7月
僧侶研修会がありました
2019/07/23
昨日の午前中には1件お墓参りがありましたが、わずか10分程度でも汗びっしょり。そんな蒸し暑い日の午後からは鹿野町の同派寺院で僧侶研修会が持たれました。テーマは『み教えと差別の現実』で聞き手は因幡組・伯耆の住職が15人ほどでしたが、中でも耳に残ったのは「我々は生まれたときから《お育て》にあずかっているから、自然と《おかげさま》が出てくるが、そのような環境に育っていない者はどうだろうか」とか「《障害者のために~》という気持ちが既に差別である」「我々もいつか必ず心身の自由を失うときが来る。その意味で言えば、障害者は我々の先達とも言える」等の言葉です。確かに坊守がいつも口にしている言葉も実家で聴いて育った「お育てにあずかった」というものですし、私も亡母からいつも「寺は門徒があって寺である」という言葉を聞いて育ちました。今だからこそ自然に「ありがとうございます」とか「お預かりします」という言葉が口を突いて出てきますが、それが「《お育て》にあずかって育った」ということなのだということを、改めて知らされた思いでした。
(蒸し暑い中での睡蓮は、まるで《一服の清涼剤》ですね)

演奏会が終わりました
2019/07/22
昨日のコンサートは全部で7曲の演奏でした。その中の3曲は単独の演奏(箏×1、ヴィオラ×2)でしたが、4曲が箏とヴィオラとの競演でした。同じ弦楽器とはいえ和と洋の楽器ですから楽譜も違いますが、演奏自体は素晴らしいものでした。最後の挨拶で「音楽は世界共通の言語」だと言いましたが、本当にそれが実感できた1時間(私は音階的にヴァイオリンーチェローヴィオラーベースだと思っていましたが、チェロとヴィオラは逆でした)でした。特に今回のコンサートは一歩外に出るとムッとする梅雨独特の蒸し暑い日でしたがそれでも60人前後の人が集まり、舞台設置などに汗を流して準備した甲斐があったというものです。本堂内はエアコンがかかっていましたが、それでも演奏する人にとって舞台上は《体力勝負》の面もあります。1音1音にまで神経を研ぎ澄ますだけでなく、演奏に絶えうるだけの身体も鍛えなくてはなりません。その意味で言えば、音楽もスポーツも同じかもしれませんね。とにかく、「もっと聴きたかった」という余韻の残る演奏会になりました。
「小雨の降る蒸し暑い中においでくださったことを感謝いたします。」

今年のコンサートが始まります
2019/07/21

今日は『まち角コンサート』の日ですので、昨日は午後から舞台設置をしました。コンパネ等は雨を予想して水曜日に運んでおきましたので、予想外に早く設置完了。手伝ってくださった2名のご門徒様、有り難うございました。今年は本堂の照明設備をLEDに取り替えましたので、明るい上に天井も高く感じられる会場になっています。本番は今日の14時からですが、演奏者の1人は昨年の鳥取市文化功労賞の菊弘瀬恭子さんです。午前中にビオラ演奏者も合せてのリハをしますが、問題はこの天候。何となくうっとうしい天候ですので、エアコンの設定温度も難しいところがあります。人によって体感温度が違う上にこの天候では空気が冷たく感じられることもあり、かといってエアコンを使用しなければ、人いきれで益々蒸し暑く感じられます。頭が痛いことですね。


昨日の写真の花はサクラランでした
2019/07/20
そんなに広い庭ではありませんが、それでも数十種類の植物が境内にはあります。同じ名前でも「1寸アヤメ」と「3寸アヤメ」の2種類がありますし、名前も知らないものが生えていることもあります。地植え以外に鉢植えもありますのでどんどんと増えていきますが、反面、絶えてしまったものも多くあります。離れを建て直したときに数種類の山茶花や椿を抜いてしまいましたし、木の陰になって絶えてしまった12単衣やおだまきの他にも4~5種類もの花を咲かせていた木槿も今はありません。また、この時期になるといつも白い花を咲かせていた夏椿も枯れてしまいました。もっとも、山門を立てる時にそばに生えていたギョリュウは、親戚の寺で元気に育っていますが・・・。そう言えば、山草を趣味にしておられるご門徒に聞いたところ、一昨日と昨日の写真に載せていた蔓物は《サクララン》だそうです。最初は長く垂れ下がった蔓に焦げ茶色のものがポツンとつき、それがどんどんと大きくなって数日前に開花したのですが、確かに蕾の時の焦げ茶色とは似ても似つかない《桜色》の花です。この花はなかなか咲かないそうですが、それでもちゃんと育てていれば開花します。京アニも今回の悲しみを乗り越えて、いつの日にかまた素晴らしい作品を作ってほしいものです。

何故こんなひどいことを・・・
2019/07/19

京都アニメーションの放火事件で亡くなられた人達には心よりお悔やみを申し上げます。また、治療をされている方々にも1日も早く回復されることを祈ります。
京アニのある場所は(少し離れていますが)龍大があって本願寺とも大いに関係のある地ですが、京アニはアニメーションが好きな若い人達が集まって作った会社で、最初は別の場所で小さな建物からスタートしたものだということを聞いています。それが苦労の末に作り上げた作品が人気を博して今に至ったそうですが、その中でも『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん』という名前は多くの人が1度くらいは聞いたことがあると思います。私は『涼宮~』は本でしか読んだ経験がありませんが、それをアニメにするには一体何万枚の原画が必要だったのでしょうか。いまでこそデジタル化が進んでいますが、昔は1枚1枚手書きであり、そのために登場人物の動作をストップモーションで見せることがよくありました。しかし、今のアニメは映像かと思える程に細かいところまで実に丁寧に描かれています。そして、それはとりもなおさず、制作者達の積み重ねてきた努力と作品に対する愛情の賜でしょう。それを(何があったのかは知りませんが)放火して33人もの人達の命を奪った今回の事件は、日本のアニメファンだけでなく世界中の人々に衝撃をあたえています。


植えの蔓物に初めて花が咲きました。
2019/07/18
昨日の午後からお盆号の寺報の封筒入れに来ていただいたご門徒に手伝ってもらい、コンサート舞台用のコンパネとケース(基礎用)を倉庫から本堂に運びました。土曜日が舞台設定になっているのですが、台風の関係で雨が心配になり、早めに移動させたのです。そして、今朝は5時30分過ぎから1時40分間かけて宅配用の寺報を配ってきました。さすがに朝早いと渋滞もなく、いつもより20分近く短縮できたので、帰寺後にゆっくりと朝食を捕りました。
ところで、2年ほど前に花店からいただいていた鉢物に初めて花が咲いたので、写真に撮りました。蕾状態が長くて「これで終わりなのかなぁ」と思っていたのですが、今朝やっと開花しました。この植物は時々お店に置いてあるのを見かけますが、花が咲いているのを見たことがありません。と言うよりも、花が咲くとは知らなかったのです。そう言えば、数日前に郡家町の和菓子店で中国原産の植物に金色の花が咲いたという記事が載っていましたし、西部にある植物園でも《数年に1度》という瑠璃色の花が咲いた記事がありましたが、当寺ではこの蔓物の鉢とは別に綿の鉢植えにもつぼみが付いているので、楽しみが増えそうです。

