示会に作品を出品するだけでなくて裏方としても頼りとされてきました。心より哀悼の意を表します。

どうして人間は成長しないのでしょうか
2019/02/14
昨日まで無事に打ち込めていた『独り言』が、今朝から急に打ち込み不可!そのためにソフトの本社に連絡を取って 何とか打ち込みが出来るようにしてもらいましたが、新しい方法に慣れるまでは大変です。
ところで、窓辺で伸びているアマリリスのようにどんな花も寒さに負けないで成長しているのに、どうして人間は成長しないのでしょうか。と言うよりもむしろ《退化》しているのではないかと思えるほどで、我が子に対する暴力・虐待を《しつけ》と言い張る親、SNSに《いいかっこ》と思って不適切動画を載せる若者、体調を崩した人を介抱している女子高生に暴力を振るう年配の人等々、枚挙に暇がありません。まぁ、「『五輪憲章』など読んだことはない」と堂々と言い切る五輪担当大臣がいる国ですからそれも当然といえば当然なのでしょうが、こんな国で「若者に夢を与えよう」と言っても空々しいだけですよね。

病気の治癒に専念してください
2019/02/13
窓辺に置いているアマリリスは5日前の写真と比べて花芽が2本も伸び、短い方でも20㎝、長い方は35㎝にもなりました。蕾も心なしかふっくらとしているので、開花まで数日かもしれません。暖冬とは言っても外の空気は冷たく、やっと芽を出し始めたばかりのチューリップと比較してそれだけ窓辺が暖かいということでしょうね。とは言っても、廊下はやはり冷たい空気であふれていますが・・・。そのような中、昨日は驚くべきニュースが2つ飛び込んできました。一つは大坂選手がサーシャコーチとの契約を解除したというもので、もう一つが水泳界のホープである池江選手の白血病です。大坂選手の方は「もう一つ上の段階を目指したい」ということが理由のようですから、苦労はするでしょうが新しい将来を見据えての決断でしょう。しかし、池江選手の方は病魔との戦いになります。確かに現代医学の進歩はめざましく、かつては《不治の病》のように恐れられていた白血病も今では高い治癒率を誇っていますし、現に完治して活躍している俳優やスポーツ選手が何人もおられます。池江選手にも大切な大会があるでしょうが、今は先ず病気の治癒に専念してほしいものです。いつか必ず花は開きますからね。

児童虐待の解決は火急を要するテーマです
2019/02/12
細々と鉢の中で根を張っていたペコニアを窓辺に置いてから2ケ月経ちました。土が乾いた頃に水をやっていたせいか、細い茎ながらも倍近くに伸び、小さかった蕾も遂に開きました。それが昨日の写真ですが、冬場の鉢植えは、手をかけすぎると根腐れになるしかけなければ枯れるしで、今までに何鉢もダメにしたことがありましたので、やっと咲いた1輪の花が可愛く思えます。でも、鉢植えでさえもそうなのに、どうして人間は可愛い我が子を虐待できるのでしょうか。
今回の女児虐待については多くの《自己保全》が見え隠れしています。「ひみつにして、だれにも見せません」とまで言い切った学校が父親にアンケートの存在を伝え、教育委員会までもが「恐怖におびえて」コピーを渡し、「同意書は書かせられたもの」ということを知りながら親元に返し、しかもその後訪問することさえしなかった児相。「娘が虐待されている間は、私は安全だった」と言うまで極限状態になっていた母親・・・。コメンティター達は「警察の介入が必要」と言っていますが、警察は実際に事件が起きたり事実認定がある時だけしか動けません。そのため、親が子どもを隠してしまえば事実確認が出来ず、無理矢理に室内に入って保護することは出来ないのが現状です。だからこそ、児童虐待に対しては「警察と協力すればいい」とか「児相に専門的知識のある人を増員すればいい」という《官僚的回答》でなく、もっと根源的なものまで掘り進んで解決策を見いだす必要があるのではないでしょうか。そして、それは「第9条の改憲」よりももっと大切で、しかも火急を要するテーマだと思いますが・・・。