安倍総理の《金言》は何か知りたい
2019/07/17
安倍総理の応援演説で、「安倍帰れ」と叫んだ男性1名と「消費増税反対」と叫んだ女性1名を警察官が取り囲み、強引に外に連れ出したということです。勿論、演説は《何もなかったかのように》続けられたとのこと。以前にヤジられた総理が「こんな人達には負けない」と反論したことが問題となったことから今回も場所と日程を表明しない総理ですが、「この度の応援演説における2名に対しては《演説の妨害》には当らない。むしろ、説明なしに強引に排除した側には《権力の過剰使用》がある」との大学教授の意見もあります。「どんなに辛口でも人民の意見に耳を傾けることは、為政者として大切なことだ」という言葉はいつの世でも為政者の心得るべき金言として伝えられていますが、今の総理にとっては『ごまめの歯ぎしり』としか思われていないのでしょうか?そんな総理の金言は一体何なのか、『野次馬根性』かもしれませんが、妙に知りたくなりました。
(トンボも演説を聴きに来たのでしょうかねぇ)

《上から目線》のツィッターでは?
2019/07/16
トランプ大統領のツィッターが問題になっています。米議会に対する批判を述べた女性議員に対して「最もひどい国から来た者がアメリカを批判している。そんなに批判する力があるなら、ひどい国に帰ってそれを正せばいい」というものですが、これは移民から議員になった人や米国籍はあっても黒人である者に対する悪口雑言であることは明白であり、議員を初めとして多くの著名人からも「人種差別だ」「『アメリカを強い国に』というのは、白人至上主義に戻ることか」との非難が出ています。日本でも某球団に属している外国人選手が同様にアメリカを非難した米国籍の(テニス?)選手に「アメリカから出て行け」とツィッターに書いていますし、会社や学校や部活動などでも、自分が属しているものを他人から非難されると「出て行け」と怒鳴ることはよく見られる場面ですが、これは正に「自分が一番」という感情があるからでしょう。
釈尊が菩提樹の下で最初に悟ったものは「我ありて彼あり、彼ありて我あり」という《縁起》であり、「あなたがいてくれるから、私がある」と、互いを尊重することによってこの世は成り立っているということでしたが、現在は「あなたがいてくれるから~」ではなく、「自分がいるから、お前もいるのだ」という《目上目線》の世の中になっているようです。これではギスギスした世の中になるだけだと思いますが・・・。(朝露を帯びた露草も寂しそうにしています)

日本の祭の特徴は?
2019/07/15
全国各地で祭が催され、今日は博多山笠の追い山とか・・・。博多には2~3度行ったことがありますが山笠は見たことがありませんし、そもそも京都にいた2年間でも祇園祭の本番は見たことがありません。あぁ、そう言えば葵祭だけは1度見ましたが、賀茂神社から平安時代の衣装でゆっくりと歩いてくるものですから、《優雅》ではあっても最後まで見ているのは苦痛で途中退散しましたが、そのようなゆったりとした時間を過ごす平安時代の人達を羨ましくも思ったことでした。《勇壮》な博多山笠や《豪華》な祇園祭や《優雅》な葵祭等々日本にはいろいろな特徴を持った祭が多くありますし、各地には地方独特の小さな祭も多々ありますが、その中で《華やか》な鳥取の「しゃんしゃん祭」の開始が1ケ月後に近づきました。でも、日本の祭を見に行くには、時間的余裕と懐事情が・・・・(しゃんしゃん祭は盆中のために体力の問題ですがね)
{メダカの稚魚が見えますか?}

「見たつもり」で失敗しました
2019/07/14
寺報192号が完成し、やっと昨日の午後から印刷にかかりました。しかし、確認していたはずなのに誤植が1ケ所見つかり、慌てて手書きで訂正しましたが、結局「見たもり」だったのでしょう。入試問題では試験中や終了した後でミスが見つかることが時々ありますが、作成時でも採点時でも必ず複数の人間が確認をしているのです。しかし、それでも見つからないのは、そこでも「~つもり」ということがあるからかもしれませね。けれども、その逆もあります。文章を読んでいる時とか何かを見ている時に「あれ?」と思うことがあります。「どこがどうとはハッキリと分からないのに、どこかおかしい」と感ずることは誰でも1度や2度は経験していると思いますが、特に普段よく目にしているものが少しだけ変化している場合などによく見られる現象です。コナン・ドイルはエジンバラの大学で聞いたベル教授(医学部)の「見るのではなく、観察せよ」という言葉を大切にしていたそうですが、私たちも出来るだけ「~つもり」をなくするようにしたいものですね。

汗を流して遊ぶ子どもは元気です
2019/07/13
昨日のこ゜葬儀の後で、船岡にある鉄道博物館で蒸気機関車に乗ってはしゃぐ子ども達や何両も並んでいる各国の機関車の映像が流されました。きっと、いつまでも記録としてそして記憶としてご家族の胸に残ることでしょう。
ところで、昨日はエルニーニョに関する気象庁の発表を書きましたが、昨日は青空と湿度とが交錯して何とも過ごしにくい1日でした。このような日は《流れ落ちる汗》状態にはならず、そのせいで熱が体内に残ったままになります。私もこのような日が一番苦手で、外で汗をかきながら走り回っている子ども達がうらやましいことです。そう言えば、私も子どもの頃は夏の日射しをものともせずに半ズボンとランニングシャツ姿で外で遊んでいましたっけ。あの頃は「兎追いしかの山」の久松山に登って蝶を追いかけたり、「小鮒釣りしかの川」の袋川で小鮒を網ですくったりと、とにかく(今と違って)汗をかきながら元気でした。
当時は《熱中症》という言葉はなくて《日射病》と言っていましたが、海水浴に行った時に「『頭の上を波が過ぎていった記憶』の次は浜辺で気が付いた(つまり、おぼれた)」というトラウマがあるせいで、今もって顔を水につけて泳ぐことが苦手ですがね。

エルニーニョ、本当に終わるの?
2019/07/12
昨日の昼間は久し振りの青空でしたが、遊歩道を歩いていると聞えてきたのがニイニイ蝉の声。去年はいつが初鳴きだったのかを調べようとすれば去年の『独り言』を開ければいいので、後で見てみようと思います。沖縄ではやっと梅雨明けとのことですが、中国地方はもう少し先のようです。しかし、それは一日ごとに夏本番が近づいていることを表わしてもいますので去年の厳しい暑さを思い出してゾッとしますが、「エルニーニョ現象はなくなったようだ」との気象庁の発表がわずかながら不安感を除いてくれそうです。と言っても、せいぜい《酷暑》が《猛暑》に変わる程度でしょうが・・・。
紫陽花の花は既にあでやかな色彩をなくし、道路上にはノウゼンカヅラの花が散っています。その側ではサルスベリのピンクの花が開きつつあります。本当に夏間近ですね。

当寺の歴史を知る人が、また1人往生されました
2019/07/11
昨日は車で25分ほどかかるご門徒宅までお参りに行きました。「家を改築するため、別棟に仏壇を移動する」とのことでしたので心を込めて読経させていただき、簡単に事後処置のことも話しました。しかし、改築とは言っても古い家具等の分別と事前処理が大変で、これだけは経験した者でなければ分からないことでしょうね。
ところで、帰寺後にご門徒の往生の知らせが入りました。この方は若い時から楽器店を経営し、特に和楽器の専門で修理も自分でしておられましたが、趣味は蒸気機関車の製作でした。数年前にはその蒸気機関車を何両も智頭の鉄道博物館に寄付されましたが、当寺の団体旅行で呉に行った時には参加されて、戦艦ヤマトの模型を見て感慨に浸っておられたとか・・・。ヤマトに乗船していたこともあったそうですし、戦艦ヤマトの戦いを描いた映画も上映されていた時期ですから、余計に心に響いたのでしょう。今夜がお通夜で明日がご葬儀ですが、当寺の歴史を知っている人がまた1人減り、寂しい限りです。
(写真は、昭和35年に他寺院で法要中の前住職《黒衣着用》です)

今年のトマトは甘くて美味しいですね
2019/07/10
永代経法座の準備や本堂・庫裡の工事等のためにここ10日ほど多忙の日が続きましたし、昨日は法座の後片付けもあって、降圧剤を飲むことを数日忘れていました。それが原因なのか、ゆうべ突然にめまいが起きてダウン。その時は「自律神経のせいか」とも思いましたが、「とにかくゆっくりすることが大切」と考えて早々に休むことにしました。お蔭で今朝は回復しましたが、とにかく朝食後の服用を忘れないようにしなければ・・・。
ところで、天気予報によると(今週の木曜日前後は大雨注意報が出ていましたが)今年は例年の半分の降水量だそうです。一時に降ることはあっても全体的にはジメジメした梅雨特有の日ばかりですので、貯水量は増えないとか。しかし、その反面トマトが豊作だとのこと。もともと「トマトの生育にとって、水の少ない方が甘みが増す」そうで、「《水耕栽培》では極端に水を減らした方がいい」と聞いたこともあります。そう言われれば確かに今年のトマトは甘みがありますよね。子どもの頃はあのトマト特有の味や臭いが嫌いで砂糖をかけて食べていましたが、今年はそのまま食べても美味しいですよ。(もっとも、そう感ずるのは大人になって味覚が変わったせいかも・・・)

永代経法要が無事に終わりました
2019/07/09
昨年の豪雨から1年、令和元年の永代経法座も無事に勤めることが出来ました。本当に時間の経つのは早いものです。夕べは片付けが出来なかったので、今朝早くから山門の幕を下ろしたり本堂の打敷を外したりと走り回っていましたが、外では夕べからずっと雷雨注意報が出ています。冬の雷は《雪起こし》と言って降雪の前触れですが、今の雷は梅雨の終わりを告げるものでしょうか。睡蓮鉢では新しい蕾が水面から顔を覗かせていますので、1ケ月ぶりに可憐な睡蓮の花を眺められそうです。また、綿の苗も順調に育ち、タマノカンザシも少しずつですが葉を広げています。これからも楽しみが続きそうです。

昨日は永代経法座1日目でした
2019/07/08
昨日と今日は当寺の永代経法座です。昔は5日間あったそうですが、私の子どもの頃は3日間でしたし、現在は2日間です。そして、最終日には門徒の是非に関係なく皆で婦人会手作りのお斎をありがたくいただくことになっています。
ところで、昨日の法話は「いただくことの難しさ」が中心でした。「私たちが何かをいただくときには誰でも感謝します。しかし、それが度重なると《我欲》が出てしまう。そのような煩悩の塊である私達に、み仏の《無私無欲の慈愛》がどのように伝わるのか」という内容でしたが、その法話の中では《三門(山門とも」》の説明もあって、「その三つとは《空》《無相》《無願》を表わすもので、その門をくぐることは心を無にしてみ仏にすべてをお任せすることに通ずる」ことも教えていただきました。そのようにいろいろとお聞かせいただきましたが、すぐに忘れてしまう人間の悲しさ。やはり人間はいつまでたっても《煩悩の塊》なのですね。
(30年以上も使っていた蛍光灯を取り払い、天井埋め込み式のLED(6基)にしました。蛍光灯の1/3の数ですが、倍の明るさがあります)

今の若者の幼稚さの原因は?
2019/07/07
「ソウル郊外にある慰安婦像にツバを吐きかけたのは日本人か」との報道が昨日ありましたが、犯人は4人の韓国の若者であり、その中の1人が日本語を話せるということで、非難した人達に対して日本人になりすましたとのこと。北方領土問題もそうですが、それが《国際問題》になるかもしれないという考えまで及ばない若者達の行為にはあきれるばかりです。先日も電車のドアにわざと挟まれるような態度を取って笑い転げる女子高生がSNSに投稿されていましたが、この行為《威力業務妨害》という刑事罰に相当するものである上に、何よりも《危険》な行為であることには思い至っていない幼稚さ。
今朝、境内の掃除をしていた時に小学校の先生が「2年生の校外学習の下調べ」に来られましたが、先生方は子ども達の成長のためにいろいろと考えておられることがよく分かりました。それなのに、馬鹿なことを繰り返す多くの若者達。彼らにとっては「大人も同じことをしている」と言うかもしれませんが、そのような行為を批判する前に、それを真似るのではなくて『反面教師』としてほしいものですね。

親から教わった「我が身つねって~」も・・・
2019/07/06
明日と明後日は当寺の永代経法座です。去年の法座では豪雨の影響で大阪から御講師が来れなくて2日間とも私が話をしましたが、《一口法話》との差(内容の濃さと流れ)をつくづくと感じたものでした。今年は無事に勤めることが出来そうですが、それに対し、「お墓に供花の絶える時がない」とも言われる鹿児島を初めとして大雨に遭った人達は本当に大変でしょう。昨日のテレビでは土砂災害を受けた広島の人達のその後を放映していましたが、「もう一度同じ場所に」という人と「もう二度とここには住めない」という人が出ていました。目の前に迫ってきた土砂の恐怖から逃れられてまだ1年ですが、その人達も苦しんでいます。そして、《人災》とも言える大震災から故郷を追われて7年経っても未だ帰還出来ない人達もまだ大勢おられます。
今年は参議院選挙が控えていますが、野党を揶揄する冊子を作って党内に配りながら「読んでいないから知らない」と言い逃れをする総理の討論は《自慢》と《非難》だけに終始しており、被災者に対する気遣いもありませんでした。子どもの時に親から教わった「吾が身つねって、人の痛みを知れ」をこの人達は教えてもらっていないのかと、悲しくなりました。

メダカに稚魚が・・・。猛暑に向かって心配ですが
2019/07/05
メダカが孵化していました。去年まで睡蓮鉢に入れていたメダカでしたが、鉢が浅くて夏になると水が熱くなるので、途中で手あぶりの火鉢に移し替えてやりました。それが一昨日餌をやっていると小さな影が・・・。よく見ると、メダカの稚魚でした。3㎜程度のものから1㎝程度に育ったものまで7~8匹泳いでいて、餌をやると水面に出てきます。他の火鉢では見かけないので睡蓮だけでは卵を産まないのかとも思いますが、とにかくちっちゃくて可愛いですね。ただ心配なのが夏の暑さです。去年も火鉢に簾をかけて日陰を作ってやりましたが、今年も猛暑と言われていますのでその必要がありそうです。
鉢植えもメダカもそして自分自身の体力も、これから夏の猛暑に向かって不安だらけです。『古稀』とは漢文の「古来稀なり」から来ている言葉ですが、信長は「人間50年、下天の内に比ぶれば 夢幻のごとくなり」と謡いながら炎の中に死地を求めたと言われていますが、70歳を迎えた私は信長にとってはどう見えるのでしょうかねぇ。