町の名も川の名も、生活の一部です
2019/02/11
県の西部に位置する米子市では加茂川の呼称について紛糾しています。新しく整備した川を「加茂川」と命名して古い方を「旧加茂川」と呼ぶことに対し、昔から住んでいる人たちから「こちらの方が加茂川なのに、どうして《旧》を付けるのだ」と非難しているのです。確かに、ずっと昔から生活の中に根付いている川に《旧》を付けられたら、そこで暮らす人にとっては阻害されたように感ずることでしょう。そのため、「整備後の加茂川に《新》を付けて、昔から存在している方の《旧》を取るように」という主張も納得できるものがあります。「たかが名前一つで・・・」と言う人もあるでしょうが、川も住民の生活に根付いた存在そのものだからです。しかも、一方から《旧》を取ってもう一方に《新》を付けるということは、何も難しいことではありません。鳥取の市街地を流れている川(当寺の前にあり、『ふるさと』の小鮒を釣った川)の名前も、昭和9年に新しく整備された川の方を「袋川」と称してそれまで市街地を流れている方を「旧袋川」とされました。しかし、住民がそれに対して異議を唱え、「新旧の名前の変更については支障なし」というお墨付きを得て、《旧》をはずし、《新》をつける現在の形になった例が現にあるのですから。今はあちこちで新しい町名がつけられていますが、「名前も生活の一部」だということを自治体は理解すべきではないでしょうか。
ちなみに、当寺の今の町名は『瓦町』ですが、それまでは『川外大工町』でした。江戸時代に池田光政公の治世で従来の川の外側に新しく河道を作ってそちらを新しく『袋川』と呼び、それより内側を城下町としたことから、当寺があった場所は『川外』と呼ばれていた歴史的にも意味のある町名でしたよ。

お寺の敷居は高くないのです
2019/02/10
今月も半分近くが過ぎました。本当に「光陰矢の如し」を感ずることです。そして、時間が経つほど気になるのが今年の行事(予定)の準備です。4月には総代会があって会計関係や年間行事等について検討してもらいますので、そのために資料の作成に既に取りかかっていますが、当寺の行事については去年から分かっていてカレンダーにも記載していても組や教区の行事の内容と日程が不明のため、そちらはストップ状態です。
ところで、行事予定と言えば、当寺では毎月実施している淨宗寺仏婦研修会(法話は住職)以外にも春・秋のグランドゴルフ大会、夏の仏婦・仏壮合同懇親会、7月開催予定のコンサート(今年は邦楽)、12月の蕎麦打ち等いろいろなことを催していますし、それ以外にも《趣味の会》的に興味のある人が集まってパッチワークを作ることもしています。お寺というものはもともと門信徒に関係なく多くの人が集まって話したり、何かを学んだり、子ども達が遊んだりする《交流の場》《道場》であって、決して法事や葬式だけの場ではありません。その意味で昔は母も茶道を教えていましたし、活け花や書道教室の会場にもなったことがあります。また、数年前には絵手紙教室の場とすることを相談していましたが、これについてはその方が病気で亡くなられたために残念ながら中止しました。こう考えてみると、本当は「お寺の敷居」ってそんなに高いものではないのですがね。
(撮りためていた写真も今日のクリスマスローズが最後です。また何か探さなくては・・・)

死に出遭ったとき、住職として何が出来る?
2019/02/09
「時間は誰にでも平等である」とは言いますが、本当は人それぞれだと思っています。確かに進むスピードは世界共通でしょうが感覚的には《早い・遅い》がありますし、与えられた時間が長い人もあれば短い人もあります。そして、そのような事実の中で「今を一所懸命に生きる」ことに努力しているのは誰も同じです。しかし、それが思いがけない力によって突然に奪われることがあるのも事実です。その時、奪われた本人や身近な人の心には一体どんな感情が生まれるのでしょうか。悲しみ?怒り?それとも虚脱感?私の母も突然でしたが、気落ちした父の姿など当時のいろいろな状況に忙殺されて「感傷に浸る」ことなど出来なかったことを覚えています。ドラマなどでよく「忙しく動き回っている方がありがたい。その間は忘れることが出来るから」と言いますが、そんなことはありません。確かに「動き回っている間は思い出す暇がない」ということは実際にあるでしょう。しかし、その時間が永遠に続くことはなく、「それが途切れた時の反動はより強い」ということもあるのだということです。
住職という仕事柄、いろいろな方の《死》とともに残された人たちの思いにも出遭います。そして、その時どんな言葉をかければいいのかをいつも悩みます。「ガチガチの法話でいいのか」「その人の思い出は・・・」などですが、その苦悩こそが《住職》という任を背負った者に与えられた仕事の一つなのでしょうね。
(水やり後10日ほどでアマリリスが花芽を伸ばしてきました。どんな花が咲くのか、楽しみです)