言葉はどんどんと変化していくが・・・
2019/07/04
朝はこぬか雨。シトシト雨というところがあるかもしれませんが、この「シトシト」という擬態語(オノマトペ)は頭で理解しがたい表現ですよね。しかし、本当に日本語の表現の多様さには驚かされますし、中でも雨の表現や雪の表現の多様性といったら、数え切れないほどです。それほど昔の人達の感性はすぐれていたのでしょうが、逆の意味で現在の日本語の乱れには驚きます。確かに言葉というものは時代によって変化をしていますし、奈良時代でもそうであったことが『御奈良院何曽』という本に書かれています。「母には2度あひたれども、父にはあはず」というなぞなぞがそれで答は《唇》となっていますが、その理由が「昔は『ハ』の発音がhaでなくてfaであり、更にその前はpaだったから」というものです。
このようにして言葉は時代によってどんどんと変化していくものですが、中にはどうにも理解しがたい言葉遣いもあります。だって、日本独特の「以心伝心」が今では「忖度」と同一になっている現在ですからね。

『お前』問題は生活指導で十分では?
2019/07/03
今朝の空は雲が薄くなっていましたが空気は湿り気が強く、肌にまとわりつく感がありました。その中にオレンジ色のノウゼンカヅラが緑の葉に映えてきれいですが、やはりこのドンヨリした空気は苦手ですね。
ところで、中日ドラゴンズの『お前』問題は少し過敏ではないかと思えます。確かに子ども達が目上の人に対して「お前」という言葉を使うことへの危惧とそれに対する配慮も分かりますが、それについては親や大人が生活の中で指導すればいいだけのこと。応援歌の文句と生活指導とを同一に見ることの方が疑問です。昨日の某番組で「お前と言われたらどう感じますか」との質問の結果が出ていましたが、この質問の対象が女性であることから、テレビ局の「嫌です」という回答を導き出したい意図が丸見えに感じられたことです。
(一度なくなった蕾が、また新しい花を咲かせました)

商業捕鯨の再開です
2019/07/02
商業捕鯨が31年ぶりに再開され、下関では活気に満ちているとの報道がありました。私も子どもの頃は鯨肉が中心で、「鯨のとんかつ」などと変な言葉も当たり前に使っていました。《とんかつ》は豚ですが、とにかく《肉》は鯨が中心でしたからそんな言い方をしていたのでしょう。鯨肉の缶詰もありましたし、オバイケ(鯨の皮部分?)の酢味噌が大好きだった父を懐かしく思い出します。しかし、下関では心配もあるそうです。今回の再開で増量したのは今まで捕っていたミンククジラではなくて味に癖がある鯨のため、「どうすればおいしく食べてもらえるか」で悩んでいるとか・・・。まぁ、もともと鯨肉には独特の癖がありますしね。
初物のスイカをいただきました。早速お供えさせていただきましたので、まだ口には入っていません。 

本堂も大広間も、少しずつ改修しています
2019/07/01
いよいよ7月、『文月』です。『文』という漢字は本来『手紙』という意味を持っていますが、最近は手紙を書くのにPCを使ったり、極端な例ではメールで済ます人も多いようです。学校勤務していた時に学校訪問の是非やいろいろな質問にメールを送りつけて「回答を願う」と書いてあったりして管理職もあきれていましたが、最近は退職願をメールで済ませる若い社員もいるとか。まぁ、メールでは何でも話せるのに目の前にいる人とは会話が出来ないという人も増えている現在ですから、仕方ないのかもしれませんが・・・。
先日、当寺の2階大広間の照明をLEDに交換し、20年前に設置したエアコンも新しい機種にしました。これでこの部屋で行われる研修会や法座後のお斎などで気持ちよく過ごしてもらえることと思います。昨今の猛暑もあって数年前には本堂にもエアコンを設置しましたが、本堂の椅子等も含めてどれも皆様に心静かにみ仏に向かっていただきたい思いからしつらえさせていただきました。


6月
私たちは《人間》のはずですよね
2019/06/30
6月も今日で終わり、2019年も半分が過ぎることになります。21世紀になると車が空を飛び、ロボットが活躍するという話が盛んに書かれたものでしたが、その21世紀も既に20年が過ぎるわけです。確かにこの20年間に(特に)コンピューター関係はものすごい勢いで進み、今や1人1台PCを持っている計算になりますし、子ども達の教科書や辞書も紙の代わりに機械になりました。しかしながら、その代わりに失ったものが多くあります。その一つが「むこう3軒両隣」という言葉で表わされる近所との付き合いでしょう。「隣に誰が住んでいるか知らない」とか、「近所付き合いがない」「突然に悪口を言い始める」等々の話をよく聞くようになりました。また、突然の凶行も数多くあります。まるで江戸時代の《辻切り》のように・・・。
機械技術が進んでいくことを否定はしませんが、もう一度人と人とのつながりの大切さを思い起こしてほしいものです。それこそが、我々が《人間》と称される理由なのですから。

子どもに対する親の《しつけ》は?
2019/06/29
前回のトランプ氏訪日もそうでしたが、今回のG20における大阪の警備体制も異常ですね。会場の近くにあるお宅では、「家を出る度に身分証明書を提出させられた」とのことでした。確かに世界の要人達ですから何も起らないことが大切ですが、今朝のラジオでは(聞き違いでなければ)生理用品を捨てる入れ物まで警備の対象にしていたとか・・・。
そう言えば、生理で水泳の授業を見学する場合、女生徒に職員室で何日目なのかを報告させていた某市立高校のことが問題になっていますが、今回の警備にしても勿論のこと《何も起らない》ことが一番大切です。しかし、事例の多くは「人権なんかは二の次。とにかく何かが起って自分たちが困らないことが先決」という《自己保身》ではないかと思われるような答弁や態度が目につくように思われるのが悲しいことです。だって、どの親も「何かをしてもらったら『ありがとう』と言いなさい。悪いことをしたら『ごめんなさい』と謝りなさい」と言って子どもを育てたのでしょう??それとも、今の親はそんな教育《=しつけ》をしていないのでしょうか?(そういえば、「しつけ」という漢字は「身」に「美しい」と書きますよね)

今必要なことは「自分の頭で考える」こと
2019/06/28
やっと《令和》フィーバーが治まりましたが、その陰で忘れられているのが「今年も既に半分が過ぎようとしている」ということです。6月最後の3日間が終わればいよいよ猛暑・酷暑の夏に突入ですが、境内に置いている綿の鉢植えは、やっと30㎝くらいの背丈になりました。私の記憶では薄黄色の花のはずですが、9月にならないと咲かないので、梅雨寒の昨今では不安と期待で半々というところです。
ところで、毎日必ず新聞に目を通していますが、楽しみは漢字や英語や数字を使った『頭の体操』のページです。もっとも、『頭の体操』と言えば「え~、そんなの知らない」と言われるのがオチでしょうが、我々の世代ではよく知られたクイズ本で、続巻も次々と発行されていました。今は何でもPCやAIですぐに答えが出てくる時代ですから「考える」「推理する」などは不要かもしれませんが、数十年間積み重ねてきた知識をフルに生かして挑戦し、解き終えた時の快感は最高です。やはり「自分の頭で考える」ことって、いつの世も大切ですよね。