「老兵は死なず、ただ去りゆくのみ」の気持ちですか
2019/02/08
昨日はヤワラちゃんに次ぐ期待の新星として登場し、見事に不振日本柔道界に金メダルをもたらした《野獣》こと松本薫さんの引退会見がありました。相変わらずの《天然ボケ》的な発言も出ましたが、何よりも「今は柔道よりも我が子が大切」との言葉に母親としての愛情を感じました。出産後に復帰して頑張っているS.ウィリアム選手の例もありますから「それは理由にはならない」と言う人も中にはいるかもしれませんが、事情は人それぞれ。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と言いたげだった雰囲気の「松ちゃん」。今は母親として子育てに頑張ってください。それにしても、「アイスクリームを作る」には驚きましたね。メディア側も一瞬声を失った雰囲気が伝わってきましたが、その後のアスリートとしての経験がアイスクリームにつながったことという説明に納得したようです。ただ、さりげなく(?)店の宣伝も入れるなど、松本選手らしい《ボケ》で締めくくられた「涙のない」「笑いばかり」の会見でした。しかし、子育てが終わったら、是非とも後輩達に「お告げ(アドバイスが正解でしたね)」をお願いしますね。

ユニセフの発表から願うこと
2019/02/07
ユニセフの発表によると、世界の子どもの5人に1人が1日210円にも満たない極貧状態の生活を送り、半数が320円未満の生活を送っているとのこと。中でも日本は(1兆円を超える国家予算が計上されていますが)「先進国の中でも日本の子どもの貧困率が高い水準にあり、政府の貧困対策は不十分」との批判も出ています。ドラマなどでは空腹に耐えかねた子どもが店先から盗んで逃げる品がたいていアンパンになっていますが、そのアンパンを買おうとすると100円を超えます。それが消費税10%になると、アンパン2個で1日の生活費がなくなります。しかし、それではとても必要な量とは言えませんし、生きていくためにもっと必要なものがあります。昔から「衣食住」と言われますが、何よりも「愛されている」という実感が子どもには必要ではないでしょうか。アメリカのドラマに『大草原の小さな家』というものがありますが、そこに登場するインガルス一家の姿こそが《温かく幸せな家庭》に見えるのは、果たして私だけでしょうか。また、消費増税対策としてある水準以下の生活状況の者には補助金を支給する案もありますし、1日の食事も満足に出来ない子どもたちのための《子ども食堂》というものもありますが、羞恥心と自負心があって、自分からそれに該当すると周囲に対して言える人が何人いるでしょう。また、自治体などは「広報で知らせている」と言いますが、それを知る機会さえ失われている者もあると聞いています。このアマリリスの球根が花を咲かせるために必要なものが水と太陽であるように、「温かい家庭」「幸せと感じられる世の中」という花を咲かせるために必要なものが一杯になり、もう二度と心愛ちゃんのような子どもを生まない世の中になってほしいものです。

梅から桃へ、そして桜も膨らんできました
2019/02/06
昨日の写真はたぶん《ヒカンザクラ》だと思います。ソメイヨシノに比べて花弁も小さい上に色も薄いのですがそれでもサクラには違いなく、見つめていると何かしらホッとするところは「大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花」の歌人と同じDNAを持っているのでしょうね。今朝のニュースでは後楽園の梅が満開になっているそうですが、鳥取にも梅の里があります。後楽園と比べるのも恥ずかしいほどの小さな公園ですがそれでも数十本の梅の木があり、満開になると紅白入り乱れてきれいです。生け花では「梅は鋭く、桃は丸く、桜は賑やかに」と教わりますが、寒さ厳しい1月には凜とした梅が主になり、2月には桃を活けることが多くなります。なにしろ《桃の節句》も近いですからね。
ところで、《花》と言えば昔から桜(ソメイヨシノではなくて山桜)ですが、『万葉集』時代は梅のことでしたし、中国で《花》と言えば桃を指していました。《花》に対する意識も、時代や国によってずいぶんと違うものですね。

悲しい事件はもう二度と起こってほしくない
2019/02/05
昨日この欄を確認したところが、1月だけあって2月の『独り言』がありません。慌てて調べると、1月分の下にありました。新しくこの欄を設定したときに12月から下降すべきところを1月→12月の順で設定したために起こった現象でした。そのために今朝は12ケ月分の順番を全部置き換えるところから始めましたが、これが《時間無駄》なのか《新しい知識》なのかは、年末になって分かることでしょう。
ところで、一昨日の写真に載せていた玄関の桜は今朝見ると数輪が開花していました。今朝の新聞にも「市内の積雪0は今月も続く」とありましたので、このままいけば今年もまた桜の満開が早いかもしれませんね。毎日のように心愛ちゃんの事件が報道され、今度はそれを「見て見ぬふりをしていた」ということで母親も逮捕されましたが、一日も早くこんな悲しい事件がこの世からなくなり、満開の桜が与えてくれる楽しい春になってほしいものです。「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と逆説表現によって桜に対する心を強く表わした平安朝の歌人とは違って、心愛ちゃんはもう二度とこの桜を見ることが出来ないのですから・・・。

久し振りに《濃厚》なドラマを見ました
2019/02/04
昨日は北陸地方で例年より10日も早く《春一番》が吹いたそうです。この風が吹くと決まって目立つのが舞い上がる砂ホコリと火事のニュース。今朝早くのラジオでも火事とそれによる死者のニュースが報じられましたが、昭和27年の鳥取大火災もフェーン現象が広がった一因だったそうです。「火事とけんかは江戸の華」と言われた時もありましたが、同時に「地震、雷、火事、親父」という言葉もありました。もっとも、今では「地震、台風、津波、噴火」かもしれませんね。
ところで、昨日はケーブルTVで「戦後日本を創った男~吉田 茂~」という連続ドラマがあったので見ていました。吉田茂と聞いてもピンとこない人も多いでしょうが、戦後日本の現状から始まってマッカーサー司令官との直接交渉などドラマとはいえ実に息詰まる内容で、昨今のバラエティ番組にはない《濃厚さ》を感じたことです。
なお、ドラマの中で登場する人物には「田中」「麻生」「鳩山」「宮沢」等の名前がズラリとありました。彼らはその後の政界を支配していく面々でもあるのですが、ドラマの中での役どころと現在の政界を鑑みて、変な意味で《納得》したものです。

智頭宿の《雪まつり》は日本の原風景?
2019/02/03
昨日は如月にもかかわらず晴天に恵まれ、すべての運営が滞りなく進みました。もっとも、資料が2部不足とのことでコピーを頼まれましたが、こんな時に限ってコピー機が紙を吸い込んで印刷不能状態に。仕方なく事務室用の印刷機でしましたが、何しろ両面印刷のために上下が逆になったりして大慌てということもありましたが・・・。しかし、数日掛けて準備した椅子や机のセットも多人数で復元すると何と早かったことか。「女性パワーおそるべし」です。
昨日は智頭で《雪まつり》がありました。「今年は山雪だから大丈夫だろう」と思っていたのですが、暖冬による雪不足で相当数の雪を山から運んできたとか・・・。それでも、雪灯籠の中に点灯されたローソクの明かりが照らし出す景色は、さぞかし幻想的だったことでしょう。昼間は子ども達が雪合戦で楽しみ、暗くなると家々で提供される甘酒で冷え切った身も心も温かくなる智頭宿の《雪まつり》こそ、日本の原風景かもしれませんね。研修会の会所のために現地に行けなかったのが残念です。

研修会の本番です
2019/02/02
いよいよ今日は鳥取因幡組仏婦役員会と若婦人会の研修会の日です。会場の方も準備万端(?)で、本堂は全部で90脚の椅子が入りました。後は本番を待つだけです。もっともこれはあくまでも《仏教婦人会員》が対象の研修会ですから、本番では音楽機器の操作意外には住職の出番はありません。ですから、住職の仕事は会場の事前準備と終了後の片付けが主になります。特に鳥取では本堂でのご法事が殆どである上に明日もお参りがありますので、片付けは必死です。椅子を隅に置いてから絨毯を敷き、そこに再度椅子を40脚並べるだけでも大変なのに、ストーブも移動させたりしなければなりません。明日は腰が痛まなければいいのですが・・・。
さぁ、そろそろ役員方も来られますので、開始です。

本当に「衣更着」の寒さですね
2019/02/01
今日から2月。旧名では「如月」ですが、これが《衣更着》から来ていることはこの欄に何度も書いていますし、昨日の『海潮音』にもありました。この《衣更着》はその字のとおりに[衣を重ね着するほど寒い]という意味を持っていますが、如月初日の今日の感想は本当に「寒い!」の一言です。明日の鳥取因幡組仏婦研修会・若婦人研修会の会場が当寺本堂の上に大広間も昼食会場になっていますが、なにしろ報告では90名前後の人が一同に介するのですから会場作りに一苦労です。昨日は1日かけて花の生け込み(本堂・床の間・庫裡御堂・玄関)をし、同時に本堂の絨毯の撤去やストーブの移動に加えて大広間のセッティングもしましたが、今日はガランとした外陣に椅子を100脚近く並べる作業が残っています。焼香用の通路も必要ですし、狭い外陣に果たして100脚も設置できるかどうか心配です。
如月は寺族研修会の会場にもなっているのでバタバタの1ケ月になりそうですが、せめて除雪作業だけはご勘弁を!
(山門横の白梅は、まだ蕾状態です)

淨宗寺(浄宗寺) 〒680-0821 鳥取県鳥取市瓦町110 TEL:0857-22-5744 FAX:0857-22-5745