やっと梅雨に入りました
2019/06/27
やっと九州・四国・中国地方が梅雨に入りました。例年に比べ数週間も遅れての梅雨入りですが、「これで田植えが出来る。でも、振り方が心配」とのインタビューもありましたが、やはり『梅雨の投げ捨て』。植物の生育には欠かせない慈雨です。その中、昨日と一昨日の2日間かけて境内の松を中心に剪定をしてもらいました。松はこの時期に毎年してもらっていますが、1年でも剪定しないと枝が変な方向に伸びたり若芽が生い茂ったりして、形が崩れます。街を歩くと門の上にグッと張り出した松も見かけますが、あの松もそうなるように育てているのでしょうね。(「冬は添え木や吊り縄が必要では」と、いらぬ心配を)
今朝は梅雨独特の生暖かい風が吹いていますが、木々のことを考えて我慢しなければいけないでしょうね。人間には辛いですが、タマノカンザシも元気に伸びていることですし・・・

はたして、電子辞書でいいのでしょうか?
2019/06/26
先日、量販店に行って電気剃刀の替刃を購入しました。この電気剃刀は10年以上も前に購入したものですが、最近は使った後で顔がピリピリ痛むようになったので、刃を取り替えたのです。替刃は商品価格の1/3程度ですむので助かりますが、ただ対応機種をちゃんと確認しなければ使い物になりません。
ところで、扇風機のコーナーが店内の目につく所にあったのは当然でしょうが、電子辞書のコーナーでは様々な機種が揃っていました。私が教員の時は、使いやすさや内容の充実性等について教科毎に担当教員が集まって辞書を決めていました。紙の辞書のいいところは、目的の語句だけでなく前後の言葉にも目が届きますし、何よりも例文や語句の使い分け等の解説もあって便利だからです。それに対して電子辞書は「目的の語句が分かればOK」という形式であり、ボタンさえ押せば出てきます。そのせいか、電子辞書に慣れた子どもは、50音やアルファベットによって目的の語句が辞書のまだ先のページなのか過ぎてしまったのかの判断が出来ないそうです。「今の大学生はパーセントの計算が出来ない」と言われますが、「辞書の引き方が分からない。本も読まない」という子ども達は、将来どうなっていくのでしょうかねぇ。

初めて楊谷寺のことを知りました
2019/06/25
この時期はどこでも紫陽花が見られますし、《アジサイ寺》もメディアに載りますが、昨日は長岡京市の楊谷寺が報道されていました。京都市街地から少し外れた「これ」というものが何もない山間のお寺で、1000年の歴史がありながら、多くの植物を育てる広い土地があるだけのお寺。しかし、その「何もない」お寺が「何かをしなければ」ということで《花手水》の写真をSNSに載せたところ、観光客が押し寄せるようになったそうです。《少子化》とともに跡継ぎがいないことから《廃寺》になる寺院も多くあり、今はお寺の存続自体が危ぶまれている現在は「何か手を打たなければ」と思って動いている寺院もありますが、その中で、市街地にありながら何かをしようにも境内地も狭く駐車場もなかった当寺は私の代になって苦労の末にやっと15台分の駐車場を確保し、山門や納骨堂も建立しました。そして、環境だけでなく一番重要な《ご法義の伝道》の一環として『寺報・しうんざん』の発行を40年以上も続けています。外観も大切ですが、《目指すもの》を間違えないようにすることもまた大切なのですよね。

百合の花もあでやかでいいものですね
2019/06/24
6月も残すところ1週間となりましたが、やっと梅雨入りかと思わせるジメジメ感。昨日はお墓参りをさせていただきましたが、車から出たときには降っていなかったので傘を持たずにお墓へ。しかし、その途中から降り始めたため、結局参拝の人の傘を借りる羽目になりました。鳥取では「弁当忘れても、傘を忘れるな」との言い伝えがありますが、それを失念したためにご門徒の方に迷惑を掛けてしまいました。
ところで、今朝は止み間を狙って納骨堂の花の処理と名号前の花の活け替えをしました。当寺の納骨堂は室内での参詣が可能ですので別に《止み間》を狙う必要はないのですが、やはり持参された花を活ける容器の水の入れ替えもしなければなりませんので、傘を差してでは不便です。昨日はご門徒さまが育てられたユリを何本も貰いましたので、それを玄関と納骨堂に分けて活けました。時期ものですからやはり紫陽花もいいのですが、「歩く姿は百合の花」のとおりにあでやかでいいものですね。早速、玄関のユリを写真に撮りました。

IOC委員の「?」がつく企画に一言
2019/06/23
来年の東京オリンピックを何とかして成功させたいとの思いからか、IOC委員会が『日本一の金メダリストは』と銘打って8名のメダリストを2人ずつ組ませ、投票による勝ち抜き戦形式で日本一を決定しようとの企画を作ったそうです。もっとも、この企画は批判を受けて中止になりましたが、それは当然です。「羽生選手と高橋選手のどちらが上か」といっても、そもそも競技内容も違えば順位決定の手段もまったく違います。片方は得点形式で、片方はコンマ0.1秒を争う熾烈な戦いを何度も勝ち残っていくもの。また、同じコンマ0.1秒を争うものでも陸上と水泳は違って、水泳は全試合の最終結果で上位が選ばれる形式です。おまけに、投票する人にとっては好きな競技もあれば興味のないものもあるでしょうから、それを《十把一絡げ》にして上位を決めようとするIOC委員会の頭は、一体どんなふうになっているのでしょうかねぇ。中止した理由が「『比較なんか出来ない』『アスリートに失礼だ』等々の批判を受けたから」とのことですが、そんなことは子どもでも分ります。「とにかく視聴率を上げろ」といってくだらない番組を作るテレビ局もそうですが、周りが何を求めているかをしっかりと調べ、それを生かしてほしいものです。
(綿の苗が伸びてきました。そろそろ支えが必要になりそうです)

数分間だけの突然の大雨です
2019/06/22
曇り空から突然の大雨になりましたが、数分後の今は小雨になっています。今日は墓地の改修をされたお宅にお参りに行くことになっていますが、せめてお墓参りの時だけは雨が降らないでいてほしいものです。今朝の雨は傘をさしていても背中がビッショリになるほどですから、これが法衣姿だと悲惨です。しかし、そんな雨を受けながら、火鉢の中のメダカは蓮の葉の下に隠れていても元気です。この雨が梅雨入りの知らせならば今日の季語は《梅雨寒》でしょうが、今年の《水無月》はまったく予想が立たない日々の連続です。でも、この雨で殿ダムの水量も70%くらいにはなったでしょうか。そうであれば、少しは喜ばしいことですが・・・。

もしも信長が今に生きていたら・・・
2019/06/21
今日は織田信長が本能寺で討たれた日。学生時代に新京極にある本能寺を訪ねたことがありましたが、光秀の襲撃を受けた建物ではないとのこと。それもそうですよね、焼失したのですから。この信長という人物は当時誰もうまく使いこなせなかった鉄砲(種子島)を長槍と併用することによって敵に大勝するなど、稀代の戦略家として名を馳せました。しかし、光秀の裏切りに遭って「人生わずか50年、化天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり」と『敦盛』の一節を謡いながら、志半ばにして火中に没したと言われています。そのために『魔界転生』等の映画で《魔王》となって登場するのですが、もしもこの信長が現代に生きていたら、日本の政治家達をどう見るでしょうかねぇ。先日の党首討論を思い出してふと思ったことです。
ところで、昨日の写真にクチナシを選びましたが、今日は満開の紫陽花にしました。クチナシも紫陽花も初夏の太陽を受けて開くものですから・・・。

クチナシの甘い香りが漂っています
2019/06/20
昨日は半日かけて寺報の原稿作りに取りかかりましたが、そんな時ほど来客があるものですね。立ったり座ったりの半日になり、当然のこと原稿は未完成。もっとも、実際は頭の中で作り上げていた内容と実際の文章とが一致せず、「書いたものを読み直してまた書き直しの連続になった」ために未完成になったのですが・・・。そんな半日を過ごした中で、今朝一番に目に飛び込んできたのは真っ白なクチナシの花でした。早速に写真を撮ってきましたが、秋の金木犀とともに初夏のクチナシも薫りが素晴らしい花です。咲いていたのはたった一輪ですが、側に近づくと甘酸っぱい薫りが漂ってきます。西側の塀の内側では薄青い色をした紫陽花が満開になっていますが、たった1輪であってもクチナシもいいものです。
境内に置いている鉢植えでは綿の苗が20㎝ほど伸びていますし、その側ではご一昨年に門徒からいただいたタマノカンザシが葉を広げています。これらの鉢植えがこの先どのように育っていくかを考えると、また楽しみなことです。

駅前がスクランブルにならないの?
2019/06/19
坊守はビハーラ研修会でご門徒と一緒に山陰教区の教務所(松江)まで行きました。時間的に朝7時の特急しか間に合いませんので、私も駅まで見送りに・・・。当寺から駅までは徒歩で10分かからない距離ですが、それでもご門徒を待たせるのは失礼ですので、車で送った次第です。
ところで、鳥取の駅前は(地下道はありますが)横断歩道が東側に1ケ所しかなく、学校に通う生徒や通勤の人達や自転車の横断で混雑する上に片道2車線で左折と直進が同じ車線になっており、車も横断歩道の人が途切れるまで左折が出来ないために当然直進も出来ず、いつも朝は混雑しています。(そのため、信号が赤になってからでも走って渡る人もいる)しかも、時間的にそんなに長い時間ではないものの、雨が降っても夏日になっても身を隠すところがないので、次の青信号まで待っている歩行者も大変です。京都では駅前や武田病院前などはスクランブル交差点になっていて横断する人も目的の方向(縦・横・斜め)に自由に行けるので、混雑しているのを見たことがありません。観光客が増えている今、鳥取の行政も何か考えてほしいものです。

文章の草案作りで、また悩んでいます
2019/06/18
過日の雨で殿ダムの水量が50%を超えたとのこと。しかし問題は今後の雨量ですので、依然として予断を許さない状態です。
ところで、1週間前にやっと寺報191号を発送し終え、そのすぐ後にあった当寺の仏婦研修会も終わったのでここ数日は少しゆっくりした時間を過ごしていますが、1ケ月後には寺報192号と盆参りの案内を発送しなければなりません。そのためにそろそろ草案作りに入らなければならないので、また頭を悩ませている現在です。「文章には《序論・本論・結論》という流れがあり、それが上手く機能しないと何が言いたいのか伝わらない。そのためにはまず《導入》で読者の気を引くことが必要になるが、それが決まっても次の展開が・・・」などと考えるから、余計に難しくなってくるのでしょう。本当は、思ったままを素直に書けばいいのですがねぇ。「釈尊は相手によって話を変えた」と言われていますが、どうもそれがうまく出来ない《凡夫》の私です。
(万両の苗を鉢に植え替えました。上手く育ってくれたら、盆栽風にしたいものです)

人はどうして《肩書き》がつくと・・・
2019/06/17
昨日の雨のせいか、今朝は少し涼しいように思えます。その中で、大阪の交番襲撃と拳銃の強奪犯人が捕まったというテロップにはホッとしましたが、何故か弾が1発なくなっているそうです。誰かが撃たれたというニュースもありませんので試射かもしれませんが、まだ事実が分かっていませんので不安ですし、刺されて意識不明の若い巡査の様態も心配です。この巡査は近隣の人達から慕われているそうですが、かたや公務で知り得た情報を使って民間人から1000万円以上もだまし取った警察官が逮捕されたニュースもありました。誰もが若い時には希望にあふれて職務に就くのに、肩書きがつくと何故か《傲慢》になっていくようです。人は周りに支えられているからこそ《人》として仕事が出来るものなのに、どうして肩書きがつくとそれを忘れてしまうのでしょうか。悲しいことです。


夏の室内に模様替えしました
2019/06/16
昨日は雨模様でしたが、気になっていた絨毯を夏用に取り替えました。本堂の分も含めて仏間や客間等の絨毯をすべて掃除機をかけてから畳んでしまい込み、仏間や客間等は籐の敷物と交換するわけです。交換する方は汗だくですが、来られた方々に少しでも涼感を感じていただければありがたいことです。ついでに玄関の花も夏らしいものに生け直しましたしね。
昨日の午後から降った雨で庭に出していたバケツが満杯になりました。これで夏日になっても数日間の水やりには困りませんが、この雨で少しでも殿ダムや千代川の水量が増えてくれることを期待します。

国会議員の金銭感覚では、2000万円問題は解決できない
2019/06/15
シトシト ジメジメ・・・とは梅雨時期によく使われる表現ですが、昨日は午後から小雨が降って解消しましたが、それまでは本当に梅雨期独特のうっとうしい日でした。その中で元気なのは、雨を受けた木々と植木鉢の底に潜んでいるナメクジくらいでしょうか。
ところで、相変わらず国会議員の金銭感覚はズレていますね。麻生大臣などは2000万円問題で「報告書を受け取らない」と豪語していますが、国会答弁で「年金を受け取っていますか」と質問されて「受け取っているかどうか分からない」と答えています。「質問事項になかったので、答えられなかった」とのことですが、たとえ金額が分からなくても受け取っているかどうかはすぐに答えられるはず。しかも、《介護》分を引くと残りわずかな我々の年金に対し、麻生議員の年金額は我々の何倍もあるそうです。以前にもカップラーメンの値段や初乗り運賃の金額を答えられなかった議員がいましたが、こんな金銭感覚の人たちの集まりですから、「国会議員は、一度やったら辞められない」職業かもしれませんね。本当に《国民無視》の世界です。
(ドクダミが元気に伸びています)

自分では「当り前」と思っていても・・・
2019/06/14
今日は当寺の仏婦研修会の日です。お盆の8月と報恩講の11月を除いて毎月開催しているものですが、テーマが決まっているわけではなくてその時によって話す内容が決まります。当寺では寺報の名前も納骨堂の名前も「しうんざん」になっていますが、それについての質問が出ましたので、今月は《山号》について話すことにしました。確かにどのお寺でも自坊の山号(当寺は『紫雲山』)を知っていることは当り前あって説明もしていなかったことですが、だからこそ逆にご門徒にとっては《エアポケット》のようなものだったのかもしれませんね。世の中には大人にとっては当り前のことでも子どもにとっては不思議で「なぜ?」と思えるものも多くあります。しかし、大人は当り前すぎて逆に説明出来ない・・・。正にこの《山号》もそうだったのかもしれませんね。反省です。
ところで、誰もが当り前のように本山のことを『西本願寺』と呼んでいますが、これは通称であって、地理的に「京都の西側にある本願寺、東側にある本願寺」ということで『西本願寺』『東本願寺』と言っているだけですからね。正式には『(浄土真宗)本願寺派本願寺』です。

『母の日』と『父の日』の認知度は?
2019/06/13
6月の第3日曜は『父の日』ですが、どうも『母の日』に比べて忘れられている感がありますよね。その『母の日』は1907年のアメリカが起源であるとともに『父の日』は1909年のアメリカが起源ですが、『母の日』は亡くなった母を偲んでアンナ・ジャービスという女性が白いカーネーションを贈ったのが始まりであり、その後に男手一つで6人の子どもを育ててくれた父に感謝したソナラ・ドットという女性が「父に感謝する日」を提唱したことが始まりとのこと。それが日本に伝わって今日のようになったのですが、どうも日本では父親の陰が薄いように・・・。国民の祝日の一つである『子どもの日』の目的に「子どもの人格を認める」ということとともに「母親を大切に思う」という文言が入っていながら、父親のことは一言も書いてありませんしねぇ。「父の背を見て子は育つ」とか「『父』は鋤と鍬を重ねた漢字」というように普段から子ども達と接する機会が少ないのが父親の姿であるかのように言われていますから、忘れられるのも仕方がないのかも・・・。その中で、今年も咲いた鉢植えの赤い紫陽花~1週間前の写真~を見て少しだけ寂しい気持ちを慰めている私です。

狭い範囲での相反する状況
2019/06/12
今日の新聞(地方紙)に注目すべき2件の記事が載っていました。1つは岩美町での自動田植機の実験です。PCに位置情報を打ち込んでおけば、直線なら手放しでもOKとのこと。そのため苗床の交換にいちいち停まる必要もなくなり、1人での作業が可能という内容でした。しかし、その田植えにとって大切なものは水ですが、2つ目の記事は、河原地区では昨冬の降雪量や現在の降雨量の関係から地下水が渇れた状態になっているというもの。一方では水をたたえた田圃での田植え風景でありながら、他方では渇水という相反する内容の記事に目が引きつけられました。
鳥取では25年近く前にも渇水になったことがあり、「嫁いで何十年も経つのに、初めて《水当番》をしました」と郡家の農家の方から言われたことがありましたが、今日の河原橋の下を写した写真では一級河川である千代川の水量が極端に減って川底の石が姿を現わしています。今までは「鳥取は千代川があるから、水は大丈夫」と言われていた川のそんな写真を見て、鳥取県のそれも東部地区という狭い範囲での相反する状況に唖然としたことです。

街中に履物店を見かけなくなりました
2019/06/11
昨日は手紙を投函しに郵便局まで行きましたが、何年か(20年?)ぶりに下駄履きでした。カランコロンと鳴る下駄の音は懐かしいものですが、周りでは皆が靴姿。逆に気恥ずかしい気分になりましたが、高校生の頃は雪が降り積もっても裸足で下駄履きという無鉄砲な姿だったことを思えば、この50年間は隔世の感があります。草履履きは仕事上当然ですから誰も不思議には思いませんが・・・。しかし、最近は街中に履物店を見かけなくなりました。私が覚えているだけでも太平戦通りと智頭街道にありましたし、小学生の時には小遣いを貯めて母の誕生日に草履を贈ったこともありました。(その店では、訳を聞いて少し安くしてくれたっけ・・・)しかし、今はどこを探しても《履物店》がないので、仕事の上で必要になったときには仏具関係の専門店に注文することになります。
こんなことは別に履き物に限ったことではなく、殆どが大型専門店かホームセンターで求めるようになっています。でも、実はそんな店にはビーチサンダルはあっても下駄や草履がないのですよね。小説の文句ではありませんが、「母さん、僕の下駄と草履と日本手ぬぐいはどこへ行ったのでしょうね」と言いたい昨今です。

「吾が身つねって人の痛みを知れ」
2019/06/10
2週間ほど治まっていた左足(親指の付け根)がまた痛み始め、今朝まで痛みが引かなくて・・・。前回の診察時に「また痛むことがあるだろう」と言われていたとおりになりましたが、今朝のラジオがまたキツイ!最初に耳に入ってきた「ある程度の年齢に達した男性に多く見られるもので、足指の付け根が急に痛み出す」という言葉にドキッ!今朝の医療解説は《通風》についてで、「6つの項目の半分以上ひかかるとあぶない」ということでした。私の場合は去年何度も検査をしていていたのでそうでないことは分かっていましたが、ちょうど心が弱っている時でしたので、その言葉が胸に突き刺さったことです。
最近の《いじめ》問題でよく聞かれる「SNSによる誹謗中傷」も、弱っている心には鋭い刃物のように思えるのでしょうね。打ち込んでいる者は匿名でもあって《興味半分》なのでしょうが、受ける側は言葉に表わせないほど心がえぐられるのです。昔から「吾が身つねって人の痛みを知れ」と言われます。危険だからという理由で子どもにナイフを持たせなくなって以来、身をもって《痛み》を経験した子どもがいなくなったと言われていますが、今回の自分自身の痛みに当てはめて考えたとき、「正しい教育」とは何かとつくづく考えさせられたことてす。

植木と生育地との関係は?
2019/06/09
今日の新聞にヤマアジサイの展示風景が載っていました。アマチャも同様に全体に小ぶりですので鉢植えには適していますが、山で生きていたものを下におろすと難しい面もあります。その代表がドウダンツツジでしょう。ドウダンツツジは真っ赤な花が咲くものやピンクのサラサドウダンと白があります。しかし、もともとは山で育っているもののために気候風土に合わなければ根付きません。当寺も亡母の希望で何度か智頭から買い求めてサラサを植えたことがありましたが、結局2~3年ももたないで絶えてしまいました。地元の業者からもいろいろと指導してもらいましたが、何をしてもダメ。結局「やはり野におけ、レンゲソウ」なのでしょうね。食べ物でよく《マリアージュ》という言葉を聞きますが、「その地で採れたものを合わせると最高の取り合わせになる」ということだそうです。そのせいで「お茶漬けを食べるとホッとする」のでしょうかねぇ。
(とすれば、水槽と金魚の関係は??)

寺報192号が完成しました
2019/06/08

やっと寺報192号と今年度の永代経会の案内が完成しましたが、昨年の『鳥取市文化賞』を授賞され、先日も謝恩演奏会を催された佐々木恭子さんが7月21日に当寺でコンサートをされますので、その案内パンフも一緒にご門徒に送付することにしました。これらはいつもご門徒様の協力を得て封筒詰めをしていますので助かっていますが、今回は特に封筒に入れる枚数が多いので大変です。しかも、のり付けが済んでからも郵送料金が割引になる《特別区域》とそうでない一般区域とに区分け(最後は郵便局で確認)するところまでいって初めて「終了」ということですので、本当にご門徒様の協力はありがたいことです。
今朝はまるで台風かと思わせるような生暖かい強風が吹いています。その風に煽られて境内の木々も枝が吹き飛ばされそうですが、予報では「夕方には止む」とのこと。少しホッとしていますが、明日の情景を考えたら・・・。
今日の写真は、斑入りのガクアジサイにしました。紫陽花は毎年のように新しい種類が発表されていますが、もともとは日本固有の植物で、このガクアジサイがそうだったのですよね。


《ちょうどいい》の範囲は難しいです
2019/06/07
昨日の朝はシャンとしていたアジサイも昼頃にはグッタリでしたが、今朝は雨を受けて元気になっています。この様子を見ると、とうとう梅雨期に入ったようです。天気予報では「中国地方には大雨注意報が出ている」とのことですが、放送されたのは山口と広島で鳥取はまだ入っていません。心配なのは夕方以降とのことですが、何ごとも《ちょうどいい》のがいいですよね。
しかし、この《ちょうどいい》の範囲がクセモノで、人や場合によってその境界は実に様々なのです。「その一例が食べ物の味付けだ」と言えば納得する人も多いでしょうが、物事の範囲については人の好みだけでなく地域性も関係するので、一概には言い切れないのも事実です。ただ《しつけ》と《虐待》の境界は誰が見ても分かりますが、それがまったく分からず「しつけだ」と言い逃れようとする親がいるのも事実です。また《虐待》によって2歳の女児が亡くなりました。悲しいことです。
(今日は青紫の紫陽花の写真にしました)

紫陽花が色をつけ始めました
2019/06/06
教員を退職してから11年の間、毎日書いているこの『独り言』欄には頭を悩ませています。よく茶室で見かける『日々是好日』とは「毎日が穏やかでいい日だ」という意味に使われますが、実は「目の前のことに捕われず、その日その日をただひたすらに《生ききる》ことが出来れば、それがいい日なのだ」という意味だそうです。しかし、毎朝の日課であるこの欄を書き上げることに頭を悩ませる私としては、なかなか『好日』になりそうもありませんね。
ところで、いよいよ紫陽花のガクが色をつけ出しました。娘から《父の日》に贈られた紫陽花も深紅の色をつけ始めましたが、隣の公園の紫陽花も薄青い色を見せています。「紫陽花は土壌の質によって色が変わる」と言われますが、鎌倉の《アジサイ寺》は色様々に咲くそうです。一度行ってみたいと思っていますが、なかなか時間に恵まれません。一昨年は《藤寺》に、去年は個人所有のバラ園に、そして今年は牡丹園に行きましたが、殆どが日帰りという状況でした。誰でしょうねぇ、「退職したら、暇になる」と言ったのは・・・。

植物も育てるのが難しい
2019/06/05
今朝のラジオ番組で「会社の壁にブーゲンビリアの花が満開になりました」という投稿がありました。この花は茎が堅い上に枝にはトゲがあり、側を通る時に気を付けないと引っかけることがあります。それが会社の壁一面に咲いているということは、よほど丁寧に剪定しながら育てられたのでしょう。植物は「梅雨の投げ捨て」という言葉もあるように放っていても育つように思われがちですが、本当は少しのことでも成長に影響が出ます。
もう30年近く昔になりますが、鳥西高に赴任したときに「生徒達に物を育てる経験をさせてみよう」という学年の意向もあって、各クラスに1坪分の空き地と瓜やカボチャ等の苗を渡して育てさせたことがありました。もっとも、生徒には興味も関心もなかったために最後は《担任任せ》になりましたが、畑が木の陰になっている上に肥料も土地の耕しも充分でなく、結局何も育ちませんでした。また、その年は各クラスにカポックの鉢を配りましたが、どのクラスも手入れをせず、中には窓の外に捨ててあるクラスもあった状態でした。その生徒達も今は50歳近くになって子育ても終わっている年齢ですが、あの時のことを覚えているでしょうかねぇ。
(今日の写真は、20年程前にご門徒からいただいた星桔梗です)

犬に咬まれた思い出が今も・・・
2019/06/04

下駄箱の上にある水槽は数年前には鯉の稚魚がいましたが、その後は金魚を入れていました。しかし、それも1匹になったため、昨日は小金を入れてやりました。子どもの頃は、夜店の金魚すくいで捕ったものや十姉妹やザリガニを飼っていた時もありました。誰でも子どもの時にはいろいろな動物を飼った経験があるものですが、あいにくと犬だけは飼ったことがありません。なにしろ、小学生の時に犬に咬みつかれた(ズボンだけでしたが)ことがあってどうしても好きになれないのです。その代わり、三毛の雌猫を長い間飼っていたので猫は大丈夫ですが、、犬のいるご門徒宅にお参りに行く時は(本人は気にしないつもりですが)こわごわです。昔から「三つ子の魂、百まで」と言いますが、子どもの時の体験というものは良きにつけ悪しきにつけ、どうしても残るものですね。(花が好きなのは、きっと亡母の影響ですね)


泰山木の落ち葉を掃き集めました
2019/06/03
昨日は鳥取市文化功労賞を受けられた菊弘瀬恭子(佐々木恭子)さんのコンサートがあり、当寺からもお祝いの花とともに坊守が演奏を聴かせてもらいました。佐々木恭子さんは当寺の女性総代の1人でもあり、当寺からもお願いして毎年開催しているコンサートに「箏とビオラとのコラボレーション」(これについては市報7月号に掲載)の演奏会をしていただくことになっています。
ところで、昨日の夕方は境内にある泰山木の下を掃除しました。この時期には白い大きな花を咲かせる木ですが、その前に古い葉を落とすという特徴がありますので、木の下は落ち葉だらけです。そのため、先ず鉢植えをすべて移動してから落ち葉を掃き集めて袋に入れたのですが、泰山木の葉は大きな上に非常に堅く、熊手でないと集めることが出来ません。しかもこの木の近くには椿や山茶花等が何本も植えてあるために《立って掃き集める》ことは不可能。おかげで2袋分も集め終わった時にはどっと疲れが出ましたが、やはり周りが綺麗になると気持ちがいいものですね。でも、近くに置いている鉢植えのバラに蕾がついていないのがちょっと寂しい・・・。(鉢植えのフウチソウも葉を伸ばしています)

いよいよ梅雨の時期の到来ですか
2019/06/02

当寺では毎年独自のカレンダーを作って年間の行事を記載していますが、本山のカレンダーを真似て標語とイラストも載せています。標語は何年か前に掲示板に書いていた言葉を使っていますが、今月は『苗木は支柱によって育てられ 人はおかげさまの心によって育てられる』を選びました。また、イラストは私の描いたてるてる坊主です。いよいよ梅雨前線が近づいてきましたが、「今年は低気圧と重なって、豪雨になる可能性がある」とのこと。先月も5月とはとても思えないような天候になり、東京では雹が川となって流れている光景が映されましたし、沖縄の南にある島では1ケ月に相当する量の雨が1日で降ったとも言われています。そんな中でも日野川水系で取水制限の出ているところがあるなど、現在の日本列島は昔と違って「四季があって美しい」とは言えない様子を呈しています。
鳥取もいよいよ梅雨の時期に入るのでしょうが、「降ってほしいが、降り過ぎるのは困る」というのが本心ですので、あとは《てるてる坊主頼み》となるのでしょうかねぇ。


今日から6月ですよ~
2019/06/01
今日から6月。旧名では『水無月』ですが、6月は梅雨のシーズンなのに「水がない月」とはおかしいですね。もっとも、新暦と旧暦とは大体において1ケ月近い差があるために旧暦の『水無月』は本来ならば7月頃になるのでしょうか。
それにしても、昨日の雨は正に《慈雨》でした。郵便局に行く時はパラパラでしたが帰る時は少し強くなり、その1時間後には本格的な降りになりました。後日植木にやるつもりで庭にバケツを出していたところ、朝方には半分近くたまっていました。それほどの雨だったのでしょうが、それでもやはりこの程度の降りが動植物にも一番ですね。境内の紫蘭もホッとしている様子ですし。
今月は7月に勤める永代経法要の案内も含めた寺報を発行することになっています。やっと原稿が出来上がったので、そろそろ印刷にかからないといけないようです。ちょっと《疲れ気味》の昨今ですが・・・。

淨宗寺(浄宗寺) 〒680-0821 鳥取県鳥取市瓦町110 TEL:0857-22-5744 FAX:0857-22-5745